3

 最寄り駅に着いたのは、ちょうど中学の授業が終わる時間帯だった。

 どこにも寄らずにまっすぐ帰ってきた修司は、なんとなく普段着のまま、校門をくぐった。もしかしたら、魔女先生に会えるかもと思ったからだ。


 廊下は、これから部活に向かう生徒たちであふれていた。土間で靴を履き替えて、階段を上がって三階の図書室に向かう。


「あ、修司!」


 クラスメイトの俊哉に声をかけられた。


「どうしたんだよ、今日。来なかったじゃんか」

「ちょっと病院に」

「そっか。腕?」

「そう、腕」

「ふうん、大変だな」

「慣れたよ」

「でも、かっこいいな」

「そう?」

「うん」


 すると俊哉は、何かを言いかけた。


 なに、と聞き返すとなんとなくもじもじと体を揺らす。


「あのさ、もし修司がよかったらなんだけど……今度、サッカーやらねぇ?」


 それは、考えてもなかったお誘いだった。


「文芸部の俺が?」

「それは部活の時だけだろ」


 しゅんやー! と階段の下から元気よく呼ぶ声がすした。「今行く!」と俊哉も大声で返事をした。


「修司、また考えといて。みんなさ、修司と遊びたいんだよ。あと……朝倉のこと」


 栄時の名前が出て、どきっ、とした。

 俊哉はばつの悪そうな顔をしながら、つま先をとんとんと床に叩きつけた。


「今更ってのはわかってる。でも、あいつのこともいろいろ教えてくれよ。俺、去年朝倉と同じクラスだったのに、知った気になって、見舞いに行こうともしなかった。それ、みんなもだけど、めちゃくちゃ後悔してんだよ……」


 それは、知らなかった。

 心を囲っていた壁が、がらがらと音を立てて崩れていくような気がした。


「ほんとに……今更だな」

「……ごめん」

「いいよ」


 また呼んでるぞ、と俊哉を促す。

 勝手にバリケードを築いていたのは、修司たちの方だった。なんであんなに捻くれていたのだろう。それだけ、自分を守ることで必死だったのか。


 サッカーか。

 考え出したら止まらない。グランドで飛んだり走ったり、ボールを追っかけたりするのを眺めていると、体が疼いたりしてくる。健全な中学生男子で、絶賛成長期でもある修司にとって、体育の授業だけでは物足りないところもあった。


 入学した去年は、永時のことで頭がいっぱいだったせいで、クラスメイトたちと距離を置いてばかりだった。腕のこともあって、修司に話しかける者も少なかった。

 俊哉と話して、まるで憑き物が落ちたように胸のあたりが軽くなっていた。


 図書室の前に来ると、いったん深呼吸をしてからドアを開けた。

 奥の席には魔女先生がひとり、のんびりとお茶している最中だった。カップから立ち上る湯気がくゆり、宙に溶けて消えていく。


「あら、春澤くん」

「どうも」


 椅子に鞄を置いて、ダッフルコートを脱いだ。


「魔女先生だけですか?」

「文乃ちゃんと鐘花ちゃんは、高校受験のための面接対策と練習よ。澄ちゃんと冬喜くんは、お掃除当番」

「そっか、先輩たち、もう受験なんだ」

「そうよ」


 年が明けてまだそんなに経ってないと思っていたけれど、実際は二月に入っていた。時間が経つのが早い、とぼやいたら、私よりマシじゃない、と魔女先生は頬を膨らませた。

 窓際に電気ストーブが置いてあって、冷えた体を外側から温めた。その上でしゅんしゅんとやかんが音を立てている。これでお茶を入れていたようだ。焙じ茶の香りが図書室に充満している。


「来るとは思わなかったわ。これからおうちにお邪魔しようかと思ってたのに」

「……永時ですか?」

「えぇ」


 それ以上、魔女先生は何も言わなかった。

 普段はあれだけ本について語り出すとうるさいのに、こういうときだけ静かになる。

 あの日と同じようなバスケットが、テーブルの上に置かれている。修司は中身の見当がついて、やれやれ、と息を吐いた。


「それ、ここで頂いてもいいですか?」

「どうぞ」


 魔女先生が重い腰を上げて、用意をしてくれる。今日は自分が食べるためじゃなくて、修司のために用意してくれた。きれいなガラスの器に、まっしろなアイスクリームを掬って盛り付ける。銀色のスプーンを添えて、恭しく修司の前に置いた。


「どうぞ、お召し上がりください」


 見上げると、魔女先生が切なそうな笑みを浮かべていた。


「いただきます」


 神聖な一匙を掬い、口に運ぶ。

 ミルクと卵の飾り気のない素朴な味が、はらりとほどけて溶けていった。清らかであまくてやさしい、誰かを純粋に想う味だった。

 そのとき、修司がどんな顔をしていたかはわからない。魔女先生が、焙じ茶を注いだカップを隣に置いてくれる。


「美味しいです」


 喉咽が震えて、涙の混じった声が出た。けれど魔女先生は気づかないふりでもしてくれたのか、叶夜に伝えておくわね、と頬をほころばせた。


「魔女先生。俺、なにか、書いてみようかと思います」


 今なら、書ける気がした。なにを、とまではいかないけれど、なにか、自分を糧にして書ける気がした。


 哀しみにもいずれ時は流れ、咲いた花が散っていく。そうしてまた、新しい花が泉から芽吹いてきて、美しく咲くのだろう。閉じこもっていた殻を割って、手紙のように書き残していきたい。


 もう一匙掬うと、スプーンからとろりとアイスが溶けて零れた。

 瞼の隙間からも、しずくが一つ流れた。永時への想いが混ざり合って、修司の体の中に溶けていく。


「ごちそうさまでした」


 ささやかな魔法の時間が、終わる。

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雪解けの魔法 青居月祈 @BlueMoonlapislazri

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