秘密を持つこと
リュウ
第1話 秘密を持つこと
小夜子は、高層階の見晴のいいサテライトオフィスで、プレゼン資料を作成していた。
作業場は、何処でもいいのだけれど、今日は、天気が良いのでこの場所を選んだ。
小夜子は、中堅社員になっていた。
今日中に仕上げて、この街で美味しいものを食べようと計画をたてていた。
一息入れようとした時に目の前の人影に気付いた。
「小夜子先輩、ここ、いいですか」
「直哉君」
菊池直哉。私の初めてのチューターを担当した。
直哉は、色が白くてまつ毛の長い女の子のような顔をした男だった。
ちょっと頼りない感じだった。母性本能がくすぐられたのか、指導には力が入ってしまった。
ビジネスマナーや業務の知識はもちろん、社会人としての行動の仕方を指導した。
最初は、何も知らない馬鹿な子と思っていたが、今の目の前の姿は、落ち着いて立派になったなと感心していた。
体もたくましくなり、胸板も厚い。この男は、短い間にこんなに変わるのかと驚いていた。
小夜子は、机の上のノートパソコンを自分の方に寄せた。
直哉は、近くの椅子を持ってくると小夜子の隣に陣取った。
「いいけど、何で名前で呼ぶの?」
「えっ、だって、僕のチューターだったじゃないですか」
「馴れ馴れしいなぁ、一応先輩なんだからさ」
「小夜子先輩だって、僕のこと直哉って呼ぶじゃないですか」
「いいのよ、あなたは弟子みたいなもんだから、何が悪いの」
「小夜子先輩って、僕の師匠だったんですか?」
「みたいなってこと。面倒くさいな、いいよ、小夜子先輩で」
直哉は、小夜子の横でノートパソコンを開いていた。
「何となく、小夜子先輩が居るような気がしたけど、正解でしたね」
「私が居るって、わかるの?」
「分かりますよ、匂いで」
小夜子は「えっ」と言って鼻に皺を寄せた。
「冗談ですよ。先輩の匂いは好きです」
小夜子は、「なんだ、コイツは?」と、顔に出ていると思った。
「で、何でここに居るの?」
「今日は、打合せで呼び出されたんです」
「打合せ?」
「僕、”プロジェクトS”に入ったんです」
「凄いじゃない。あのプロジェクト、選抜された人しか入れないよ」
「選ばれちゃいました」と、頭を掻く。
「出世したんだ、良かったね」
「小夜子先輩のお蔭です。みっちり、鍛えてもらいましたから」
「それじぁ、苛めたみたいでしょ」
「少しはありますね。厳しかったなぁ」
「これで、一人前って認められたんじゃない」
「仕事、大変?」
「ええ、まぁ、色々あるんですよ」
「打合せなら、リモートで済むのに」
直哉は、急に姿勢を正し、首を潜望鏡の様に伸ばし、キョロキョロと周りを見渡した。
そして、肩をすぼめ、右手で口を覆い、顔を近づけてきた。
小夜子は「何よ」と反射的に顔を背けた。
「ちょっと、耳を貸してください」
小夜子は、仕方ないなぁと顔を寄せた。
「田中リーダーが佐藤さんと会うためなんです」小さな声だった。
「何それ!」小夜子は思わず大きな声が出てしまった。
うるさいなと周りの迷惑そうな反応に二人は縮こまった。
「佐藤さんって」
「先輩と同期の佐藤沙織さんです」
「会議が終わったらデートするんですよ」
「た、田中さんって既婚者でしょ」直哉は大きく頷いた。
「不倫?」直哉は再び頷く。
佐藤沙織と言えば、身長の割にやたら胸がデカく、男どもの人気を集めていた女だ。
沙織なら、やりそうなことだ。
「Vネックで大きな胸の谷間を強調したされたら、オジンたちはイチコロです。
それに褒め上手。何でもないシャーペンだってお洒落でセンスいいなんて褒めてきますから」
「褒められたんだ」
「そうです。悪い気はしないけど、裏が見えるとイヤですね。サバサバした小夜子先輩には出来ないことですけど」
その通り、小夜子には出来ないことだった。
この男は、しっかりと女を見ているのだなと感心していた。
男も馬鹿ばかりではなさそうだ。
「なんでわかったの?」
「服装とか何となく雰囲気ですかね。言葉とか様子を見てると分かるものです。好きあっている二人は」
「大人になったのね」小夜子は、からかう。
「小夜子先輩のお蔭です」
「バカ、変な事言わないでよ。勘違いされるじゃない」
そうですかねと直哉は頭を掻いた。
「でも、好きな人が居るっていいなぁと思います」
直哉が遠くを見つめる。甘い未来でも見ているのだろうか。
横目で小夜子を見て言った。
「先輩は、好きな人って居るんですか」
「それ、セクハラよ」あまりに早い小夜子の返答に、ですよねっと直哉が笑う。
「あの人たち、どうするんですかね。奥さんに黙っているんですかね。墓場まで持っていくってヤツですかね」
「そんなの知らないわよ」
「共通の秘密を持つと愛が深まるっていいますよね」
「ネットで見たの?」
「まぁ、そんなところです。小夜子先輩って、秘密あります?」
「ないわよ、そんなの。あったって、あなたには教えないわ」
「冷たいなぁ、いつからそんなに冷たくなったんですか」
「前からよ」
小夜子は、直哉との掛け合いが楽しく感じていた。
直哉は、また、腕組みをして遠くを見つめた。
「じゃぁ、僕の秘密、特別に教えてあげます。誰にも言っちゃだめですよ」
「わかったわよ、聞いてあげる。何?」
「思い切っていいますけど、僕、小夜子先輩のことが大好き、愛してます。
小夜子は、一瞬を飲み込んだ。
「なぁにそれ、プロポーズみたいじゃない」
直哉は、スーツのポケットから小さな箱を取り出し、すーっと小夜子の前に差し出した。
「僕の秘密を教えました。僕と結婚してください」
小夜子は、箱を手に取って蓋を開けると、指輪が煌めいた。
なぜか、涙が溢れだしてくる。
小夜子は、なぜ自分が泣いているかわからなかった。
秘密を持つこと リュウ @ryu_labo
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