第2話
閉店後のカフェ。窓の外は闇夜に包まれている。風に運ばれてくる桜の花びらが、時々窓を横切った。清掃が終わった店内のカウンターには、エプロンを取った円が座っている。円は頬杖をつきながら、サーバーに落ちるコーヒーの雫を見つめていた。一滴、また一滴とコーヒーの香りが染み込んだ雫が落ちていく。その度に、サーバーの中のコーヒーがゆらっと小さく揺れる。
「もうそろそろ飲めるよ」
カウンターの奥で在庫を確認していた柳が言った。柳もエプロンを取ってカウンターの脇に置いている。後ろになでつけていた髪は少し崩れて、額に前髪がかかっていた。
「わーたのしみだー」
「まあ、苦いの苦手だもんな。砂糖とミルクは?」
「いらないです、大人なんで」
「そ、そうか……」
少し困ったように笑いながら、柳はコーヒーをカップに注いだ。それをそっと円の前に置く。香ばしいコーヒーの匂いが鼻の先に広がった。とてもいい匂いだと、円はいつも思っていた。だが、今のように口に運ぶとーー。
「ウェッ」
「だから無理するなって……」
「さ、さとう……」
「ほら」
柳は手元のバスケットからスティックシュガーを手渡した。それを受け取るなり、ものすごい速さで円はコーヒーにシュガーを入れた。
「ミルクは?」
「いります!!」
また苦笑して、柳は冷蔵庫からミルクを取り出すと小さな金属製のピッチャーにミルクを入れた。それから円に手渡すと、また彼女はすごい速さでカップにミルクを流し込んだ。ソーサーに置いてあった陶器製のマドラーでコーヒーを混ぜ、怪訝な顔でもう一度コーヒーを飲んだ。
「飲めそうか?」と柳。
「はい、美味しいです。甘くて」
「それ良い豆なんだけどなぁ……」
「そうなんですか? そういえばいつもより美味しいような気がしてきました」
「そりゃよかった……」
がっくりと項垂れたが、柳は気を取り直して自分のカップにもコーヒーを淹れた。まるでワインのように香りを楽しみ、少しずつ味わうようにしてコーヒーを飲む。その姿がサマになるなぁと思いながら円は彼の姿を見ていた。
「そういえば」カップをキッチンに置いて、柳が言った。「手土産でクッキーをもらったんだったな。円ちゃんも食べる?」
「いいんですか! 食べます! あ、手作りとかじゃ……」
「ああ、違うよ。既製品」
「よかったぁ。じゃ、いただきます」
「相変わらず人が作ったもの食べられないんだな」
「柳さんのやつなら平気なんですけどねぇ。前職で昔からいる古参のババアが作った弁当無理やり食べさせられてて、私アレルギーあるから茄子食べれないって言ったのに勝手に弁当に混ぜこまれて死にかけましたからねぇ」
「そりゃトラウマものだ」
「ほんとですよ。今でも人が作ったものってーー柳さんを除き、ですけどーーとにかく怖いんですよね。だからレストランとかも行きたく無いし、ラーメン屋も無理」
「飲食店じゃどう足掻いても人の手は介在するからな。少しずつ慣れてくしか無いんだろうな」
「辛すぎて笑える」
「笑うな笑うな」
そう言いながらキッチンの奥に消えた柳は、紙袋を持って帰ってきた。中から青い缶を取り出し、蓋を塞ぐテープをはがしてからカパッといい音を立てて蓋を開けた。中には甘そうなクッキーが無造作に入れられている。
「どんだけ食べられる?」柳が聞いた。
「いくらでも。そのクッキーに追加でホールケーキ一つくらい食べれます」
「お、おう。ならこの缶のままでいいか」
柳はカウンター越しにクッキー缶を円の前に置く。それからコーヒーを追加で注いで、カウンターをぐるりと回ってくると、カウンター用の背が高い椅子に背伸び一つせずするりと座った。
「……遠くないっすか」と円。
柳が座っているのは、彼女から二つ分椅子を開けた場所だ。
「流石に間隣っていうわけにもいかんだろ」
「別にいいのに」
「あのなぁ。年頃の女の子なんだからもう少し危機感を持ちなさい」
「急にお父さんみたいなこと言いますね」
「そこまで年は離れてないけど……まぁお父さんみたいなものかもな」
「ええ〜?」
二人はクッキーを指でつまんで口に運ぶ。口の中に甘さが広がり、疲れた体に染み渡る。柳は「うまいな」と呟いて、もう一つクッキーをつまんだ。続けて三つくらい食べたあとで、彼は一瞬動きを止め、また思い直すようにクッキーを食べ始めた。
「で、話ってなんですか?」痺れを切らした円が聞いた。
「話? いや、別に大した話は無いがーー」
「いやいや、分からないと思ってるんですか。明らかになんか話したいって顔に書いてあるじゃ無いですか。もうここまで来たら話してくださいよ、どんな内容なのか知らないけど、あの麗華って人も関係あるんでしょう?」
「う……いや、まあ、そうなんだが」
柳はコーヒーカップに手を伸ばす。
「コーヒー禁止! クッキーも禁止! 話始めるまでなんかするの禁止!!」
「き、厳しいな」
伸ばした手を、彼は引っ込めた。それから逃げるように外に視線を移し、天井に移し、目を閉じて悩んだ末にやっと話し出した。待ちきれなくなった円は口いっぱいにクッキーを頬張っていた。
「俺はね、円ちゃん。ロクな人間じゃ無いんだよ」
「なんですかそれ。前も聞きましたよ」
「いや、そういう軽口のレベルとかじゃなくて」
「うーん? つまり冗談じゃなくひどい人間ってことですか?」
「そう」
「具体的には?」
「ぐ、ぐいぐいくるな。俺はーーどこから話すべきかな。今日来た麗華って人いただろ? あの人と関係がある話なんだ」
一瞬むっとした円だったが、深刻そうな柳の表情を見て茶化すのを止めた。柳は続けた。
「もうここまで来たらはっきり言おう、俺は一度人を殺して捕まってる」
店の前の道路に一台の車が走ってくる。車はライトで柳の体を縁取るように照らしてから、遠くに去っていった。キッチンに置かれた冷蔵庫が、ブウンと音を立てて動いていて、その音がどんどん大きくなるような気がした。
「柳さん、嘘下手ですね。それじゃ、麗華って人はお化けってことですか? 真昼間にあんな健康そうなお化けが出ます? あ、もしかして、私しつこすぎました?」
「違うよ。俺が殺したのは麗華の……恋人だった男だ。彼女は殺してないし、歴とした人間だ」
「……」
諦めさせるために嘘をついているのだろう、と思った。だが柳がそんな品の無い嘘をつく男ではないと、円はよく知っている。円はぎこちなく笑った。
「は、はは。今日ってエイプリルフールでしたっけ?」
「そうだったら良かったかもな。でも、俺は自分のした事を後悔はしてない。反省はしてるけどな」
「どうして……?」
「……当時麗華は恋人から暴力を受けていた。それは酷いもんで、いつも生傷が耐えなくて、痣も残ってて。平手打ちをされたせいで片耳もほとんど聞こえてない。でも周りの人間は見てみぬフリだった。俺は麗華に別れるように勧めたし実際に別れ話もしたようだったけど、彼女の恋人がそれを受け入れなかった。自分から逃げようとしているんだと疑心暗鬼が酷くなっていたのか、麗華の傷もどんどん増えてな」
柳はふうと息をついて、コーヒーを一口飲んだ。
「それで、麗華さんを助けるために?」
「助けるためというと恩着せがましいけど、まあ結果的にはそうかもなぁ。俺は彼女を助けたかった。だから麗華と一緒に話にいったんだ。麗華の恋人は小田川という男で、俺よりも三つ年上だった。仕事しないでパチンコばっかやってるような典型的なダメ男だったけど、見た目が良かったから麗華も騙されたんだろうな。ほんと、バカだよ」
「別れ話はまとまったんですか……?」
「いや、想像の通りだ。小田川は俺に殴りかかってきて、俺が気絶している間は麗華を殴っていたみたいだ。俺は少しして目が覚めたが、同じ部屋で麗華が小田川に殴られていた。だから麗華を助けようとして、手元にあったでかい灰皿で小田川を殴った。そしたら当たりどころが悪かったみたいで、そのままお陀仏だった」
柳の脳裏には、当時の状況がフラッシュバックしていた。安いアパートの一室。引き戸で台所と区切られた和室。畳に染み込んだ赤黒い血。元の顔を思い出せないほど殴られた小田川は仰向けに倒れていて、その上に馬乗りになっていた柳の片手には灰皿が握られていた。その灰皿や手、彼の服には返り血がべっとりとついていた。外では油蝉が鳴いていて、窓から入ってくる夏の夕日が酷く暑かったのを彼は覚えている。
「逃げようとか、思わなかったんですか?」
そう円が言うと、柳の意識は現代に引き戻された。
「意外とすごい事いうよね……。まあ、逃げ切れるとも思ってなかったしな。素直に救急車呼んで、自然と警察にも連絡が行って、あっさり捕まったよ」
「正当防衛なのに、酷い話ですね」
「まあ俺も結構殴っちゃったからな」
「結構?」
「頭に血が昇っててほとんど記憶が無いんだが、七〜八発くらいは殴っていたらしいよ、でかいガラス製の灰皿で」
「おお……あんまり想像したくないですね」
「想像しなくていいよ、なんの益もないからね」
円は、自分の鼓動が早くなっているのを感じていた。それは柳がすぐ近くにいるからだが、今日まで感じていたものとは全く異なる感情だった。いつもなら柳が近くにいる嬉しさから鼓動が高鳴った。だが、今は人殺しがすぐ隣にいるという恐怖から鼓動が早くなっている。それが伝わったのか、柳は寂しそうに笑った。
「あれ、もしかして今日いちゃもんつけてきたバ……お婆さんって」
「そう。小田川 桜。俺が殺した男の母親だ」
「うっ……。なんというか、想像以上に根が深かった」
「そうなのよ。俺もどうしたものか困っててね。最近年のせいか文句言いにくる回数減ってたんだけど、俺が楽しそうに仕事してるのが気に食わないのか、久しぶりに来たなぁ」
「どう考えても小田川の息子が悪いのに、黙って受け入れてるんですか」
「そうは言っても俺は殺しちゃってるからな」
血のついた灰皿を手に呆然と立っている柳を想像してしまって、円は思わず身震いをした。
「ごめん、やっぱり話すべきじゃなかったかもしれないな。知らない方がいいことなんて山ほどある。これもその一つだったんだろう。なぜか円ちゃんには話さないといけないような気がしたが、それも俺の独りよがりだったかもしれない」
「いえ、それは良いんです。でも一つだけ、とても大事な疑問があります」
「疑問?」
「はい。それだけの困難を乗り越えた柳さんと麗華さんが未だに結婚していない理由が分からない。結婚してないだけでやっぱり恋人なんですか? 恋人がいるのに秘密にしてたんですか!?」
「い、一旦落ち着こうか。恋人がいないっていうのは嘘じゃない。結婚ももちろんしていない。若い頃、俺は確かに麗華に惹かれてた。でもそれは若い頃の話だ。今となっては恋人になろうなんて思わない」
「なんでですか! せっかくチャンスなのに?」
「よく分かってるからだよ、上手く行かないって。確かに、俺たちは大きな困難を共に乗り越えた。俺は麗華を守ったし、麗華は出所する俺を待ってくれていた。でもね、これは不健全な共依存だ。好きな女性を守ったことで安易なヒロイズムに溺れて、麗華を守るべき存在として俺の所有物のように感じてしまっている。麗華の方も、自分の事を宝物のように守ってくれた俺に対して依存しているし、彼女自身それを自覚している」
「難しい……」
「要は自分の存在意義を相手に委ねてるんだ。そんな付き合いが上手くいく訳がない。俺が出所してから数回デートしたが、お互いなんとなく”違うな”って分かったよ。それからは男女とかいう意識を完全に無くして、ただの友人として付き合ってる」
「うーん、まあ要するに、気が合わなかったってことですね」
「ちょっと端折りすぎる気もするけど、まあそんなところだね。というところで話を戻すが」柳はコーヒーを一口飲んでため息をつくと続けた。「俺は恋人とかそういう役目を果たせるような人間じゃない。この店だっていつまで続けられるか……。今はまだ変な噂も立っていないが、俺が犯罪歴のある人間だと知れれば客足も遠のく。もしこの店をやめなきゃならない時が来たとして、次に仕事に就けるかも分からない。恋人にするにも夫にするにも、不良物件すぎるだろ?」
円はじっと柳の目をみた。それから答えた。
「確かに、それは困るかもしれませんね」
「だろ。だから俺のことはやめておいた方がいい。なんだか上からの物言いになってしまって申し訳ないが」
「いえ、いいんです。最後に一つだけ聞いてもいいですか」
「もちろん」
「もし犯罪歴が無くて麗華さんともお付き合いをしてなかったとしたら、私の告白受けてました?」
柳は目を閉じて少し考えた。
「受けていたかもしれないな。年齢差は相変わらず気になるけど」
「ーーそうですか。それが聞けただけで満足です」
円は椅子から降りると、コーヒーカップを持ってキッチンに行った。一体型の食洗機に使ったカップを入れると、蓋を閉じた。それから二人は他愛ない会話を少しだけして、店を後にした。それから約半年後、円はカフェのバイトを辞めた。
円がバイトを辞めた後、柳は全ての仕事を一人でこなさなければならなかった。いつもならキッチンに籠りきりで良かったが、彼女が辞めたことで注文を取ったりレジで会計をしたりせねばならず、その度に手を洗うので手荒れが酷くなった。何度か新しいバイトを入れようかと悩み広告を出してみたが、どのバイトも注文も上手く取れず、少しずつで良いから覚えてほしいと優しく伝えると次の日から来なくなった。そこまで忙しい時期でも無かったが、バイトとのコミュニケーションに悩まされた。おまけに誰かがSNSで写真を上げたのか、急に客足が増え出した。春も夏も秋もその客足は絶えず、一日中キッチンとフロアを往復するので毎日足がパンパンに浮腫んだ。時々麗華が様子を見に来て「手伝おうか」と言ってくれたが、柳はそれを断った。断った理由は彼自身よく分からなかった。
そうして、円がバイトを辞めて一年ほど経った冬の日。柳はいつも通りに朝の仕込みをしていた。サンドイッチに使う卵を煮たり、葉物野菜をあらかじめ適度なサイズに切ってトレイの中に入れておいたり。トーストに使うパンの在庫をチェックして、冷蔵庫に保管してあるバターの在庫と賞味期限もチェックした。コーヒー豆の入った瓶を取り出し、蓋を開けて香りを確認する。まだ香りは強く残っており、しばらくは使えそうだった。ついでにコーヒー豆を中から取り出して、ミルに落とした。ふと窓から外を見ると、白い雪が降り出していた。小ぶりの雪は勢いを増していく。雪が降るだろうということは天気予報を見て知っていたが、思ったよりも降りそうだ。この天気では客もほとんど来ないだろう。柳はお湯を沸かすと、さっき挽いたコーヒー豆をドリッパーに入れてその上からお湯を注いだ。香ばしいかおりがふわりと店内に充満する。沸かしたお湯を注ぎ切ると、カップにコーヒーを注いでカウンターに置いた。キッチンから回ってカウンターの椅子に座ると、コーヒーを一口飲んだ。今回の豆は少し苦味が強い種類だ。もし円だったら飲めないだろう。もし飲んだとしてもうぇっと舌を突き出す姿が目に浮かぶ。
「相変わらずコーヒーは飲めないんだろうなぁ」
柳は一人呟いた。
「飲めませんけど、それが何か」
「……」
さっきまで一人だったはずの店内に女の声がした。柳ははっとして入り口の方を見たが、そもそもドアベルは鳴っていなかったし、誰も入ってきてはいない。
「こっちです、こっち」
再び女の声がする。きょろきょろと店内を見回したあとで前に向き直ると、カウンターを挟んだキッチンに円が立っていた。突然のことに言葉が出ず、柳はぽかんと口を開けたまま彼女のことを見ていた。
「お久しぶりです。元気でした?」
そう言った円はブラウスにジャケットを着て、その上からコートを羽織っていた。ほとんどすっぴんだった顔には薄くファンデーションを塗っている。
「……円ちゃん」
「これだけ寒くて雪も降ってると、流石に客来ませんねぇ」
「あ、ああ。そうだね。それにしても、どこから?」
「え? 普通に裏口からですけど。危ないから、営業中でもちゃんと鍵つけた方がいいですよ」
「それ円ちゃんが言う?」
「……ふふっ」
円は口元を手で抑えて笑った。
「それにしても、本当に久しぶりだね。元気だった?」
「まあぼちぼち。最近じゃ社会に出戻りまして、会社の歯車やってますよ」
「ああ、そう。それは良かった」
「歯車やってるのが?」
「それが良いことかはさておき、仕事見つけて普通に生活してるんだね」
「そりゃそうですよ。私のことなんだと思ってたんですか」
「ブラック企業で世間に絶望したフリーター」
「なるほど? あながち間違っていないだけに腹立ちますね」
「冗談だよ。で、今日はどうしたの? コーヒー飲みに来てくれた?」
「それもあるんですが、告白のリベンジをしようと思って」
目を丸く見開いたまま、柳は円のことを見つめた。
「実は私、元から手に職系の仕事だったのでフリーランスになりまして。稼ぎもまあまあありますし、将来も安泰です。麗華さんほどの美人とはいえませんが、どうですか?」
「いや、どうですかって……。どうですかも何も、俺の言ったこと覚えてる?」
「覚えてますよ。だからカフェを辞めて仕事を始めたんです。もし柳さんの過去の話が広まってしまってカフェを閉めることになっても、私が養っていけるように。柳さんは確かに人を殺したかもしれないけど、残念ながらこの世の中には死んだ方がいい人間がほんの少し存在していることも事実です。柳さんが殺してしまったのは、きっとそんな人間だったし、そんな人間と縁がなければきっと人殺しなんてしなかったはずです」
柳は黙って話を聞いていたが、カップをぐいと傾けてコーヒーを全て飲み干すと口を開いた。
「仕事をし始めたと言っても、まだまだ子供だな。円ちゃん、一年前に来ていた小田川のことを覚えてる?」
「怒鳴り散らかしてた婆さんですよね」
「そう。あの人、亡くなったそうだ。ーー良かったって思った? でもさ、俺が小田川の息子を殺したことであの婆さんは少なからず悲しんだ。悲しんだってことは、愛情を持って育ててたんだろう。その愛情が正しいものだったかはさておき。ほんの少しでも悲しんだりしてくれる人がいる。そういう人間を、死んでいいとは簡単に思えなかった。それは今も同じだよ。俺が殺したのが死んでいい人間だった、なんて都合の良い解釈に過ぎないよ。きっと俺のことを気遣ってくれたんだろうけどね」
「……」
円はしょんぼりと俯いた。
「でも、ありがとう」
「やっぱり子供じゃダメですか? 一応成人してるけど……中身が幼稚過ぎますか?」
「いやいや、円ちゃんの問題じゃない。俺が悪い」
「そういうの求めてません。私が好みじゃないのを上手く隠すためにそう言ってるんですか? そうじゃないなら、色々教えてくださいよ。今は幼稚かもしれないけど、柳さんと話していれば少し成長できるかもしれないし」
「もちろん、隠すとかそんなつもりじゃない。でも……俺と恋人になるメリットとか、無いだろ」
「それは私が勝手に決めるので大丈夫です。というか色々教われるのがメリットですかね」
腕を組んでううんと唸る柳。もう一息だと感じた円は、カウンターを回ってくると柳の隣に座った。上目使いに首を傾げる……なんて器用なことはできないので、柳の返答を椅子に座ってただ待った。しばらくすると柳は顔を上げて、隣にいる円の方へ体を向けた。
「一旦、お試しなら」
「……お試しぃー!?」
「だって円ちゃん、俺に対してなんか幻想抱いてそうだから。俺は円ちゃんが思ってるよりオッサンなんだけど、それに気がついてないだろ? お試しで恋人になってみて、俺が思ったよりオッサンだと幻滅したり、やっぱり人殺しなんて怖いと思ったらそのまま他人に戻れば良い」
「もし幻滅もしないし怖いなんて思わなかったら?」
「いや、それは……まあ正式に」
「正式に?」
「……」
柳はふいと顔を逸らした。
「わかりました。じゃあ一旦お試しで半年! それで私の気持ちが萎えなければ正式に恋人!! これでいいですね!?」
息がかかりそうなほど顔を近づけて、円が言った。柳は彼女の圧に押されて、ほとんど言わされたような形で「分かった」と呟いた。それを聞いた瞬間円は椅子から飛び降り、両腕を突き上げてガッツポーズした。とても今まさに恋人ができた女性の様子では無く、短距離走で一位を取った選手のような姿だった。そんな彼女の様子に、柳はぷっと吹き出した。
春のコーヒーは苦い味 @rintarok
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