4.キラキラな男

 第2体育館では1年3組の練習が行われていた。

 夏の熱気が迫る季節。歩き回っただけでも日差しで頭が逆上せてしまいそうな暑さにも関わらず、体育館のカーテンは閉め切られ、黒い箱のようになっている。

 練習の様子が見られないのなら、あまり長居する意味もない。

 なぜこうまでして練習風景をひた隠す必要があるかは疑問だが、詮索したところで追い返されるのがオチだ。

 踵を返してグラウンドに戻ろうとしたところで、背後から人の声が聞こえて咄嗟に身を隠した。

 とは言え、周辺に都合よく茂みや物陰があるはずもなく、体育館の角に一時的に避難したに過ぎない。

 別に隠れる必要もないはずだが、3組の生徒たちに絡まれても面倒だという思いが先行し、つい悪手に走った。

 今更出ていくわけにも行かないため、人影が消えるまで身を隠しておくことにした。

 少し距離はあるが、周囲が静かなおかげで彼らの声がこちらまで聞こえる。


「うへえ、くっそ疲れた」

「本当に。どうも体育会系の連中はやる気がありすぎて困る」

「てか、体育館暑すぎんのよ。カーテンまで閉める必要あんの?」


 声からして、男子生徒2人に女子生徒が1人。

 休憩がてら涼みに来たと言うなら、そう長居はしないだろう。

 彼ら以外に人の気配がないことを確認し、会話に聞き耳を立てる。


「奴曰く、情報はアドバンテージらしいからな。できるだけ隠したいのだろう」

「そうは言うけどさ、たかが体育祭じゃん? 勝ち負けとかぶっちゃけどうでもいいって言うか」

「そうだな。運動なんて、将来何の役にも立たない」

「高校生にもなって運動できてもモテるわけじゃないもんなぁ。やっぱ男は金と包容力よ」

「あんたそればっかよね。それこそ高校生には無理でしょ」


 奴、というのが誰なのかは気になるところだが、3組を率いる生徒は勝利に貪欲な人間らしい。

 勝負事の勝ち方をわかっている。必要なのは情報と事前の準備だ。彼らのように非協力的な生徒がいたとしても、その根底が守られている限りは、1年生の中では3組が一歩優勢と言ったところか。


「俺のことはいいんだって。それより、平一郎はどうなんだ?」

「どうと問われても、進展があるはずもないだろう。接点すら結べないままだ」

「平ちゃんは相手が相手だもんね。無敵の巨神兵だっけ?」

「鉄壁の要塞だ。何だその強そうな2つ名は」

「そうそれ! 流石に3年生と付き合うのは無謀だって思うなー」


 どうやら話題は平一郎という生徒の恋愛事情にシフトしたらしい。

 3年生の無敵の巨神兵……ではなく、鉄壁の要塞か。3年生のことをほとんど知らない俺にはその2つ名から推測するしかないが、大方告白してもそう簡単に付き合える相手ではないことは確かだろうな。

 それが1年生ともなれば、相手にすらされないのは目に見えている。

 怖いもの知らずな1年生の戯言だと結論付け、俺はスマホの画面をつける。

 この学校で支給されるスマホでは、生徒たちの名前や性別、顔写真からステータスに至るまでありとあらゆる情報が確認できる。

 一体どんな生徒が無謀な恋に挑んでいるのか、と1年3組から平一郎という名の生徒を探す。

 あまり聞かない名前のため、該当者はすぐに見つかった。


堀本平一郎ほりもとへいいちろう

容姿:C

学力:A

身体能力:D

社交性:C

適応力:C

総合評価:C+


 銀縁の眼鏡をかけた、見るからに堅物そうな生徒だ。

 評価はあまり高くないが、学力だけは突出して良い成績を残している。

 運動が将来役に立たないと言っていたのも彼だ。このステータスであれば、そう言い切ってしまうのも納得だな。

 しかし……学校基準の評価のみで判断すべきではないが、全体的に他者より劣るステータスで鉄壁の要塞とやらを狙う彼の姿は些か滑稽に映る。

 見た目こそきちんと整えれば多少良く見えるだろうが、運動能力が高い人間を小馬鹿にした態度は性格面の問題があるように思う。

 人には得手不得手がある。大人になっても運動能力の高さが活かされる場面は大いにありうる。

 堀本が好意を寄せる相手がどんな人物かは知らないが、まずは彼自身が考えや日頃の生活面を変えなければ成就しない恋だろうと検討がつくな。

 まあ、俺も人に言えたことではないが。

 これ以上の詮索は余計なことだ。スマホを閉じ、改めてこの場を離れる方法を模索する。そろそろ休憩時間も終わる頃だろうが……。

 そんな時にこそ予期せぬ事態は起こる。


「あっ! こんなところに居やがった!」


 遠くから馴染みある声が聞こえ、思わず「げっ」と声が出た。

 誰かを見つけて駆け寄る他クラスの生徒。それが知り合いではないとなれば、近くに潜む第三者の存在に気付くのは当然のことで。

 例の3人は突如警戒態勢となり、明らかに先程までと違う雰囲気がこの場に立ち込める。


「止まれ。お前、1組の生徒だな?」


 最初に声を上げたのは、話題の中心となっていた堀本だ。

 何が何やら状況もわからぬまま攻撃的な態度の第一声に喜一も眉を顰める。


「あ? だったら何だよ」

「1組は今日、第1グラウンドが練習場所だったはずだ。どうしてこんな場所に居るんだ?」


 余計なことは言うなと首を横に振ってアピールするが、好戦的で短気な喜一は一度スイッチが入ると周りのことが目に入らない。

 その証拠に堀本たちを睨みつけるだけで、全くこちらを見ようともしない。

 そして案の定と言うべきか、


「俺は友達を探しに来ただけだっての。ほら、早く戻んぞ」


 と、俺の必死のアピールも虚しく、喜一はいとも容易く俺の存在を暴露した。

 面倒事に巻き込まれるのは避けたいんだけどな。本当に間の悪いやつだ。

 俺が勝手に歩き回っていた以上、喜一を責めるのもお門違いか。

 仕方なく体育館の陰から姿を見せる。せめて、悪気はなかったと伝えておこう。

 あまり騒ぎにならない言い訳を模索していると、女子生徒が目をまんまると見開いた。


「あ、あんた……いつからそこに」

「悪い。盗み聞きするつもりはなかったんだ。練習をサボっていたらお前たちが外に出てきて、戻るに戻れなくなった」

「ってことは、全部聞いてたわけ?」

「まあ、そうなるな」


 今更取り繕ったところで手遅れだ。会話は聞こえなかったと言ったところで彼らが信じるとは限らない。余計な問答に発展するよりは、素直に謝る方がいい。


「聞いていたのはお前たちが休憩に出てきたことと、3組が練習内容を秘匿していることくらいだ。邪魔して悪かった」


 さて、ちゃんと謝罪もしたことだし、さっさと退散してしまおう。

 ……とはいかない。喜一を連れて彼らに背を向けたところで「待てよ」と呼び止められる。

 無視をしたところで追いかけてくるだけだろうな。足を止めて首だけを背後に向ける。


「はいそうですかって返せるかよ。お前が偵察のために送り込まれたとは限らねえだろ」

「暗幕を張って中が見えない状況で情報が得られると思うか? 早々に諦めて身を引くのが賢い選択だ。それに偵察として派遣されたのなら、こいつの行動はどう説明する? 自ら俺の存在を明かして、偵察の職務を台無しにしているんだが」

「そ、そんなの……そいつが何も知らなかっただけだろ」

「少し調べればわかることだが、俺がこの学校でもまともに会話をするのはこいつだけだ。俺が他クラスの情報を調べるよう指示する生徒も居なければ、俺がクラス内に情報を共有することもない」

「んなこと言われても……」


 悲しいかな、これが事実だ。

 彼らは誰かが俺をこの場に派遣し、他クラスの練習内容を調べるよう偵察に向かわせたと思っている。

 あまり周囲との関わりがない俺にはわからないことだが、新たな環境も1ヶ月も経てばある程度の立ち位置というのがわかってくる頃だ。

 自分はクラス内でどれほどのヒエラルキーに位置しているのか。各クラスの代表的存在は誰なのか。目をつけておくべき相手。キープしておきたい異性。その他諸々。

 何かに突出した人物というのは否が応でも名が上がるもの。うちのクラスであれば、クラスを引っ張る周防や運動能力に長けた君下がそれに該当する。

 俺のような地味な生徒は素性がわからない。だから、俺が自身の好奇心で他クラスの偵察をしていたとは思わない。その考えに至ったとしても確信は得られないのだ。

 俺が否定を繰り返したことで彼らは押し黙る。俺が置かれた悲しい状況に同情しているだけのようにも見えるが、どちらでも構わない。気にしたら負けだ。俺も悲しくなる。

 センチメンタルに苛まれそうな想いを振り払い、喜一に「行くぞ」と声をかける。

 が、そこでさらに新たな人物が現れたことで俺は再度足を止めることになる。


「なんや、なんの騒ぎや?」


 大きな騒ぎになる前に退散したかったが、一足遅かったらしい。

 体育館から現れたその男は、俺たちを見つけると慌ててこちらへ駆け寄ってきた。


「ちょ、ちょい待ちや。君らなんや? 偵察か? もしかして偵察か?」


 やけにテンションが高い男はあっという間に俺たちの前に回り込み、細い目をさらに細める。


「あ、君ら3組の人やね。出席番号1番の天沢くんと2番の岩下くんや」

「な、何だよ急に。つか、俺らの名前……」

「もう入学して1ヶ月経つんやし、1年生の顔と名前くらいは覚えてんで。で、君ら何しに来たん? やっぱ偵察か! 密偵か!」


 ぐいぐいと詰め寄ってくるが、先程の堀本たちとは異なり、どこか嬉しそうに見える。

 普段はそれなりに友好的で陽気な喜一も彼のハイテンションにはついていけないようで戸惑っているのが見て取れる。


「違えよ。つか、さっきから何なんだ」

「いやぁ、偵察部隊とかかっこええなぁって思てな。あ、でも見つかったら恥ずいか。3組の練習は完全秘匿状態やもんなぁ。君らも苦労するで」


 ペラペラとよく喋る男だ。それにあまりに自由過ぎる。

 会話すらまともに成り立っていない。1人で永遠に喋っている気がする。

 面倒な相手に捕まったと内心大きなため息が出る。

 だが、よく喋るということは情報を得る相手としては申し分ないということでもある。

 この数分にも満たない時間でも、堀本たちが口を挟まないところから彼らよりも上の立場に居ることと"3組"の情報漏洩に対する警戒を"全員で"共有していることが知れた。

 この出会いはむしろ使えるかもしれない。


「記憶力がいいんだな。悪いが、俺たちはお前のことを知らないんだ。名前くらい教えてくれないか?」

「あ、すまんすまん。僕は野呂のろネオン。涅槃寂静ねはんじゃくじょうの『涅』に笙磬同音けいしょうどうおんの『音』で涅音や。ええ名前やろ、キラキラして」

「そうだな。野呂の雰囲気にピッタリだ」

「君わかっとんなぁ! ネオンでええで。よろしゅうな、祈織くん!」


 何がお気に召したのかは知らないが、ネオンはがっしりと俺の手を握り、ぶんぶんと振った。握手のつもりだろうが、勢いが振り切れて腕がもげそうだ。

 それにしても……涅槃寂静に笙磬同音か。やけに難しい例えだ。

 涅槃寂静は、煩悩が全て消えた世界にある安らぎの境地が待っているという仏教用語だ。笙磬同音は人が心を通わせて仲良くする、という意味の四字熟語だったか。パッとその文字が出てくる人間の方が少ないだろうな。

 喜一も漢字が全く出てこないらしく、頭にハテナが浮かんで見えそうだ。


「そんで、祈織くんは僕らのこと調べに来たん? どんな練習しとんのか知りたかったんか?」

「まあ、そうだな。あれだけ隠されていれば気にはなるが、俺はただサボっていたらここにたどり着いただけだ」

「なんや、そうやったんかぁ。残念やなぁ」


 ネオンはそう言ってぐったりと肩を落とす。

 先程も偵察に強く拘っていたし、素直に教えてくれと言う方が正解だったかもしれない。

 天邪鬼と言うか、変わっていると言うか。隠し事を暴かれることに不安や焦りはないのか。暴かれることに楽しみすら感じているように思う。

 ネオンは少し考える素振りを見せると、今度は俺たちの背中に回り込んでがっしりと肩を組んだ。


「なぁ、僕らがどんな練習しとるか知りたい? 教えたろか?」


 これはまた思いがけない提案だ。隠すどころか自らさらけ出すとは。

 このネオンの身勝手さには流石の堀本たちも黙っていられないようで、


「ちょっと待てよ、ネオン。それはダメだろ」

「そうだ、やめておけ。こっぴどく叱られても知らないぞ」


 と、口々に批判する。

 そんな彼らにもネオンは臆することなくヘラヘラと笑って答えた。


「あかんか? 僕は元々、あの人の考えには反対やったんや。なんちゅうか、正々堂々とやりたいやん? せっかくの体育祭やで。もっと楽しく普通にやらなおもんないて」

「気持ちはわかんないでもないけどさ……契約なんだから仕方ないでしょ」

「そんなんあの子が勝手にやったことやろ? 僕らの意見も聞かずにようやったと思うわ。反感買うこともわからんて、とんだお転婆さんや」


 彼らの会話を一言一句聞き逃さないよう耳を研ぎ澄ます。少しずつ3組の状況が掴めてきた。

 彼らの練習内容も気にはなるが、これだけ情報が得られれば充分だ。

 ネオンはどうにも俺好みのやつらしい。この場で彼の立場を危うくすることは俺にとっても嬉しいことじゃないな。


「ネオン。お前が俺たちに3組の秘密を吐露することは、お前の立場に関わる。気持ちはありがたいが、せっかくできた友人に迷惑はかけたくない。ここは彼らの言うことに従わないか?」


 果たして俺たちの関係を友人と呼ぶのかは疑問だが、そう言っておけば彼は喜ぶだろう。

 思った通り、ネオンはぷるぷると身を震わせ、感動を体で示す。


「祈織くん……君、ええやつやなぁ! せやな、友達を困らせるわけにはいかん。今はぐっと我慢や! 来たるその日までの辛抱や!」


 なんと言うか……ちょろいな。だけど、悪いやつじゃないのは確かだ。

 思いの外力が強く、抱きしめられる体がひしひしと痛む。巻き込まれて顔を歪める喜一が少し可哀想ではあるが。

 ネオンが納得してくれたことでその場はどうにかおさまり、俺たちはようやく解放された。

 彼が俺を友人と思っている限り、俺の偵察も問題に挙げられることはないだろう。

 ただの暇つぶしではあったが、思わぬ収穫だった。

 "3組"の情報統制。野呂涅音という男との繋がり。ネオンの言う『来たるその日』。

 わからないことは多いが、俺の好奇心を掻き立ててくれる充足した時間だった。

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恋愛学園のアンテロース 宗真匠 @somasho

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