ぼくの秘密は……
黒縁眼鏡にスーツ、ネクタイ。
書類カバンを手にした、ちょっと華奢な、二十代の若いサラリーマン。
他の人の目には、「ぼく」の外見はそう見えるかもしれない。
だが、ぼくには、秘密があるのだ……。
時には、話したくなることもある。
ぼくは、手狭なバーに入った。路地裏の小さな店だ。
中に入ると、カウンター席しかない。
白いヒゲのにこやかなマスターが「いらっしゃい」と声をかけてきた。
客は、ぼく以外に、二人いた。
店のカウンター席の奥の方で、若いカップルがいる。
派手な身なりの女性の方は「やっぱりハンカチなんてウソだったんでしょ、そんなに私が好きかよ、わかりやすー」と笑っているし、それを受けた男性の方が「ごめんね、おごるから。今日もパチンコで勝ったんだ」と嬉しそうに受け止めている。
微笑ましい風景だと思った。
随分と飲んでいるようで、声のボリュームに抑えが効いていないのが難点だが。
こんな寂れた店なら、静かに飲めると思ったのに。
「お代わり、どうですか」
速いペースでグラスの二杯目を空にした、ぼくに向かってマスターが声をかけてくる。
「同じの、もう一杯おねがいします。まだ飲める。ちょっと濃いめで」
「かしこまりました」
濃いめのグラスを持ってきたマスターに、ぼくは話しかけた。
「マスターは、人に言えない秘密って、ありますか?」
「そりゃあ、長年生きていれば、人間、誰でもひとつやふたつは」
「ぼく、あるんですよ。秘密。もうね、我慢できない。黙っていられない。誰かに話して、ラクになりたいんです」
「ほう。聞きましょうか」
「実はね、ぼく……宇宙人なんです」
一瞬の沈黙。
マスターは、こちらの表情をじっくり窺ったあとで、軽くウィンクして微笑む。
「私もですよ」
「えっ!? マスターも?」
「私も、宇宙船地球号の乗組員です。皆、宇宙人と言えるのかも知れません」
「そういうんじゃないんですよ。ぼくは、本物の宇宙人なんです。遠く離れた星から、この星に来てるんですよ」
「なるほど。宇宙人。ははは。日本語がずいぶんとお上手ですな」
「言語プログラムを直接、脳に注入する学習マシンがあるんです。地球の文明レベルより、ぼくの母星は進んでいるんです」
「地球に輸入して、受験生にそのマシンを売ってあげたらいい。きっと飛びつきますよ」
「冗談で言ってるんじゃないんですよ」
「外見だって、普通の人にしか見えませんよ」
「人間そっくりの人工皮膚で擬態しているんです。ぼくの本当の肌の色は、銀色なんです」
「脱げますか。脱いで見せてくださいな」
「人前で裸になれとおっしゃるんですか! 恥ずかしい! ハレンチ!」
「……えーと。他に、なにか証拠はありますか?」
「証拠……証拠か……元々、バレないように地球人に擬態していますので。あ、そうだ、この指輪を見てください」
「左手薬指の結婚指輪。それがどうかしましたか」
「これ、通信装置なんです。一見、指輪にしか見えませんが、ぼくの星のテクノロジーの結晶。これに向かって話せば、故郷の星と通信できるんです」
「やってみてくださいよ」
「その……満月の夜しか使えなくて」
「今晩は満月ですよ」
「さ、さっき雲がかかって、月が隠れてたし! 月面に電波を反射させて、地球に届かせるんです。満月で、雲がかかっていたら、うまくいかない。ダメなんです」
「難しい装置ですな。ひとつ質問、いいですか」
「どうぞ」
「なんで急に、秘密を話したくなったんです?」
「ぼくの故郷の星は、地球を滅ぼすか滅ぼすまいか、判断するために地球人に変装した調査員を送り込んでいるんです。それが、ぼくたち。他に送り込まれた調査員たちは、野蛮で成長の見られないこの星を滅ぼすべき、だと報告しています。ぼくにも報告期限があって、それが今日。あと1時間以内に判断して、報告しなければいけない。ぼくはこの地球の人たちが好きだ。でも……倫理的には、滅んだ方がいいと思っている」
「物騒なことを。なぜ、滅んだ方がいいと思うんです?」
「アパートの隣人でゴキブリを大量にペットとして飼っている人がいて、ちょくちょく逃げ出して自分の部屋にゴキブリが来るとします。いやですよね。でも、ゴキブリを飼っている隣人は、人間的には、すごくいい人。どうします?」
「例えが分かりにくいので、何を言いたいのか掴みかねますが……ともかく、私、ゴキは大嫌いです。そのアパートを引き払って、引っ越しますな」
「でしょ。つまり、アパートが、地球。ゴキブリが、地球人。じゃないや、ゴキブリが、隣人。あ、あれ? 違う、それだとおかしいな……」
「例えに出した話のベースがぐらついてるじゃないですか」
「つまり、地球はゴキブリなんですよ!」
「なんか話が飛躍しましたな。うん、一回、整理しましょうか」
ぼくのスーツの懐で、スマホが鳴った。
「あ、すいません! 他の調査員から、報告の催促です! ちょっと失礼!」
ぼくがカウンターから立ち上がると、店の奥にいたカップルのふたりが、
「おにーさん、地球は悪いとこじゃないよー!」
「そうだぜ! 地球に乾杯!」
と、グラスをこちらに向けて掲げてきた。
ぼくとマスターの会話を聞いていたのだろう。
ふたりの満面の笑みに、ぼくもつられて愛想笑いを返した。
店の外に出て、スマホを耳に当てようとしたら、空がやたらと明るいことに気づいた。
黒い雲が……流れている。
綺麗な満月が浮かんでいた。
これなら!
ぼくは左手薬指の指輪をタップし、回転させる。
故郷の言葉で、ぼくは指輪に呼びかけた。
店を出る直前の、カップルの会話が蘇る。
(おにーさん、地球は悪いとこじゃないよ……か)
ぼくは、決断した。
マスターが店から顔を出す。
「お客さん、まだ帰るわけじゃないですよね? お代、もらってなかったから」
「マスター、店にいた若い二人に礼を言ってください。あなたたちのおかげで、地球は救われると」
◆ ◆ ◆
マスターは、『月刊ムー』編集部に電話した。
「私の目の前で、そのサラリーマンはすーっと浮き上がって、消えたんです。その時、空にはUFOがいたんです。あれは見間違いなんかじゃない。本物ですよ。彼は、罪悪感から秘密を明かしてくれた、宇宙人だったんだ。そして、お代をもらいそこねた。飲み逃げですよ」
マスターなら聞いてくれる 雲条翔 @Unjosyow
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