大当たりを二度拾う

 うっしゃあ、勝った!


 分厚くなった財布を手に、赤提灯の居酒屋で飲み、もう一杯いきたいかな、と思った時、いつものバーのマスターの顔が浮かんだ。


 路地裏の闇の中、夏の夜の蛍のように、つい手を伸ばしたくなる明かり。


 それは、バーの看板だった。


 俺がここに来るのは、パチンコで十万以上、大勝ちした時だけだった。

 グラス一杯でも、結構な値段の、高い店なのだ。


「うーっす、マスター!」


「いらっしゃいませ。おっと、久しぶりですね」


 俺がドアを開けると、白ヒゲの上品なマスターが、笑顔で迎えてくれた。


 カウンター席しかない、奥に細長い作りの手狭なバー。

 天井は低く、全体的に薄暗い店内。店内に流れるBGMは、マスターの趣味で、レコードから流れる古いジャズだ。


 俺は、高級感に浸れるこの店が、好きだった。

 勝利の愉悦に浸り、贅沢品として、嗜好品の「酒」を飲む、という気になる。


「マスター、相変わらず元気だね」


「そちらこそ、お変わりなく。大学の方は、卒業できたんですか」


「サボりまくって、単位も出席日数も足りないし、また留年かな。でもさ、親の仕送り使わずに、ギャンブルで稼いで、客としてこの店に来てんだもん。いいでしょ?」


「常連さんには何も言えませんな」


 マスターは苦笑する。

 孫くらい年齢が離れた俺にも、説教することなく、優しい親戚の叔父さんのような距離感でいてくれる。居心地のいい店だ。


 店内には、俺以外には、女性客が二人。

 キャバ嬢みたいな、派手な美人のペアだった。

 店内の一番奥の席で、楽しそうに談笑している。


 俺はカウンターに腰を下ろし、マスターを手招きで近くに呼び寄せると、小声で


「奥の美人さん、誰? 常連ばっかのこの店じゃ、新規客なんて珍しいじゃん」


 と耳打ちした。


 マスターは、


「この前のウォーター・デーにきた女性客が、最近よく来てくださって。今日は、お友達を連れてきてくれたようです」


「ウォーター・デー! あの忌まわしきイベント、まだやってんのかよ……ってことは、あのおねーちゃんたち、水が好きな変人?」


「今日は普通にアルコールを飲んでいらっしゃいます」


「だよな……」


 俺はウィスキーの水割りを注文し、グラスを傾けながら、考えていた。


 せっかくだから、彼女たちとお近づきになりたい。

 なんと声をかけようか。

 俺も酔っ払いだし、向こうも結構飲んでいるようだ。


 アルコール特有のハイテンションで、奇声を上げながら特攻しようか。

 笑ってくれるかもしれない。


 いや……違うな。俺は思い直す。


 人間、第一印象が大事だ。

 初対面で「カッコイイわ、この人!」と思わせたら、自販機のお釣りの忘れ物がないか指でさぐろうが、ボロボロに毛玉がついたスウェットを着て街を歩こうが、初デートが割引キャンペーン中のファーストフードだろうが、「カッコイイわ、この人!」というバイアスがかかるのだ。


 ここは渋く決めて、あれだ! 

 マスターに頼んで、カウンターにグラスをさーっと滑らせて、「あちらのお客様からです」パターンだ! 

 昔から、一度やってみたかったんだよね!


 よし、それで行こう! 

 今晩なら、女性に奢るくらいの金銭的余裕はあるぞ!

 いつもは貧乏だけど……大勝した今晩限定ならな!


「マスター、ちょっと」


 と声をかけ、「彼女たちに俺のオゴリで……」と言って店の奥を見ると、既に姿を消していた。


「あなたが考え事している間に、さっき帰って行かれました」


「なんで引き留めてくれないんだよ、俺、声かけようと思ってたのに!」


 俺が立ち上がり、カウンターにバン!と手を突くと、マスターはチラリと視線を下に向けた。


「そうであれば、運が良かったですな」


「なんで!」


「風通しがよろしいようで」


 マスターの視線を追っていくと、俺の股間のジッパーが下がって、トランクスが見えていた。


 さっきの店でトイレに行った時、上げ忘れたのだろうか。

 慌ててジッパーを引き上げる。

 

 もしも、この状態で、初対面の女の子に声をかけていたらと思うと、恥ずかしすぎる。

 

 笑ってツッコミを入れてくれたとしても、彼女たちの俺に対するイメージは「股間全開くん」になってしまうところだった。

 

 危機一髪だった……。

 

「ところで、さきほどの女性客、ハンカチを落としていったようで」


 マスターは、ピンク色のハンカチを俺の前に差し出す。


「まだ、出て行かれたばかりです。走って探せば、近くで会えるかもしれませんよ」


「このハンカチ、本当に彼女たちの忘れ物?」


「話すきっかけなんて、何でもいいんです。悩んでチャンスを逃すより、ウソの小道具で仲良くなれる方が、私は好きですね」


「マスター! だから俺、この店が好きだよ! 行ってくる!」


 俺はハンカチを受け取り、店を出て、ダッシュで駆け出した。


 ◆ ◆ ◆


 マスターは、さっきの大学生にハンカチを渡し、出て行くのを見送ったあと、


「若いって、いいねえ」


 と、ひとりで微笑んだ。

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