遺影

白河夜船

遺影

 俺の実家はそれなりに古くて大きい家であり、旧家の常として仏間の長押にずらりと遺影が並んでいる。カラーのもの、色褪せたもの、白黒のもの、老人、若者、子供、中には軍服を着た青年を写したものもあるのだけれど、そのほとんどは自分とどういう繋がりがある人間なのか判然としない。

 祖父母辺りは把握していたかもしれないものの、俺が小学生の頃には亡くなってしまい、一部の遺影の被写体はもう名前どころか実家との関係性すらあやふやだった。それはいい。ありふれた話である。


 問題は、ずらりと並んだ遺影の中に肖像画がいくつか混じっていることだった。巧拙の差はあるが、いずれも若い人間を描いたもので、明治天皇の御真影よろしく絵画を写真に写したものが、当たり前のようにして黒い額縁に収まっている。


 一枚だけなら、何らかの理由で写真を撮れなかった、だから絵で代用した、と勝手に考えていただろう。しかし、複数枚あると別の理由があるんじゃないかという気がしてくる。祖父母に訊いても両親に訊いても曖昧に笑うのみで答えはなく、ああ、と何となく察したのは中学生になってからだった。


 御盆になると親族がちらほら実家へ顔を出す。


 その中に歳が近くて割合付き合いやすい従兄弟がいたのだけれど、彼──耀よう君は俺の部屋で遊んでいた時だったか、机上に置いてあるものを見て「おお」と感嘆の声を上げた。

「絵、うまいな」

 そう言われた瞬間、気恥ずかしくて顔が熱くなったのを覚えている。勉強の傍ら、ノートに描いた落書きを見られたのだ。

「美術部とか入ってんの?」

「うちの中学、ンなもんないよ」

 ふうん。

 頷いて、耀君は「絵、練習しといてくれよ」とにこにこ笑った。

「描いて欲しいものがあるんだ」

「……描いて欲しいもの?」

「そ。遺影」

 僕、写真にうまく写らないんだ。どんなに高性能なカメラで撮っても、歪んだり、ぼやけたりする。仏間の遺影にさ、肖像画の人達いるだろう。あの人達もそうだったんじゃないかなぁ。

 ───ほら、皆、結構若いだろ。

 だから肖像画、早めに用意しときたいんだ。頼むよ。

 一方的に約束を取り付けて、耀君は話は済んだという顔付きで本棚を物色し始めた。俺は戸惑い、口を何度か開閉したものの結局何も言えないまま、耀君に請われてぼんやりとオススメの漫画を指差した。



 それからは毎年一枚、必ず耀君の絵を描いた。



 正月に下絵を描いて、完成品を御盆に渡す。

 拙い技術と不足した画材で作られた絵は当然ながら微妙な出来で、何度かプロに頼んだらと勧めてみたが、耀君は聞く耳を持たず「去年よりうまくなってる」と安いキャンバスに描かれた絵を満足そうに見詰めるばかりであった。

 二十二歳の夏に耀君は死んで祭壇には案の定、肖像画を写した写真が飾られた。俺の描いた似姿だったが、やはり満足できるものではなくて、葬儀の間ずっと情けないような哀しいような申し訳ないような心地で顔を上げられなかった。



 罪滅ぼしというわけでもないけれど、耀君が死んだ後も俺は毎年欠かさず耀君の遺影を描いている。今年よりも来年、来年よりも再来年の方が、良い絵を描けるかもしれない。それに何より繰り返し一個の対象を描いていると、対象のあらゆる細部が頭と手に馴染むようで喪失感が少し和らいだ。彼の肖像を描いている限り、俺が耀君を忘れることはきっとない────






 大人になり、結婚して子供が産まれた。






 娘も写真にうまく写らない。この子の肖像画遺影も練習しておいた方がいいだろう。

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遺影 白河夜船 @sirakawayohune

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