秘密のデトックス

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秘密のデトックス

 毎週の診察を受けて病院から帰ってきたおじいちゃんが、夕飯の席で言った。

「俺はこれから秘密を話すことにしたぞ」

 その瞬間までテレビに映る大きなタラバガニに夢中だった私たち家族は一瞬静まり返って、それから遠慮がちに反応した。父さんは困ったように首を傾げて箸を止め、姉ちゃんは変なものでも見るような目つきをテーブルの奥に陣取るおじいちゃんに向けた。多分、私も概ね姉ちゃんと同じような顔をしていたと思う。

「何それ、秘密って。どうしたの」

 母さんだけはいつもと変わらない調子で、家族全員の内心を代弁してくれた。さすが、おじいちゃんの娘だ。

「秘密は秘密だ。歳とってから体が重くなったとばかり思っとったが、それもそのはず、俺は秘密を溜め込みすぎた」

 さっきよりは出てくる語彙が多くなったにも関わらず、言っている意味はさっぱり不明のままだ。というより、余計に謎が増えた。

「それはつまり、おじいちゃんは秘密の分だけ体が重くなったってこと?」

 興味なさそうな顔をしていた割に他の誰より読解力を発揮した姉ちゃんが、スッと手を挙げて発言した。「鋭い」と、おじいちゃん。

「医者が言うには、本来の体重より重いと、死んでも天国には行けないんだと。で、俺の場合は秘密がおもりになってるらしい」

 今日、検査してもらったんだ、とおじいちゃんはランニング姿なのに懐から一枚の紙を取り出した。それを受け取った母さんが父さんに渡し、読み終えた父さんは姉ちゃんに渡し、流し読みした姉ちゃんが私にそれをくれた。おじいちゃんの温もりが感じられる紙にはよく分からない数値がたくさん書き込まれていたけれど、私にも読める箇所を拾い読みした結果、おじいちゃんが言っていることはかなり的確な要約だったということが分かった。

 おじいちゃんの筋力や贅肉や年齢、体型などさまざまなデータを考慮して予測される本来の体重は五十七キログラムらしいのだけれど、実際のおじいちゃんはそれより二十キログラムほども重い。その二十キログラムが、どうやら「秘密」であるらしい。余白に残された走り書きのようなメモには「天国に行きたいならデトックスを行うこと」とある。

「デトックス」

「そう、それだ。デト……だ。俺は天国に行きたいからな、今日から溜め込んできた秘密をデトップスする」

「デトックスね」

 母さんが冷静に訂正し、私は紙をおじいちゃんに返した。

「秘密のデトックスって、どうするんです?」

 父さんが尋ねると、おじいちゃんは呆れたように、ふんと息をついた。

「だからさっき言っただろう、話すんだよ。話すことで秘密は秘密ではなくなる。つまり、俺の体から排出される」

「なるほど」

 父さんは大真面目に頷く。姉ちゃんはすでに話から興味を失ったように、黙々とハンバーグを口に運んでいる。

「それで、誰に話すんですか。カウンセラーとか?」

 おじいちゃんは、今度は少し深刻げに息をついた。

「秘密のデトックスにはコツがあるらしくてな。つまり、ひとつひとつの秘密には重みがあるわけだが、それは話す相手によって変わるんだ」

 おじいちゃんは医者に言われた説明をおじいちゃんなりに噛み砕いて説明してくれた。そこで、先ほどの深刻なため息の意味もわかってきた。

 要は、溜め込んだ秘密をただ誰かに話すのでは、その秘密の重量全ては排出しきれないということらしい。その秘密の持つ重みを理解できる人に話すことが「コツ」であり、通りすがりの見知らぬ他人にぶちまけても大した意味はないということだ。

「ええ、それは……ひどくない?」

 聞いていないようでしっかり聞いていた姉ちゃんが言い、おじいちゃんは「鋭い」と力なく頷いた。


 秘密というのは秘する必要があるから生じるものであり、その重みを知る相手というと、その秘密を共有する人間か、もしくはその秘密がバレたら関係性に亀裂が入るような人間かしかない。そして秘密を共有する相手に話しても、排出にはならない。だからこそ姉ちゃんは「ひどい」と言ったのだし、おじいちゃんもそれをよくわかっているようだった。

 おじいちゃんは自分が天国に行くために、誰かを傷つけるか裏切るかするしかない状況にいるのだ。

「でもそもそもさあ、おじいちゃんは死んで天国に行くの確定なの? 地獄行きかもしれないじゃん」

 姉ちゃんはとんでもないことを平然と言ってのけた。今この場には他の家族はいないのに、私は無駄に慌てた。

「いや、まあ、それはわからないけどさ。少なくとも、行ける場合は、ってことじゃないの」

「ふうん」

 姉ちゃんは私の部屋のベッドに寝転がった姿勢のまま、何度もゴロゴロと転がった。

「まあ、医者が天国なんて話を持ち出してくること自体、変わってるけど」

「それは言えてる」

 私の独り言に、姉ちゃんは転がるのをやめて神妙に頷いた。

「今の医療は、私たちには想像もできないような進歩を遂げているってことなのかもねえ」

 そう呟いてから、姉ちゃんはしばらく天井を見つめていた。昔から姉ちゃんは、何か考える時にどこか一点を見つめて動かなくなるのだ。テストのたびに問題文の端々に引っかかって動かなくなるせいで、高校での成績はズタボロらしい。地頭いいのに。

 やがて姉ちゃんは「んにゃ」だかなんだか、変な声をあげた。

「いいこと思いついた」

「いいこと?」

「あのさあ、うちらはおじいちゃんが好きじゃん。だから死んだら天国に行ってほしいじゃん?」

「ま、まあ。行けるものなら」

 天国が本当にあるのかどうかもよくわからないけれど、医者がもっともらしく口にのぼすくらいだ、私の認識なんかよりも世間的には信ぴょう性を獲得しているのかもしれない。

 それなら、おじいちゃんには行ってほしい。私や姉ちゃんが小さい頃から、それこそ赤ん坊の頃は本当に舐め回されたというほど、可愛がってくれたんだから。

「だからさ、うちらが力になろうよ」

 姉ちゃんは時々、よくわからないことを言う。おじいちゃんの抱えてきた秘密について、私たちが何か力になってあげられることなんて。

 けれど、姉ちゃんの目には力がある。やる気がみなぎっている。

 こういう時の姉ちゃんは、本当にやる。

 だから私は、何も考えず、どんな考えなのかも聞かないうちから頷いていた。

「うん。なろう」


 結論から言えば、おじいちゃんはその後も五年ほど生きて生涯を終えた。本来の体重まで軽くなって。おじいちゃんの棺には、医者が発行してくれた「秘密のデトックス終了保証書」が入れられて、おじいちゃんの体とともに灰になった。

「おじいちゃん、天国行けたと思う?」

 斎場で最後の手続きを待っている間、広い斎場を散歩しながら姉ちゃんが言った。

「行けたと思う」

 即答したら、姉ちゃんは笑った。

「だよね。そうでないと、うちらの努力が水の泡だもん」

「そうだよ。おじいちゃんの一生を、一年もかけて、おじいちゃんより調べ上げたんだもん。これが報われないんだったらもう、誰も天国なんて行けないよ」

 そう。姉ちゃんと私はあの後、おじいちゃんの辿ってきた人生の歴史をみっちり調べ上げたのだ。おじいちゃんが産まれた産婦人科に赴いて、幼少期を過ごした学校を辿り、当時交流のあった人たちからさまざまな話を聞き、そうしておじいちゃんの一生について、おそらくはおじいちゃんよりも理解するに至った。

 全ては、おじいちゃんが天国に行くために。

「それにしても姉ちゃんさ、天才だよ。おじいちゃんの一生を調べ上げて人間関係やらなんやら、とにかくおじいちゃんとおじいちゃんの周りの全てを把握すれば、おじいちゃんが溜め込んできた秘密の重みを理解することができるだろうなんて、誰も考えつかないよ」

 きっと無責任にデトックスを勧めてきた医者だって、そんな方法は考えたことがなかったに違いない。この方法を発表したら、秘密のデトックスを必要としている人の役に立てるかもしれない。

「あはは。まあ私は天才だから。……なんかさ、最後の四年間、すごく楽しかったよね」

「うん。楽しかった」

 最後の四年間、姉ちゃんと私はひたすらおじいちゃんから秘密を聞かされる毎日を過ごした。驚くべきことに、おじいちゃんが溜め込んできた秘密に、私たちが聞いて困るような激重なものはなかった。

「おばあちゃんの前では背が高く見えるようなブーツを履いてたとか」

「女性経験豊富なフリしてたけど、本当はおばあちゃんが初恋の相手で、それ以外の人と恋愛したことなんてなかったとか」

「本当はおばあちゃんの手料理が苦手だったけど、一度もそんなこと言わずに美味しい美味しいって食べてたとか」

「おばあちゃんにちゃんと気持ちを伝えられたのは結婚の申し込みの時だけだったけど、本当は毎日毎日大好きすぎて仕方なかったとか」

 姉ちゃんと私は顔を見合わせて、くすくす笑い合った。

「本当、おじいちゃん可愛い」

「ね」

 斎場のホールから、焼き場の煙突が見える。遠く、どこかにある楽園さえも見透かせそうな青空に、細い煙がたなびいている。

「きっと今頃、天国でおばあちゃんと会ってるよ」

「そうだね。泣いてるんじゃない」

 ああ、そうか。

 だからおじいちゃんは、天国に行きたがっていたんだ。

 煙が消えるまで、私たちは並んで空を眺めていた。

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