第一話 陰陽師と虎 ⑪
四
「どうしてですか」
「あ?」
家への帰り道、晴亮は虎丸に聞いた。
「どうしてこれの足を止めろと。私にできると思ったんですか」
虎丸は鎌鼬を背にしている。ぶらぶらと揺れるそれを見ながら晴亮は言った。
「私は天候を見たり、占いをしたりはできます。でも物の
「初めてじゃないだろう?」
虎丸は軽い調子で言う。
「最初に会ったとき、お前は霞の動きを止めたじゃないか」
「え……」
虎丸と霞童子がお堂から飛び出してきたとき。伊惟に襲いかかろうとする霞童子の動きを確かに一瞬だけ止めた。
「あ、あれだってできたのは奇跡みたいなもので」
「戦いに奇跡はない。できなきゃ死ぬだけだ。お前は符を使えた。だから任せた」
虎丸は雨が降ったから
「虎丸さんは私を……」
信じてくれたのか、あのたった一度の出会いで。
「ありがとうございます」
小さな声で言った。虎丸は聞こえなかったのかすたすたと先に歩いて行く。
晴亮はその背をしばらく見つめていたが、やがて駆けだしてその隣に並んだ。
「お米、これだけですか」
屋敷に戻ると伊惟が絶望の声をあげた。
「ま、まだ着物もあるから……」
「そうだ、それにこいつの毛皮も売れるかもしれない」
晴亮と虎丸は交互に言って伊惟をなだめた。伊惟は虎丸が土間に転がした
「なんです、これ。なんで手が鎌になってるんですか。これじゃあ化け物……」
「鎌鼬だよ」
「これが!?」
「外で
虎丸の言葉に伊惟は奥へ駆けこんでいった。
虎丸は鎌鼬の体を四肢を持って
「ハル」
「はい?」
虎丸が指さした首筋に目を近づけると、そこに白い糸が巻き付いている。
「これは……着物を斬ったときにでも絡んだんじゃ」
「違う。こいつは霞の髪だ」
「霞童子の?」
虎丸は髪を取り外し、自分の指に巻いて引いた。銀色の光がきらめく。
「あいつ、俺が寝てる間にもう動き出しているようだ」
鬼の世にする、と時軸の穴に飛び込んだ霞童子。手始めに鎌鼬を操って騒ぎを起こしてみたのか。
「そうだ、虎丸さん」
晴亮は懐から符を出した。鎌鼬の動きを止めた符だ。
「これはどなたの符ですか? ずいぶんと力が強い。おそらく私の符では本当に一瞬しか足止めできなかったと思う。あれだけ押さえつけられたのはこの符のおかげです」
「まあ、そりゃあそうだろう」
虎丸は指先で符を取り上げた。
「これは
「戻橋……。まさか京の一条戻橋ですか!?」
思い当たって晴亮は思わず叫んだ。
「そうだ。知ってるのか?」
「知ってるもなにも……っ! 京、一条戻橋の陰陽師っていえば、
何度も書物で読んだ。晴亮の
「へえ。八百年たってもあの師匠は有名なんだ」
晴亮は鼻息も荒く虎丸ににじり寄る。
「あ、安倍晴明さまっていったらすべての陰陽師の憧れ、頂点に立つお方ですよ! 虎丸さん、晴明さまに会ったんですか? どんな方でした!? 術を間近でみたことは!」
「ちょ、待てよ、ハルお前、……ちょっと怖い」
「教えてくださいよ!」
伊惟が縄を持って戻ってくる。虎丸は興奮している晴亮から逃げ出すように、縄と獣を抱えて外へ出た。
「用心のためにと一〇枚ほどもらったんだ。俺はそもそも使えないからお前に全部やるよ」
「ほんとうですか!?」
「ああ、お前の方がうまく使えるだろ」
虎丸は鎌鼬の足を縄で縛るとそばに生えていた木の枝に吊るす。血抜きのために
「山の獣なら食べられるんだが、」
そう言ってちらっと晴亮と伊惟を振り向く。二人はぶるぶると首を振った。
終
夕食に今日手に入れた米を炊いて、庭の畑でとった大根、林の中の沼で釣った魚を食していた時、表の方でおとないの声がした。
「なんでしょう、こんな時間に」
伊惟が不満そうに
「
「ええ?」
「しかも、今日町で師匠たちが化け物退治をしたのを聞いてやってきたって!
晴亮と虎丸は顔を見合わせた。鎌鼬退治が呼び水になったのだ。
「物の怪は霞が操っている場合もある。仕事は受けろ!」
「は、はい」
「値段交渉忘れないで下さいね!」
「う、うん」
右と左から言われて晴亮は子供のようにこくこくとうなずいた。
「じゃあお客様を座敷にご案内して……」
晴亮は立ち上がった。寒月家の物の怪退治、鬼退治はここから始まることになる。
◆◆◆
この続きは、2024年1月23日発売予定『いろは堂あやかし語り よわむし陰陽師は虎を飼う』(角川文庫)にてぜひお楽しみください!
いろは堂あやかし語り よわむし陰陽師は虎を飼う 霜月りつ/KADOKAWA文芸 @kadokawa_bunko
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