第一話 陰陽師と虎 ⑪


「どうしてですか」

「あ?」

 家への帰り道、晴亮は虎丸に聞いた。

「どうしてこれの足を止めろと。私にできると思ったんですか」

 虎丸は鎌鼬を背にしている。ぶらぶらと揺れるそれを見ながら晴亮は言った。

「私は天候を見たり、占いをしたりはできます。でも物のたいしたのは初めてなんです」

「初めてじゃないだろう?」

 虎丸は軽い調子で言う。

「最初に会ったとき、お前は霞の動きを止めたじゃないか」

「え……」

 虎丸と霞童子がお堂から飛び出してきたとき。伊惟に襲いかかろうとする霞童子の動きを確かに一瞬だけ止めた。

「あ、あれだってできたのは奇跡みたいなもので」

「戦いに奇跡はない。できなきゃ死ぬだけだ。お前は符を使えた。だから任せた」

 虎丸は雨が降ったからにじが出る、とでも言うような調子で答え、晴亮に笑って見せた。

「虎丸さんは私を……」

 信じてくれたのか、あのたった一度の出会いで。

「ありがとうございます」

 小さな声で言った。虎丸は聞こえなかったのかすたすたと先に歩いて行く。

 晴亮はその背をしばらく見つめていたが、やがて駆けだしてその隣に並んだ。


「お米、これだけですか」

 屋敷に戻ると伊惟が絶望の声をあげた。しようと鍋に銭を払ったら、着物を質に入れた代金はなくなってしまったのだ。この米は町の人々が感謝のしるしとしておのおの分けてくれたものになる。

「ま、まだ着物もあるから……」

「そうだ、それにこいつの毛皮も売れるかもしれない」

 晴亮と虎丸は交互に言って伊惟をなだめた。伊惟は虎丸が土間に転がしたかまいたちを気味悪そうに見た。

「なんです、これ。なんで手が鎌になってるんですか。これじゃあ化け物……」

「鎌鼬だよ」

「これが!?」

「外でるして血を抜くから縄を持ってきてくれ」

 虎丸の言葉に伊惟は奥へ駆けこんでいった。

 虎丸は鎌鼬の体を四肢を持ってあおけにした。改めて死体を見たその目がすっと細くなる。

「ハル」

「はい?」

 虎丸が指さした首筋に目を近づけると、そこに白い糸が巻き付いている。

「これは……着物を斬ったときにでも絡んだんじゃ」

「違う。こいつは霞の髪だ」

「霞童子の?」

 虎丸は髪を取り外し、自分の指に巻いて引いた。銀色の光がきらめく。

「あいつ、俺が寝てる間にもう動き出しているようだ」

 鬼の世にする、と時軸の穴に飛び込んだ霞童子。手始めに鎌鼬を操って騒ぎを起こしてみたのか。

「そうだ、虎丸さん」

 晴亮は懐から符を出した。鎌鼬の動きを止めた符だ。

「これはどなたの符ですか? ずいぶんと力が強い。おそらく私の符では本当に一瞬しか足止めできなかったと思う。あれだけ押さえつけられたのはこの符のおかげです」

「まあ、そりゃあそうだろう」

 虎丸は指先で符を取り上げた。

「これはもどりばししようからもらったものだ。大江山に行くといったら俺たちに分けてくれた」

「戻橋……。まさか京の一条戻橋ですか!?」

 思い当たって晴亮は思わず叫んだ。

「そうだ。知ってるのか?」

「知ってるもなにも……っ! 京、一条戻橋の陰陽師っていえば、べのせいめいさまじゃないですか!」

 何度も書物で読んだ。晴亮のあこがれる尊敬すべき最大の陰陽師。

「へえ。八百年たってもあの師匠は有名なんだ」

 晴亮は鼻息も荒く虎丸ににじり寄る。

「あ、安倍晴明さまっていったらすべての陰陽師の憧れ、頂点に立つお方ですよ! 虎丸さん、晴明さまに会ったんですか? どんな方でした!? 術を間近でみたことは!」

「ちょ、待てよ、ハルお前、……ちょっと怖い」

「教えてくださいよ!」

 伊惟が縄を持って戻ってくる。虎丸は興奮している晴亮から逃げ出すように、縄と獣を抱えて外へ出た。

「用心のためにと一〇枚ほどもらったんだ。俺はそもそも使えないからお前に全部やるよ」

「ほんとうですか!?」

「ああ、お前の方がうまく使えるだろ」

 虎丸は鎌鼬の足を縄で縛るとそばに生えていた木の枝に吊るす。血抜きのためにまたの間に刀の刃を差し込むとのどもとまで一気に切り裂いた。

「山の獣なら食べられるんだが、」

 そう言ってちらっと晴亮と伊惟を振り向く。二人はぶるぶると首を振った。



 夕食に今日手に入れた米を炊いて、庭の畑でとった大根、林の中の沼で釣った魚を食していた時、表の方でおとないの声がした。

「なんでしょう、こんな時間に」

 伊惟が不満そうにはしを置き、「はーい」と玄関に駆けてゆく。だがすぐに戻ってきた。

師匠せんせい! 客ですよ、お客様!」

「ええ?」

「しかも、今日町で師匠たちが化け物退治をしたのを聞いてやってきたって! ようかいに悩まされているんですって! お仕事ですよ!」

 晴亮と虎丸は顔を見合わせた。鎌鼬退治が呼び水になったのだ。

「物の怪は霞が操っている場合もある。仕事は受けろ!」

「は、はい」

「値段交渉忘れないで下さいね!」

「う、うん」

 右と左から言われて晴亮は子供のようにこくこくとうなずいた。

「じゃあお客様を座敷にご案内して……」

 晴亮は立ち上がった。寒月家の物の怪退治、鬼退治はここから始まることになる。


◆◆◆


この続きは、2024年1月23日発売予定『いろは堂あやかし語り よわむし陰陽師は虎を飼う』(角川文庫)にてぜひお楽しみください!

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いろは堂あやかし語り よわむし陰陽師は虎を飼う 霜月りつ/KADOKAWA文芸 @kadokawa_bunko

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