第一話 陰陽師と虎 ⑩

 虎丸は団子屋の女を自分の体から引きがした。

しようをもらうぞ」

「えっ!?」

 屋台に駆けより、団子に塗っていた醬油のつぼつかむ。

「ハル! やつはまだ屋根の上か?」

「え、は、はい!」

 名を短く呼ばれ、一瞬とまどったがすぐに返事をした。虎丸は屋根の上に醬油の壺を投げつけた。符をかざしていた晴亮は、鎌鼬が腕をあげて飛んできたその壺をたたき斬ったのを見た。

「ぎゃん!」

 鎌鼬が悲鳴をあげる。見えなかったその姿は醬油に染まって赤黒く浮き上がった。

「化け物だあ!」

 人々の悲鳴が大きくなる。

「借りるぞ!」

 虎丸は通りにいた金物のりからなべを一つ奪った。路面に出ているしようを足場に屋根の上に飛び上がる。左手に鍋を持ち鎌鼬に飛びかかったが、獣はすぐさま下に降り、通りを風のように通り過ぎた。人々が悲鳴をあげ倒れてゆく。

「くそ、動きが速い!」

 虎丸も飛び降りて鎌鼬を追った。鎌鼬は通りから出ようとせず、縦横無尽に飛び回り、人々を傷つけている。

 晴亮の目の前で幼い子供が血を噴いて倒れた。

「あ、あ……」

 足がすくんで動けない。

「あ、あんた、陰陽師なんだろ、なんとかしてくれ!」

 年配の男が晴亮の胸ぐらを摑む。

「化け物だ、物の怪がいるんだ!」

「わ、私は……!」

 このあいだまで物の怪など見たことがなかった。自分のっているのはみな書物に書かれたものだ。先人の記録をわくわくしながら読み、いつか自分も化け物退治をしたいと願っていた。

 だが実際は。

「ぎゃあっ!」

 男がのけぞって叫び、胸ぐらから手を離す。その背中が真横に斬られていた。

「ハル!」

 鎌鼬を追い、走り回っている虎丸が叫ぶ。

「一瞬でいい、奴の足を止めろ!」

「…………」

「その符を使え!」

 晴亮ははっと手の符を見た。墨で黒々と書かれた「きゆうきゆうによりつりよう」の文字。そして中心に赤く描かれたぼうせい

 識ってる、この符を自分は知っている!

 晴亮はすばやく符の長辺を唇に滑らせると、それを見えている鎌鼬に向けて放った。

 符は空中でちようのように大きなはねを広げ、鎌鼬に襲いかかった。鎌鼬は翅にからめ捕られ、地面に倒れる。

「いいぞ、ハル!」

 虎丸が化け物に追いつく。鎌鼬は両手の鎌を振るった。その鋭い刃を鍋の底で防ぐ。キインと澄んだ音が響いた。

 猛攻を鍋で防ぎながら虎丸はじりじりと間合いを詰めてゆく。

 鎌鼬が大きく腕を振り上げる。虎丸はそれを待っていた。飛び込むように懐に入ると両手で腕の付け根を押さえ、頭を思い切り獣の鼻面に打ち付ける。

「ガッ!」

 のけぞった頭をすばやく両手で押さえ、すさまじい力でねじ切った。

 振り上げられていた鎌がばたりと落ちる。虎丸はしばらく鎌鼬の頭を押さえじっとしていたが、絶命を確認して立ち上がった。

「成敗したぞ!」

 獣の首を持ち上げ虎丸が叫ぶ。傷ついた人もそうでない人もわっと歓声を上げた。

 虎丸は獣の死体を駆け寄った人々に見せていた。人々は獣の恐ろしげなきばや鋭い鎌に声をあげ、中にはおそれげもなく触れるものもいた。

「ハル!」

 虎丸は人々の輪の中から彼を呼んだ。もうその名で呼ぶことにしたらしい。

「よくやった、さすがおんみよう

「わ、私は──」

 虎丸は鎌鼬の体から符をはがすと晴亮に渡した。

「陰陽師って、すごいんだね!」

 団子屋の娘が目を輝かせる。

「うちの醬油もすごいけどね」

「ああ、すごかった。醬油のおかげでやつの姿が見えた」

「でも壺がなくなっちゃった……」

「ハルが金を出してくれるさ。ああ、この鍋もな」

 虎丸はまだ左手に持っていた傷だらけの鍋をかかげる。晴亮はようやく笑みを浮かべる余裕ができた。

「ええ、弁償しますよ……」

 町の人々は晴亮も褒めたたえ、はからずもこの一件のおかげで寒月家の名は町の中で知られるようになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る