第一話 陰陽師と虎 ⑨

「すまん、お前に買ってもらったのに」

 虎丸は晴亮に謝った。晴亮は首を横に振った。

「いいですよ。……江戸も豊かなものばかりじゃありません」

「そうみたいだな」

「おにいさん」

 背後から声をかけられた。見ると団子を売っていた若い女が紙折りに団子を三串載せて立っている。

「食べ損ねたろ、これをどうぞ」

「え?」

「あんたがうまいうまいって言ってくれたから、客がけっこう来てくれたんだよ。それにあんな男気見せられちゃね、江戸っ子としてあたしゃ恥ずかしいよ」

 女はほっかぶりの下で照れくさそうに笑った。

「そうか」

 虎丸は団子を見て、女を見て、それから大きく笑った。

「ではありがたくいただく。俺は虎王院虎丸。なにか困ったことがあったら遠慮なく言ってくれ。しばらくはこいつの屋敷に世話になっている」

 虎丸は晴亮の背中をバシンとたたいた。

「陰陽師の寒月家だ。力になるぞ」

「寒月家?」

 団子売りの女が目を丸くした。

「あの、むくどり御殿の?」

「おんみょうじ?」

 周りに人々が集まってざわつき始めた。

「あそこ、人が住んでたのか?」

「あんた、そこに勤めているの?」

 虎丸は人々を見回し、胸を張った。

「この男こそ寒月家当主の寒月晴亮、江戸一番の陰陽師だ。そして俺は虎王院虎丸。鬼退治、物の退治なら任せてくれ! なにしろ俺は源頼光公の四天王の配下……」

「と、虎丸さん、そこまでそこまで!」

 晴亮は虎丸のそでを引いて止めさせた。

「なんだ、いいところなのに」

「頼光さまの名前出しちゃだめですよ、八百年も前の話なんだから」

 小声で言う晴亮に虎丸は下唇を突き出した。

「俺にとっちゃついこないだだ」

「だとしても」

おんみようってなにができるの?」

 団子屋の女が好奇心いっぱいの顔で晴亮をのぞき込んできた。女性の顔をこんな間近で見たことがなかった晴亮は、「うわ」と小声で叫んでのけぞる。

だんいて誰か呪い殺したりするの?」

「そ、そんなことしません!」

 あわわと首を振る晴亮に薬箱を背負った男が声をかける。

「あれだ、ホラ貝吹いて山の中走ったり」

「それは山伏です!」

「わら人形にくぎ打ったりするんだ」

 別な男がしたり顔で言う。そのあとわいわいと勝手なことを言い出した。陰陽師が知られていないことに晴亮はがっくりと首を落とす。仕事を知られていないならお客がこないわけだ。

「陰陽師はみなさんの不安を取り除く仕事です。得体のしれない不安や悩み、どうしようもない不運、人智の及ばぬ困りごとなどをご相談ください」

「俺が貧乏だってのは?」

「腰が痛いのを診てくれるのかね」

 周りの野次馬たちがからかうような調子で聞いてくる。

「そういうのはちょっと……。物の怪の仕業とかならなんとかなります」

 晴亮が言うと町の人々はげらげら笑った。

「なんでえ、つまりは気休めかい」

「大体この江戸の町に物の怪なんて……」

 若い男が笑いながら言ったときだ。その背中から真っ赤な血しぶきがあがった。男は笑った顔のまま、どうっと地面に倒れる。

「きゃああっ!」

 女の悲鳴が上がって通りはたちまち恐慌状態となった。

「なんだ!」「どうした!」「つじりか!」

 そこここで悲鳴があがる。着物の袖を切り取られた女、すねを斬られて倒れる男、傷ついた母親に抱きつく子供──。

「と、虎丸さん、これは」

 晴亮は虎丸にすがりついた。

「たすけて!」

 団子屋の女もしがみつく。虎丸は唇をみしめ周囲を見回していたが、すぐに懐に手をいれると紙の包みを出した。晴亮が中の確認をしなかったものだ。その中から取り出したのは一枚の符だった。

「それは?」

 虎丸は符を目の上にかざし、素早く周囲を見回す。

「──いた!」

「え? な、なにが」

「見ろ!」

 虎丸が符を渡す。そんな使い方は聞いたこともなかったが、晴亮は同じように符を目の上にかざした。すると、小間物屋の屋根の上に、両手が鎌になっている、毛だらけの獣の姿が見えた。

「あれは……!」

かまいたちだ!」

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