ピアノと死臭

ふじこ

ピアノと死臭

 私がお話ししておきたいのは、私が娘にした仕打ちのことなのです。ここでの話が娘に伝わることはないのですから、娘に許されたいわけではありません。娘だって、私を許すことはないでしょう。それでもお話ししておきたいのは、ただただ、私の心の安寧のためです。醜いと思われるかもしれませんが、どうか私の告白をお聞きください。


 私には娘が二人おります。今日お話したいのは上の娘のことです。

 娘の名前は、島、といいます。夫が名付けました。夫が何故そう名付けたのかは分かりません。夫は寡黙な人でしたので、色々なことを話さないまま、どこかに行ってしまいましたので。


 島は、物心ついた頃から、ピアノを弾いておりました。

 うちにあったピアノというのは、夫がどこからか譲ってもらった古いアップライトピアノで、色々とガタが来ていながらもなんとか弾ける、といった代物でした。譲ってもらったはいいものの、夫は楽譜も読めない人でしたので、ピアノを弾くことはありませんでした。代わりに、ピアノを触り始めたのが島です。はじめは適当に鍵盤を鳴らすだけだったのが、気が付いたら音階を弾き始め、少し経つと簡単な曲を弾くようになっていました。楽譜も何もないのに、島は、テレビで聞いたり、幼稚園で習ったりした曲を、耳で覚えて弾いていたのです。

 私も夫も驚きました。だって、私も夫もピアノを弾かないのですから、島に教えたことはちっともありません。この鍵盤を弾けばこの音が鳴る、という、おそらくとても基本的なことも、私と夫は自信がありません。島は、すべて手探りでピアノのことを理解して、弾いていました。きっと島にはピアノが向いているのだろうと、私と夫は相談して、島をピアノの教室に通わせることにしました。


 最初はピアノのせいだろうかと思っていたのです。何せ、夫が譲ってもらった古いピアノでしたから。

 島がピアノを弾くたびに、死臭がしました。ええ、あれは、死臭と呼ぶほかないものでした。人が死んで肉体が朽ちていくときの、ゆるやかに肉が腐っていくときの、顔を背けたくなるような醜悪で、醜悪が過ぎて甘美なにおいでした。

 鍵盤を叩けばピアノが揺れます。てっきり、アップライトピアノの中に、ネズミか何かの死骸が入り込んだままになっていて、島がピアノを弾いて揺れるたびに、死骸から漂う死臭が漏れ出ているのだと思っていたのです。

 それが私の思い違いだと分かったのは、島がピアノ教室のピアノを弾いているのを聞いたときでした。

 その頃私は下の娘を妊娠していましたので、島のピアノ教室の送り迎えは、普段は夫がしていました。どうしても夫が都合が悪く、私が代わりに行ったのでしょう。家の物とはまるっきり違う、大きくてつやつやとしたグランドピアノを、島は楽しげに弾いていました。

 けれども、私には死臭がしたのです。

 島のピアノの音色に耳を傾けるより先に、むしろ家のピアノを弾いているときよりも強く、死臭がかおってきたのです。

 あの死臭は、島のピアノが奏でているものなのだと、私はそのときようやく理解しました。


 それから私は島がピアノを弾いているのを避けるようになりました。家のピアノを弾いているときには、ピアノの音が聞こえない別の部屋に居るようにしました。ピアノ教室の送り迎えは夫にしてもらうよう、夫にも念押ししました。どうしても私が行かなければいけない日には、教室の外で待って、島のピアノを聞かないようにしました。発表会には一度も行ったことがありません。いえ、一度だけは行ったのです。まだ、もしかしたら場所が違えば死臭がかおらないのではないかと、希望をかけていたのでしょう。そんなことはありませんでした。むしろ、他の子どもがピアノを弾く間にはなんともないのに、島がピアノを弾き始めたらかおってきた死臭に、私は耐えられなくて、ホールを出てしまったのです。

 娘がひとと違ったのでしょうか。それとも、私がおかしかったのでしょうか。

 どちらにせよ、結果は同じです。私は娘のピアノを聞いていることができませんでした。

 仕事に復帰してからは、娘たちの、特に島のことを夫に任せて、私はひたすら働きました。夫にも、娘たちにも、守銭奴とでも思われていたかもしれません。いいえ、お金はどうでもよかった。島のピアノを聞くおそれを少しでも減らせるならと、私は懸命に働きました。島が悲しそうな顔をしていたのははじめの頃だけです。次第に、それが当たり前なのだと、仕方がないのだと、諦めたように、なんとも思っていないような表情しか、島は私に見せないようになりました。


 転機は、夫が居なくなったことでしょうか。

 居なくなった。そうとしか言い様がないのです。ある日、ふつりと、帰ってこなくなったのですから。夫は天涯孤独の身の上でしたし、友人も多くはなかったので、私が行き先を尋ねるといっても、会社の関係者と、手帳の後ろにメモしてある友人らしき人の電話番号ぐらいでした。会社の関係者にはむしろ夫の行方を聞かれ、手帳にあった電話番号はいずれもつながらず、夫の行く先の手がかりはあっという間に失われました。捜索願も出したはずですが、成人男性が自分で居なくなったと思しき状況で、警察が積極的に動いてくれることもありませんでした。

 幸い、私には仕事がありました。夫が居なくなっても、自宅のローンを支払って、娘たちを学校に行かせるには十分な稼ぎがありました。多少、娘たちに負担をかけることは予想できましたが、進路を諦めさせるようなことはしなくて済んだはずです。

 ですから、私が島の進学に反対したのは、金銭面が理由ではなかったのです。きっと、島はそうは思っていないでしょう。

 夫が居なくなってからも、相変わらず、私は島のピアノを聞いていることができませんでした。島ももうずいぶん大きくなっていたので、ピアノ教室の送迎は必要ありませんでしたし、発表会に来て欲しいと言われることもありませんでした。時々、妹が「お姉ちゃんのピアノを聞く」とせがんで聞かないことがあったので、そのときは、妹だけを会場に入れて、私は屋外で時間が過ぎるのをぼんやりと待っていました。待ちながら、いつもだれかに尋ねていました。誰が悪かったのかと。ピアノをもらってきた夫が悪かったのか、ピアノをひとりでに弾き始めた島が悪かったのか、島のピアノに死臭を嗅ぎ取る私が悪かったのか。

 誰にも、島のピアノから死臭がかおると話したことはありません。島のピアノについて話す他の人の様子を見ていれば、それに気付いているのは私だけなのだと、容易に理解ができました。

 自宅に帰る時間は、夫が居るときと変わらず遅いままでした。一応、夕飯の支度はしてから仕事に行っていたので、娘たちが帰ってくれば最低限お腹を満たすことはできたでしょう。本当はそれだけではいけなかったのでしょうね。娘たちの話にもっと耳を傾けなければいけなかったし、娘たちともっと時間を共有しなければいけなかった。けれど、私は、島のピアノの死臭に怖じ気づいて、島のピアノを聞くのがおそろしくて、避けていました。

 島に責められたことはありません。夫が居なくなってからは、より一層、私には何も期待しないという態度を強めていましたから。


 島が私に頼み事をしてきたのは一度きりです。

 ピアノを弾き続けていた島は、高校こそ普通科に進学しましたが、大学進学となって、ついに、音楽を専門にする大学に進学したいと言いました。ずいぶん久しぶりに、島と面と向かって話をしたような気がしました。島は、私に反対されようが自分の意思を押し通すとでも言いたげな、力強いまなざしをしていました。

 私に言うことは何もありませんでした。

 いくら奨学金から出して、いくら家から出すのか。具体的な金銭面の相談だけをして、ほかは島に任せました。どの学校を受験するのが島にとっていいのかなんて私にはちっとも分かりませんでしたし、音楽の学校に進むなら何より重要なのはピアノの技術に関することなのでしょうが、それこそ私が島を助けることなんてできません。受験の願書への署名も、金銭の振り込みも、書類を渡されるがままにやりました。

 それはほんの偶然でした。

 三者面談のために、島の学校に赴いたのです。時間になっても島はあらわれず、担任教諭は「もしかしたら練習しているのかも」と苦笑していました。どうしてそんなことをしようと思ったのか、魔が差したとでも言うのでしょうか、私は、担任教諭に、島を探しに行きたいから居るだろう場所を教えて欲しいと、申し出ていたのです。

 島が居るのは音楽室だと教えてもらいました。三者面談で使っている、島のクラスの教室があるのとは別の棟の四階、突き当たりにあると言われ、私は、上履き代わりの来客用のスリッパを履いて、移動しました。部活の時間だからでしょう。色々なユニフォームを着た生徒とすれ違いました。もし、島がピアノではなく他のことを選んでいたら、何か違っていたのだろうかと、ふと考えました。

 島の居る音楽室のある校舎へは、二階にしかない渡り廊下を通るしかないようでした。渡り廊下に出ると、冬の厳しい風が吹き付けてきて、コートを着てくればよかったと後悔しました。

 冷たい風の研ぎ澄まされたにおいに混じって、覚えのある、死臭がしました。

 島のピアノが聞こえました。冬で、窓も閉めているはずの音楽室から聞こえてくるほど、島のピアノがよく響いているということでした。私でも聞いたことがある曲です。テレビでもよく流れているからでしょうか。以前と変わらない、肉が腐り落ちていくときのにおいは、以前よりも強くなったように思われました。だって、ピアノの音は小さくしか聞こえなくても、においはこんなにもはっきりと分かるのですから。私は、えづきながら、なんとか吐き気をこらえました。

 どこかで私と同じ思いをする人が出てくるかもしれない。

 これ以上、島にピアノを弾かせてはいけないと思いました。

 その後の三者面談で、私は島の進学に初めて反対しました。島は呆然としていました。さすがに学校では何も言いませんでしたが、帰り道、ほとんど怒鳴りながら私に訳を尋ねてきました。

 私は、島を、島のピアノを避けてきた理由を話したことがありません。ええ、訳を言わずに避け続けてきただけだったのですから、そのとき、はじめて、嘘をつきました。金を出すのが惜しくなった、とくだらない、それでいて切実に聞こえるような、嘘をつきました。島は路上であるのも忘れたように激しく私をなじって、どこかへ走り去りました。私は追いかけることもせず、先に自宅へ戻りましたが、島は帰ってきませんでした。翌朝には家に居ましたから、私が眠った後に帰ってきたのでしょう。


 島は、私の嘘を信じたのでしょうね。信じさせるような言動をしていましたし、信じられるような嘘を、一応は選んでつきましたから。

 島は、高校卒業と同時に家を出て行きました。いつの間にアパートを契約したのか、保証人や、初期費用はどうしたのか、分かりません。島がピアノを弾くときに周りに居た人のことは私は知りませんので、その辺りの人たちが支援をしたのかもしれません。

 それから一切、島とは連絡を取っていません。妹の方は時々家に帰ってきますし、電話もしますから、なんとなく島の近況も分かってはいます。けれど、直接声を聞いたことは、言葉を交わしたことは、一切ありません。

 私の余命が幾ばくないことは自明のことですけれど、それを島に知らせようとも思いません。知らせたって、島は私を訪ねてこないでしょう。島が来ないことを確かめるのが怖いのか。そうなのかもしれませんね。

 私は娘たちを愛しています。島のことも、妹のことも。島のピアノさえなければ、もっと普通の母娘になれたのじゃないかと思います。言ったって仕方がないことです。島はピアノを選びました。私の顔色を見て、ピアノをやめることもできたでしょうに、島は、ピアノを弾き続けました。きっと、誰に何も言われなくても、家にピアノがなかったとしても、いつかどこかで島はピアノに出会って、ピアノを弾き続けたのでしょう。


 どうして島のピアノから死臭がかおるかなんて、分かりません。それをなくすことができるのか、できたとしてその方がよいのかも分かりません。

 島のピアノを知っている人に、入院してから出会いました。病棟の看護師さんのうちの一人です。珍しい名字だからもしかしてと尋ねられ、島が私の娘だと話すと、彼女はうれしそうに話し出しました。

「島先生のピアノ、とても好きでした。一緒に歌っていると楽しくなる、とてもすてきなピアノでした」

 私は決してそうは思えないけれど、島のピアノを好んでいる人が居る。島のピアノを聞きたいと望んでいる人が居るのだろうと、分かりました。

 私が島のピアノを聞くためだけに、島のピアノを変えてしまうことがよいとは、私には思えません。それに、もう、島のピアノを聞く機会は、余命からしても、ないと思いますし。

 島がまだピアノを弾き続けていて、誰かが島のピアノを望んでくれているなら、島は、ピアノを弾き続けたらいいと思います。


 これで私の告白は終わりです。

 娘たちに伝えたいことはあるか。いいえ、何も。入院前に財産関係のこともきちんとしてきましたし、娘たちが聞きたがることもないでしょう。

 ですから、私の告白は、ここだけの秘密。娘たちに知られることがない話に、しておいてください。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ピアノと死臭 ふじこ @fjikijf

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ