秘密は赤い宝石

心臓に隠したそれが欲しい

 秘密は宝石らしい。


 誰かにとって、誰かの秘密は宝石。誰にも見つからないように心臓の奥の奥に隠しているうちに、真っ赤な血の色と同じルビーになるという。じゃあエイリアンの秘密は緑色なのか、と聞いたら、そうかもしれないと言って笑ってはぐらかすあいつの宝石の色を、私は一度も見たことがない。



 今日も弊社の空気は清浄。意識の高い人たちが意識の高い服を着て、意識の高い仕事を自信満々にこなしている。私はおろしたてのシワひとつない薄水色のブラウスで胸を張って、小さく白い花のモチーフが付いたピアスを揺らしながらその中を歩く。常に微笑みは絶やさない。それが反吐が出る弊社で金を稼ぐ為のルールだ。


 カツカツ音がしないパンプスで固い床を滑るように歩き、エレベーターホールにやっとこ辿り着く。広いホールには、昼休憩の時間だというのに珍しく人が1人もいなかった。よし。あら、菅野すがのさん今日はどこでランチ?私たちは新しくできたイタリアンなの~攻撃にあわなくて済む。こちとら毎日コンビニ蕎麦だよ。美味しいから良いだろ。ちょっと強めに上向きの三角を押した。


 「8階です」の無機質な声がしんとしたフロアに響く。いつも仕事をしているオフィスの、節電と、陽の光で自律神経を整えるとかなんとかいう社長の変なこだわりで常にちょっと薄暗い部屋よりも暗い。あそこは明るかったのだな、といつもここに来ると思う。突き当りを右に曲がって、会議室Fのカードリーダーに社員証をかざすと、ピッガチャと音がした。


「うどん、いるんでしょ」


「菅野さん?ちょっと待って下さいね」


 そんなに広くもない、8畳程度の会議室の奥から、ガラガラと音がする。均等に並べられた長細い机の上に手をついて見下ろすと、うどんこと管理部の佐貫さぬきがなにやら段ボールを漁っているところだった。


「……やっぱり何も見えない」


「見えないだけであるんですよ」


 よいしょ、と重そうに段ボールを抱えて立ち上がると、うどんは私の顔を見てにこっと笑った。髪はボサボサだし、いつもパーカーだし、およそ丸の内のオフィスにいるようなおしゃれな人間ではないけど、相当優秀な社員らしく使っていない会議室を一室まるごとこいつ専用で与えられている。意味がわからん。見た目は愛想の良いたぬきのような、あか抜けない大学生のような風貌なのに、やり手なのがなんだか逆にそれっぽい。


 うどんが机に段ボールを置くと、ガシャ、と小さく音をたてる。ガラスが擦れあうような、割れ物の音がする。でも、どの角度から見ても中は空洞。手を入れてかき回してみても何かに当たる感覚はない。そこになにかがあるような気配もないのに、音だけが聞こえて不気味だ。


 顔を上げると、うどんがにこにことこちらを見ていた。


「なに笑ってんの」


「いえ、今日はどんな秘密を売っていただけるのかなあと」


 楽しみで、と続けるこの男に、私は言葉の通り秘密を売っている。


 秘密を売るとは言っても、週刊誌にゴシップを持ち込むとかそういう類のものではない。本当にそのまま、私自身の秘密を売り物として換金しているのだ。何を言っているのか自分でもよくわからなくなるけど、本当のことなのだからしょうがない。はあ。どうしてこうなったかな。



 うどんに出会ったのは1年前の同じ会議室F。社内で天才と呼ばれている佐貫卓也さぬきたくやに、書類を渡してきてほしいと課長に頼まれて初めてこの部屋のドアを開けた。さぬき、だからうどん、と安易なあだ名をつけたのもこの時。ドアを開けるなり待ってましたとばかりににこにこ笑顔を振りまいて、顔に似合わぬ低い声で言い放った。


「お姉さん、僕に秘密売りませんか?」


「え?」


菅野沙耶すがのさやさんですよね、経理部の」


「……はあ、そうですけど」


 私がここに来ることを事前に聞いてるのか、と思った。それはそうだろう。佐貫の方から書類が足りないと連絡があって、今手が離せないから持ってきてほしいと言われたって課長から聞いた。あんだあ?ちょっと頭良いからって偉っそうに、と思ったけど、かしこまりました、にこっ。いつも通りだ。


 それで、紙を渡して終わりだと思っていたのに、秘密を売る?何言ってんだこいつ。さすがに私の鉄壁の微笑みも崩れた。やば、と思った瞬間にはもう佐貫は私の目の前まで来ていて、近い距離でにこにこ笑っていた。


「お金、入用ですよね?」


「お金?」


「競馬、昨日負けたでしょう」


「……なんのことでしょう」


 えへっ、とおよそ成人男性が出すべきではない擬音を出しながら小首をかしげる。右手には、昨日買った私の馬券。しかもめちゃくちゃに負けたやつ。


 ……何故それをこいつが持っているのだ。大穴8番人気タンスノヒキダシに単勝10万円。間違いなく私の馬券だ。1番人気と2番人気の馬がこのところ調子を崩していたし、今回から騎乗が変わって迷ったら賭けろでお馴染みムジーク騎手になっていたから絶対絶対来ると思っていたのに。来なかったけどな!悔しすぎて、この感情を忘れないように定期入れに入れていたはず。どこかで落としたか……?


 佐貫は、楽しそうにそれをひらひらと私の目の前で泳がせる。


「随分豪快な賭け方をしますねえ」


「なにかの間違いでは?私のものではありませんから」


「タンスノヒキダシ、惜しかったですね。ちなみに僕はセンタンティーノに単勝5万賭けてました」


「……」


「すごい悔しそう」


 ふふ、と笑う佐貫に、こいつにはバレていると悟った。ムカつく。センタンティーノって、昨日の1着馬だ。腹立つ。その名前、今一番聞きたくない。そいつのせいで、私は今一文無しに近いのだ。いや馬は悪くない……!賭け方を間違った私のミスだ……。


「だからお金いるかなって」


「それが私の馬券だとして、たかが10万でしょう。何故私が金欠だと?」


「え、だって菅野さん競馬の他にも競艇も競輪もやるじゃないですか」


「へ?」


「僕、知ってるんです」


 だからそのにこにこ笑顔をやめろ。腹立つ。


 私がギャンブル依存だということは、私しか知らないはず。会社の人にギャンブル場でエンカウントしたこともないし、したとして絶対にわからないくらいには変装している。高かったんだよなあのサングラス。


 ……え?バレてた?嘘でしょ。


 いや、このにこにこ余裕面は本当に知っている。知っていて私にゆさぶりをかけている。やるじゃん佐貫卓也……。この私にギャンブルを挑もうなんてね。安定した資金を得る為に3年続けたこのしごできOLの擬態がバリッとはがされるのか瀬戸際にいる気がしてヒリヒリするわ。一流賭け師はここで笑う。やってやろうじゃない。


「それで?何が望みよ」


「え?だから秘密を売ってほしいだけですよ」


「は?なに?」


「最初に言いましたけど、僕、菅野さんの秘密が欲しいんです。その秘密に応じた金額をお返しするので、僕に秘密を売って下さい」


「は……?」


 勢いづいて机を思い切り叩いた左手がヒリヒリ痛い。そういえば秘密がどうとか言ってたな。競馬の話で完全に忘れてた。で、秘密を売る?


 佐貫はにこにこ面を崩さずに、私の右手を両手でいきなり包んだ。パーカーの袖が当たって変な感じがする。


「秘密は宝石です。僕に、菅野さんの宝石を売って下さい」



 そこから1年。私はこいつことうどんにずっと自分の秘密を売り渡してきた。身長体重スリーサイズ、誕生日にクレカの番号、初恋の人の名前、あとはもう覚えていないけど、こいつは私の風呂に入る時間も寝る時間も知っている。たぶん。それこそ住所も当然知っているので、機嫌を損ねたら最悪殺されるだろう。ないとは思うけど。……いやわからんぞ。


「どうしたんですそんなにじっと見て」


「あんた殺人願望とかある?」


「なんですか急に……」


 うどんの顔がひくっとひきつる。金欲しさに私はこいつに色んなことを売りすぎた。もう売るものがないくらい。この世で私の事を一番知っているのは、親でも兄弟でも執着の激しかった元彼でもなく、この佐貫卓也だ。


 秘密は宝石。その言葉通り、うどんは私の秘密の大小で異なる金額を支払ってくれた。金額は主に2パターンに分かれていて、パーソナルな情報、例えば身長とか所謂私自身のデータ的なものはほとんどが一律1,000円だった。そして、もう1つは私が経験してきて誰にも話したことのない内緒話みたいなもの。初恋の人の名前とかがこれに当たる。これは変動もあるけど大体2~3,000円程度。極稀に、5,000円を超える大物もあるけどこれはできればあまり公開したくないし思い出したくもない。……なんでそんなことをこいつに話しているかというと、もちろん金の為だ。


 しかし、まあ私にとっては正直支払いさえしてくれれば問題ないのだが、うどんが言う「宝石」というやつが私には目視できない。音はする。薄いグラスがカシャ、とかち合って鳴るような音。でも、形は全く見えない。それはちょっと不思議。しかもうどんには見えているらしい。


「はい、どうぞ」


 湯気を上げるカフェオレが目の前に置かれた。私と向き合うようにして、うどんがイスに座る。ここには給湯設備もあるらしい。こいつ実は会長の孫とかなんじゃないのか。


「菅野さん、趣味の割にかわいい飲み物好きですよね」


「カフェオレってかわいいの?」


 なんでも良いだろ飲むものなんて。熱くてまだ飲めないそれを両手で持って、空気を送り込む。いつの間にかこんなものが勝手に出てくるくらいにはこの会議室に通うようになってしまった。昨日も競艇負けたし、常に金欠なんだよな……。


「あ~あもう売るもんないわ」


「そうでした?何かあるでしょう。まだ」


「小学生の時のやばいいたずらとか」


「教頭のヅラ取って校庭にぶん投げた」


「兄ちゃんの部屋に忍び込んだ回数」


「秘蔵のエロ本を読みたくて3回、貸していたゲーム機が返って来なくて2回、ですよね」


「……初体験の時元彼に言われたキモワード」


「ほくろの位置、俺と一緒だね、ですね」


「キモッ」


「元彼がですか?」


「あんただあんた」


 もう全部こいつに知られているとはいえ、なんですぐに答えが出てくるんだよ。キモ。どっかに書いてあんの?って前にも聞いたことあるけど、一度聞いたことは忘れないらしい。いらん天才設定今更出してくんな。


 じゃあ本当に売るもんないじゃん。私が秘密を差し出す限り、こいつはお金を払ってくれるらしいけど、実はめちゃくちゃ富豪?そういえばこのカフェオレも毎回奢りだし、金持ちなのか?こいつのこと、なんにも知らないな。


「ねえ、たまにはあんたの秘密を私に売りなさいよ」


「ええ?」


「ええ、じゃねーよかわいこぶんな」


 うどんはコーヒーを啜りながら、下がり眉を更に下げた。私ばっかりわけわからん取引してるのもなんか嫌だし、この機会にこいつの秘密とやらも知っておいてやろう。いつか使えるかもしれないし。


「僕の秘密なんてつまらないですよ」


「そんなん聞いてみないとわかんないでしょ」


「というか菅野さんお金あるんですか?」


「……ない」


 そりゃあこんなところに自分の身切ってお金もらいに来てるんだからないに決まってるでしょう。自慢じゃないが宵越しの銭は持たない江戸っ子、本当に一銭も持っていないことが多々ある。給料日までギリギリデッドオアアライブだよ毎月。でも、ここまで来たら引き下がれない。


「いつか返す。だから私にあんたの秘密を売って」


 我ながらすごい物言いだと思う。でも、何故か今私は無性にこいつの秘密が知りたい。秘密は宝石。なるほど本当にそうかもしれない。今、その宝石が喉から手が出るほど欲しい。


 右手でうどんのパーカーの紐を引くと、いつものにこにこ面がにやりとした微笑みに変わった。


「じゃあ、1つだけ買ってもらおうかな」


「おう。言ってみな」


「もう返品とかできませんからね」


「うるさいなわかってるよ」


 むしろ返品とかできるのかよ通常は、と思ったけど言わないでおいた。というか、言えなかった。本当に私ここで殺されるのかもしれない。なんとなくそんな雰囲気が会議室中に漂っているからだ。目の前のうどんは笑っているけど、なんだか怪しい。


「言いますね」


「……うん」


「僕は」


 一度、言葉を切って私の目を見る。いつも秘密の売り買いだけですぐ帰るから、こいつの顔、ちゃんと見るの初めてかもしれない。こんなに真っ暗な眼だったんだ。きれい。宇宙みたいな黒。


「菅野さんのことが好きです」


 私が何か言葉を発する前に、うどんの心臓の辺りからなにか光るものがこぼれて、私が座っているイスの下にころんと落ちた。反射的に座ったままそれを拾い上げると、真っ赤な、重い光を放つ宝石。手のひらに収まるくらいのそれは、宝石の結晶だった。


「ほらね、あったでしょ宝石」


「ま、え、これ……」


「僕の秘密ですよ。僕には見えませんけど」


「え?」


「自分の秘密は自分には見えないんです」


「はあ……」


「どうですか?僕の秘密」


 どうですか、って、この宝石、冷たくも温かくもない。ずしりと重いことだけはわかるけど、眩しく鈍い光を放っている。きれいな赤、というよりは、本当に血の色に近いような、黒みがかった赤のように見える。部屋が薄暗いせいもあるのか、角度を変えるとちょっと違った色にも見える。


「なんていうか……緑じゃなかったな、って感じ」


「僕地球産まれ地球育ちなので」


 見えていないはずの宝石を、うどんは恥ずかしそうに見つめる。私の右手に収まったそれは、なんとも不思議な固形物だった。意味がわからなすぎてなんかもうグミとかそういうのに見える。食べられるんじゃないか?そんな気持ち悪い愛おしさもある。


 しばらく見つめてしまったが、そういえばこれ売り物だった。私はこれを買ったのだ。ていうかこれいくらなの?秘密の種類によって値段は変わるはずだから、えーとこれだと、なんだっけ、私のことを好きとかなんとか……。


 ゆっくり顔を上げると、うどんがいつものにこにこで私を見ていた。


「つまらなかったでしょう僕の秘密」


「いや……それは私にも失礼じゃない?」


「そうなりますかね?」


「まあ私がだいぶ絡んでるからね」


「じゃあお代はタダで良いですよ」


「えっ」


 タダ!と一瞬喜んでしまったが、違う違うこれに関しては売買契約が成立しているはずだ。口頭でも有効。今私が決めた。


「いや払うよお金」


「えーいいですよ別に。僕お金に困ってないんで」


「うわやっぱこいつ嫌いだわ」


 金持ってない人に金持ってる発言は絶対ダメだ。私だから良かったものの、競馬場で言ってみろ。終わりだぞ。色々と。


 うどんは、イスを前に引いて座りなおすと、またあの宇宙の瞳で私を見た。宝石は私の手に乗っかったまま。ギラギラと殺人的な光を放って、会議室を怪しいダンスホールみたいに照らしている。なんでこいつの目、赤い光が映らないんだろう。そんなことを考えていたら、ぐいっとうどんの顔が近くに寄ってきた。


「じゃあ、僕のことを好きになって下さい」


「は?」


「それがお代がわりってことで」


「え、ちょっと待って」


 お金払うって言ってんじゃん、が言えなくなるくらいには、こいつの「好き」がひっかかって、目の前のにこにこ面の違う秘密を知りたくなってしまっていたことに気付いた。好きじゃないけど、そんなに嫌いじゃないのかも……?いやいや好きって言われたら意識しちゃう中学生かよ。


 でも、まあ確かに払うお金ないし、これからもここに秘密を売りに来るんだろうし、それも面白いか。なんて思ってしまったらもうダメだ。こいつのどこから来るかわからない余裕、崩してやりたくなった。手のひらの宝石を握る。


「面白いじゃん」


「でしょう」


 ギャンブラーの誘い方が上手いのは、私が売った秘密のおかげなのか、うどん自身の素質なのか。好きになるかならないかのこの勝負、この手の中の宝石に誓って最後まで降りない。





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