天才だが偏食の大人
「今日のお昼もメンチカツー」
お気に入りのパン屋のメンチカツサンドが入った袋を置き、コーヒーを淹れ始めると香ばしい香りが研究室を満たしていく。その匂いに気がついたのか、助手に就いている学生の子が研究室に入ってきた。そして、俺の白衣を奪うようにして取った。
「先生、外出する時くらいは白衣脱いでくださいって言いましたよね。また土で汚してるじゃないですか。洗うのは私なんですからね!」
「いやぁ、ごめんね」
今回もちゃんと汚さないようにしたつもりだったんだけど……。童心に戻ってツツジの花の蜜を吸おうとしてしゃがむと大抵土が付いてしまう。どうにかして白衣を汚さずにツツジの蜜を吸えないだろうか。
「あ、先生。先程所長から連絡がきていました。研究の進捗が気になっているようです」
「んー、その返事って急ぎのやつだよね」
「おそらく」
「物質を異次元まで飛ばす方法までは分かりましたが、過去に行ける確率は低いです、とでも伝えれば満足してもらえるかな」
「……完成を伝えないつもりですか」
「うん」
俺は今、未来を変える発明をしている。その文字通り、タイムマシンを作っているのだが、それが完成したことを知られたら、世界中がこの技術を欲しがるだろう。過去への旅行切符を欲しがらない人間はほとんどいないはずだ。
「しばらくは俺たちだけの秘密ってことで」
欲望の塊の人間にタイムマシンが渡る前に自分たちだけで楽しんでやろう、と考えられるのは製作者の特権だろう。
「秘密は守るので、今度は私も連れて行ってくださいね」
「あれ一人乗りだよ」
「えぇ、先生だけ羨ましいです」
「可愛い助手を危険な目には遭わせられないよ」
室長に報告しているのは、物質の異次元への転送方法のみ。しかも無機物限定。つまり、生物の転送方法はまだ確立できていないことになっている。
「そんなこと言って、先生が過去に行きたいだけですよね?」
「アハハ、ソンナコトナイヨ」
実際、次元の狭間で死にかけたことは、この際黙っていよう。
「先生はどうしてタイムマシンを作ろうと思ったんですか」
「カッコいい理由なんてないよ」
「興味あります。二十七歳という若さでタイムマシンをほとんど完成させた理由」
本当に自分の欲望を叶えたかっただけだ。この技術で人を救いたいとか、時間旅行をしてみたいとか、恐竜に会いたいとか、そんなロマンに溢れた理由なんてものはない。
「俺ってメンチカツ好きなんだよね」
「はぁ」
いきなり何の話になったんだ、と助手が興味なさそうな目でみてくる。先生がメンチカツサンドをこの上なく愛していることくらい、助手になる前から知っていますよ、と。
「まぁまぁ、俺はメンチカツサンドという素晴らしい食べ物にもっと早く出会いたかったわけだ。今で五年くらいだから、今から十年前の俺にメンチカツの良さを伝えたいんだ」
ふわふわのパンに、厚めのメンチカツ。特製のソースとキャベツのバランスがちょうどいい。俺の通っていた高校の近くにあるパン屋のメンチカツサンドが絶品なことに気がついたのは成人してからだった。
あの素晴らしい食べ物を青春の一部にしたい。放課後にパン屋に寄って買い食いしたい。
高校生の俺は毎日をただ生きているだけだった。大人になっても受け身で生きるんだろうって思っていたから、それを変えてくれたメンチカツサンドを教えたい。
「それって未来が変わりませんか」
「そんな大幅には変わらないよ」
安定して過去に行けないこともあって、高校二年生の俺にまだ会えていない。あと何回か試行すれば、目的の時間に上手く辿り着ける気がする。それまでに失敗してしまう可能性はゼロではないけれど。
「もし失敗したら、君に研究の権限を渡すつもりだから、よろしく」
「物騒なものを中途半端な状態で譲らないでください」
「あはは、それもそうだね」
そして俺はメンチカツサンドを頬張った。
初めて目的の時間にたどり着いた時、俺は学校の屋上に着陸した。懐かしい気持ちになりながらも、誰かに見られていないか周囲を確認した。
反対側にまわると、誰かがフェンスを跨ごうとしていた。ゆらりゆらりと、気持ちが入っていないようだった。無意識に死のうとしている。止めなければ、いや、止めてしまっては未来が変わってしまう。でも、このまま死なせるわけにはいかない。
俺は息を吸った。慎重に言葉を選ばなければ。
「ここから飛び降りるの?」
いきなり話しかけられて驚いたのか、フェンスの上の青年はこちらを向いた。
それは高校一年生の俺だった。虚とした目で俺を見ている。どうして俺が死のうとしているんだ? 思い出せない。何もかも。記憶が、抜けたように無くなっている。
「で、ここから飛び降りるの?」
俺の声は震えていた。動揺を悟られないように、平静を保ちながら会話を続けた。
目の前の青年は俺だ。俺は臆病だから、フェンスの上に乗るだけで飛び降りはしなかったはずだ。それを俺は止めてしまった。未来が変わってしまう。
「ふーん」
だから俺は謎の男を演じることにした。何度も過去に飛んでは自分を探し、中途半端に関わり、俺に俺の正体を気にさせるようにした。
俺がタイムマシンを作る未来が消えてしまえば、今いる俺の存在も消えてなくなるだろう。最悪の状況を避けるためだけに俺は動いた。
「先生、外出する時くらいは白衣脱いでくださいって言いましたよね」
「うん、言ったね」
「メンチカツサンドの食べかすが付いています。洗うのは私なんですから、もう少し配慮をしてください。もしかして、このまま外出なんてしてませんよね?」
「してないから大丈夫」
助手の学生の子が、俺の白衣を奪うように取っていった。
「今日はメンチカツを好きになって十年記念日だから、少しくらい許してよ」
「ここ毎日同じこと言ってますよ」
「嬉しい日なんだから良いじゃないか。はい、君の分」
助手の机の上にメンチカツサンドを置き、自分用のコーヒーを淹れた。香ばしい香りが研究室内に漂っている。
俺はメンチカツサンドを頬張った。食べ慣れた味だったが、いつもよりも美味しく感じる。
溢れるほどのソースが口に付き、俺は口元のソースを拭った。
放課後メンチカツ 相上おかき @AiueOkaki018
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