嘘をつかない悪役令嬢の素顔(悪役令嬢の師の話)
「悪役令嬢は己の「真実の愛」のために嘘をつかない」の、エレインの師の話です。
本編とフォルクス視点の話の内容を含みます。
***
「劇のヒロインの名前……ですか?」
「ああ、今脚本家に芝居の筋を書かせているんだけど……登場人物の名前は少し変えなければならない。国民も貴人と同名だと役者を呼びづらいだろうし、演者も同様にね」
なるほど、とティーカップをソーサーにそっと置く。
公爵家のメイドが淹れてくれたお茶は今日も美味しい。それを味わいながら、季節の花々に囲まれた温室の中で、エレインはテーブルの向かいに座るフォルクスを見た。
正確には彼の手元にある、大雑把に綴じられた台本だ。大雑把とはいえ体裁は整えられているが、まだ立案途中なことが伺える紙面には書きかけの項目がいくつもあった。
——卒業パーティーを終えてしばらく。
あの場でフォルクスに求婚され、トントン拍子にやれ両想いだやれ推しだやれ婚約だと話が進んだ今。エレインはこうしてフォルクスと個人的に会い、二人の仲を縮めるためのいわゆるデートを重ねる日々を送っていた。
「劇のヒロインの名を、わたくしが決めても良いのですか?」
「もちろん。ヒロイン……つまり君を演じるのだから」
「う……!」
そう言ってふと微笑むフォルクスの表情にはエレインへの愛しさが浮かんでいる。エレインやエレインを冠するものを口にする度にこの顔をするのは正直やめて欲しい。供給過多だ。
そもそも、今度上演するというこの恋物語。
フォルクスが企画の話を持ってきたのは少し前のことだったが、なんでもエレインがフォルクスの婚約者になった経緯を両国の国民に受け入れさせるための政治的な取り組みらしい。
理由がなんであれ、婚約破棄を経た令嬢が帝国の第二皇子と結ばれるのだ。確かに多少の印象操作は必要だ。
気を取り直し、エレインは求められた名付けを早速考え始めた。自分自身の印象操作が目的ならば、抑えるべきポイントはいくつかある。
「そうですね……。では、『マルレイン』というのはどうでしょうか?」
「マルレイン? 良い名だね。エレインの名にもかかっている」
フォルクスがすぐさま紙面に書き留め、ものの数分でヒロイン役の名前が決まった。
その事にほっとしたエレインは、そういえばフォルクス役の登場人物の名前は決まっているのだろうかと思い至る。後で聞いてみようと思い、エレインは手元の紅茶で喉を潤した。
「ちなみに、その名にしたのには何か理由があるのかい?」
「あ……」
ふと訊ねられたことに、エレインは少しだけ戸惑ってしまう。
別に、聞かれて嫌だったとかそんな理由ではない。先程浮かんだ名ととある人物の顔に、それをどう伝えたものかと思案した。
「……もしかしたら、殿下には幼心だと笑われてしまうかもしれません」
「フォルクス」
「あ、……はい。フォルクス様」
呼び名を訂正させるフォルクスの顔は、いつだって優しい。
でもやっぱり……そう、気恥しさが勝るのも正直なところだ。それは呼び名に対しても、そしてこれから語る名付けの理由としても。
「——わたくしには、幼少の折より礼儀作法を教える専属教師がおります」
「ああ。かつて学園長も務めていたという、マルタ・イブニンだったかい?」
「はい」
「そうか、マルレインというのは……彼女からか」
マルタとエレインからとって、マルレイン。まるで幼い少女がするような掛け合わせだ。それも本人の了承なくやってしまう分たちの悪さはあるやもしれない。
それでも……
「マルタは本当に良き師です。公爵令嬢としての作法はもちろん、王族の婚約者としての心構えや、上に立つ者としての振る舞い方まで。厳しさに泣いてしまうこともありましたが……」
「エレインが?」
「ふふ」
完璧で隙のない公爵令嬢にそんな過去があったと知り、さすがのフォルクスも目を丸くする。
「それでもマルタは、私を応援してくれたのです。何故厳しくするのか……その理由や必要性を説くと共に、それはわたくしなら出来ると信じているからだと。だからこそ——」
温室の花に目を移す。
複数の種類、色とりどりの花たちが咲き誇る一角を見て、エレインは目を細めた。
「マルタは、わたくしが希望した様々な分野の学びを、すべて手配してくれたのです」
当初は、エレインが公爵令嬢として学ぶべきはマルタが教えられる範囲で十分とされていた。しかしエレイン自身の希望により、外国語や政治に関する学問に加え、令嬢には必要がないとされるものまで学習範囲が広がった。
当然教師一人では対応できないため、必然的に何人もの教師を呼ぶ必要が出てくる。
『お嬢様……ですが……』
しかし、既にその年齢にしては良い成績をおさめていたこともあり、マルタには何故そこまで、と言外に止められてしまう。
『あのねマルタ。実はわたくし、憧れている方……推しがいるの。令嬢としての責務はもちろんだけど、何よりもその人に認めて貰えるよう、自己満足でいい、がんばりたいの』
こんなの、わがままよね、と俯く。
それは礼儀正しくも可憐な公爵令嬢として名を馳せ始めていたエレインが、見せたことのない姿だった。
——そんな幼子がぽつりと明かした本心。エレインが努力を続けていた姿を一番近くで見ていた師は、何も言わずエレインの気持ちを受け止めてくれた。
それからというもの。
マルタはエレインの父である公爵を即日説得する。そしてエレインが王と王妃に学びを得ることを直接懇願する機会を整え、それが叶ったと同時に各々ふさわしい教師を見つけ出し、エレインへと繋げた。
もちろん、マルタから教わるべき作法もまだ残っている。
その内、複数の授業をこなす多忙なエレインのスケジュール管理まで担ってくれたマルタには、作法の師を超えてもはや秘書のようなことをさせてしまったと反省していた。
「——なるほど。完璧な令嬢を支えた師への恩というわけだね」
「……はい」
幼い頃の自分の話をしてしまった気恥しさと、それを微笑んで受け止めてくれたフォルクスへのあたたかい感情に、エレインは微笑む。
それは社交界が目にしてきた完璧に整えられた生け花の笑みではなく、大切に育てられしかしのびのびと咲き誇る一輪花の笑みだった。
それを目にしたフォルクスも、エレインへの愛しさが込み上げる。手にしていたペンを放り投げ、向かいに座るエレインに歩み寄り、その傍らに片膝を着いた。
エレインの手を優しくとり、恥ずかしさと緊張から逃げようとする白魚の手を優しく拘束する。
そして……
「……ところで、幼い頃から努力を続けてきた理由である『推し』って誰なのかな」
「………………はっ?!」
甘い雰囲気に頬を染めていた表情から一点。フォルクスの問いに数秒の間フリーズしたエレインは、今の話で己が何を語ったのかを理解した。
……まずい。やってしまった。
マルタに語った努力の理由、『推し』とはフォルクスのことだ。しかし当時面識もない相手を理由に幼子が辛い勉強に耐えるなど、一見すると少しおかしな点が際立つ。
それに……
「いえあの……! 殿下にお聞かせするような話では、」
「フォルクス」
「フォ、フォルクス様のお耳を汚してしまいます!」
「たった今小さい頃の可愛いエルの話を聞いたのに?」
「エル……!?」
——本人を前に、『あなたに認められたいからずっと頑張っていたのだ』など、羞恥心を捨てていなければ言えたものか。
突然の愛称呼びに意識を持っていかれるも、頭の回転が早いエレインはこの場に存在する問題とその気恥しさを全て把握している。つまりは頭がパンクしそうだ。
「エレイン。俺は真実を見抜けるんだ。――君の過去から今に強く影響する、『推し』の存在を俺に教えてよ」
――エレインはこの日と後日、はしたなくも悲鳴をあげることとなる。
それはエレインの前世と今世で誰を想い生きてきたか、本人であるフォルクスに洗いざらい吐かされたことが原因でもあるし、彼が書かせていた劇の脚本にその内容が全て綴られていることを後から知ったことにもあった。
後日談
「――殿下! ああ、ご無礼を承知で申し上げます、フォルクス・ファーディナンド殿下!」
「ああ、マルタ・イブニンだね? この場ではどんな不敬も不問とするよ」
――とある日のデート、突然の乱入者が現れた。
誰であろうエレインの師、マルタである。
いつも冷静沈着で知的な彼女らしからぬ取り乱した様子で、本来の礼節もそこそこに、フォルクスの足元に跪き無礼を詫びた。普段かけているモノクルが今にも転げ落ちそうだ。
師でもあり第二の母とも思っていたエレインは、そんなマルタの様子に驚愕し、駆け寄る。
しかし声高々にフォルクスへと告げていく内容を聞いていくにつれ、何とも言いがたい衝動に駆られていった。
――どうやらマルタは例の劇の脚本を読み、エレインの努力の理由がフォルクスだと言う事実を知ったらしい。
「お嬢様は……っ嗚呼、お嬢様は幼き頃より求められる以上をそれはそれは決死の思いで学んでまいりました! 公爵令嬢、王族の婚約者としての教育を施した私めですら何故そこまで、何故そんなにもと不思議だったのです!
――しかしお嬢様はとある日明かしてくださいました、認められたい方がいるのだと! その方のために……いえ、その方に認められたいご自分の気持ちのため努力したいのだと! そのたった一つのわがまま以外は何も言わず、私めが教えた通り国のために生きようとするのです。それが……嗚呼、まさか前世からの願いだったなんて……。
どうか、どうか、殿下には知っておいていただきたかったのです! お嬢様は……エレイン・エンフィールド様は……他の何をおいてもあなた様のお心を求めていらっしゃったことを!」
――これなんて羞恥プレイ。
身分が上であるフォルクスに、師であるマルタが涙ながらに心内を陳情していく場面は、本来ならば感動でエレイン自身も涙が止まらなかっただろう。
しかしこの状況を言い換えてしまえば、エレインが前世からフォルクスを想っていたことが本人バレし、更には劇で国民バレし、その上で師が再びその事実を本人に言い重ねているのだ。
(……っわたくし何かしたかしら!?)
したかと言えば確かにしたのだが、いやでも、ちょっと。一体何度このことを擦られればいいのだろうか。
今だってエレインは衝動を抑えるために両手で顔を覆っている。令嬢らしくない行動だ。
それなのに毎回フォルクス本人の笑みは深まるばかり。楽しそうに、己がエレインに愛されていることを自覚していくのだ。そりゃあすっかり愛称呼びもされるだろうし、両国もその国民も二人の仲を祝福するだろう。
しかしもう、オーバーキルはとっくに超えているのだ。
「殿下、お聞きください。その他にもお嬢様は……」
「~~~ッマルタ! マルタもうやめてちょうだい!」
「いいえお嬢様! マルタめの思いはこんなものではございません! そのお願いは聞くことができません!」
「あなた一体誰の味方なの!?」
「それはもちろんお嬢様の一番の味方でございます!」
それは確かに。そう静かに頷いたのは、その場において唯一冷静なフォルクスただ一人であった。
悪役令嬢は己の「真実の愛」のために嘘をつかない ど山 @d0yama
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