嘘をつかない悪役令嬢の素顔(フォルクス視点)

「悪役令嬢は己の「真実の愛」のために嘘をつかない」のフォルクス視点です。




***




 出会って初めに抱いたのは、可愛らしい人だという印象だった。




 帝国の第二皇子として生を受けたフォルクス・ファーディナンドは、帝国が治める諸国の内、最も帝国と規模が近しい王国の学園へと通っていた。


 長兄である第一皇子はすでに立太子し、国内の政にも深く組み込まれている。次兄であるフォルクスやさらに下の弟たちは、兄の補佐をするべく様々な形でそれぞれの分野を学んでいるところだ。フォルクスが自国を離れ、この学園に在籍しているのもその一環だった。


 そんな学園には、一輪の社交界の華がいた。


 王国の第一王子の婚約者、未来の王妃である令嬢だ。名をエレイン・エンフィールド。王国の中で最も有力な家であり、貴族社会の中でも一線を画している。数代前にも娘が王家へ嫁ぎ、王妃となった歴史もあるようだ。


 そんな社交界の華は、出身や見た目だけでなく、その人格によって名をあげていた。


 ——『次代の太陽は、才と努力の月に恵まれた』


 王国の貴族たちはことあるごとにそう囁く。

 エレインという令嬢は、礼儀作法はもちろんのこと、国民をまとめる貴族として求められる知性や品格、またそれを支える様々な分野の知識を身につけるべく常に努力をしていた。

 貴族であれば誰でも学ぶ基本的な学問をはじめ、程度は違えど武術の方面にまで身を投じているらしい。


 聞けば、彼女自身が「将来王子妃になる者として能力をつけたい」と王に直接申し出、各分野の教師をつけてもらったという。謙虚で勤勉、なおかつ結果も出していくエレインを王と王妃はいたく気に入り、寵愛と評判は自然と王宮や市井にも広まっていく。


 しかしそれは同時に、完璧で高潔なエレインに対し、近寄りがたいという印象も与えていた。


 貴族社会に長くいる親世代であればともかく、同年代の令息令嬢になればなおのことだ。身分差により獲得する学びに違いがあってはならないと提唱している学園でも、その優秀さから一目置かれ、気安く彼女と話す者は限られた。

 自然と彼女の周りには、権威が同等の家の者、各分野で切磋琢磨する学友、至極少人数の令嬢ばかりになっていた。



 少なくともフォルクスは、エンフィールド家の令嬢をそう見定めていたのだ。



「——お初にお目にかかります。王国エンフィールド家長女、エレイン・エンフィールドと申します」


 制服の上品なプリーツ。教室棟の廊下に差し込む日差し。それらを全て踏まえた完璧なカーテシー。差し掛かった廊下で呼び止められ、初めて言葉を交わしたエレインの姿は聞いていた通り華々しいものだった。


「ああ、君がエンフィールド嬢か。優秀な噂は聞いているよ。フォルクス・ファーディナンドだ。学園の中ということもあるし、気軽に接して欲しい」

「光栄に存じます。わたくしなどの噂が殿下のお耳に届いていたなど、嬉しいことを聞いてしまいましたわ」


(……? なんだろう、何か……)


 和やかに言葉を交わし、生徒同士として接することを許してすぐ。フォルクスは、少しの違和感を感じることとなった。

 彼女はエレイン・エンフィールド。完璧で高潔なこの国の、未来の王子妃だ。そう思っていた『想像』と目の前に佇むエレインの『姿』が少しずつズレていく。


 思っていたよりも……そう、感情が見えるのだ。


 彼女が結果を出していることをフォルクスが褒めてみせれば、コミュニケーション特有の大袈裟な反応でもなく、少し驚いたように喜び、はにかんでみせる。少し緊張はしているようだが、その笑みは遠くから見ていた時よりも随分と柔らかいものに見えた。


「お呼び止めして申し訳ありません。実はマクマミア教授の授業について、ぜひ意見をお伺いしたいと思いまして」

「ん? ああ。特進クラスに在籍していて、教授の授業をとっているのは私だけか。少しマニアックだものね。いいよ、サロンかラウンジで話そうか」

「感謝いたします。それにしても……ファーディナンド殿下、マニアックだなんて」

「だって彼の授業、まるで哺乳類についてのオペラでも聞いているみたいじゃないか」

「っふふ。それを否定することはわたくしにはできそうにありませんね」


(なんだ、親しみやすい令嬢じゃないか)


 結局、こうして気安く言葉を交わしたのはこの一回だけだ。

 しかしフォルクスの彼女の評価は、以前よりもずっと人間味を帯びたものになった。……彼女がいるこの王国が、ほんの少し羨ましくなった気持ちを押し殺す程度には。




***




「エレイン・エンフィールド。あなたとの婚約を破棄させてもらう」


 ——4年制を終え、帝国に帰る日程が決まった頃。

 学園で行われた卒業パーティーで、王国の第一王子ディミトリはそう高らかに宣言した。


 最後の挨拶にと学友や後輩たちと言葉を交わしていた最中のことだ。会場は一斉にざわめき、誰もがその声の主へと視線をやった。壇上には数名の男女。数段高い造りのおかげで顔がよく見える。

 その少し手前、人垣が開けたことで一人の令嬢の後ろ姿が見えた。


「ジェイド、俺は急用ができたようだ」

「は、かしこまりました」


 会場のすみに控えていた侍従を目で呼び寄せ、小声で短く指示をすれば、言外までもを察したジェイドがすぐさま手配に走る。

 ディミトリが今日という日にこのような騒ぎを起こした時点で、帝国へ帰国するスケジュールは破綻した。まずは本国への報告も必要だ。

 それに……


「これはお前がヘルガ・キーズ伯爵令嬢を虐げたその記録だ!」


 この事態の果てに、一つ得られるものがありそうだ。

 フォルクスはそう策を巡らせた。


 壇上でディミトリが掲げる断罪。記録に綴られているという罪状を彼は読み上げていく。

 その実、エレインが起こしたというトラブルの数々も、フォルクスは報告で把握していた。しかしやり方も事後処理も非常に甘い。彼女がやるならばもっとうまくやるか、別口から攻めるであろうことは明白だ。


 現にディミトリの読み上げる内容を『見聞き』しても、それが真実でないのだと感覚が告げてくる。——読み上げる声にも、手にしている記録(リスト)にも、黒い炎のようなモヤがゆったりと取り憑いているからだ。



「エンフィールド嬢は罪を犯してはいないよ」



 そうフォルクスが告げた途端、ゆっくりとこちらを振り返ったエレインは、いつかに見せた、年相応に輝かせた瞳でフォルクスを見た。


 先ほどまで聞こえてきた彼女の声はいつも通り固く、表情は凛としたものであったのに。いや、先ほどだけではない。以前から気付いていた。あの一度きりの何気ない会話で知った彼女自身の人格が、いつもは『完璧で高潔な王子の婚約者』の中に押し込められていることを。


 そして今確信した。

 彼女の内に秘められた感情、フォルクスへの想いを。


「よければ、エレイン嬢と呼んでも?」

「っ勿論、でございます。フォルクス様の……お心のままに……」


 歓喜と安堵からか、エレインの潤んだ瞳が赤く染まった顔に埋もれる。誰にも見せてこなかった素顔をこんなところで自分に向けてくれるなんて。以前殺した想いが、むしろ大きくなって押し寄せそうだった。



(本当の彼女を、もっと見たい。)



 まあ、その思いが強すぎて、うっかり能力を行使し本音や経緯を洗いざらい吐かせたのはやりすぎだったかもしれない。

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