悪役令嬢は己の「真実の愛」のために嘘をつかない

ど山

悪役令嬢は己の「真実の愛」のために嘘をつかない




「エレイン・エンフィールド。あなたとの婚約を破棄させてもらう」


 静かに、しかし場を圧倒するような声。

 壇上に上がったこの国の第一王子……ディミトリ・ダライアスは、そう高らかに宣言した。


 エレインを含む生徒たちがそれを耳にした途端、卒業パーティーが行われていた会場が一斉にざわめく。名を呼ばれ振り返ったエレインの周りは自然と人垣がわかたれ、それはモーゼの海割りのようだった。


 壇上の中心には王子とそれに寄り添う一人の令嬢がおり、二人を取り囲む数人の令息が冷たくこちらを見下げている。


 対面するのは名を呼ばれた私。王国随一の権力を有するエンフィールド公爵家が長女、エレイン・エンフィールドは、彼らを一瞥し、手にしていた愛用の扇を広げ口元に掲げる。そして努めて落ち着いた口調で問い返した。


「まあ殿下、理由を伺っても?」

「白々しい態度を。理由を一番知るのはお前だろう。証拠はここに出揃っている!」


 そういってディミトリが掲げたのは数枚の書類。出揃っていると言われても、ここからでは綴られている内容など読めるはずもない。

 はあそうでございますかと言わんばかりに首をかしげてみせれば、それを見たディミトリは眉間のシワをさらに深くさせた。王族がそのように感情をむき出しにすることはよしとされていないというのに。


「これを見てもまだそんな態度を取るのか?」

「と言われましても、ここからだとなんと書いてあるのかなど読み取れません」

「お前……その不遜な態度はなんだ!」


 ではこうして筋の通った前置きもなく声を荒げているあなたはなんなのか。

 現に、周りの生徒たちは掲げられた書類を見ても困惑の表情を浮かべるばかりだ。私と同じでこの状況の流れが掴めず困っているのだろう。


「これはお前がヘルガ・キーズ伯爵令嬢を虐げたその記録だ!」


 ヘルガ、とは去年入学してきたばかりの女生徒の名だ。

 今もディミトリの隣に立ち、大きな瞳をうるませてこちらを怯えた様子で伺っている。


 ヘルガ・キーズ。

 伯爵令嬢とはいっても、彼女の出自はキーズ伯爵家の分家である子爵家の娘であり、数年前に両親を失ったことで養子に引き取られた経緯がある。

 当時の子爵領地は地方に位置し、学園がある首都のにぎやかさからも、隣国の脅威からも縁遠い、とてものどかな土地だったと聞く。


 そんな身の上からか、彼女は入学してきた後も上位貴族の礼儀作法を知らなかった。

 領地で過ごしていた田舎娘の感覚のまま、マナーが洗練された学園内で学友を作ろうとし、失敗している。

 それもそのはずだ。女生徒からはマナーの悪さに辟易され、男子生徒からは距離の近さに嫌厭されている。婚約者を有する令息が多い中、己の評判を落としかねないヘルガの振る舞いを良しとするのは一部を除いていなかった。


 ……まあ。その『一部』に、ディミトリを始めとした上位貴族の令息たちがあてはまっているのが失笑なのだが。

 壇上にいる彼らの顔ぶれを見渡したエレインはそう思い至り、その笑いをつい零してしまった。


「ふふ。わたくしがキーズ嬢を虐げた記録、ですか。心外ですわ。一体わたくしが何をしたというのでしょう?」

「……ッ宵の28日、ヘルガが移動教室に行っている間に私物を傷つけた。それだけではない! 翡翠の17日、渡り廊下を通る彼女に物を投げつけた。同じく23日には徒党を組み、逃げられぬ彼女を校舎裏で囲み暴行をした! 他にも……」


 書類に綴られた出来事を読み上げていくにつれ、周囲の生徒たちのエレインへの目が変わっていく。全員ではないものの困惑から幻滅、嫌悪といった感情が見える。

 モーゼの海割りは徐々に大きくなる。そんな会場の空気を察したディミトリは自分が優勢と見たのか、読み上げていく声色は段々と強気を帯びていった。


 当のヘルガ嬢はといえば、ディミトリに寄り添うように立っている。その距離感は誰が見ても恋仲のものだが、エレインを睨みつけているディミトリや背後の令息たちは何も思うところがないようだ。


「……以上だ! これだけの証拠が揃っている。ここまで来てまだ何か言うことはないのか?」

「エレイン様! 罪をお認めになってください! ッわたし……私は、一言謝っていただければ、それで……!」

「ヘルガ……これ以上つらい思いはしなくてもいい。俺の後ろに隠れていろ」


 ううっと泣き崩れかけたヘルガを、ディミトリは優しく支える。婚約者でもない、婚前の男女があんなに親密に触れ合うなど貴族であれば子供でもしない。

 同じことを思ったのか、どこからか小さく「まあ……」と聞こえてきた苦い声色に、エレインは内心で同意しておいた。


「とは言いましても……。ディミトリ殿下、わたくしは本当に何もしていませんの。やってもいないことを認め謝罪するなど、エンフィールド公爵家の者としてそのような振る舞いをするわけにはまいりません。今殿下が読み上げた罪状は単なる記録(リスト)です。何か証拠はございますの?」

「無論だ! 物的証拠に加えて数多くの証言も出ている。中にはスミス教授の証言もあるのだぞ」


 いやそれキーズ子爵家の縁戚ですけど。

 エレインが即座に事情を察するも、証言者として学園の教授の名前が出た途端、会場の一部が再びざわめいた。しかし残りはエレインと同じことを察したのか反応がない。

 貴族社会では人脈の把握と獲得は生命線だ。まさか彼は細かい貴族構成図までは把握していないのだろうか?


 はあ、と扇の内側で息をつく。それを聞きつけたディミトリは、思い通りに罪を認めないエレインの振る舞いに苛立ちを隠せなくなってきているようだ。

 いい傾向だわ。エレインはそう思った。


 壇上からディミトリに名を呼ばれた瞬間――いや、それよりももっと前から、エレインはこの状況に陥ることを知っていた。

 知っていてあえて断罪の声を受け、こうして詰問されることを選んだ。


 それは何故か?

 ……待っているからだ。


 エレインが長年待ち望んだものは、この断罪劇の果てに得られるもの。いや、得られるかはわからないが、この見世物劇は目的に近づくことができる手段だった。

 着実に距離を縮められている現実に喜びながら、もう少しの間、時間を稼ぐためさてどう切り返そうかと考えを巡らせた。

 その時だった。



「——エンフィールド嬢は罪を犯してはいないよ」

「あ、あなたは……フォルクス・ファーディナンド殿下!?」



(…………ッ来、た)


 人垣の中から、一人の男子生徒が歩み出る。

 エレインの周囲の人が遠ざかり、開けていたせいでその足音はとてもよく響いた。カツン、カツンと床の大理石を打つ音すらこの心を震わせる。


 歓喜によって顔に、全身に血が巡るのがわかった。


(来た、来た……来た! ああ、どうしましょう、来てしまった……!!)


 覚悟していたはずなのに、顔が熱くなり、扇子を持つ手に力がこもる。無論、作法が叩き込まれたこの体は周りにそれを悟らせることはしない。

 今一度叩き込まれた所作を思い出し、エレインはゆったりと声のした方へ振り返った。


 細いながらも鍛えられた体躯。歩み寄る姿勢の良さは、手足の先まで行き届いた所作を感じさせる。それだけではなく、先の学内試験でも一番の成績を修めていた学力と知性はこの学園の生徒ならば知らぬ者はいないだろう。


 ――フォルクス・ファーディナンド。この王国や周辺諸国を支配下に置く、帝国の第二皇子。

 目が覚めるような美貌を携える彼こそが、エレインが唯一待ち焦がれていた存在だった。


「何故あなたがエレインを……!? いや、エレインに罪がないとはどういう意味ですか!?」

「ふむ、そうか。ディミトリ殿下、あなたはまだ聞かされていないんだね」

「何を……」


 フォルクスの突然の登場に、ディミトリは動揺を隠せていない。自分には聞かされていないというフォルクスの言葉の意味を探るも、その動揺からかうまく思考が回せないようだった。


 この国を治める帝国の皇子……つまり自国の王族や貴族、そして学園に所属する者にとって、フォルクスは何においても重きを置かれるべき存在だ。本来ならば彼がこの場に躍り出た時点で、エレインやヘルガに起きた出来事の真偽を確認している場合ではなくなるのだ。

 まあそれを言ってしまえば、彼を招くことが決まっているパーティーにおいて、国内の恥を見せつけるような断罪劇を起こすことも政治としてはありえないのだが。


 混乱するディミトリは、当初携えていた王族としての風格を脱ぎ去り、目の前の事態にうろたえるだけだ。それを少しの間で見定めたフォルクスは笑みを浮かべ、先程の言葉の意味を紡ぐ。


「いやなに、私には『真実を見抜く能力』があるんだ」

「真実、を……?」

「ああ。君が手にした物的証拠は捏造されたものだし、証言もその多くが勘違いを誇張されたものか、虚偽だ。私にはそれがわかる。だからエンフィールド嬢が何の罪も犯していないことは、私が……」


「――そんなの嘘よ!」


 ザワッ!!

 今までとは比べものにならないほど、会場が沸き立った。一部の令嬢からは悲鳴が上がっている。

 無理もない、生徒たち全員が自分らの立場を理解していた。にもかかわらず、フォルクスの言葉を無遠慮にも遮る者が現れたのだ。


 フォルクスは声が発せられた方、ディミトリの傍らに立つヘルガ嬢へとゆっくりと向き直る。


「ふうん? 私の発言が嘘だと?」

「だ、だって! そんな『設定』知らないわ!! 帝国の皇子であるあなたに、そんな力があるなんて……」


 握った拳をぶるぶる震わせるヘルガは、会場の空気も知らず思ったままを叫ぶ。これには隣にいたディミトリも顔を青くし、それは後ろにいた令息たちも同じだった。


 ヘルガの口から出た『設定』という単語。それをエレインは聞き逃さなかった。

 流石にこんな流れになっては黙っているわけにはいかず、気を落ち着かせるためにも息を整える。本来ならばディミトリの役割なのだろうが仕方がない。


 ……最推しに礼を失した振る舞いをされて、黙っていられるわけがないのだから。


「ヘルガ様。我が国が忠誠を誓う帝国が第二皇子、フォルクス・ファーディナンド殿下は、あなたごときが無礼を犯し、侮辱して許される方ではありません。己の立場も弁えず、思ったままを口にするその愚かさと拙さ、そして幼さ……」


 ――恥を知りなさい。

 扇を活かし、高圧的に言い放つ。場を諌めるための発言だが、この視線に込めた感情はエレイン自身の怒りだ。


「なっ、何よ!? この状況……どうせあなたも転生者でしょう!? フォル皇子と一緒に証拠が捏造だとか言って、きっと前世にたくさんあった悪役令嬢ものの知識で私をハメたんだわ!」

「許可もなく愛称呼びなど、また無礼を重ねましたわね。それにあなたが仰るような事実はありません。単にわたくしは、DLCを全て存じていましたので」

「DLC……ってあの人気のなかったやつ!?」


(人気がなかっただなんて、失敬な)


 不人気といってもそれなりの売上であったはずだし、自分の周りのファンたちは当たり前のようにプレイしていた。にもかかわらず本編のみの知識でここまで来たのは、彼女の前世と今世、両方の落ち度だ。


 フォルクスへの無礼を諌めたエレインになおも食い下がるヘルガに、もはや会場の誰もが言葉を失っている。周りからは「ディーエルシー?」という声が上がっていたが、あとで聞かれたら外国の書物の名前だと誤魔化しておけばいい。

 自らもこの単語を出したことで、自分も転生者だと認めたようなものだが、エレインは平然としていた。



 ……そう。ヘルガは、ヘルガ自身とエレインを転生者だと言った。

 それは紛れもない事実だ。



 エレインの前世にあった女性向けゲーム「君の祈りは世界を救う」は、ディミトリをはじめとした複数の攻略キャラと恋愛シミュレーションを楽しむものだった。

 王国の第一王子ディミトリ、宰相の息子、騎士団長の息子、才ある魔術師の卵、大商家の息子、そして隣国の皇子ポジションのフォルクスだ。


 そしてこのゲームにおいて特筆すべきは、一部キャラの人気の高さからDLCが続々と追加されたこと。数年かけて第6弾まで配信されたDLCの人気は徐々に落ち、最後に追加された配信コンテンツは少々伸び悩んだらしいが、前世のエレインは当然全てをプレイしている。


 その最後のDLCで明かされた内容。それこそがフォルクスの、『真実を見抜く能力』の存在だった。


(追加キャラも続々と加わる中、フォル様はその人気の高さから攻略ルートも能力も追加されまくりだったもの。DLCがこの世界にどこまで反映されているかわからなかったけど、私にとってのフォル様はDLC<第6弾>までのフォル様……!)


 その認識でいたからこそ、彼がいる卒業パーティーを迎える際にどのような準備が必要だったのか、エレインには悩むまでもなくわかっていた。


(断罪劇があろうとなかろうと。——嘘も陰険さも持たず、ただ誠実に、そして努力に貪欲に。フォル様の性格を思えば、それが一番彼の目に好ましく映る姿だもの)


 ここまで来れば言うまでもない。

 エレインはフォルクス最推しのオタクだった。


 前世から受け継がれるその愛により、当時はゲームプレイはもちろんのこと日々公式からの情報を追いかけ、空いた時間は全てファンアートに打ち込んでいた。なんなら自己投影型の夢小説やなり代わり小説も書いたことがある。それらはこの世界で生きるには我ながら非常に参考になっていた。


 この世界に生まれ落ちて最初に思ったのは「フォル様に会える」という気持ちただ一つ。お父さんお母さんごめんなさい。あなたがたの娘の魂は今も引き継がれこの世界で強く生きています。とても元気です。


 今こうしている間にもフォルクスがエレインを庇い立てしてくれている。ああ、これ以上ないことだ。

 エレインと立ち代わるように前に出たフォルクスの横顔を見て、そうエレインは心を躍らせた。


「キーズ嬢。あなたの言葉、そして振る舞いは『真実』以外の何者でもないね。何も知らず、愚かな言動を隠しもしない素直さは尊ばれるべきだ。そうでしょう? ディミトリ殿下」

「……それ、はっ」

「あなたは私が告げた『真実』をどう判断する? そこのご令嬢と同じく、嘘だと断じるのだろうか」

「いえ、その……! ッ帝国の稀なる御力により、真実を明らかにしていただけたこと、深く感謝申し上げます」

「ちょっと、ディミー様!?」


 深く頭を下げたディミトリを窘めるように、ヘルガが名を呼ぶ。

 もはや彼女に礼節を期待する目はない。その代わり、帝国の第二皇子に無礼を働き、この国の第一王子に頭を下げさせたことで底冷えするような視線と空気が彼女に向けられた。


「その礼、受け取りましょう。……時に、あなたはエンフィールド嬢へ婚約破棄を申し出ましたね。ということは、今この場で僕が彼女に求婚してもなんら問題はないということでよろしいだろうか?」

「は?」



「………………えっ?」



 三度の驚愕で素が出たディミトリと同じく、話を聞いていたエレインは、はしたなく呆けた声を出してしまった。


 一瞬にして真っ白になった頭に、求婚という単語が幾度も反響する。それも最推しの声で。


(…………いや、いやいや。そりゃあこの世界に生まれてからずっと、フォル様と出会い親しくなることが生きる目的にはなってはいたけれど。悪事を行わずにいることでこの断罪劇において彼を味方につけ、もっと親しくなる口実を得ようとしていたけれども……!!)


「あ、の……。殿下……!?」

「その呼び方だと特別感がないな。どうかフォルクスと」

「ヒッ。そ、そんな、そんな……。でん……フォ、フォルクス様のお名前を呼べるなど、身に余る光栄です……っ」


 比喩でも建前でもなく、言葉のままだった。

 思わず閉じた扇を握りしめ、涙目になった顔を隠すように俯いてしまう。それを見たフォルクスが蕾の開花のようにふわりとほほ笑むが、それを見ていたのは周りの令息令嬢だけだった。


「私も、先ほどまであんなに凛としていたあなたのこんな可愛らしい姿を見られるとは光栄だ。よければ、エレイン嬢と呼んでも?」

「ぁえ……!? っいえ、あの。勿論、でございます。フォルクス様の……お心のままに……」


 せめてもの形をとったカーテシーも、普段の優雅さの欠片もなかった。


 十数年叩き込まれた高位貴族令嬢としての立ち振る舞いはどこへやら。

 長年待ち望んでいた以上の結果が目の前に現れた途端、公爵家が施してくれた教育の成果をすっかり遠くへ押しやり、推しを前にした限界オタクムーブがこぼれ落ちてしまう。


 しかし周囲からは「まあ、ご覧になって」「エレイン様にあんな一面があったなんて」「なんと可憐だ」「あの染まった頬、まるで春先のランブラーローズのよう」という好意的な声が上がっていた。

 それはこの場で最も権力のあるフォルクスがエレインに寵愛の意思を見せたこともあるが、何より普段のエレインからは想像もつかない、庇護欲をかき立てる仕草を見せたからに他ならない。


(——ッッッしょうがないじゃない!! フォル様は能力がある人間を好むのよ! 未来の第一王子妃の立場を最大限利用して手当たり次第に語学に歴史に経済学や帝王学、外交術に加えて馬術剣術魔術弓術、商農に事業、果ては料理や裁縫まで能力を磨いてきたけど、それが忙しくって愛想振りまくヒマがなかったんだもの! 友人だって各分野で切磋琢磨する学友か、貴族令嬢としてお互いに情報共有していた親友たちしかいないわ!)


 つまり誰かとプライベートな趣味を語り合うことは少なく、幼い頃には婚約者が決められていたこともあり恋愛方面の耐性など身につくはずもない。


 エレインは公爵令嬢として生を受けてから、好きな人の理想に近付くためひたすら己を磨く生活を送っていたのだ。高位貴族筆頭家の娘であり、第一王子の婚約者であった彼女のそんなストイックな姿勢は、自然と近寄りがたい印象を周囲に植え付けていた。


 それが今や、想い人に心を捧げる、恋する乙女である。


(もう、表情管理も発声もまるでダメだわ。こんなのマルタに叱られてしまう……!)


 公爵家に仕える礼儀作法の師を思い返す。流石に目上の人間であるフォルクスを前に、扇で顔を隠すなんて無作法はできない。かといって顔をあげることも叶わないほどには、エレインは顔の熱を自覚していた。何なら涙目は今にも涙がこぼれそうだ。


 最推しがいきなりこっち向いて話しかけ、果てには求婚してきたのだ。異世界にまで愛が超えた夢女子にこれはとんでもないオーバーキルというものである。


 確かに仲良くなる口実は欲しかったが、ここまで階段を駆け上がる心構えはできていなかったのに。


「エレイン……?」


 何故か打ちひしがれたようなディミトリの声も、今は意識に入ってこない。

 ディミトリは前世の友人の推しだ。その意識がどうしても抜けないエレインの心には、初めからフォルクス以外が入り込む余地はない。


 それでもディミトリの存在をかき消すためか、フォルクスが口を開き、左胸に手を添えた最敬礼をエレインにしてみせた。


「——エレイン嬢。このパーティーが終わったら、君の時間を少し私にくれないだろうか」


 貴族社会でこの礼は、「愛するあなたに心を捧げる」という意味合いを持つものだ。残念ながら、エレインにその後の記憶はなかった。




 ***




 結局、エレインに虐げられたと声をあげたヘルガは、数々の自作自演を行なったことを白状した。


 彼女と一緒に壇上に上がっていた令息たちは実家や後見人たちに引っ立てられ、あれから姿を見ていない。

 自分たちよりもずっと上の地位にいるフォルクスに楯突くような真似をしたのだ。少なくとも、今後の社交界で彼女と彼らが話題に上がることはないだろう。




 学園を卒業してからというもの、カリキュラムをこなす日々から脱したエレインは、また別の忙しさに追われていた。


 それは家から早く婚約の話を進めるようにとの圧力でもあったし、先走った貴族や国民たちの国をあげたお祝いムードにもあった。

 日頃からエレインの身支度を担当していた侍女たちはどこからともなくフォルクスの好みを調べあげるも、エレインがとうに把握しその品々を愛用していた事実にめくるめくロマンスを感じ取り、屋敷のそこかしこで黄色い声があがった話もある。



 そんな自らも外堀を埋めに埋めていった結果、こうして青空の下フォルクスとお茶会をするまでになったのだが……。



「——フォルクス様! これは一体どういうことですの!?」

「どうしたんだいエル。君の質問にはなんだって答えてみせるよ」


 エレイン自身はまだ許していないはずの愛称呼びに一瞬気が遠のくが、耐えたエレインは一枚のチラシをフォルクスに差し出す。

 市井で出回っていることが窺えるその紙面には、大きく綴られた一文があった。


『ついに公演開始! 運命の糸を手繰り寄せ、ようやく叶う二人の〝真実の愛〟——』


「聞きましてよ! この劇、あなた様が企画し役者の配役まで主導なさったこと! ここに『——悪役令嬢と言われた一人の少女が、想い人とは別の婚約者をあてがわれたことで心を殺し国の礎になろうとするも、最終的に愛する人と結ばれるストーリー』との宣伝文句があります!」

「何か問題があった?」

「ありますわ! この主人公であるマルレイン嬢……前世から想い人を愛していただの、想い人の好みのためにずっと努力していただの、不当に断罪された時も自分より想い人のことばかりだっただの……。なんですのこれは!?」

「いやだって、それが真実だろう? 君が俺に教えてくれたんじゃないか」


 教えたと言っても、優しく手を取り、エレインが逃げられない状況で『真実を見抜く能力』を最大限利用していた。容赦のないただの尋問に何をいうのか。


 「私」から「俺」に変わった気安い一人称に心をときめかせつつも、エレインは白々とそう言ってのけるフォルクスに憎々しい思いが芽生える。

 しかしすぐに「今日も好き! 顔がいい! その茶目っけが愛おしい!」という気持ちが勝ってしまい、詰問のために強くした眼光がふやけてしまう。

 そんなエレインを見ても、フォルクスはほほ笑みながら公爵家のメイドが淹れた紅茶の味わいを楽しむだけなのがまた心ときめくも悔しい。


 ……長年ディミトリの婚約者として節度ある振る舞いを心がけてきたせいか、最近のエレインの身体や表情は本人の言うことを全く聞かなくなっている。恐らくは反動だ。

 礼儀作法の師であるマルタに助けを乞うも、「お嬢様の幸せがこのマルタめの幸せでございます」と言って取り合ってくれなかった。幼い頃の授業中、必死に努力を続ける目的として「実はあこがれの推しがいるの」とこっそり教えたのがいけなかったのかもしれない。


「——ああそういえば、君の父上から婚姻承諾書が届いたよ」

「はい!? え、お父様から……? 婚約でもなく、婚姻承諾書、ですか……?」

「ああ、すでに両国に受理されている」

「そんな! だって、その書類にはわたくしのサインが必要なはずです!」

「特例でね。エレイン本人の意向を鑑みて、本人のサインなしでも両国から許諾が降りることになったんだ。これで晴れて俺たちは夫婦になれる。よかったね、エル」

「な、な、な……」


 追いつかない。エレインの心境はこれに尽きた。

 予定では、もっとゆっくり、じわじわと接点を利用し親しくなっていくつもりだった。それでも前世では画面越し、今世では身分的にも雲の上の存在だったため、無理に好意を押し通そうとは思っていなかったのに。


 だというのに!

 目の前にいるフォルクスはエレインに愛を囁き、誠意を示し、なおかつ己が求めるままに事態を進めようと多方面から画策している。しごできフォル様解釈一致。ガチ恋ファンだったエレインからしたらまさに夢のようである。


 追いつかない。心も何もかも。


「——な、何もよくありませんったら!!!」


 だから、こうして心に抱く真実とは違う言葉が口をついて出てしまうのだ。




 それから度々のことだ。

 「嘘をつかないエレインは、照れ隠しの時だけに真実とは真逆のことを言うんだ」という惚気をフォルクスがふれ回ったことにより、『真実も愛には敗北する』という言い回しが両国で囁かれるようになった。

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