朝顔の咲き続ける限り

葉月りり

夫の待つあの世まで

 私は、植物を育てるのが好きです。以前、戸建てに住んでいたときは、まあまあの広さの庭がありましたので季節の花はもちろん、野菜も作ったりしていました。


 時がたって子供達が独立して、夫にも先立たれてしまったので、古い戸建てを売ってマンションの二階に住むようになったのですが、今でもプランターや植木鉢で細々と楽しんでいます。


 パセリやバジル、大葉などお料理に使えるものやフリージアやアスターなど切り花としてお仏壇にお供えできるものを育てています。フリージアは良い匂いがして、夫が好きだった花です。


 夫はフリージアの他に朝顔も好きでした。支柱を立ててネットを張って、液肥をあげたりして花が咲くのを楽しみに世話をしていました。


 朝顔はお仏壇に備えることはできませんが、私は毎年プランターにタネを蒔きます。夫がしていたように支柱を立て、水をあげ追肥もしてたくさん咲くように陽にあてます。花が咲けば毎日数を数え、今日はいくつ咲いたよと仏壇に報告します。


 秋、花が終わると朝顔はタネを結びます。黒く硬くなるのを待って私は来年のためにタネを集めます。

 その日もたくさん出来たタネをカラを取りながら集めていました。そして結構な量が集まったので、もう終わりにしようとした時です。躓いてしまいました。


 幸いなことにちょっとよろけただけで転ぶまでにはなりませんでした。しかし、せっかく集めたタネがベランダの手すりを越えて外へ散らばってしまいました。タネを入れていた器は手に持ったままなのに、タネはほとんど残っていません。


 私は、一階のお宅の専用庭に勝手に朝顔のタネを蒔いてしまったことになります。洗濯物などを落としてしまったのなら、お詫びして拾ってもらうこともできますが、落としたのはタネです。


 私の部屋の真下の部屋には四十前くらいの男の人が一人で暮らしています。お仕事が忙しいらしく、お庭はいつも雑草だらけです。その中に落ちたタネなんて、何の影響もないでしょう。そうです。そう思うことにしました。朝顔のタネはまだいっぱいあります。黒くなるのを待ってまた集めれば良いことです。自分をそう納得させた私はその後、朝顔のタネをぶちまけたことをすっかり忘れてしまいました。


 翌年の夏です。朝、ベランダで洗濯物を干していた時、一階から女性の声がしました。あら、あの男の人、結婚したのかしらそれともお泊まりデート? なんて思っていたらハッキリと話し声が聞こえてきました。


「わー、キレイ! ねぇ見て! 花がいっぱい咲いてる!」


「ほんとだ。あれ? これ朝顔だよな。オレ植えた覚えないぞ」


 ドキッとしました。それ、植えたの私だわと思い出しました。気づかれないようにそぉーっと下を覗いてみると、支柱もないのに朝顔は小さな庭中にツルを伸ばして花を咲かせています。その花の色は、このベランダに咲いている朝顔たちと同じです。


「なんか、花が咲いてる庭っていいねー」


「そうか? そうだな。ちょっと手入れするかな」


 私は最初ドキドキしていたのですが、下からの話し声に何だか嬉しくなってきました。上から階下へ物を落とすなんていけないことなのに、いいことをしたような気分になってしまったのです。


 そんな時にテレビで、どこかの駅の花壇に勝手に野菜を作ってしまった人がいて咎められているというニュースを見ました。私はハッとしました。朝顔のタネを他人の家の庭に蒔いてしまったことは、咎められるべきことだったようです。


 かと言って下のお家に謝りに行く勇気はありません。賠償責任なんてあったりしたらどうしましょう。


 これはただひたすら口をつぐんで時効を待つしかありません。時効? 朝顔はこのままにしておいたら秋にタネを落とし、また夏になったら花をつけることでしょう。階下のお庭に朝顔が咲き続ける限りこの罪は消えないのです。

 私はこの秘密を夫の待つあの世まで持って行かなければなりません。


おわり

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