その後

もう褒めるべきか指導すべきかわかりませんでしたが、課長の指示は絶対なのでやはりミスを厳しく指摘しました。次の日から後輩は出社しなくなりました。適応障害と診断されたみたいです。「最近は職場に入る前に足が震えていた」と職場を闊歩して課長の机上に診断書を置いたみたいです。


後輩が僕や会社を訴えないように課長が上手いこと話したようです。内容は教えてくれなかった代わりに厳しく叱られました。「もっとできたところは褒めて、できなかったところは一緒に原因と改善策を見つけるべきだったんだ」僕は課長の指示に従っただけという言葉を飲み込んで平謝りしました。


その後も二人後輩をつけてもらいましたが、また精神的に病んでしまったり、家業を手伝わないといけないという理由で退職していきました。家業の後輩は配属当初に家族の話になったときに「父母はほそぼそと田舎でサラリーマンしてます」と言っていましたが、課長は何も言いませんでした。


家業の後輩が退職して以降、僕に後輩がつくことはなくなりました。課長が僕に対する風当たりが強くなったのもこの頃からです。業務の相談したときに「社歴を重ねてるわりにそんな初歩的なこともわからないのか」と怒鳴られてから、僕は耳鳴りや頭痛がするようになりました。流行り風邪と思っていました。


先月の末、まぶしい光が窓から差し込んでくる爽やかさに対して、金縛りにあったかのように体が動かなくなっていました。聴力検査で聞こえるような高音の耳鳴りやこめかみあたりに激しい頭痛も起こっています。仕事に行かなきゃと思うほど耳鳴りと頭痛は強くなって床に嘔吐して涙が止まりませんでした。


何とか社用携帯を手に取って課長に休みをお願いしました。「本当に動けないの?」「半休にして午後から来れないの」「ウツ彦の抱えてる仕事はどうすんの?」「ハメ外して遊んでたんだろ」「繁忙期に休むなんて他の社員から見て印象悪いよ」「俺は39度の熱でゲロ吐きながら出社して仕事してたけど」


上司の言うことは絶対。金縛りにあった体を這うように引きずり、スーツに着替えて外に出ました。三月にしては温かい気候とテレビで言っていましたが、悪寒により全身の肌が粟立ち、汗が止まりません。熱いか寒いかもわかりません。その日の記憶はそれ以降無くて、気づけば家のベッドで寝ていました。


翌日も体調は回復せず内科に行きましたが、気づけばスマホで「心療内科 予約」と検索していました。当日予約はできず一週間後になりました。体調はずっと治りませんでしたが、今まで取ったことない有給を消化して凌ぎました。課長からは「GW先取りするなよ」と欠勤連絡のたびに言われました。


典型的な鬱だったみたいで診断書をもらいました。あの後輩のように診断書を持っていけず、写真を撮り、休職希望も記載したメールで送りました。「了解。ゆっくり休んでください」とだけ返信が来て、僕は「お手数をおかけし、申し訳ございません」と返しましたが、それ以来返信は来ていません。

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