第2話 2034/0204/06:32

 「ゆいちゃん、もうダメだ。私を食べなさい。君は若いし、私はもう長くはない。人間という生物が、これからも歴史を繋げるためには、君が生き残るという選択肢が最適だ。」

 「でも私、一人で生きていける自信がない。いつも川口さんに助けられてきたし、川口さんが居なくなっちゃったら、どうやって私は…」

 常に喉が渇いている私でも、こんなに涙が溢れるんだ。地面がどんどん湿っていくのを見てそう思った。もしかすると心は冷静なのかもしれない。幹は揺れずに葉だけを揺らす木々のように、体だけが乱れている。

 「ゆいちゃん、泣かないで。貴重な体内水分量を減らしちゃいけないよ。」

 そう言って川口さんは、私の頭に手を置いた。ガリガリに細くなった手が、命の短さを象徴している。こんな時でも生物学者の川口さんは怖いくらいに冷静だ。死んでいった人たちが着ていた服の上で、フワッと体を沈ませながら川口さんは静かに目を閉じていた。

 ここにはもともと、27人の人が居た。周りは海で、自給自足をしなければいけないという状況下、生き残った27人が下した結論は"殺し"だった。

 「私はね、あの日からこうなることを予想していたよ。初めて人を殺めた時も、こうなるだろうと分かってやったんだ。人の歴史を繋げるためにやったことだ。もうこの世界に、法律も何も無いだろう?そういう単位の話ではないのだよ。いいかい。今日であの日から2362日だ。単純計算で6年ほど経っている。」

 川口さんの口から出てきた6年という数字に、ハッとさせられた。それが本当だとしたら私は、今23歳だ。すっかり変わった世界で、新たな生活を、秩序を、食事を、当たり前を、死を受け入れてきたつもりだった。それでも、改めて流れ去った時間を数字で伝えられると、心がどっと重くなった。

 「夏でこの寒さだ。恐らく今年の冬は海が凍るだろう。地球の寒冷期が始まった可能性が高い。海が凍れば、ここから外に行ける。6年も経っているのに誰も助けに来なかった真相と、、、。」

 「男性を探せ。ですね…?」

 「そう。全てはゆいちゃんに託すよ。人類の歴史を繋げるのは貴方よ。貴方は人類の希望。忘れないでね。」

 伝えたいことを一通り伝えたのだろう。川口さんは、おやすみと呟き、寝てしまった。深い話は今までしたことが無かったけど、川口さんは口癖のように男性を探さなければいけないと呟いていた。恐らくさっきのは、人を絶やすなということだろう。生物学者の川口さんらしい考えに、心が少しだけ暖かかくなった。

 ここ最近は、寒さが続いていた。私達は、満潮でも波の届かない一つ下の階で寝泊まりをしていた。屋上の木々と野菜は、最近の寒さで全て枯れてしまった。残ったのは、川口さんが毎度用意してくれていた謎の干し肉と、釣りをして得られる魚のみ。死んだ人の髪を針金に巻きつけて釣っている。ただ魚も最近の寒さで全く釣れなくなっていた。私たちは食糧の危機に陥っていた。普段はあまり食べない私も最近はずっとお腹が鳴りっぱなしで、そろそろ訪れそうな死についてずっと考えている。お母さんは苦しまずに死ねたのだろうか。まだ何処かで生きていたりしないだろうか。私の好きな人は、まだ私のことを好きでいてくれるのだろうか。ずっと、答えのない疑問が浮かんでくる。沈めようと思っても浮かんできてしまう氷のように。

 今にも空中で凍って落ちてきそうな白い息。今は何月なんだろうか。そういえば、カレンダーなんてのが昔はあったな。そう思いながら見上げた空は、いつに無く輝く星で溢れていた。エジソンの発明した光も、青色発光ダイオードも、こうなっちゃえば何にも意味が無い。私は何も願うことなく、寝床についた。明日も目が覚めることができたら、きっとそれだけで幸せだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

消滅都市トウキョウ ボクは、カリウム。 @KAMIZAKI_K

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る