第29話 Valentine After …エピローグ



彼女は踵を返し歩き出す。

言葉なく振り返りもせず。


ただその背中だけ見てた。


ふいに教室から女子が一人。

目の前を早足で通り過ぎた。


比較的背の高い子だった。

俺は面識がない子だけど。

その子が彼女に駆け寄る。


ケイちゃんの横顔が笑っていた。

嬉しそうにチョコを見せている。

俺から奪ったハートのチョコだ。


あんな笑顔は久しぶりに見た。

彼女が笑うと俺は嬉しくなる。


「仲いい子がいるんだ」


この教室に仲良しがいるんだ。

そう思うと少しだけ安心した。


「そうだよな」


そうでなければおかしい。

他のクラスにわざわざ来て。

ずっと入り浸る理由がない。


彼女がその子の腕に抱きつく。

そのまま自分の腕を絡ませる。


それは仲睦まじい様子で。

まるで恋人同士のようだ。


恋人同士?


嫉妬心に戸惑い。

廊下で道に迷い。

ただ呆然とした。


こういうのは女子同士でよくある。

ただの戯れと自分に言い聞かせる。


「ああ」


後にいた男子が俺に頷いた。

このクラスのやつだった

…名前は確か…


「あいつらレズだから!」 

「ああ!?」

「ちょ…なにキレてんの?」


「いや…レズってそんな!」


せめてジェンダーとか言えよ!

あまりに直球過ぎて心臓に悪い。


「誰がレズだって!?」


俺は半笑いで聞き返す。

そんなバカ話があるか。


笑うしかないじゃない!


「両方」

「両方!?」


今ご購入頂くともう一箱無料みたいな。


確かに一人じゃ成立しない。

友情も百合も一人では咲かない。

彼女に対してなんてゲスい詮索だ。


「特に秋山ってやつ」

「特に秋山が!?」

「そうレズ!」

「いつからレズか?」

「中一から!ずっと!」


会話はそれで途絶えてしまう。

そいつは俺の顔を暫く見て。

なにか悟ったように言った。


「まあそうがっかりすんな!」


そう言って肩を馴れ馴れしく叩き。

そのまま何処かへ行ってしまった。

見ると二人の姿もそこにはなくて。


俺はそこに立ちつくすしかない。


「レズだなあ〜」

「ああレズだ〜」

「レズずら〜」


なんだこの不快な反響音。

嫌なエコー今すぐやめろ!

そこの汚いコーラス隊!


「そうだよイッチ!」

「あれはガチでそう!」

「知らんかった?」


なんでこいつらが得意顔して。

ケイちゃんのことを語ってる。


「だってあの子卓球部だし!」

「俺とぶーちゃん卓球部し!」

「俺はちょっと便乗したし!」


嫌な半グレギャルの出来損ないだな!


彼女は卓球部に入ったんだ。

部活にもきちんと出ている。


「一年の時可愛い子いる〜と思って!」

「一年の時俺らも佐野のクラス!」

「そうそう!佐野先生のクラス!」

「秋山も同じクラスだったさ!」


なんか話について行けてない。

力石も佐野姓だが別の先生だ。


俺の初恋のケイちゃんの話だぞ。

なぜこいつらが…土足厳禁だぞ。

靴下にスリッパでも門前払いだ。

いやむしろ門前払いは俺の方だ。


今は黙ってこいつらの話を聞こう。


門前で習わぬ経を聞く小僧。

なんかもう全然面白くない。


「可愛いなと声をかけても」

「全然相手にされなくてさ」

「あいつ愛想ないよね!」


なんだお前も屍ぶーなのか。

そんな名前の食べ物もある。

門前払いは相変わらずだな。


ケイちゃんは昔から変わらない。

そこはだけは少し安心したよ。


「でも優しいところもある」

「ほう」


「転がった球を拾ってくれた」


いやそれは人として普通だろ。

もっとも俺ならば蹴り返すが。


「でも俺たちに素っ気無い女子!」


『全員レズと思うことにしてる!』


母親と姉妹以外全員になるけど。

あっと言う間に人類は滅亡する。


「ま…まあ仲のいい女子が全部そうだとは…な?」


な?な?そうだよな?


『いやいや!』


「それで授業中も行きますか?」

「隣の男子を追い払ってさ!」

「四六時中はりつきますか?」


「な…」


「間違いない!」

「確信を越えて!」

「秋山桂花嬢は!」


嬢は止めろ!店感まで出る!


『あれは鉄板だ!』


「な…」


「なんてことだ」と言いたいが。

そんな言葉すら上手く言えない。


「なんくるないさ〜」


小西が俺たちの前に来て。

俺の顔を見るなり言った。


「ねえイッチ!」


「なんだよう」


「今日はバレンタイン!」


いやもう昨日終わったて。

色恋とチョコは勘弁して。

今はもう胸焼けがする。


「標準時子午線では!」


標準時子午線とかいらない。


「アメリカンのべーカー島では!」

「今からバレンタインの夜明け!」


なんでお前らそんなの知ってんだよ。


「ねえイッチ」

「なんだよ!」


「気になる女の子いるでしょ?」

「うっさい!ほっといてくれ!」


「バレンタインに女子に攫われる」


「な!?」


「女子に負けるとかって…」


『うわあ』


うわあ言うな!

ひき顔やめろ!


「ねえ今どんな気分?」

「ねえどんな気持ち?」


「小西てめえ!?」


「どんなお気持ちですか?」

「一言お願いします!」

「お答え下さい!」


ゲスの取材に囲まれる。


パレタインに投げたはずの小石が、

特大ブーメランとなって戻って来た。


「まあ愛には色んなかたちが…」


「すっこんでろ!この二枚目が!」

「ちょっと!キクリンに何すんの!」

「てやんでい!べらぼうめが!」


「イッチが荒ぶれとる」

「勢い余ってディスれてない」

「むしろ二枚目と褒めてるぞ!」


「二枚目のキクリンさんよ〜」

「な…なんだよイッチ!怖い顔して…」


怖い顔にもなろうと言うもの。

モテ男と見ればくだのひとつも!

巻いて絡みたくなるのが人情だ!


「バレー部の次期キャプテンさんよ!」

「いや俺はそんながらじゃねえよ」


俺はそんな菊地に天井を指さした。


「お前ちょ〜っと飛んでみな!」

「お前さんなら軽く届くだろ?」


ふいに言われて戸惑っている。


「あ…まあ…でもなんで!?」


バレー部自慢の脚力でのジャンプ。

菊地はいかにもアスリートらしく。

天井との距離を測っているようだ。


「なんでダーリンにそんなことを!?」


小西よ…お前もお前だ!ちょ〜っとばかしチョコを咥えてもらったからって。


「もう彼女さん気取りですか?」

「な…!?」


「あたたた」

「痛いのう」

「これは痛い!」


「外野のモブは黙れ!」


「これ飛んで何かあるのか?」


菊地は不思議そうに言った。

もっともな問いかけである。


「お前くらいの二枚目ならば」

「そうよ!キクリンかっこいい!」


俺は小西を指差して言った。


「この浮かれ女だけではあるまい?」

「なんですって!?」


チョコをもらえた女子。

小西一人のはずがない。


「俺たち一個だけ!」

「でももらえた!」

「数じゃないさ!」


食べずに後生大事に持ってたのか。


「あれ…それ力石のチョコじゃね?」


それは持つ者の所業。

持たざる者への無情。


「だって放課後に力石とイッチが…」


そうかキクリン見ていたのか。

見られたとあれば仕方ねえな。


「チョコ力石」


「チョコ力石って」


「パパパパティスリー…サダハル・オー的な?」


お菓子のホームラン王か。


「そういうブランド!」


『あった!あったよな!?』


チョコ力石なんてブランド。

この世にはひとつもない!


「それはそうと」


『さて置かれた』


俺は菊地に手を翻した。


「飛んでみ?」


「キクリンなら余裕よ!」

「あなた頑張って!」


「届いたら何かもらえんのかな」

「お前まだ欲しがるのか?」

「どういう意味だ?」


菊地ジャンプする➡俺予想ではまだ他の女子にもらったチョコがポケットに。


ジャンプと同時にこぼれ落ちる。


「この女の頭に降り注ぐって寸法よ!」


「なんですって!?」


「なんてゲスい発想しやがる!」

「俺らの知ってるイッチじゃねえ…」

「いや、わりと通常運転だろ…」

「それよりチョコ力石…」

「しっ!それは今忘れろ!」


「お前の頭にチョ業無常の雨!」

「それでのぼせた頭を冷やせ!」


「キクリンに限って!」 

「そんな浮気絶対ない!」 


「ひゃひゃひゃ!」


それはどうかな?


何しろ小西は他の女子に睨みが効く。

こいつの目をかい潜って一日遅れで、

チョコを手渡す女子がいたとしても。

なんら不思議はないと思うがなあ。


「さあ飛んで見せろ!」

「キクリン!飛んで!」


「ごろつきが二人に」

「チョコヤンキーだ」

「マイルドなのか?」

「それともビター?」


「持ってねえんだろ!?」

「なら飛べおら!」


「おらついてんなあ」

「この二人相性いい」

「確か星座も血液型も」


『ああそうだよ!』

『相性MAX最高!』


『文句あるか!』


「イッチ君」


きっと睨みつけたその先に。

工藤さんが一人立っていた。


「さっきはチョコありがとう!」

「小西もね!美味しかった〜」


とても幸せそうな笑顔で言った。


「う…」

「うああ」


人間らしさと人語。

思い出しそうになる。


「今度…必ずお礼するからね!」


そんな言葉が心にしみた。


「イッチ君どうしたの?」

「え?」


「瞼に涙が!」


「この男泣いてる…」


「いやちょっとホコリが!」


こんなんで涙なんて出ない。

ホコリが目に入っただけだ。


「はい」


工藤さんはいつも持っている。

真白なハンカチを差し出した。


「いつも綺麗なハンカチ」


汚れ荒んだ心と手では。

触れることが出来ない。


「いつもお母さんが」


幼稚園や小学校に行く時。

必ず手渡してくれた。


「ほら私この髪だし」


からかわれて泣くこともあった。

お母さんが見ていたわけではない。

けれど幼い工藤さんに話していた。


「もしひどい言葉を言われたら」

「同じひどい言葉を返す前に」


「あんたは思い出してみてね」


一番きれいな色をした。

一番きれいと思うもの。


何でもいいから一つだけ。

思い出してみてほしいの。


それでもだめならがまんせず。

お母さんに必ず言いなさい。

あんたが汚してしまう前に。


「今は自分で洗ってるの」


それはとても借りられない。


「ありがとう」


お礼だけ工藤さんに言った。


いやまてよ…これをお預かりして。

ちょっとくんくん匂いを嗅いだり。

キャンディーなんかを包んで渡す。

それがジェントリーと聞いた。


手が届かない空の月星を追いかける?

それともなんかこう頑張れば何とか。

行けそうな気がする花に手を伸ばす。


「小西さん」

「なあに?」


勝手に俺にCVつけるのやめてくれ。


「イッチが大人しくなった」

「思考の袋小路に入ったか」

「あのハンカチにはラベンダーが?」

「ジャスミンなんかの鎮静効果が!」


「は?マタタビじゃね?」

「小西それだと逆効果…」


「コニタンや」

「なによう?」


俺は冷静さを取り戻した。


「キクリンは?」

「そう言えば!?」


「逃げたぞ!」


見るともう菊地の姿は遠く離れ。

二階の階段の手摺に手が触れて。

そのまま階段の柵を飛び越えた。


「早え!?」

「忍者かあいつ!?」

「さすがバレー部!?」


階段の踊り場に着地したのだろう。

一年生の女子や男子から大歓声。


「菊地先輩!超かっこいい!!!」


なんだあいつは…スーパースターか。

まあもてるやつはどう転んでもだ。


「待ってキクリン!私も部活に!?」


その前に群がる下級生を蹴散らすのね。


「小西」


走り出す小西に声をかける。

小西は渋い顔で振り向いた。


「来年は更にチョコ大増量!」


俺は親指を突き出して見せた。

モテ男の彼女は色々大変だぞ!


小西は頭を振って。俺に言った。


「どっちも手が届かねえさ!」

「お前に限ってはそうなる!」

「なんなら私がそうしてやる!」


そう言って親指を立てる。

その場合は中指なんだぜ。

なんか間違ってて可愛い。


小西は立てた親指を下に向け。

喉笛を掻切るサインをよこす。


「へし折るからな」


廊下に小西の声だけ響いた。


小西がへし折らなくても。

きっとそうなるのだろう。

予感が現実に変わりそう。


バレンタインの後日談である。



ケイちゃんにかけられた疑惑。

そんなものには惑わされない。

そうだとしても初恋の女の子。


こいつらや周囲の噂など関係ない。

こうしてバレンタインは終わった。

それでもひとつの疑問だけ残った。

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