第28話 Valentine Before &After hoursⅡ
「先生持ち物検査っすか?」
さっきちらりと見たんだけどさ。
泥棒みたいに机の中を覗いてた。
どんな生徒の前でいい顔したって。
所詮先生のやることなんて姑息だ。
そんな俺の言葉に首を振った。
見ると手には似合わない紙袋。
力石とファンシーは違和感だ。
「イッチの旦那か」
この頃皆に力石って呼ばれるからって。
ちょっと意識して寄せて来てないか。
まあ俺の唾棄すべき体育会なんて。
みんな単細胞生物だから仕方ない。
「いたずら坊主…まだ帰んねえのか?」
「ちょっと忘れ物して」
「そうか…部活はサボるなよ!」
思いっきりザホるつもりですけどね。
「先生は何してるんですか?」
力石だって陸上部の顧問のはず。
俺は素朴な疑問をぶつけてみた。
「チョコだ」
力石は手に提げた紙袋の中身を見せた。
中にはぎっしりとチョコレート。
「まあ…あれだろ?今日はバレンタインってやつだ!」
「はあ…」
「俺も学生だったからわかる!」
世の中にはチョコがもらえる男。
そうでない男がはっきり分かれる。
それは仕方ないと男は諦めるもの。
「不公平じゃねえか」
それが資本主義…いや資本主義違う。
世の常ってもんだと俺は思うのだが。
別に踊らなければいい。
ただそれだけの話だろ。
「お前みたいなやつもいるけどよ」
力石は俺にこう言った。
「いいやつらだってもらえない」
「それはまあそうですけど」
「不公平じゃねえか」
力石は力石に似てこの風貌である。
学生時代から陸上のエースだった。
工藤さんが好きになるのもわかる。
さぞやチョコレートも貰ったはず。
なのに貰えない生徒を気遣える。
そんなハートを持った男だった。
「俺がチョコを配ったこと」
力石は俺の目を見て言った。
「誰にも言うんじゃねえぞ!」
俺は力石の言葉に深く頷いた。
いくら染色体の数が多少怪しい。
あいつらでも机の中のチョコを見て。
喜んだのも束の間送り主がこの男だと。
わざわざ教えてやるほど鬼じゃない。
「よし」
そんな俺を見て力石は微笑んだ。
後で聞けば教師になって二年足らず。
先生ではなく青年らしい笑顔だった。
俺の前に拳を突出す。
なんだグータッチか。
そういうの苦手なんだけど。
俺もつられて右手を上げる。
掌の中からチョコレート。
「お前の分だよ!」
俺の制服の胸ポケットにチョコを入れた。それは何処にでも売っている。
安いハート型のチョコレートだった。
「気いつけて帰んな!」
「俺も手伝いますよ」
男子の机全部にチョコを入れた。
用が済むと力石は教室を出て行く。
「先生」
「なんだ?」
振り向いた力石に俺は言った。
「その紙袋…」
「ああこれか?可愛いよな!沢山買ったから店のお姉さんがくれたんだ!」
力石は紙袋の中を見て呟いた。
「残りはかみさんにだな」
「先生結婚してるの?」
「学生結婚だよ」
ああ工藤さんは知ってるのかな。
好きな人の言葉は聞き逃さない。
俺が力石に興味がないだけで。
工藤さんは知ってるんだろうな。
そんなの好きなことに関係ない。
誰かを好きなことが大切なんだ。
バレンタインに勝者などいない。
それはそれ以前に確定している。
彼女の横顔を思い切なくなる。
切なく思えるほど綺麗だった。
彼女の表情は敗者には見えない。
敗者なんていないんだと思えた。
ところでその紙袋のキャラクター。
「先生に似合いませんよ!」
俺は力石に皮肉っぽく言ってやる。
力石は紙袋を持ち上げて言った。
「キテイちゃんぐらい知ってるぞ」
「あんまり年寄りだと思うなよ!」
そうは思わないですけど。
先生それはケロッピです!
走り過ぎてネコとカエルの区別が?
そんな皮肉は今日は封印しておこう。
バレンタインは自滅の惨敗。
草も生えぬ結果だったけど。
そんなに悪い気分でもなかった。
バレンタインはこうして終わった。
翌朝登校して教室に入る。
クラスの男子の顔が全員蒸し饅頭。
みんな湯気が立ちそうな幸せ顔だ。
ほこほこしとる。
実に結構!結構!
俺も皆の幸せのために一役買えた。
力石もああ見えていいところもある。
まあライバルと認めてやってもいい。
それにしてもクラスの男子の様子が。
ちらちらと目配せして落ち着かない。
机の中のチョコの送り主を検索中。
色んな期待や妄想を膨らませて…。
「送り主は力石だぞい!」
くー!大声でそれを叫びてえ!
浮かれ面の野郎共が天国から奈落へ!
しかしここは我慢だ。
俺もそこまで鬼じゃない。
一度しかない学生生活だ。
幸せな夢を見たっていい。
「よお!イッチ〜」
やがて放課後になった。
同じハード型のチョコを手にした。
カルトの信者みたいなやつらが。
こいつら本当にバカなのか。
なぜ同じチョコなのだと。
疑問すら抱かないのか。
幸せとは実に奥が深い。
「ところでイッチ…チョコは?」
「は?」
「チョコはもらえた?」
「もらえたのかな?」
まだポケットに入ったままだった。
まだ食ってもねえし。
見せびらかせるかよ!
力石のチョコだぞ!
「かわいそう」
「おいおい」
「ぷぷぷ」
なるほどなるほど。
資本主義ではないが。
世の仕組みがよくわかる。
持たざる者が手にすると。
バレンタインチョコなんて。
身分不相応なもん手にしたら。
それで持ってないやつ殴りに来る。
お前たちには勉強させて貰えるよ。
心に黒い焔が揺らめく。
「そのチョコは!」
「なんだよ!?」
「難癖ですか?」
「イチャモンですか?」
『これだから非モテは』
情をかけた俺がバカだった。
こいつら…絶対に許さねえ!
残らずまとめて奈落の底へ!
お前らにだけは敗者の烙印を!
「あの…イッチ君!」
声をかけられて振り向く。
そこに数名の女子たち。
「昨日は占いありがとう!」
「いつも楽しいお話も!」
「これ私たちから!」
「義理だからね!」
「いいの?」
バスケットを手渡された。
チョコの包紙が花みたい。
「いつもありがとう」
「女子会一同って」
「書いてありますな…」
言ったはずだぞ。
俺は女子に紛れる。
男子と認知されず。
違和感なく溶け込める
女子会メンバーなのだ。
切なくなんてならない。
日頃の気配りと思いやりが大切。
今こうしてカンダタの糸となる。
お前らにはその糸さえ見えまい。
本命の彼女が自分を好きで?
そしてバレンタインに告白?
チョコをもらってリア充だ?
お前らが見てるのは不死鳥?
火の鳥を探し求めて。
冥府を彷徨うがいい!
「ふははははは」
勝者は既に確定していた。
神はサイコロは振らない。
ラプラスの悪魔は羽撃く。
「くそ…イッチが悪魔に見える!」
「怯むな!俺たちにはこの本命チョコが!」
「どれが本命だって!?」
俺は再びそれを指差した。
指を指したその先には。
埴輪のような顔が並ぶ。
つぶらな瞳に流れ星。
「わかってるよ」
「同じチョコだよ」
「皆わかってるさ」
「お前たち…」
俺は得意げに指した指先を下げ。
そして先程の女子たちに言った。
「あの…」
「なあにイッチ君?」
「せっかくだからさ」
「みんなで食べない?」
「私たちも食べていいの?」
「せっかくだから」
机の上に貰った籠を置いた。
「みんなで食おうぜ!」
『いいのか!?』
「たくさんあるからな!」
チョコレートに慣れてない。
今はもう大丈夫だろうけど。
いきなり食べ過ぎはよくない。
食わなきゃ別にそれもいい。
そんな風に思っていたけど。
恐る恐る食べて見るかな。
「本当に鼻血出るの?」
「さあ俺はないけどな」
「それって迷信だろ!」
きっとみんなで食ったら。
それは毒じゃねえって。
笑って食べて。
美味いはず。
「工藤さん!」
「コニタンも!」
「ペット君も!」
こっちに来て食おうぜ。
チョコレートならある。
ペット君が俺の声に振り向いた。
急いで机の荷物を鞄の中にしまう。
ちらりと見えた可愛らしい化粧箱。
(リボンつき)メッセージカードも。
「おい…今のは…」
「もしやあれが噂の…」
「見てない!俺には見えない!」
そうだ見なくていいぞ。
見なくていい物だって。
この世にはあるのだ。
「見猿」「聞か猿」「言わ猿」
「お待たせ!」
ペット君がやって来た。
「綺麗なチョコがたくさんだね!」
ペット君は席に着くと。
チョコに手をのばした。
「痛っ!?」
その手をぶーが叩いた。
「ごめん…つい!?」
悲しき脊髄反射だった。
「ペット君気にするな!」
「う…うん」
「見猿」「聞か猿」「言わ猿」
ぶーの口からキバが。
メガネがスチームで曇り。
ケタにツノが生えたら妖怪。
せめて今は人間でいてくれ。
工藤さんたちもやって来て。
昨日のお詫びにもなった。
「ほらよ!」
そう言って小西が箱から投下した。
「うわあ綺麗!?」
「これ手作りだよね!?」
それは見事な手作りのチョコレート。
「昨日家で作り直したのもある!」
扱いは雑だが仕上がりは美しい。
実に小西らしい言葉が添えられた。
「来年こそリベンジだ!」
そう言ってチョコを丁寧に並べる。
彼は部活に行く途中なのだろう。
通りかかった男前に一声かけた。
「おい!キクリンよ!」
「ちょっとイッチ!?」
急に乙女になる小西は無視して。
「チョコレートとか好き?」
菊池は立ち止まると俺に言った。
「嫌いなわけねえだろ」
そう言って俺に笑いかけながら。
「この時期にそんなこと言う男は」
爽やかな顔で俺に言った。
「頭がどうかしてる…アホだな!」
その場にいた全員に指を指された。
「ナイスキー!」
はいはい!ナイスキはナイスボレーのことね!ナイスキルとも言うのだけど。
「小西今キクリンに大好きーって…」
「い…言ってねえし!?」
『大胆素敵やの〜』
「このチョコ!これと…それにこれも!全部小西が作ったんだぜ!」
「へえ…小西って女子力高えんだな!」
俺が指したチョコをひとつ摘み。
「あ…それは!?」
そのまま口の中に入れた。
なんか食い方がかっけえ。
「!?」
菊池君は目を白黒させてる。
そのまま口から何か取出した。
「しまった!?この災いを呼ぶイッチの野郎の口を懲らしめるため!ひとつだけ、くすねた筮竹を忍ばせたのに…まさか菊池君の口に入るなんて!?」
なんて女だ!?油断も隙もねえ!?
それで丁寧に俺が取るように並べた!?
口の中ケガしたらどうするつもりだ!?
「イッチだけケガするようにと!」
願うなよ!仏が味方の寺の娘が!
「菊地君ごめんなさい!?」
小西が気の毒に思えた。
元は俺の舌禍が原因だ。
「キクリンそれは当たりだ!」
「そうなのか?」
俺は頷いた。
「それは筮竹」
「とても縁起のいいものなんだぜ!」
勿論それは本当である。
俺は嘘はついてないぜ。
「茶柱みたいなもんか」
「ならいいや!」
そう言ってそれも口に放り込んだ。
「美味いな」
小西に親指を立て微笑む。
小西にはもったいない。
こいつはいいやつだぞ。
「もうひとつ食べてもいいか?」
返事代わりにしては痛過ぎる。
小西に背中を何度も叩かれた。
想像した以上にやかましい。
バレンタインの後先だった。
扉を開けると教室の熱気とは違う。
肌寒さとざわめきの二月の廊下。
俺は帰宅するために歩いていた。
他の教室からも一人また一人。
時には複数の生徒が出て来る。
見慣れた放課後の光景だった。
冬用の紺の相服の女生徒。
相は冬から春先にかけて。
合は春から秋までの制服。
それとて見慣れた冬の装い
いつまでも見慣れない彼女。
教室から出て来たその彼女。
俺はその名前を呟いていた。
「ケイちゃん」
秋山桂花。
もう可愛いらしい子犬ではなく。
たとえ何処にいても美しい少女。
それを思い知らされるのである。
成長した彼女は何の躊躇もなく。
そして俺を見る素振りすらない。
黙ったまま目の前を通り過ぎた。
興味のない人を見てた時と同じ。
瞳の奥に星が瞬くことはない。
少しだけこちらを向いただけ。
黙って彼女の背中を見送るだけだ。
ソックスに包まれた爪先が止まる。
コンパスみたいに細い足が廻ると。
軽やかな足取りで音も立てず。
目の前まで彼女はやって来た。
もう会えないと思っていた。
彼女が俺の初恋の女の子だ。
どんなに時が経とうと。
それは塗替えられない。
心の壁密かに掛けた。
飾ることを許された。
ただひとつの肖像画。
まだ話足りないことが。
俺にはたくさんあった。
もう会えないと思っていた。
だから同じ中学で見かけた。
その時は本当に嬉しかった。
生きていてくれてよかった。
「おかしなことを言うやつ」
人には笑われるかも知れない
俺は自分の経験からそう思う。
だから入学式に生徒の中に。
君がいるのを見つけた時に。
俺は本当に嬉しかったんだ。
そんなに遠くへは行かなかった。
同じ中学の学区内に引越してた。
だからまた会えたと思ってた。
彼女は俺の住む集落に戻った。
母親と妹さんと三人で戻った。
既におばあさんは他界して。
母親は離婚して娘たちを連れ。
空家になった実家に戻った。
彼女の家庭の事情は知らない。
誰かが噂をしても興味がない。
夜逃げみたいにしていなくった。
それは離別した父親が原因だと。
大切なのは彼女が戻って来た。
俺にはそれだけで充分だった。
クラス分けは別々になったけど。
また昔みたいに話が出来るはず。
少なくとも俺はそう思っていた。
町内のバス停で居合わせても。
帰宅のバスを降りて歩いても。
会話もなく歩幅は合わない。
俺と並んで歩調を合わせたり。
会話をすることなどなかった。
そのうちに部活も始まり。
帰宅時間もクラスも違う。
疎遠のままになっていた。
彼女とは現在は同じクラスだ。
なのに彼女の席はいつも空席。
最初の頃こそ教室で見かけた。
けれど今は授業中でも不在。
出欠を取る時や集会の時以外。
彼女は教室に寄りつきもせず。
もはや誰も気にもしなかった。
学校にすら来ない松井さん。
彼女とは違い登校はしている。
別の教室で授業を受けている。
そんな不可解な話も耳にした。
そんなことが果たして可能か。
彼女は力石のクラスを好んでいない。
それとも唯一同郷の俺を避けている。
そんなこともつい考えてしまう。
今はすっかり跡形もなく消えた。
かつては口もとにあった赤い痣。
彼女にその頃はいい思い出はなく。
忘れてしまいたいのかも知れない。
それを知るのはクラスでは一人。
俺は昔あった痣のような存在に。
なってしまったのかも知れない。
そんな風に思ってしまうのだ。
「このクラスにいたのか」
彼女が出て来た教室の札を見る。
俺たちは二組そこは四組の教室。
担任が違うだけで何ら差はない。
ケアが必要な生徒のクラス。
問題児ばかり集めたクラス。
そんな特別な学級ではない。
そこから出て来た彼女だけ特殊。
そのクラスの生徒ではないのだ。
相でも合服でもない。
彼女は無言を纏って。
俺の前に立っていた。
それはほんの短い時間のこと。
それでも時を忘れた気がした。
あの楽しい時間ではなかった。
「秋山さん」
絞り込出された言葉。
ケイちゃんではない。
無理矢理の他人行儀。
見つめる彼女の瞳。
それを言わされた。
そんな気がして。
俺は悲しくなった。
「はちくらわす?」
そんなことが咄嗟に言えたら。
雪も少しは溶けたかも知れない。
君ばかりが先をすたすた歩いて。
俺をさっさと見限るのは自由だ、けど。けどさ。
「不公平じゃないか」
出来るなら俺にもそのチャンス。
一言二言話せばそれで済む話だ。
それで亡き者にしようじゃないか。
それで幻滅失望しようじゃないか。
それには二人の会話が必要なんだ。
それで俺は月の場所を漸く知る。
手が届かない愚か者と漸く知る。
そうでもしないとわからない。
見た目より言葉より賢くはない。
俺をあまり買い被らないでくれ。
そんな重ねた思いよりも。
彼女はいつも手がはやい。
それは昔から変わらない。
目の前にすっと差し出された。
白く細い指先を見て気づく。
それも好きだったんだと。
彼女は目線は顔からそれ。
指先は俺の制服の胸へと。
ポケットにはチョコレート。
それをすっと指先で摘んで。
そのまま黙って歩いて行く。
俺は呆気に取られたまま。
彼女の背中だけ見ていた。
その時は気が回らなくて。
でもそれは彼女と交わした。
言葉にならない会話だった。
二度目の言語だと後で知った。
あの時空から雨が振っていた。
雨はしばらく止みそうもない。
校舎の屋根の下で雨を避けながら。
二人だけで取り止めない話をした。
話す言葉は雨の音が消してくれた。
その時だけ空が味方をしてくれた。
この世界に二人だけ取り残された。
やがて深い霧があの子を隠すまで。
その頃には言葉を覚えてた。
話してもまだ話し足りない。
そんな話を二人でしたんだ。
「チョコはもらえそう?」
「ぼくは食べないんだ」
「なら私にちょうだい」
「約束よ」
彼女がいなくなってから。
あれからもう三年過ぎた。
パレンタインデーが終わり。
その翌日の出来事だった。
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