第27話 Valentine Before &After hours



「われ」


口元から覗く白い犬歯。

溢れるのは低く唸る声。


「みき君…あの子は何て?」


しかし俺は沈黙を守り何も答えず。

ノリ君が皆の顔を見返して言った。


「引っ越して来たばかりで」


確かにノリ君は町から来た。

この地域の訛りも殆どない。

とても洗練されている少年。


「われは…」

「われだよな!」


ゴリとラーは困惑している。

お互いに顔を見合わせている。


何処の県でもある言葉。

われは「お前」のこと。


がらの悪い人が他人を呼ぶ言葉。

しかし「ぱちくらわす」はない。


それは二人しか知らない言葉。


二人を最初に繋いでくれた。

繋がりたいと心から思った。

初めて交わした言語だった。


だから人になんて教えない。

教えたくはないのだった。


ある日祖父に煙草の使いを頼まれ。

小銭をポケットに入れ店に行った。

お釣りは貰えることになっていた。

そこでついでに買う菓子を見てた。


「ベビースターとチョコレートは☓」


祖母にはいつもそう言われていた。

ベビースターは家では悪い食べ物。


これは食べた日に具合が悪くなり。

お菓子自体にはなんの責任もない。


たまたま拍子が悪く悪者扱いになった。


「この子の病気にはよくない」


医師に注意されたのはチョコレート。


それも「食べ過ぎては」という但しがあったが。過剰に過保護な祖母が仕切る実家故。即座に禁止食物となった。


だからベビースターとチョコレート。

大きくなるまで食べる機会を逸した。

毒だと言われて食べる子供はいない。

素直に他の菓子を物色していると。


「サワさんちの子だねえ!」


サワは祖母の名前である。

声をかけられた方を見た。

同じ町内のおぱあさんだ。


俺を見て優しそうに微笑んでいる。

何処から見てもおぱあさんだけど。

ここらにいないような綺麗な顔。

そのおばあさんは知っていた。


おぱあさんの娘さんも美人らしく。その婿の「旦那さんも外国人みたいな男前よ!」うちのゴシップスコッパー。フサ姉ちゃんが話していた。


この集落の生まれではないらしい。

若い頃に旦那さんと駆け落ちして。

この土地にやって来たらしい。


とても上品な顔立ちの人だった。


町内の人にはよく声をかけられた。

その頃は別に珍しいことでもなく。

ごく普通のことで慣れたものだ。


「うちの孫と同い年だね」

「幼稚園では仲良くしてね」


背中に隠れる女の子。

その子の名を呼んだ。


「ほら!あんたも!みきちゃんだよ!」

「ちゃんとご挨拶するんだよ!」


キャバリアの子犬が顔を覗かせた。

そしてすぐに背中に隠れてしまう。


こんな可愛い子がいるのか。

驚きと同時に心を奪われた。


「まったくこの子は…誰に似よったか」


おばあさんは呆れたような顔で。

目を細めながら孫の頭を撫でた。


「家では大弁慶でねえ…口も悪い!」


彼女は口をぱくぱくさせて。

祖母になにか抗議している。


「あまり言うこと聞かないとな」


おばあさんは拳を突き出して言った。


「ぱちくらわす!」


 ぱちくらわす?


そんな言葉初めて聞いた。

ケイちゃんは頭を抑えてた。


「ぱちくらわすって何ですか?」


疑問に思ったら質問坊主。

俺はおばあさんに訊ねた。


わからんことが訳わからんみたいな。

おばあさんは不思議な顔をしている。


「ぱちくらわすって言ったら」


ケイちゃんと同じ顔をしているなあ。

若い時はすごい美人だったのだろう。


「パンチくらわすに決まっとる!」


方言ではなくおばあちゃん語だった。

ケイちゃんも拳を突き出している。


暴力祖母とその孫娘か。

殴られるんじゃないか。

俺は一瞬そう思った。


顔を隠すように拳と腕を動かす。

すすすとカーテンを引くみたいに。


次の瞬間店の中で大爆笑していた。

大して長く生きた訳じゃないけど。


これから先も見ることはないだろう。

そんな変な顔は見たことがなかった。


それは言葉に出来ない。

文章にも到底書けない。


凄まじく壮絶な変顔だった。


「またこの子は!」


俺がお腹を抱えて笑うのを見て。

孫を見たおばあさんも笑っていた。


その時は俺の持病はかなり深刻で。

幼稚園に行けるかどうかも分からず、

家族の間でも不安視されていた。


気持ちが落ち込むことも多く。

いつも暗い顔ばかりしていた。

そんなに笑うことはなかった。


「幼稚園に行きたいな」

「こんな子がいるなら」


「絶対に行きたい!」


心からそう思った。

その時からずっとだ。

彼女のことが好きだった。


射手座のケイロンが放った矢。

羊が射抜かれた瞬間だった。


その矢は永遠に抜けない。

抜こうとも思わなかった。



「な…なんだよ!?俺はただ…」


ケイちゃんの気迫に怯んだのか。

あいつはもごもご口ごもってる。


「俺はただ…」


何だかいつもと様子が違う。

けど知ったこっちゃない。


「行け!」


ノリ君が言った。


「ウキー!」

「ムキー!」


あ…ちゃんとかけ声出来てる。


俺たちがその場に走り寄る。

するとすぐに身を翻して。

いつものように遁走した。


いつも通りの嫌なやつ。

けれど捨て台詞もなく。

何度も振り返っていた。


「何なんだよ…あいつ!」

「意味わかんないっすね!」

「姫の救出に成功だ!」


いやパトロール隊何もしてないけど。


「ケイちゃんだな!?」

「ウキ!」

「間違いないな!」

「ムキ!」


同じ区域の同じ幼稚園だ。

ゴリとラーも思い出した。


「ケイちゅわわわ〜ん」


ルパン三世の「不二子ちゃ〜ん」みたいな言い方である。名前を確認したノリちゃんが駆け寄る。


それを見たケイちゃん。

何かに怯えるような瞳。

疑わしそうに見ている。


「仲間と思われたら…嫌われる!」


子供ながら瞬時に察知した。


俺は彼女の視界のフレームから。

仲間たちから距離を置いて離れた。


ケイちゃんはその場から走り去った。

以来ずっとノリちゃんはこの調子で。

小学校に上がっても猛烈なアプローチは続いた。その度に気味悪がられて逃げられた。聞けばゴリもラーもだった。


ほとんどの男子が彼女を好きだった。


けれど結果は皆同じだった。

矢が刺さった屍が積み重なる。


屍たちは大概早々に諦めた。

俺もその中の屍の一人かも。

いやそれ以下と思うことも。


小さな山間の小学校に上がり。

五年間もクラスが同じだった。 


ようやく話せたのは五年生の時。

それには少し理由らしきもある。

けれどそれはまだ後の話だった。



「好きな子のタイプってある?」


放課後にそんな話をふられて。

一瞬だけ考えてしまった。


「タイプねえ」


「俺なんとなくわかるぜ!」


ありぽんごときが!

俺の深層を見抜く?

片腹痛いわ…


「ずばり気の強い女!」


ずばりメガネ!適当なこと言うな!


「あ〜それ!わかるな〜ドM疑惑!」

「なんかさ気の強い女と絡むよな!」


絡むんじゃなくて絡まれるの!

こっちからすり寄ってる訳では!


俺は同級生たちの言葉に思案した。

そして少し考えてから言った。


「死なない人」


「は?」


「死なない人がタイプだ!」


俺は胸を張って答えた。


「そりゃ…確かに強いけど」

「そんな女おらんぞ!」

「ゾンビかよ!」


「なに」


俺は同級生のお前らに言った。


「俺より先に死ななきゃ」

「それでいいんだよ」


俺より先に死んじゃう。

それは俺が悲しむから。


どうしていいかわからない。

会えなくなっても生きていて。


好きな人にはそう思うんだ。


「イッチ人生何周目?」

「ほんとそう思うよ!」


「俺もそれ知りたいね」


そう言って皆と笑った。


放課後の時間も間もなく終わる。

教室を出て部活やり。帰る時刻。


「ひどいバレンタインデーだ」


俺は呟きながら夕刻の廊下を歩く。

何という惨劇…神様あんまりです。


まあパレンタイさんも死刑になった。

俺は神様なんて信じちゃいないが。


悪いことは全部神様のせいにしたい。

避妊具爆弾投下後の焼け野原の心よ。


そこは心優しき工藤さんのことだ。

俺たちの愚行を許してはくれた。


「工藤さん帰ろ!」


バカな男子の見本市みたいな俺たち。

そんな輩を一瞥して成宮が言った。


「先生には言わないからね」


普通には言いつけるからねだけと。

そこはさすが工藤さんなのである。


「こんなことしちゃだめだよ!」


工藤さんは笑って背中を向けた。


「すんませんした〜」

「以後気をつけます〜」


本当に反省してんのかあ。

お前らの巻沿いくらって。

チョコ食わない俺までが。


「ねえ工藤さん」


そんな工藤さんに成宮が話しかける。


「国治先生にチョコ渡せた?」


工藤さんの横顔がちらりと見えた。

寂しそうに笑うと鞄に手を触れた。


「渡せなかったよ」


少し泣きそうな笑顔だった。


「どうしたイッチ」

「なんか顔色悪いぞ!」

「まあ!くよくよすんなよ!」


カリメロがこっち向いた。

真っ黒な笑顔で笑ってる。


あの野郎…わざと工藤さんに!


ちくしょう!なんて最悪な日だ!


バレンタインなんて溶けちまえ!


走馬灯でもあるまい。

初夏の頃を思い出す。


校内マランソ大会があった。

まあうちの中学では記録会。

体育祭とはまた別にある。


「勉強で負けるのは致し方なし」

「しかしお前ら運動で負けるな!」


いやむしろ逆の方がいいんだけどね。

そんなハッパをかけられてしまうのは、担任がガチゴリの体育会だからか。


中学二年ともなれば慣れたもの。

校内での競技ならいざ知らず。

教師の目の届かない野外走で。


「真面目に走るバカなぞ!」

「おらんよな〜」

「ゴール前だけよ!」


そんなご学友にも恵まれた。

俺たちはだらだらマラソン散歩。


「イッチ走るのって結構…」

「案ずるな短距離だけだ!」

「それを聞いて安心した!」


そしてゴール前で迎える先生たち。

その姿が遠くに見えるや否やだ!


「イッチごめん!」

「ここは走っとけ!」

「お先に行くぜ!」


途端に全力で走りだすお前ら。

本当に裏切りの言葉が似合う。


「短距離なら負けるか!」


「げっ!?」

「待て!ずっ友よ!?」

「仕方なかったんやあ!」

「俺はみんなでと言った…」


カスどもを置き去りにして。

ゴールテープをぶち切った。


「やあイッチ君!早かったね?」


既に到着して待機していたのだろう。

ペット君がにこやかに近づいて来た。


「え…早いな…」


「部活で走り込みとダツジュしてるから!」


よほど怠けて走る男子が多いのか。

俺たちは説教や後ろ指を刺されたり。

そんな順位でなく何とかゴールした。


「俺は誇らしいぞ!」


生徒たちを前に先生は満面の笑みだ。

まあ学年どころか全校一位の順位だ。

そのご機嫌ぶりは至極当然だろう。


「お前も頑張ったな!」

「は…そうすか!?」


いきなり話しを振られ。

しかも褒められて困惑。


「ゴール前のダッシュ!良かったぞ!諦めない姿勢がいい!どうだ陸上部に…」


「まっぴらです!」


クラスに軽い笑いが起きた。


「それより何より」


おい!早くもそれ扱いかよ!


「陸上部でもないのにだ…」

「女子から優勝者が出たんだ!」


陸上部でもないのにって…小西か!?

あいつ運動神経いいもんな…納得だ。


俺は小西の席を見た。

睨まれた…というか。

唇を噛んでいる。


「優勝したのは工藤だ!」


名前を呼ばれたのは工藤さん。

大好きな先生の言葉を聞いて。


先生に恥をかかせまい。

先生に褒められたくて。

ただ懸命に走ったんだ。


男子と違い女子は真面目に走る。

もちろん気質もあるだろうし。

他の女子の目もだってある。

陸上部ならプライドもある。


女子の方が優勝するのは難しい。

何もマラソンに限ってではない。


「工藤」


ハンカチを握りしめて俯いている。

照れ屋の工藤さんの頬を赤くした。


「お前が男だったら抱きしめてた」


なんでことだ…わかっていたが。

こうも白地に清廉な清流の如く。

さやさやと心が流れ行くようだ。


「小西」

「なによう!」

「俺を抱きしめてくれ!」

「は!?なに言ってんだお前!?」

「誰か!この男に経口補水液を!」


「水道の水で頭冷やしとけ!」


まるで走馬灯のように思い出した。

今日という日に追い打ちをかける。


何にもしてないのにこのダメージ。

俺はあいつらと昇降口まで歩いた。


「イッチ部活は?」

「今日はさぼり!」


スピリチュアルが必要とわかった。

市立図書館まで行くつもりだった。

途中まで行きかけて教室に戻る。

忘れ物をしたことに気がついた。


教科書なんて教室に忘れて構わない。

塾の先生に出された課題のプリント。

授業中に解いていて挟んだままだ。

今夜中にやらないと殺される。


そのプリントを取りに教室に戻った。

校舎の南棟が夕日に照らされいる。


北校舎の教室に長い影を落とす。

扉を開けると教室は無人でなく。


明らかに生徒ではない人影。

夕暮れの教室の中で維一人。

背中を向けて立っている。


顔を見るまでもない。

その男が誰か知ってる。


俺たちの担任にして。

憎き恋のライバルだ。


「力石!」


俺に気づいて顔を上げる。


頭の中に再び流れるのは。

力石徹のテーマだった。

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