第26話 Valentine .before hours



探検隊の任務は終了した。

探しても何も見つからない。


「ねえノリタマ隊長!」

「ノリタカ王だけどね!」


王様だったり隊長やらで大変だ。

俺たちはその日も幼稚園にいた。

中庭を歩きながら三人で話した。


「なにかね?ゴリ君と長介君!」

「二つくらい相談があります!」


「よろしい!言ってみたまえ!」


よきに計らえとノリちゃんが言った。

それで子分のゴリと長介は話し始めた。


「俺のあだ名長介なんですけどお」


「よく知ってるよ!」


「いくら叔父さんが有名人でも…」


普段はご陽気な性格の長介だが。

その時ばかりは真剣な顔で言った。


「このあだ名がイヤなんです!」


ちなみに叔父さんが有名人なんだと、

おそらく長介は自分で吹聴したのだ。

もちろん仲間がつけた呼名じゃない。 

それでも長介は嫌で仕方ないと言う。


「副隊長!」


すぐノリちゃんが聞くから。

少しだけ考えてから言った。


「ゴリと長介でゴリとラーでは?」


「ゴリとラーか…悪くない!」


それを決めるのは本人だけど。

ノリちゃんは満足したようだ。


何か家来の仲間って感じがする。

かなりのご満悦の様子だった。


「どうかね?」


「ゴリ!」

「ラー!」


二人は問われるまでもない様子。

大変に喜んではしゃいでいる。


軽い気持ちで言っただけなのに。

本当にその愛称になってしまった。


呼び名がラーに変わった長介君。

彼が喜ぶのはすごくよくわかる。

けどゴリは前からゴリだった。

なぜそんなに喜んでいるのだ。


「よし!問題はひとつ解決!」


ノリちゃんは満足そうにヒゲを撫でた。

ヒゲを撫でるような仕草をして頷いた。


「残りのひとつは?」

「それなんですけど」


「言わなくても分かる!」


さすがノリちゃんは賢明な指導者。

もう一つの懸念事項にぴんと来た。


「あいつのことだよね?」

「そうです!あいつ!」

「さすが隊…いや王…」

「どっちでもいいから!」

「どっでもいいんだ…」


『あの!のろまバカのことです!』


のろまバカ…なんてひどい呼び方。

でもあいつが自分で吐いた言葉だ。

それがブーメランとなり主に帰る。


何という呪詛返し。

秀逸なあだ名センス。

ゴリとラーより面白い。

子供心に傷つくプライド。

もう目眩がしそうになる。


「もはやのろまバカです!」

「副隊長が首を捕まえたです!」


「みき君には勲章を授けよう!」


落ち込んでたら鑑賞が貰えるらしい。

もしかして家の鉄工所でつくるの?

それはそれでちょっと欲しいかも。


「折り紙で!」


なんて優しい世界の話だろう。


「ゴリ君!ラー君!」


「ゴリ!」

「ラー!」


自分の名前叫んでる。

もっとあるでしょ?

イーとかウーとか。


「勲章折って差し上げて!」


いや野猿にそんな無理だって。

ほら顔を見合わせて困ってる。


「よろしい!ではぼくちんが折ろう!」


「出来るの?」


「家に折り紙の本があるからね!」


ノリちゃんは昔からはこういう人。

やや情緒にかけるきらいはあった。

絵本とか物語は全然好きじゃない。


家には折り紙の本やピアノがある。

お母さんは教育熱心な人だった。

どちらもすごく上手くこなす。


みんなで作った紙飛行機を飛ばした時。

のりちゃんの飛行機だけ落ちなかった。

地面に落ちず見えなくなるまで飛んだ。


文系より理数系に適正があり。

とても合理的な考えをする人だ。

俺とは昔から真逆の性格だった。


虫を見たら害虫はすぐ殺す。

殺して分解しようとする。


構造や仕組みを知りたがる。

野良犬にも悪戯しようした。


「可愛そうだから止めて」


そう頼んで悲しそうにしてると。


「みき君が言うなら」


もう二度とそんなことはしなかった。

このように子分を従えてもいたけど。

けしてバカにしたりはしなかった。


そう、あいつとは全然違っていた。

弱い者だけ目ざとく見つけて虐め。

相手がそれで怒れば嘲って逃げる。


「あいつだよな」


その言葉に頷き合う。


俺たちへのちょっかいはなくなった。

けどそれで解決という話じゃない。


他で気弱そうな子を見つけては。

同じようなことをしてるらしい。

悪い噂は子供でもすく耳に入る。


「みき君!」


ノリちゃんがそう言うので。

また少し考えてから言った。


「パトロール隊」


俺はノリちゃんに提案した。

あいつが悪さをしないよう。

幼稚園の中をパトロールだ。


「それいいね!」

「今日からやろうぜ!」


みんなの賛成が得られたので。

今日から俺たちパトロール隊。


お昼休みやお遊びの時間。

悪者の影を求め探し歩く。


「見つからないねえ」

「悪者やーい」


そもそもここは幼稚園である。

そんな悪党いないのが普通だ。


男の子同士の他愛ないケンカ。

そんなのならどこにでもある。


いちいち口を挟まない。 

そんなのは先生の仕事だ。


大人たちの目が届かない場所。

悪さをする卑怯なやつがいる。 

そういうやつを見つけるのだ。

それがパトロール隊の使命だ。


「今日も平和だな」  

「隊長ひまですね」


ただのお散歩隊だった。


「いいことだよ!」


ノリちゃんは謎の貫禄を示しながら。

ゴリとラーを見て園内に目を細める。


「あ…隊長あれ!」

「あれを見て下さい!」


それぞれが自由気ままに遊びまわる。

子供たちの声が溢れる幼稚園の片隅。


沈黙を縫いぐるみのように抱いて。

花壇の片隅にぽつんと立つ女の子。


その子の名前も顔も知っていた。

彼女が俺の初恋の女の子だった。


同じ集落の町内に住んでいて。

時々歩いているのを見かけた。

一目見ただけで好きになった。


綺麗に整えられた肩まである黒髪。

見たことも触れたこともない子犬。


キャバリア・キング・チャールズ…えと何だっけ。確か王様が大事にしたとか。

まだ図鑑でしか見たことがない。


確かそんな名前の子犬。

彼女はよく似ていた。


小さな顔からこぼれ落ちそうな瞳。

幼稚園の花壇に迷い込んでしまった。


顔立ちからして異国から来たようで、

同じ園服を着てもその場に即わない。

子供の時からそんな風に見えた。


絵本でもアニメでも小説でもない。

初めて人間以外で恋をした女の子。


その子を見た時に確定したこと。

もはや永遠に変わることはない。

初めての恋は描き直し出来ない。


他の誰か別の男の子といたり。

話でもしていようものならば。

とても正気でいられないほど。

心が激しく揺れるのを感じた。

気づく前からそうなっていた。


初めて幼稚園行きのバスに乗った時。

ノリちゃんが見とれていた女の子だ。


だからその時は気分がよくなかった。

また具合が悪くなりそうな気がした。


「あいつ…男だけじゃなくてかよ!」

「女の子までいじめんのかよ!」


今その子の向かいに立っていた。

そいつの姿を見て思うのはきっと。


パトロール隊の正義感とは違う。

それとは違いその時芽生えた心。

言いようのない苛立ちと怒り。

それは純粋な嫉妬心であった。


嫉妬にすべてが飲み込まれて。

あらゆる感情を追い越して行く。


「みき君!あの可愛い女の子」

「名前なんていうか知ってる?」


ノリちゃんの質問に考えもせず。

いつまでも返事すらしなかった。


「お前、口がねえのかよ!」


そんな気持ちとは無関係な場所から。

遠慮会釈なく花に降る雹の礫のように、

その子に怒声が浴びせられている。


「黙ってないで何とか言えよ!」


「ケイカちゃん」


その子の名前呟いていた。

唇の右に小さな零した紅。

赤い痣が一染ある女の子。


和風月明では長月の生まれ。

その花の名前には月が宿る。


丹桂と桂花は金木犀の花。


長月に咲く花の名前をつけたかった。

金木犀は彼女のお母さんの好きな花。

金木犀や犀では響がいまひとつだと。


字引きを開いて桂花に決めた。

丹桂と桂花は異国の犀の呼名。

丹は橙色、桂は月を指し示す。

月から地上に伝わった仙木。


縁起の良さもあって桂花。

名字も秋山で画数もよく。

寺の住職も褒めてくれた。


「同じ名前のラーメン屋さんがあるの…テレビを見てると家の人に『同じ名前と字だね』って言われるの!だから嫌い!」


こっそり教えてくれた。


11月生まれの射手座。


金木犀の花言葉。


高貴、謙虚、真実。

花言葉は真実の愛。


それを知ったところで。

自分にない言葉ばかり。


ケイちゃんと呼ばれてた。


同じ小学校に上がっても。

漸くちゃんと話せたのは。

五年生にもなってからだ。


それまで声をかけても。

全然上手に話せなくて。


やっと楽しく話しが出来た。

それが嬉しくて仕方なかった。


普段から花のように無口で。

なかなか心を見せてくれない。


あの子のことを思い出す。

後になって思い返す言葉。

あの子と消えた言葉たち。


「僕の人生という無色の色の束にはね、殺人という緋色の糸が一本混じっている。僕の仕事は、その糸の束を解きほぐし、緋色の糸を引き抜いて、端から端までを明るみに出すことなんだ」


放課後に校舎の軒下で雨を避けながら。

話していたのはコナンドイルの小説。

シャーロックホームズの緋色の研究だ。


「それがしたいことなの?」


彼女の言葉に頷いていた。

彼女にだけその話をした。


「初めの文に「ぼく」が足されていて…後の文章が「ぼくら」から「ぼく」になってる」


驚いて彼女の顔を見た。

雨垂れの雫のように。


「読んだから」


「作文に書くの?」   


「一人でやるの?」


ただ頷きながら聞いていた。

雨の日は嫌いじゃなかった。


なぜかとてもよく眠れたから。

多分今日という日があったから。


「チョコはもらえた?」


それは大切な思い出になる。

雨の日も雨も嫌いじゃない。

けれど霧の日は不安になる。

いつも大切と思うものたち。

霧に攫われるように消える。


そんなことばかり。

子供の時から考えた。


雨が降って霧が出ると。


「ロンドンみたいね」


そう言って彼女は笑った。

長雨が降り続いた後で霧。

その日はよく晴れたけど。


彼女はいなくなってしまった。

大切だと思う人は霧に消える。

そしてもう二度とは会えない。


いつからだろうか。

そう思うようになった。


彼女の口元には紅をさしたような、

拭き残した小さな痣があった。


人は誰でも鏡を見る。

そこで自分の顔に会う。

女の子ならなおさらに。


彼女は自分の顔を鏡で見た。

どう思ったかなんて知らない。

けれど自分は人と違っている。

何時か誰かにそれを言われた。

その言葉に心が傷ついたこと。


彼女からは聞いたことがない。


そうであってはならない。

それは許すことが出来ない。


その痣に触れていい。

この傷に触れていい。


そうなりたいと思っていた。

いつも心の中で思っていた。


彼女はとても寡黙だった。

小学校に上がってからも。


けして大勢の人の輪に入らず。

呼ばれたら言葉や笑顔を返す。

大口を開けて笑うこともない。

仲のよい子が一人か二人いて。

それで満足なように見えた。


人との距離やバランスの取り方。

その感覚には誰より長けていた。


子供らしくないと言うなら。

それは大人の見方であって。

彼女の佇まいが好きだった。


彼女が学校を休む日が続いた。

給食のパンが入ったビニール袋。

家に届けるようにと手渡された。


ザラ版紙に印刷された今日の授業。

プリントとビニール袋を提げて。


玄関口でお母さんに手渡している時。

家の奥から小走りに出て来てくれた。

なぜか右手で口を抑えている。


「何か食べてるのかな?」


彼女は目の目で手をどけて言った。


「見て」


彼女の口元から痣が消えていた。


まるで手品を見せられたようで。

俺はぽかんとするばかりだった。


「お祖母ちゃんが、有名な神社に行って、もらって来たお水毎日つけたの!」


彼女はにっこりと微笑んで言った。

多分誰にも見せたことのない笑顔。

それは俄に信じ難い話しだけど

やっぱり気にしてたんだな。


その時ケイちゃんに何と言ったか。

正直全然覚えてないくらいだから。

大したことは言ってないはずだ。


まだ言葉は掌でお手玉を繰り返す。

言いたいことも上手く口に出来ず。


だけどもし言えたなら。

きっと言ってたはず。


「どちらも好き」


痣のある彼女も。

それがない彼女も。


消えてしまった痣も。

ぼくは残らず好きだ。


それも言えないまま。

あの子はもういない。

何処か知らない町へ。

きっと行ってしまった。


失われて初めて気がつく。

その紅は永遠だったと。


「あれ?お前なんだよ!?」

「その口の下の…」


無遠慮にすげずけと口にする。

気がつくと足が前に出ていた。


「あの子確か…」

「助けないと!」


ほぼ同時に飛び出しかけた友だち。


「待って」


思わず両手で制していた。


何の躊躇も躊躇いもなかった。

振り下ろした拳が空を切った。

けれどもそれは子犬ではなく。

マンチカンの一撃くらいで。


握りしめた拳は当たらなかった。


「な」


まさかそんな反撃が来るとは。

呆気に取られた顔をしていた。


その声もさっきの威勢が消え。

なんだか悲しげにも聞こえる。


「何…すんんだよ!?」


彼女の黒い瞳にも星が瞬く時がある。

けれどそうした光は何処かに消えた。


見た目と違って低い声で話す。

その声や話し方が好きだった。


その言葉くれてやるのも惜しい。

それでも彼女はそいつに言った。


「ぱちくらわすぞ」


「われ」






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