第18話 バレンタイン&ホワイトデー特別編 My Sweetheart Valentine


【バレンタインの贈り物】



保険室でのジェノサイド。

あの大惨事から時は過ぎ。


ようやく顔の傷も癒えた頃。

俺たちは放課後の教室に屯。

メンバーはあいも変わらず。

こいつらなのである。


俺たちは教室の窓から眺めていた。


美術室、音楽室、などの特別教室が集まる南棟から、屋外の渡り廊下を歩いて来る。

一人の同級生男子の姿が見える。


うちのクラスの学級委員である。

学年屈指のイケメンのモテ男。

本多は歩く姿も実に爽やかだ。


そして、笑顔の彼の手の中には、

何とも可愛らしい紙袋が大切に。

可愛らしいと書いてファンシー。

そう読むかどうか俺は知らない。


本日はバレンタインデーである。


あの紙袋の中には、心を込めた本命チョコと、思いを綴った女子からのお手紙などが。

まだ冷めやらぬ恋の告白の言葉を添えて。

恥じらいながら溜息と返事を待っている。


ポンタがはにかむように歩く。 

その笑顔が西日より眩しい。


そして彼は屋外の渡り廊下を歩く。

他の教室からそれを見た生徒たち。

彼を冷やかすように歓声を送る。


まるで花道を歩くスーパースターじゃないか!?本当にモテる男子の歩く人体模型。


いや、お手本って。

ああいうこと言うんだな。


「なあ…お前ら!」


俺の横には、そんな人生の花道や、晴れ舞台とは生涯無縁。諸行無常の無縁仏。立腐れの朽木に名札という戒名。


お前たちがいた。


いやチョコレートがもらえること。

人生の晴れ舞台とか花道だとか。

言ってる時点で俺も終了してる。


「電波が遠いんですけど」


誰と交信している。


「バレンタインだっけっか?」


日本全国津々浦々!


「したっけさ!忘れてたべさ〜」


嘘過ぎて津軽海峡越えてる!


「ところでイッチはチョコとかもらった?」


知ってて聞くなよ…有泉。

こいつ本当に性格悪いな!


「もらえるわけねえだろ!」


もらえるくらいなら。

お前らとはつるんでない。

とうの昔におはらい箱だ!


モテ男たちの友達の輪に加わり。

チョコでお前ら往復ビンタだ!


「なあ…お前いくつもらった?」


「ひとつだけだよ〜でも義理だよ!」


「もらえるだけいいじゃん!俺も本命の子じゃないけどさ…やっぱ嬉しいもんだな!」


「つき合えつき合え!いい子じゃん!」


「そうだな…考えるわ」


そんなニッチだかリッチだか。

勝ち組とは無縁の非モテ集団。

それが俺たちの今あるべき姿。


「まあ…そう情けない顔をするなよ!」


いや…ぶーよ!あんたほどじゃねえけど。


「俺とか!一人の女性に!とことん好かれるタイプなんだと!」


「おおケタ!実はそうなのか!?」


「今朝の占いカウントダウンで…」


もうすぐ日が暮れる時刻だぜ。

ファイナルカウントダウンだ!


「でも…イッチはモテるだろ?」


おお!?ぶーちゃん!心の友よ!  

嬉しいこと言ってくれるぜ!


「モテないな」


きれいさっぱり全然。

清々しいくらいにモテない。

現にこうして今日も空手だ。


「でもさ…イッチよく女子と話してね?」


「話してるだけだぞ」


「なんか女子会風に混じってるよな」


「知らない間に紛れてる」


「違和感ないよな」


「お前らと話すのと同じ感覚よ」


「だからそれ出来ないんだって!」

「それイッチの特技だと思うぞ」

「イッチ忍法空蝉の述だ!」


「そんなたいそうなもんじゃ…」


その時は友人らに言われても。

いまいちピンと来なかった。


やがてバイトする年齢になって。

それから社会人になってからも。

なぜか女子会の席に座っていた。


女の子がつい誘いたくなるような、イケメンだとか、金払いのいいお財布君だとか、そんな理由では勿論ない。


なんとなく当たり前のように誘われ。

その輪の中に一人混じっていた。

年齢も集まりによってまちまち。


そのメンバーの中に、気になる女の子が、いたりとかいなかったりとか。そんなことも一切関係なかった。


ただそこに混じって他愛ない話をする。

それが居心地がよかったから。


男は成長すると、飲み会の席で、なせか仕事の話ばかりするようになる。


女性の前でアピールか。

他に話題がないのか。 

出世のためなのか。


上司参加の飲み会。必ず顔を出す同期のやつもいた。大概つまらない。

自然と足が遠のいた。


子供の時は虚弱な児童だった。

男の子の遊びについて行けない。

勿論遠くに行くのも禁止された。


自然と女の人に遊んでもらう。 

そんな習慣が身についていた。


大人になっても女の人たちといる時。

自分は空気みたいなものでいい。

俺はそのざわめきを好んだ。

自然とそこに紛れ込めた。


この頃からその兆候はあったのか。


「え…じゃあ、修学旅行とか…そのまま女子に紛れて女風呂とかに!?」


いや…もうそれ人じゃなく妖怪だろ。


「上手くやれると思う」

『すげー!!!』


出来るわけがない。

つまみ出され終了。


もしそんなことが可能なら。


「お前らとはステージが違う」


そう言わせてもらおう。

そして秒で絶縁解散だ。


もう見て来た世界が違うのだから。


「ねえねえ私…こっちのヘアも天パーなのよ!」


「ちょっと見せっこしようよ!」


うわあひっでえ。


天パーいじりやめろ!

なんのヘアが天パーだ!

俺が女子化してるじゃねえか!


俺の妄想癖も大概酷いものだが。

こいつらの腐れ具合ときたら。

もはや悪臭すら漂う。


「これはモテない」


「なんて?」


「チョコなんて絶対モテない!もらえんこと山の如し!夢!夢!夢の夢!」


「どうでもいいさ!」


もはや諦念がメガネをかけている。

有ポンがクールな声で言った。


どうでもいいのか?


洋服とかもうどうでもよくなって。

息子のお古のジャージとか。

変なTシャツ着せられてる。

休日のお父さんみたい。


そんなどうでもいいに聞こえる。

人間こうはなりたくないものだ。


「それはさておき」


さておくのか?


「これ見てくれよ〜」


あだち充の漫画に出てくるメガネ。

そんな喋り方と顔である。


俺はグッチでもタッチでもない。


「俺はイッチだけど」


「知ってるよ!」

「もらえなさがなさ過ぎて!」

「いよいよ頭がおかしくなったか!?」


『ぎゃはははははは!』


お前らだって同病だろ!?

いや憐れみなんていらん!

まっぴらごめんだ!




「これなんだけどさ!」


そう言って有ポンが机の上に置いた。

それはお洒落小物と言うに相応しい。

指輪などのアクセケースにも見える。

アラビア風の彫刻が施された木箱。


「高そうな箱だな〜」

「中に何入ってんだ?」


「う〜んわかんね!」


有泉の話によれば。


「朝起きて、親父とおふくろの部屋前を通ったら、テーブルの上にこれが置いてあったんだよね…」


ちょっとした宝箱。

連想出来る中身。


この季節の今日を考えれば。

例えば高級スイーツ。

クッキーやマカロン。

そしてチョコレート。


自ずと答えは出た。


「チョコレート!?」

「クッキーかも!」

「ラングドシャ?」

「クーベルチュール!」


そんな高尚な言葉がこれらから出てくる。

バレンタインってやっぱすげえな。


「有ポンちの両親て…まだまだラブラブなんだな〜」


言う人次第でとても気持ち悪い。


「いや、どこの家でも夫婦でチョコの受け渡しくらいするだろ!」


「うちは…見たことねえぞ!」


ちなみにうちでもない。


うちの父親なんて、バレンタインの習慣すら多分知らない。もらってもポカンとするだけだろう。


「みんなで食おうぜ!」

「え…でもいいのかよ!」

「だってこれお前の父ちゃんの…」


有ポンは胸を張って言った。


「どうせ、家に変えれば、おふくろが俺の分も用意してんだ!『ほい!あんたどうせ女の子から一つももらえなかったんでしょ!』ってね!」


チョコもらえないで家に帰り。

お母さんが用意してくれたチョコ。

そのルートがこいつの中で状態化。

疑いもしない確定路線として定着。


「やった!」

「サンキュー!」

「いいとこあるぜ!有ポン!」

「根性のねじ曲がった陰キャメガネだと思ってたが今日は感動した!」


「一部聞き捨てならないが」


あんまり言うと、今度は自分に特大ブーメランが返りそうなので沈黙。


「有ポン!グランドスラムだ!」

「おうよ!」


いいぞ!お前のチョコバット。

俺たちはハイタッチを交わした。

俺たちだってお菓子を食べたい。


学校では当然持ち込み禁止だけど。

学校に帰る前とかコンビニの前で。

お菓子を食べて話をしたりしたい。


それだけなんだ。

女の子にチョコをもらう。

それはまた別の話だけど。

テンション瀑上がりだ!


「高いんじゃね?」 

「うん…高そう!」 

「後で怒られねえか?」

「帰ったら俺のとすり替え!」


「わかりゃしねえさ!」


有ポンはそう言って笑った。

さすが悪知恵が働く男だ。

だから俺たちは馬が合う。


「さ!開けて食おうぜ!」


この日の主役は有ポンに間違いない。

いや有ポン様々だ!


いつも蚊蜻蛉とか呼んでごめんな。

今日だけは素直に頭を垂れるぜ。



「おい!」

「おいよ!」

「有泉さんよ!」


「みんな…ごめん!」


箱の中身を見た俺たち。

有ポンは平謝りだ。


「俺たちはバレンタインのチョコ様なんて…そんな、身分不相応なことは、もう言わねえ!」


「ただお前が施してくれる甘さ」


「目先の口溶けの甘さ!」 


「それが必要なんだ!」


もはや砂糖に集る蟻である。


「それをお前と来たら!」


「とんだドラえもんだぜ!」


「だからごめんて!」


それはバレンタインのチョコを通り過ぎた先にある。未来の道具だった。


「一体どこのバカが!自分の親父とおふくろの寝室から!コンドームくすねて学校に持って来るか!!!」


このバカがくすねて来た。クッキーでもチョコレートでもない。それは避妊具。


今の俺たちに一番必要ない。


未来からの贈り物だった。



「アホ」


「今日からお前は有ポンと名乗るな!」


「へ?」


「0.3ミリの男…そう名乗るがいい!」


ちなみに0.3mは当時最薄。


「オカモトリケンでもいいぞ!」 


「姓すら許されない!?」


「リケン君!」

「リケン君!」

「やめろ!恥ずかしい!?」


「恥ずかしいだと?何を生意気な!若造のお前が勘違いするなよ!いいか!これらはアダルトないやらしい道具ではない!この世に望まれない不幸な妊娠や、性病の蔓延を防ぐための…人類が、御社岡本理研様が叡智を集めて作られた…いわば神器だ!ありがたく拝命するがいい!」


まてよシンプルにスキンもいいな。


「同じ高校行けたらいいな!」


「大学も一緒だ!」


「就職しても連絡するぜ!」


『俺たちずっ友だ!』


「パソコンでクレジットカードとか申し込むだろ?買い物とか…そしたら本人認証のニックネームの欄が表示されるわけさ…」


「よくわかんないけど」


【3つの空欄に、あなた様のニックネームを選んで入れて下さい】


1:スキン

2:スキン太郎

3:スナスキン


「あと明るい家族計画…」


「イッチ〜」


うわ!なんだよ!?

こっち来んな!


そんなもん持って来られても。

俺に一体どうしろと言うんだ。


「どうにかしてくれよ〜」


「どうにかって言われてもなあ」


「あいつらの怒りをどうにか!」


俺にチョコでも配れと?

すぐにそいつを使えるように?

無理な話しの無茶ぶりが過ぎる!


魔法使いじゃないんだから。

そんな器量は俺にはない。


「これで…どうかひとつ!」


そんなゴムの入った箱を差し出されても。


「なんか楽しいこと考えておくれよ」


確かに今日は俺たちとって楽しくない。


何をしても楽しくない日。

なら楽しくしてしまえぱいい。


「イッチ得意だろ!」


いやこの間それでぼこぼこになった。まったく…こりないやつだ。


「ゴムだな」

「そうゴムゴムだ!」

 

「これは使えるな!」


俺は箱から一枚取り出して笑った。


「やった!」

「行くぞスナスキン!」

「それ止めて!」


俺はスナスキンを連れて廊下へ。


はしゃぐ俺たちを見て。

怪訝な顔で皆ついて来る。


「面白くなって来た〜」


「有!お前…箱の中身知ってだろ?」


俺がそう言うと「ひひひ」と笑う。

本当に!こいつ性格歪んでやがる!


だから俺はお前が嫌いじゃない。

俺も人のこと言えた義理じゃない。


「同士諸君!本日はお日柄もよく!」


これは御丁寧に!どうも!


「本日は!」


バレンタインですよね?


「諸君に問う!今日は何の日だ!?」


「TODAY IS…?」


『Search And Destroy!』

『Search And Destroy!』


な…なんだ!?テロか?テロなのか!?お前らメタリカのアルバムでも聞いて感化されたのか!?


非モテの独立国家が爆誕した。


「…and justice for all!よろしい!!ミッション開始だ!!!」


『ウオッ!!!』


しかも早くも軍部が暴走。


「総員配置に着きました!」

「03式中距離地対空誘導弾!」

「03式中距離地対空誘導弾…装填完了!」


「発射準備完了!」

「地対空防御!」


「総員発射準備完了!」


「ターゲット女子!昇降口に確認!」


「ターゲット補足しました!」


「見よ!鬼畜米英!毛唐の祭りなんぞに浮かれ!はしゃぐ女どもよ!」


「粛清の炎に焼かれるがいい!」


それ中身は水道水だけどね。


「てー!」


「発射!」

「発射!」

「発射!」


壊れた忌野清志郎みたいだ。


教室の窓にずらりと並んた俺たち。

その手から次々放たれたる水風船。

水道水でぱんぱんに膨らんだ避妊具。


コンドーム爆弾だ!


「これでもくらえ!」

「チョコくれない女子!」


発射の動機が実に情けない。


「ちょっと!」

「なにすんのよ!」

「バカ!濡れるじゃない!?」


二階から投擲された水風船。

女子たちの足元で破裂する。


『ははははは』


二階からそれを指差して嘲笑う。

いいぞ!みんな清々しくて。実にいい笑顔だ。

ここまでやれとは言ってないが。


俺はただ「水風船投げて遊ぼうと…」

俺はただ「これがそんなものだなんて!」

言い訳を考えて連中から後退る。


「弾薬ならまだまだあるぞ!」

「くらえ!このクズどもが!」


この場合クズはお前らだけど。

呪詛と怨嗟がもう止まらない。


「実に愉快!滑稽!至極愉悦!」

「逃げろ!逃げ惑え!愚民ども!」

「男を見た目や学力で判断するからだ!」


それがなくて何がモテる。

それがなくても人柄や人望。

それで好かれる男子もいるさ。

お前らが今投げ捨てたのがそれだ。


「ほら!イッチも投げろ!」

「ぼーっと立ってないで!」

「なんかスカッとするぜ!」

「お…おう!」


手渡された水風船はずっしり重くて。なんでだろう。なんでこんなくだらないことしてるのに。わくわくして。楽しくなって来た!


「どうせ非モテだ!オラー!!!」


勝手に俺の内面をアフレコするな。


もう女子なんて四散して残ってない。俺は大きく振りかぶって。


空に向けて放り投げた。


「おお!フルスイング!」

「迷いがない投擲!」

「いいぞイッチ!」


俺が投げた水風船は軌跡を描いて。

そのまま昇降口から出て来た女子。

工藤さんの頭に直撃した。


今日はバレンタインデー。

それはまるでクラッカー。

小気味よい音を響かせて。

俺の恋が今破裂した音だ。


「ストライク」

「やば…直撃だぞ!」


俺は呆然してその場に立ち竦む。


「あいつ…うちの組の工藤じゃん!」

「やばい…おせっかい女だ!」

「あいつうるせえぞ!」

「イッチ!撤退だ!」


頭から水風船の水を被せてしまった。

よりにもよって、女の子が一番胸をときめかすこの日。俺は工藤さん頭に冷水を!


直撃を受けた彼女。

何が自分の身に起きたのか。

すぐには理解出来ないようで。

その場に立ちつくしたままだ。


破裂音にも驚いたのだろう。

両手は胸のあたりで静止状態。


うらめしやの幽霊みたいだ。


冬の水田にぽつんと佇む。

寂しげな案山子にも見えた。


その横を通り過ぎる生徒たち。

物珍しげに彼女を見ている。

何事かと囁き合う者もいた。

これでは彼女は晒し者だ。  


すぐに救出に行かないと。

行って彼女に謝罪しよう。


ふと見ると工藤さんの背後からカリメロ…いや成宮が顔を出した。


さすが工藤さんの親友というだけある。

部活用だろうか?鞄から出したタオルを手渡そうとしている。


あの子がいてくれてよかった。 


そう思った途端、それまでフリーズしていた俺の脳が動きだす。


ちょっと待てよ…成宮お前は…さっきまで工藤さんの隣を歩いていたはず。


工藤さんは気がつかない。

俺は二階からの俯瞰から。

それをしっかり見ていた。


俺が今投げた水風船。

成宮の歩く方向へ落ちた。


本来なら、成宮の顔か頭、その何れかに直撃したはずだ。脳みそが、記憶のリプレイを始める。映像が頭の中でスロー再生される。


あの時投げた水風船。

ふと顔を上げた成宮。

それにいち早く気づいた。


そして、素早い身のこなしで、隣にいた工藤さんの背後に身を隠した。


工藤さんを盾にして隠れた!


そして今いかにも「災難だったね大丈夫!?」そんな素振りで、タオルなんかを手渡していやがる。


なんてやつだ!やはり腹黒いヒヨコ!


そんな俺の声が聞こえたように。

成宮は顔を上げてこちらを見た。

人差し指をこちらに向けて。

何かを確認してるようだ。


俺たちの、名前と、顔と、人数確認。それを工藤さんに伝えている。


「このまま職員室行く?」


絶対にそう進言してるはず。


顔ばれした以上。

俺たちは一網打尽。

何処にも逃場はない。


工藤さんは口を開けたまま。

ぽかんと成宮の話聞いている。


聞き終わるとこちらを見た。

自然に彼女と目が合った。


彼女が俺に微笑んだ。  

俺も彼女に微笑返す。


工藤さんは女子の中では背が高い。

すらりとして立ち姿も綺麗。


幽霊?とんでもない!

案山子?そんなんじゃない!


こんな話を思い出した。


アメリカの片田舎チェンバレン。

そこに一人の高校生の少女がいた。


彼女は引込思案の性格ゆえに。

同級生の女子たちに標的にされ。

常に陰湿ないじめを受けていた。

家に帰れば狂信的な母親がいて。


「お前は呪われた子」


娘をそう呼んで責めた。

学校に行けば嫌がらせ。

家に帰れば精神的虐待。

そんな行場のない毎日。


彼女に奇跡が舞い降りた。

学校が卒業式のプロムの夜。

彼女がクイーンに選ばれたのだ。


戸惑いながらも彼女は喜んだ。

自分に似合うドレスを用意した。

母親の制止する声を振り切って。


彼女はプロムの会場へ出かけた。

歓声の中で用意された舞台に上がる。  


緞帳に同級生が潜んでいた。

バケツに入った液体が彼女に。

彼女が浴びたのは豚の血だった。


女王の話なんて嘘だった。

すべては同級生が企んだこと。


学校中の生徒の前で笑い者してやれ。

そのための残酷で陰湿な仕掛け。


豚の血に塗れた彼女は叫んだ。

母が呪われた悪魔の力と恐れた。


その力が叫びと共に解き放たれた。

彼女は超能力者であった。

同級生たちはもちろん皆殺し。


チェンバレンの町は炎に包まれた。


なんてひどい話だ!涙が出そうになる。

よくまあ、こんな話考えるよな。スティーブンキング先生は。


少女の名前はキャリー。

工藤さんは覚醒するキャリー。

その立ち姿がそっくりだった。


差し出されたタオルを「濡れるから」と静かに断って。右手には白いハンカチ。握りしめた!


それは青春の握りこぶし。


「あ!工藤が消えたぞ!?」


テレポーテンションか!?

いや昇降口に戻っただけだ。


「イッチ〜やばいぞ!」

「力石にチクるつもりだ!」

「さっさとずらかろうぜ!」


「ふふふ…お前たちってやつはこれだから!…全然だめだな!」


「は?なにがだよ!?」


君たちには工藤さんという女子、

彼女のことがわかっていない。


先生に俺たちのことをチクるだ?


「そんな卑怯なこと…工藤さんがするわけない!俺はそう信じてる!」


「黙れ!この加害者!」


「今なら…知らぬ存ぜぬ『見間違いですよ』で押せる!通せる!」


「この前の、保健室みたいな惨事は、俺もうごめんだって…」


「うわ!?もう来た!?」

「早えええ!?ここ二階ぞ!?」

「そう言えばあいつバスケ部!?」


ちなみにポジションはSGだ。

そんなことまで知ってる。

俺のポジションはKFだ。


「工藤さんのファンだ!」

「どうでもいいわ!」


「ちょっと!あんたたち!」


室内履きから白煙が出そうな勢いで。扉の前で急ブレーキ。


工藤さんはそのままつかつかと、俺たちの前に走り寄る。


その手には、ここ一番でいつも彼女が、ぎゅっと握りしめていた。白いハンカチ。その拳が震えている。


「まずい…そこの入口はダメだ!?」


「なら反対側から逃げ…くそ!?」


反対の扉には黒いヒヨコのPG。成宮が腕組みして進路を塞いでいる。


完全にゴール前を塞がれた。

もはや退路も絶たれた。

打つ手がない。

敗北は確定的。

風前の灯だ。


工藤さんが俺たちの目の前に迫る。

その短い時間の中で俺は考えた。


彼女はキャリーなんかじゃない。

怒りに任せて俺たちを皆殺し。

そんなことはけしてしない。


彼女は俺が好きな本の中の少女。

グリーン・ゲイブルズのアン。


そうさ!君は俺だけのアン・シャーリー!

…になってくれるかもしれない。


そんな素敵な女の子なんだ!


「ちょっと!?何よこれ!」


怒れる彼女は俺たちの前に立ち。

右手を突き出してそう言うのだ。


何よこれってそれは白いハンカチ。

ハンカチ…ではないのだけは確かだ。


彼女の右手に握られていた水風船。

細い指先その濡れ手の中で。

もうもみくちゃになって。


そんなに強くにぎらないで。

そう訴えているように見えた。


色んな意味で正視に耐えない。

それは不謹慎な下ネタではない。

断じて違う。誓ってもいい。


本当なんだMy Sweetheart!


「何がこれだー!!!」


なんかぐりぐり近づけて来る。

ちょっと…顔にそんな…やめて。

女の子がはしたないですって!?


俺は恥ずかしくなって。

乙女のように俯いてしまう。


そしてそこのお前たちに告ぐ。

俺の好きな工藤さんのことを、

いやらしい目で見てるんじゃない。



夏休み。もうとっくに亡くなった、俺のじいさんが遺してくれた蔵書。ようやく何冊か読んだ。読んで理解出来る年になった。


谷崎潤一郎の【春琴抄】もそのひとつ。

天保10年の大阪道州町が舞台の純愛小説だ。


あれは誤って男の人が水じゃなくて。

女の人の顔に熱湯をかけてしまうのだ。


この季節になると読みたくなる。

特に今はその話の結末のように。


お前らの目玉を針で突きたい。

心の底からそう思うのであった。


(バレンタイン編続きます)








 

 

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