第15話 番外編


【川は流れる 覚え書き】



生まれ故郷は山間の集落だった。

大雑把に言ってしまえばくそ田舎。

山麓地帯に続く県道はひたすら坂道。

その道の途中にあるのが故郷の集落だ。


点在する民家と県道を隔てる河川。

南へ坂道を下ればさらに拓けた町。

二階からは工場の煙突群が見えた。


川はそのまま湾まで至る

山を切り開いた集落と川。

河川敷などは存在しない。


家を出たら学校に行くにも何処に行くにも、

ひたすら坂道を登るか下るしかない。


川と呼ぶにはあまりに川底までが深い。

覆い被さるように群生する野生の竹藪。

その中のどの丈よりも川は深かった。

爆竹を放り投げれば川底で破裂した。

淵のように深いが普段水は流れない。


集落の名称と川には渕という言葉が使われ、近年になって淵という漢字に変更された。

その様相は寧ろ後の漢字が相応しい。


民家の周囲というより。

山林の中に人の住まいがある。

段々畑のように町と家々がある。


集落の中央を過ぎる川は巨礫が散在し、

倒木や朽ちた竹の残骸は手付かずのまま、

そこを訪れる者の進路を阻むようだ。


少しの雨でも霧深くなるのも道理。


中学生になるとすぐに、知り合いのつてで、俺は塾に通わされることになった。


先生は同じ中学出身の若い女の人だった。

見た目からして隣近所や友達の姉ちゃん。


「なぜ初顔合わせで皮ジャンを選ぶのか」


詳しいことはよく知らない。

短大を出てすぐ就職はせず。


地元の学習塾で講師を務める傍ら。

実家の離れを利用して私塾を始めた。


地元でも有名な地主のお嬢さんなので、

おそらくそれでよかったのだろう。


俺の他に生徒は小学校からの同級生。

あまり仲良くもない女の子四人。


土日の夕方五時になると帰宅せずに、

そのまま学校から徒歩で塾に通った。

中学の先輩の家だから学区内である。


同級生の女子四人と、短大を出て間もない若い女の先生と、二時間離れで過ごす週末の夜。これはどういう状況か。福音なのか。


うらやむ男子もいたかもしれない。

けれどこの先生はそんな妄想を吹き飛ばす、地元の先輩風しか吹いては来ない。


遠慮会釈がない。

スパルタが過ぎる。

地元女子特有のがさつさ。

とても口が汚上品だった。


誰からもいい匂いがしなかった。


なので三ヶ月もしないうち。

女子たちは全員塾をやめた。


蜘蛛の子を散らすように。

まさに言い得て妙だ。


卒業するまでこの先生と二人だけ。

辞め女子達が塾の悪評を流したので。

その後の追加メンバーも無く。

必然的に個人授業となった。


毎晩「ばかちん」だの「くそたわけ」などのあらゆる罵声を浴び続け。時に小突かれた挙げ句。俺の週末は終わるのだ。


そんな話を友人にすると「なぜ逃げない」「そんなにその先生が好きなのか」と問われた。


俺は首を振り「逃げ遅れたんだ」そう言って力なく笑うしかなかった。


大人になってからも、友人に別れた彼女の所業を「もう時効にするから」と愚痴ると「それは時効は適用されない」ため息まじりに言われた。


「君に子供の頃の話とか聞くとさ…君はどんな辛いことでも我慢出来る、してしまう人なんだと思うよ」


やたらと感心された。


自分ではまったく自覚などない。

好きになったら相手の善悪は関係ない。

自身が浮気しようなど芽も草も生えない。

だから失恋後のダメージは殊の外大きい。


その先生の指導のおかげなのか。

学校の成績はのぴて安定していた。

勉強方法は現在でも役に立っている。


「イッチって、普段ぼんやりで、バカに見えるけど、学年順位結構高いよな…」


それはテストだけ点数いいアホってことか?一ほめて二つディスってるぞ。


「さあ…塾とか行ってるからかな」

「普段どんな勉強してんの?」

「えっと普通だと思うけど…」

「え?教えてくれんの!?」

「塾の先生に教えてもらったんだけど」

「ふむふむ」


塾で四五時間離れに軟禁されて。

しばかれて罵声を浴びて。


「ノートのページに半分線を引く」


「それで」


「半分は前日に予習やって」

「残りの半分は授業内容を全部書く」

「そして帰ってから、それを新しいノートにまとめる…それを毎日…これノルマなんだ」


「その時にね」

「まだあんのか」


「書いて覚える!」

「お…おう!」

「それ常識!」


「教科書と問題は声をだして!大きな声で!読む!読む!読むべし!」


書きながら読む!

声を出すことで耳に届く!

そして頭にも記憶されるのだ!


「なんて脳筋な勉強方だ!」

「上品さの欠片もないぞ!」


「それで基礎はばっちりだ!ひたすら繰り返すこと!これではバカでも覚える!」


そして週末に塾でノートの確認!

さらに反復と予習で来週に備える!


「それが先生の教えだ!後は応用で参考者をこれと同じくひたすら…先生の定説」


「が」

「が?」


「ガリ勉だー!」


「え…ちょっと待••」


「みんなーここに!がり勉野郎がいるぞ〜イッチは!ぼんやり系気取ってる裏で〜こっそりガリ勉野郎だ!みんな騙されんな!」


なんだよ聞かれたから答えたのに。

それってそんなに変なことか?


ふと見ると、俺の前には、俺の大好きな工藤さんがいて。その親友の成宮さんが立っていた。


成宮さんは学級委員で学年トップ。

生徒会の役員もつとめている。


同じく学級委員で生徒会は規定路線。

わがクラスのチートコンビの一人。

イケメン男子の本田と二人揃って。

会長か副会長の未来は確約済。

進学高もトップ高単願一択。


俺とは抑々住む世界線が違う。


しかし本田は俺の話には関係ない。

イケメンで成績優秀でバスケ部で。

そんなチートはお呼びでないのだ。


ちなみにその本田君はポンタと呼ばれている。男子には人望厚く、女子には「可愛い」とバレンタインにチョコを抱えて帰るような。


そんな男に似合いの愛称。

そこに俺の出る幕はない。


「俺なんてぶーだぜ!」

「俺は有泉だからありぽん!」

「俺は小笠原だけどケタ!」


じゃないやつらがうるさい。


「だからケタってどういう意味だよ」


「それだけはお教え出来ないな!」


「ケタだから語尾にケタとか『ケタが違うぜ!』とか決め台詞とかつければ、キャラも立つと思うけど…」


「そうでゲスみたいな?」

「そうでケタ!」


「それは意味からして違ってくる」


意味なんて本当にあんのかよ。

ケタはけして教えてはくれない。


ちなみにうちの二年二組。

校内のスポーツ競技はトップ。


何気に優秀なのだ。


成宮さんはとても芯のしっかりした努力家。当然勉強も出来る。けれど、普段それを鼻にかけることもなく。穏やか。


クラスの中心でまとめ役でもある。


「カリメロどうした?」


成宮さんに俺はあだ名をつけた。

子供の頃にやってたアニメ。

頭に卵のからの帽子を被った。

なぜか真黒なひよこだ。

検索すれば出て来る。


校則通りの髪型。

ちんまりした見た目。

なにより顔が似ていた。


「女の子に!そんなあだ名…だめだよ!」


工藤さんには怒られた。

工藤さんには注意される

頭を押さえつけてくる女の子。

そんな人ほど親しくなりたい。

昔から怒られ経験が少ないからか。


「せめてプリシラにして」


成宮さんは穏やかに笑って言った。


「カリメロは男の子だよ」


全然怒ってる素振りはなかった。

さすが工藤さんが「ナル」と呼ぶ親友。

素敵な女子は御学友もまた素晴らしい。


「ん…成宮さんどうした?」


成宮さんは開かれた俺のノートを見ていた。いつもにこやか女子。でも口角が半分しか上がっていない。


「ふん」


背中を向けて行ってしまった。


「野蛮人が!」


なにその捨て台詞。


「あらら〜あんた!ナルのがり勉魂に火をつけちゃったね〜」


工藤さんは楽しそうに笑っていた。

やっぱ成宮さん黒いじゃないか。

これからはガリメロと呼ぼう。


「なかなかいないよ〜あの子に火を点けるようなガリ勉は!」


ここでガリ勉認定来た!

でも、もてないんだよな。


「すごい真面目に勉強してる!」


工藤さんは俺のノートを覗きこんで言った。


「えらいね」


「いや…ひまだから…ひまだと、ついボケナスなことばかり妄想するから…それで」


俺はそっけなく答えた。

しかし少し話せた。

ほめられたぜ!


日頃の努力は報われるって本当だ!

俺は心の中でガッツポーズ!


「ちょっといいか」


教室の扉が開いて担任が入って来た。


授業でもないのに。

教室が静かになる。


「みんなに報告がある!」


「国治先生かっこいい!」


工藤さんが俺に背を向ける。

さっきまでこっち向いて。

俺のこと褒めそやかして。


工藤さんは担任の国治が大好き。

というか人目もまったく憚らず。

もうぞっこんなのだ。


確かにうちのクラスは学年でも目立つ。

常に学年成績一二位を争う二人がいて。

生徒会幹部候補筆頭のツートップである。


そして、スポーツや文化系の催しとなれば、クラス一願となって優勝をかっさらう。

そんな熱いクラスだ。


なのに学力テストの平均成績は底低い。

おばかとかしこいの2極が激しい。

担任のカラーが反映されていた。


「勉強では他のクラスに負けても、それ以外で負けることは絶対許さん!」


それは俺の努力や存在価値を揺るがす。

俺が担任にはまっていない理由。

というか天敵なのである。

やつは宿命のライバル!

そう思わせてもらおう。


「少し早い話だが」


「はい!かっこいいです!」


早い話がかっこいいのか。


確かあいつ元陸上のオリンピック候補。

納得…いやしてたまるか!


「来年、このクラスはこのまま三年二組として担任も俺のままだ!引き続きよろしくな!」


「なんですって!」

「なんだと!」


「話はそれだけだ」


そう言って、当時でも教師にしては珍しい、肩まで届く髪を悠然と靡かせながら。

やつは去った。俺にはそう見えた。


「やった!来年も一緒だあ!!!」

「ちょっと工藤うるさいよ…」


ヘッドセットで音楽を聞いてた。

うちが檀家の住職の娘が言った。


こいつ先生の話聞いてねえだろ。


「ごめん…なさい」


工藤さんは恥ずかしそうに肩をすくめた。

目がまだハートのままだ。


「はい!あんたにも一つあげるね!」


いるかそんなもん!


俺はもらったハートを投げつける。


「ちくしょう!」

「ちくしょう!!」

「ちくしょう!!!」


「え…俺ぶーちゃんだけど…さすがに畜生は傷つくわ〜」


「黙れぶー!」


そうだあいつにあだ名をつけてやろう。

愛称ではない。仇なす名と書いて。


仇名。


みんなが笑うような。

ど真ん中で的を得た。

俺があだ名をつけてやる。


どんなやつも無力化出来る。

それを俺は知っていた。


そんな中二の放課後の風景。


「来年もこのクラスかよ」


友達や好きになった女の子がいた。

ふと目につくのは空席の机。


その席の主はいつも学校に来ていた。

けれどいつも教室にその姿はない。

彼女はいつも不在だった。

その空席を見る度に。


心が少しざわめいた。 



俺の人生最初の師匠のような。

いやかなり強引な師弟関係だけど。

それに頼んで入ったのはこっちだし。


ぽつんと空いた空席を見て思う。


「先生とだって、話がしたいような、そんな物好きだっていたんじゃないかな?」


俺もそうだけど。

まったくもって。

取り付く島がない。


きっと学んだことより影響が強い。

ただならぬ人生が待っていそうな。

そんなよからぬ予感がして。

なんか楽しくなって笑った。



平日は学校と部活。

土日は塾に通う。


そんな毎日を続けていた。


中学の時「ガリ勉」というあだ名で呼ばれ「学校の授業なんて時間の無駄です!」


テストの結果で先生も黙らせた。


中一で「もうこの教科書5回往復して、三年の教科書やってます」


そう言い残して授業に出ず。

三年間保健室でずっと寝てた。


地元の本屋に、参考書買いに行くと、本屋のおじさんに「もう逆立ちしても何も出ないよ!全部売ったじゃん!」と泣言を言われる。


それが俺の通った塾の先生の話だ。

俺はそこまでガリ勉じゃない。


もう少し日本の教育制度が進んでいたら。

とっくに飛び級でもしていただろう。


勉強ゴロ、番長、性格輩で跳人。合理主義の塊。怖いものなしの先生だった。

塾の授業は二時間三時間延長。

夜中になることもしばしばだった。


疲弊してエクトプラズムが出そうになる。

そんな俺に「家に電話…しなくていい!私が送るから!」と人間らしき一面も見せてくれた。


中学は実家から遠く。

バス通を余儀なくされた。

この申し出は正直助かる。


そんな先生でも雨が降る夜だけは。


「すごく嫌だ!」

「霧が深くて!」

「あんたんとこって!」

「雨の日は霧がすごく怖い!」


やたら尻込みしていた。

単純に視界がきかず運転が怖い。

そういうことだったのだと思う。



アヤナちゃんが迷い込んだ。

大きな瀧のある沢への入口。


それは県道脇の実家の蜜柑畑添い。

もうひとつは実家を出て坂道を下る。

そこにはもう墓地以外民家はない。


墓地と民家以外は山林。

その雑木林の奥深く。

谷底に続く山の道。


人が通った跡だけ。

下生えが枯れた道。

それ以外道はない。


現在はネットで「雨の日にしか現れない幻の滝」などと呼ばれている。


瀧を目指してトラッキング目的で。

下流から川を登る人もいるらしい。


しかし雨後は非常に危険である。

それは今も昔も変わらない。


寂れた田舎でも訪ねてくれる。

そんな人たちのために。

近年看板も設けられた。


ある日親父に「なんの冗談だ」そう言ったことがある。「石屋に頼んだからだろ」と親父は笑っていた。


入口の看板が墓石だからだ。

墓石看板と言うらしい。


まったくもってそれは墓石だった。

鬱蒼とした山林の雰囲気と相まって。

実に気味が悪く。縁起でもない。


その河川は赤淵川と呼ばれ。

集落の中央を流れていた。

かなり特殊な川である。


通常水の流れは殆どない。

見るからに巨大な岩が転がる。

谷底の淵は賽の河原を思わせる。


集落と県道の間に掛けられた橋。

川底から橋までの高さは約10m。

川幅は15m程度である。


しかし下れば下るだけ深くなる。

急に眼の前から地面が消え失せる。

やがて大きな水の流れない瀧に至る。 


滝を境に川幅は広がりを見せる。

不思議なことにそこに水は流れる。


清流には沢蟹やハヤが生息している。

火山地帯ゆえの伏流水が滔々と湧き出し、

その流れは遠く海までの脈となる。


普段は涸れた川。

38m崖と見紛う。

本流の滝も涸滝。


賽の河原は大小の石塊だらけ。

窪みの其処に池のように水が溜まる


しかし紛れもなく水の通り道。

噴火して溶岩流が流れ降り注ぎ。


麓から水を集めて流れ幾百幾千。

地表の赤土を浚い続けた。


いつの世にも流されることなく。

遺された巨石の形状は傷痕。

刻まれた流線が水の記憶だ。

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