第14話 ぼくの箱庭へようこそⅡ

子供が移り気で気まぐれであること。

それを咎めることなど誰も出来ない。

子供には子供の社会がある。


それは年と共に形成される大切なこと。

同じ年齢の子供同士の付き合いが増え。

学校の勉強だって大変になる。


年下の小さな子に感けていられない。

それは自身がそうであるかのように。

年をひとつ取る度にわかること。


来年には幼稚園の入学を控えていた。


幼稚園や小学校に通えば。

生活はこれまでとは一変して。

新しい友達や行事に追われる。


彼女は小学校の低学年であったはず。


幼稚園では会えないが。

同じ集落に住んでいる。

小学生になれば会える。


けれど小学生になっても。

あの子は学校にはいなかった。


ゆっくりとそれを理解する時間。

落ち込む心にはそれが必要だった。

しかし諦めも忘却も訪れなかった。


指に触れる火脹れのような腕の傷。

それはいつまでも消えなかった。

だからそれを見る度に思い出す。


年とともに薄くなることはあっても。

心と体に刻まれたことは忘れない。


楽しい時間。

楽しみにしていた。

大好きだと思う人。


それは必ず消える。


深い霧に包まれるように。

いなくなってしまうんだ。


子供の頃からそう思う。

そう思うようになった。



「あんた彼女出来たんだって?」


そんな風にフサ姉ちゃんにからかわれても。別に気にするような年でもなかった。


夏祭りの賑わい。

お彼岸が過ぎ。


台風情報がテレビの画面に流れ。

秋の長雨は庭木の枝葉を濡らす。

冬前の集落は深い霧に包まれる。


そんな季節。

そんなお天気だから。


子供は「外に出るな」と親に言われる。

だから今日は来ないんだ。


庭の敷石は黒く濡れていた。


アヤナちゃんと最初に話した時。

庭になかった小石が敷かれていた。

魔法みたいに不思議がっていた。


それは俺が腫物だから。

過剰に過保護にされていた。

上手く言葉には出来なかった。


掘り炬燵の中に火は入ってない。

その台に顎をのせて俺は考える。

夏冬そのまま電気炬燵を被せて。

家族の食事用卓として使われ。


踵に触れるコンクリ。

ひんやりして。

心地よかった。


「あんたふられたのん?」


しょぼくれる俺を叔母はからかう。

俺は子犬みたいに唸るしかない。

叔母は粘着だからしばらく続く。


しかしその日の夜を最後に。

もう俺にその話はしなかった。


実家の家はかなり古い造り。

玄関は外が透ける磨硝子の扉。


夜になると戸袋から雨戸が引かれ。

玄関の床柱の真鍮のレールを滑る。

そうして戸締まりがされるのだ。


まるで夜行列車が通るようで。

俺はその役をやりたがった。


玄関の戸を閉めてしまうと。

そこから出入り出来ない。


だから離れで両親と眠る時。

台所と風呂のある場所まで行く。

玄関を迂回してその戸口を使う。

そうでないと表に出られなかった。


玄関の戸が閉められる。

その頃はもう寝る時間だ。


夕食を済ませ風呂に入ってしまう。

見たいテレビもあらかた終わり。

すでにパジャマに着替えていた。


表の木戸を荒々しく叩く音がした。

雨音は屋内には聞こえない。


けれどその音は居間に響いた。

表の声は近所の男の声で。

父親の名前を呼んでいた。


俺は玄関に出た。

父が雨戸を開けた。


いつもなら。


どんな大人も子供の俺に声をかける。

愛想よく話しかけてくれたものだ。


しかしその夜の来客は様子が違った。

近所の顔見知りのおじさんだった。

父の顔だけを見て言った。

父の名前だけを呼んだ。


切迫しているが唾を飲み込むような。

落ち着いた低い声で言った。


「部落の桶川さんちの女の子な」


「桶川…ああ!最近建てとる東武建鉄と、スクラップ屋の近所の家だな…」


父の言葉に相槌をうつように頷いた。


「ああ!あんたんとこの、舎弟二人の家を今作ってる…県道沿いの、神戸に抜ける道にある、桶川さんとこの女の子だ!」


「確か小学校一年になったって聞いたが…」


父親がちらりと俺の顔を見た。

桶川さんちの小学生の女の子。

そう言われてもぴんとこなかった。


「夜になっても帰らないらしい」

「もうこんな時間に帰らないって」


「親御さんも警察に連絡して」


「近所の若いしも公民館に集まってんだ」


このあたりでは若い衆とは言わない。


若い人は若いし。

女の人たちは女し。

男の人たちは男しだ。


「こんな雨の中で山にでも入ったら」

「沢に落ちたら大変なことに」

「だから男手を集めてんだ」


見れば先頭のおじさんの後に男しが、

雨合羽に懐中電灯を手に立っている。


支給された消防の服を着ている人もいて。

とにかく物々しい雰囲気だった。


「よしわかった」


父は家の者に「雨合羽を持って来るように」そう言いかけて「裏の納屋か」そこに合羽を自分で掛けたことに気がついたようで。

そのまま表に出た。


「雨戸閉めとけ」


それだけ言い残して外に出て行った。

父親が何時に帰宅したかはわからない。


言葉だけが木霊みたいに反響して。

俺の頭の上を通り過ぎて行った。


いなくなった女の子の捜索は続いた。

次の日もその次の日も何日も続いた。

女の子の行方はわからないまま。


「鉄砲水が」

「淵に落ちると」

「浚われたら終わりだ」


父親か誰かがそう言った。

その言葉通りになった。


その日の日曜日。

いなくなった女の子。

初めて名字まで聞いた。


名前は桶川礼奈。

アヤナちゃんだ。


アヤナちゃんが遊びに来るはずの日曜日。


川に下りて。

水に呑まれた。


集落から何キロも先の川の中州で。

アヤナちゃんは数日後に発見された。


「泥まみれで酷い様だったらしい」


それは父の言葉だと記憶している。

父が俺に向かって話したわけもなく。

寧ろそんな話から子供は遠ざけられる。


酷い死に様。


そう言わなかったのは慮っての配慮。

誰しも子供にそんな酷たらしい話。

聞かせたいとは思わないものだ。


しかし大人同士が話す時。

子供の存在は空気になる。

それも確かなことだった。


だから聞いたことは今も覚えている。

それがあのアヤナちゃんであれば。

たおさら忘れるはずかなかった。


大人たちは痛ましい事故を嘆いた。

そんな声があちこちで聞かれた。


いつもその話から始まり。

ひとつの疑念に辿り着いた。


「あんなに小さな女の子が」

「雨で大水が出てる日にねえ」

「一人で川になんて行くもんかね」


「川に誘ったものがおるらしいよ」

「あの子の近所の家のスクラップ…」 

「ああ!あの小僧ならやりかねん」


アヤナちゃんを川に誘った者がいる。

しかも同じ集落に住む小学生。


「あのどうしようもない子」

「ヤスアキって言ったかね」

「ああ!あれば性が悪い」

「親もよくないよ!」

「ご近所でもねえ」


増水した川の淵まで連れて行き。

川に突き飛ばして殺した。


そんな話が集落に流れていた。

根拠がない流言ではなかった。


両親からの届けを受けた県警も無能ではない。事故と犯罪の両面で捜査していた。

その結果もやがて判明した。


一人で沢に下りたわけではない。

アヤナちゃんには連れがいた。


アヤナちゃんが流された淵川。 

川岸までの道は限られている。


ひとつは県道と民家のある集落に架かる橋。残りの二つはけもの道だ。


普段は笹や樹木の藪に覆われ。

勾配も急で地元民しか知らない。


伏流水が懇々と湧き出す滝のある淵。

川を隔て左右の入口は舗装されていない。誰か人が下り。その際に踏みしめられた崖に出来た赤土の道だ。


付近に生えた藪につかまらなければ、たちまち底まで転がり落ちる。


実際落ちて亡くなった人もいた。


とうてい、女の子一人が行ける場所ではない。幼い子供なら行こうとすら思わない。道の存在も知らないはずた。


その日の日曜日二人で歩いていた。

そんな近隣の人の証言もあった。


滝の淵の入口のひとつ。

実家の蜜柑畑沿いにある。


一度誰かがそこを通れば。

泥濘む赤土には足跡が必ず残る。


次に誰かが踏まない限り。

刻印のようにそこに残ったまま。

最近誰かが沢に下りた跡があった。


子供の靴と思われる二組の靴跡。

それが点々と残されていた。


二人の住居から俺の家に向かう途中。

アヤナちゃんは俺の家に来る途中で、

そいつに声をかけられたのか。


小学校の遠足で見た牛のメグちゃん。

牧場の動物たちを外へ連れ出す。

悪い目をした山羊を見た。


どうしても思い出してしまうんだ。


大人たちが言うように。

その少年が連れ出した。


アヤナちゃんは流れる濁流に落ちた。


大人たちが言うように突き飛ばした?

子供がそんなことをするだろうか。

子供が子供を殺すなんてことが。

そんなことはテレビでもない。

どんな本にも書いてなかった。


少年はずっと黙っていた。

女の子が集落から消えて。

行方不明と周囲が騒いでも。


警官が自宅に来るまで。

ずっとそれを隠していた。


俺が小学生になった時。

じいさんが亡くなった。

その遺体と家で対面した。


火葬場で焼かれ骨になった。

その骨を大人たちに促され。

火箸を持ち拾った。


そんな体験をするまで。

人の死など理解出来なかった。


テレビでは毎日人が死ぬ。

でもそれは本当ではない。


画面の中で誰かが誰かを殺す。

そしたら正義の匕ーローが現れる。

悪いやつはやっつけてくれるはず。


「悪いことするとお巡りさんに捕まるよ!」


みんな大抵そう言われて育つ。

でもアヤナちゃんは殺された。


大人は口々にそう言うのに。

ちっとも犯人はつかまらない。

テレビにも新聞にも載らない。


つかまらないで。

科も罰も受けずに。

今もそこらを歩いてる。

小学校にも通ってるらしい。


ひとつふたつと。

年を取りながら考えた。

誰もが考えることを止めても。

噂とその少年は集落に居続けた。


その時感じたこと。

轟轟と流れる川の水。

囀りのような人の噂。


それはあの雨の日と同じ音。

深い霧の中から現れて人を浚う。


湿った真黒なブーツの爪先。

その踵が箱庭を踏み潰した。


台風や長雨が続くと郷里の川は荒れ。

淵川を流れる水の音は轟瀑に変わる。

飛沫は顔に耳の奥深くまで響いた。


いつでも絶えまなく。

鳴り止むことはなく。

それは聞こえていた。


肘の傷痕を見る度。

指先で触れる度に。


何か喋りたそうにして。

憤るように疼くんだ。


「覚えているよな?」


それを覚えているのは。

今では俺と傷痕だけだ。

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