第13話 ぼくの箱庭へようこそ


「いいの?」


俺は頷いた。


アヤナちゃんは小さな掌をのばした。

そっと俺の右腕の包帯に触れる指先。


「ほう」


溜息を漏らした。


いつも彼女は俺の家に来た時。

そうして包帯に触れたがる。

まるで通行証みたいだ。


「痛くない?」


俺は頷いた。


傷口は瘡蓋になりかけて。

包帯を染める色を変えていた。


彼女が「かっこいい」と言った鮮血。

それとは程遠くなってしまった。

滲んで乾燥した赤黒い紫色。


それでも彼女は満足したようだ。


「痛くなくてよかったね」


女の子が笑うとうれしくなった。

女の子が笑うとうれしい。

その時に初めて知った。


「おもちゃはあっち!」


玩具箱が置いてある廊下。

南向きの廊下の隅っこ。

日当たりのいい場所だ。

小走りで向かう素足。


廊下にぺたんと座り込み。

すごく真剣な顔をして。

玩具を吟味している。


「お菓子…持って来る!」


俺は反対方向に駆け出した。

確か掘り炬燵のある居間には。

買い置きのお菓子があるはすだ。


初めてのお客さん。

訪ねて来てくれた。

遊びに来てくれた。


記憶に残る一番古い友達。

それがアヤナちゃんという子。


足がなんだかふわふわして。

胸の奥がぽかぽかした。


そんなことを覚えている。


自慢の玩具箱の中身。

おそらく女の子は好まない。

そんなものばかり詰まっていた。


特撮のヒーロー、ロボットアニメ。

一度は玩具を集めた経験のある。

そんな男の子ならわかるはず。


匕ーローの数は敵よりも少ない。

敵の数は全話数を越えるほど多い。


したがって玩具箱の中は悪の巣窟。

怪獣や怪人たち…悪の組織の手下で溢れる。


この世は悪人より善人の方が多い?

それとも少ない?

性善説は本当か?


それは定かではない。

未だ確定していなかった。


少なくとも、陽だまりの中、玩具箱から顔を覗かせている。アヤナちゃんを見つめ返すお人形たち。みんな悪いやつらばかりだった。


そんな悪党面たちを彼女はひとつひとつ手に取る。そして廊下の床に手際よく並べた。


「御飯よ!」


ゴジラが吠えた。


「玩具はちゃんと片づけなさい!」

「まあまあ母さん!」


頭に角を生やしたロボが間に入る。

どうやらお父さんらしい。

そして間があいた。

俺の番だ…!


『イー!』


俺は戦闘員を三人並べて返事をした。

なんたって戦闘員三人分だ。

子供俺史上最高に声を張る。


「そ…そう…いい子たちね!」


アヤナちゃんは笑いをこらえて。

子供たちに言った。


手にした大怪獣が小刻みに震えていた。



「へえ•・あんたん家のおばあちゃんって、そんな風に言うんだ!?」


やはり祖母はゴジラが相応しい。


「じゃ…この隅っこでみんなをじっと見てるのは?」


「お母さんかな…」


「待って!あたしこの怪獣知ってるよ!待って!言わないで…そうだ!ガラモン!ガラモンでしょ!?」


「ぶーこれはピグモンです!」


箱からガラモンを出して見せた。

ピグモンとガラモンは瓜二つ。

よく間違えるトラップなのだ。


「ガラモンは…蝉星人が地球に送り込んだ悪い怪獣で…ピグモンはいい怪獣なんだ!」


ちなみにガラモンは体長40m。

ピグモンは1mで10Kgしかない。


「ジャングルで、イデ隊員がピグモンを見つけた時、見失わないように風船を撃ち込んだんだ…だから風船がついてるのがピグモンなんだ!」


「この遠くで見ているピグミンが、あんたのお母さんに似ているの?」


「かなりね!」


俺はかなりの確信を持って頷いた。


「あんたもあんたのお家も面白い!」


アヤナちゃんはそうは言ったが。

自分の家が特別変わっている。

今まで思いもしなかった。


この場所で生まれて。

ここ以外知らない。

これまではそうだ。


アヤナちゃんとの遊びの中で垣間見える。

アヤナちゃんとその家族。


それは随分実家のそれとは違う。

それは当たり前のことかも知れない。


アヤナちゃんの家は、お休みの日に家族で食事に出かけたり。時には旅行だってする。

悪いことをすればお母さんは怒る。

お父さんともよく話すみたいだ。


おばあちゃんやおじいちゃんもいて。

怒られた後はよく慰めてくれる。


こっそり「ないしょだよ」そう言って。

お小遣いや菓子を買ってくれる。


「甘やかし過ぎないで下さいね」


お母さんはいつもたしなめる。

うちとは全然違うのだな。

子供心にそう思った。


それは女の子同士が遊ぶままごと遊び。

小さい男の子なら遊びに加わることも。

でもいつしか線が引かれて。


「そんな女の子の遊び出来るかよ」


俺もいつかそんな風に言って。

男の子の遊びの輪に入ったかも。

そんなことも忘れてしまうだろう。


でもそれは俺にとって箱庭療法。

それともパーキーパットの日々。


いずれにせよ訪れた日。

とても大切な時間であり。

なにより楽しい遊びだった。


他人との比較は人生の始まり。

不幸や幸せを呼び込む手掛り。

そのために幼稚園や学校に通う。

この世界や社会で生きて行くために。


大切なこと。

けして忘れない。

忘れてはいけない。


それはすぐに失われてしまうものだ。

いつしかそう思うようになった。


「金色」


アヤナちゃんが俺を指差して言った。


「金色の髪の毛があるのね」


「そう?」


フサ姉ちゃんに部屋でブラシをかけられ。

強制ドライヤーの熱風を浴びている時にも。そう言われたような気がする。


「髪の毛ももこもこして」

「生まれつきなんだって」


ピグモンの子供だから仕方ない。

俺は生まれつきくせ毛が酷くて。

朝起きると髪の毛が爆発したみたいだ。


「あんた…前髪に、金髪や茶色毛があるじゃない!染めてるの?」


幼稚園に上がった時に先生にも言われた。

別に幼稚園に頭髪違反の校則などない。


元ヤンキー親の中には、子供の髪の毛を染めたり、剃ったり、編んだり。

そんな親もいるのだ。


色んな大人がいて。

色んな子供がいる。

この世界。


怪獣たちは今日家族になった。

彼女が帰ってからも。

そのままにして。

暫く眺めていた。


「これは…大人になったら、ここから白髪になるかもね〜」


ようは前髪の色素が他の黒髪部分より薄い。それだけだ。


「髪染めてる?」

「生まれつき!」


間髪入れず答える。

そんな癖が自然と身についた。


「生まれつき」


俺はアヤナちゃんにもそう言った。


「色も白いし痩せてて」

「ご飯もお菓子もたくさん食べるよ」


たくさん食べてもあまり太れない。

色白は家の中にばかりいるせい。

髪の毛の色はなにかの忘れ物か。

それは俺にはわからない。


「あんた女の子みたいね」


それも後々言われることがあった。



「あれ…」


中学生の時に友達に言われた。

確か同じクラスのぶーちゃん。


「今イッチの横顔が女に見えた」


「お前…俺が女に見えるとか…相当やばいぞ!欲求不満か!?」


「そ…そうだな!イッチ全然そんな見た目じゃないものな…俺やばい?」


「あんたってさあ…普段ぼそぼそ喋って、何言ってるか聞き取れないけど、ちゃんと話すと面白いね!」


中学の時好きになったキュートな女子。

工藤さんが俺にそう言った。


「そう…かな…ありがとう…」


好きな女の子から褒められた!

ディスり混じりでもいいとこ拾え!


「あんたって女の子みたいね!」


女の子みたいは恋愛対象外!

秒でフラグ折られた!


「前世は女だったかもなあ」


そんな風に溜息混じりに思った。


どっかの外国人の女だった。

金髪はその名残りか。


ちょっとだけ妄想した。

ロマンチックにしたかった。


久しぶりに紅をさしてみたい。

そんな気分だった。



「お姉ちゃんがお化粧したの?」

「それで女の子の洋服も?」

「でも髪は生まれつき?」


俺はこくこくと頷いた。


「ひどいお姉さんね」


そんな共感の言葉を期待した。


「いいなあ…うらやましい!」


女の子の言葉は予想を越えて来る。


「私もお化粧して綺麗なの着たい!」


「そうなの?でもぼくは…」


ままごとの奥さん口調のままで、

アヤナちゃんは言った。


「『お化粧は触っちゃだめ!』…ですって!」


「お母さんのだから?」


アヤナちゃんは首を振って言った。


「お化粧は子供には毒だから」

「毒だからだめなの」


それは子供に触らせない方便である。大人の使う化粧品が子供の肌にはよくないこともある。それに必要ない。


勿論うっかり口になどしたら大変だ。

だからアヤナちゃんの母親の言葉も、

あながち間違いではなかった。


「そんな子供によくない毒みたいなものを…」


俺の顔に塗りたくって悦に入っている。

叔母に対して憤懣やるかたない。

怒りがふつふつとわいて来た。


家にはおばあちゃんや叔父さんたちが買ってくれた玩具がたくさんあった。


幼稚園に行くとそれを目当てに友達がたくさん家に来るようになった。


アヤナちゃんは、女の子の服を来て、お化粧までしてもらえる女の子を見て。それであの時声をかけたのか。


少し時間が経ってから。

そんなことを考えた。


「お化粧の匂いはなんか甘くてさ」


あまり好きじゃないと俺は言った。


「でもマキロンは嫌いじゃない」


巻かれた包帯を指差す。

彼女はこくりと頷いた。


「病院の匂いと同じ」


返事をするかわりに鼻を近づける。

くんくんと犬みたいに匂いを嗅いだ。


包帯ごしに伝わる鼻先の感触。

唇から伝わる湿った息の温度。

なんだかくすぐったかった。


「あんまり匂いしないね!」


包帯を巻く時傷口にたっぷり振りかけた。

消毒液はすぐに乾いたようだ。

匂いもすでに消えていた。


アヤナちゃんは日曜日の午後に来る。

夕方五時の広報が流れる前に帰る。


それまでに帰宅するよう言われていた。

俺はすぐそのルーティンを覚えた。

普段の日は学校があるのだろう。


日曜日はアヤナちゃんが遊びに来る。

いつしか心待ちにしていた。


その日になるとそわそわして。

窓の外を何度も眺めて見たり。

時には家の外に出て待った。


彼女が来ない日でも。


「来るかも」


「家の前を通らないかな…」


そんな風に彼女を探した。


それは初恋ではない。

仲良く遊んでくれる。

いいお姉さんだった。


そして初めて出来た友だち。


「フサ姉ちゃんじゃなくて」


家のお姉ちゃんはアヤナちゃんがいい。

玩具箱のフサ姉ちゃんを指で摘む。

それはダダ星人だった。


代わりに女の子の人形がひとつあればいい。

それがぼくの家にいるアヤナちゃんなんだ。

女の子の人形は玩具箱にはない。

叔母の部屋にも置いてなかった。


しかしある日の日曜日を堺にして。

アヤナちゃんは家に来なくなった。


それから二度と会うことはなかった。

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