第10話 ぼくの屋根裏部屋へようこそⅡ



食べ物と洋服には不自由しない。

そんな星の下に生まれたらしい。


色んな占いやカウセリング等でも、

そう言われることが多かった。


その言葉を体現するかのように。

祖母は俺の洋服を大量に買い込んだ。

過剰在庫で袖を通さない服もあった。


袖も通さなかった服たち。甥っ子兄弟や、近所の子供にでも貰われたのだろう。そのまま箪笥の肥やしになるよりはずっといい。


なんか見たことのある服を着た子供。

近所の道で出会すことが多々あった。


祖母が母親に気前よく金を渡し。

母は俺を連れて町へ洋服を買いに。

ようやく町に出て羽根をのばせる。

母親にとって束の間の休日だった。


尤もその金は、父親と母親が働いて稼いだ金であったが。その時ばかりは「美味いものでも食べさせてやれ」と金を手渡す。


無給の母には砂漠に雨。

それとも三途の川の渡し賃。

とにかくお金が使い放題だった。


母は俺を連れてうきうきしながら町へ出た。


しかし母のうきうきデーにも。

小姑の横槍が入ることになる。


「義姉さんが買ってくる子供服には、いちいちセンスが欠けていると思う」


いまいちではなくいちいちである。

祖母も叔母のフサ姉ちゃんにしろ。

男の子の服を選ぶ目は曇っていた。


祖母にいたっては、七人の男の子を次々産んで育てた。経験豊富であるにも関わらず。

祖母が買ってくれる服は良いものばかり。

普段使いの汎用性が著しく欠如していた。


「男の子なんて、ただムダに大きくなる一方!女の子みたいにかわいい服なんて、いちいち選んでたら、すぐに着れなくなるんだよ!」


無駄になるのは洋服で、大きくなることではない。甥っ子のヒロ君とマー君の母親であるマサ子おばちゃんは、よくそんな話をしていた。


マサ子おばちゃんは概ね正しい。


よほどセレブのお坊ちゃまでもない限り。

服は外で汚す。すぐに着れなくなる。

見た目なんて。そんなに重要ではない。


着せる側の自己満足でしかない。

特に祖母と叔母の場合がそうだ。


「うちが似合う服選んでやるよ!」


そう言って叔母は祖母から金を巻き上げた。要するに俺をだしに利用してるだけ。

服代をちょろまかしたいだけに思えた。


祖母は金遣いにはどんぶり勘定。

細かく釣銭など要求しない。

孫の名前さえ出せばいい。


金を巻き上げるにはちょろい相手だ。

それを叔母はちゃんと知っていた。

祖母ATMの暗証番号は孫の名前だ。


確かにフサ姉は現役の女子校生だった。

家の女の中で一番年齢が若い。


流行りの洋服にもそれは詳しいはず。

普段からお洒落雑誌の山を積み上げて、

にやにやしてる気持ち悪い人だ。


時々おぱけみたいなパックをしたり。

俺の顔にも薄切りの胡瓜を貼り付ける。


なので俺に意気揚々と買って来た洋服。

デザインのセンスや生地だってそれ也。

母親が選んだものよりよかったはず。


でもまったく覚えてない。

覚えているはずがない。


その年齢の男の子に洒落けなどない。

洋服なんて本当にどうでもいいのだ。


記憶なんて残っていない。


実はそれも嘘である。

今も記憶に残っている。


叔母の買って来た洋服たち。

その中には忘れ難い物もあった。



右腕の肘上にある傷痕。

それは多分一生消えない。

その傷を見る度にひらめく。

最も古い記憶のひとつだった。




いつも叔母に部屋に呼ばれた。

母屋にあった二階の階段を上がる。


それは本当に簡素な造りの欅の階段。

後付に設けられたものではないか。

長年俺はそう思っていた。


足を乗せると軋む。

踏み板の幅も狭くて。

傾斜も子供にはちょっときつい。


それは表の二階納屋と同じ。

居住目的以外の空間。

いわば物置だった。


平屋の屋根と屋根が重なり合う。

三角形の空間には明り取りの窓。


実家の母屋は築70年を越えていた。

玄関を開けてすぐに土間があり。

土間はかなりの広さだった。


玄関のすり硝子の戸を開ける。

右側が階段の上がり框だった。


以前は実家で麦の栽培もしており。

冬の間はそれらを束ねたりした。


行事の際には親族の嫁が駆けつける。

雨天や夜間でも土間に臼を運んで。

そこで威勢よく餅がつかれた。


蒸籠で蒸した餅米をみんなで捏ねて。

枝に色粉を混ぜた節分団子を刺した。

あまり触らせてもらえなかったけど。

団子作りの作業は楽しかった。


ちょっとした人数なら余裕で収容可能。

社交ダンスくらい踊れる広さだった。


「だんだん麦とかも作らなくなった」


土間はただっ広いだけの空間になった。

今はどの家も餅も団子も作らない


やがて俺が活発に歩き始める頃。

まず玄関から畳の間に上がるのに難儀した。


両手をついて飛び上がる。

そうしなければ家に上がれない。


父は自分で建材を買って来た。

コンクリの土間にクロスを張って。

格子柄の床を一人で組んでしまった。


「兄ちゃんはそんなことも出来るの!?」


さすがに、その時ばかりはフサ姉ちゃんも、父の仕事ぶりに驚いたらしい。


父は材木さえあれば家も建てられた。

家の基礎の工事から大型トラックの運転。

建築のための図面まで引ける。

すべて下働きから覚えた。


材木の寸法を計る墨壺もあったが、

定規をあてるだけで殆ど使わず。

建材はどれもぴたりと収まった。


「学校にはあまり行かなかった」


俺には学はないと笑いながら。


「けど金になる仕事は片っ端からやったなあ」


いつか俺にそんな風に話していた。

すごく器用で鋸でも鉋でも使える。

それもこれも家のため。


兄妹や両親に不自由させないために。

懸命に働いた結果覚えたことだと。


「生まれつき器用な人間なんていない」


いつもそんな風に話していた。

父親は手先の器用さは折紙付き。

でも要領よく生きるのは下手だった。


とにかく手先が不器用な俺と妹。

父親の才も経験も受け継いでいない。

俺は学校でも有名な不器用者だった。


叔母のフーに呼ばれて上がる二階。

それは俺には楽しくない時間。

むしろ憂鬱でさえあった。


叔母の部屋は二階の物置部屋。

しかし表の納屋とは勿論違う。


上段框まで階段を上る。

ピンクのカーテンが出迎える。

慣れるまで目がちかちかする。


とにかく落ち着かない部屋だ。

サッシ二枚の窓から差し込む光。

採光はとても明るくてよい。


暗くて、じめじめしたネズミの棲家ような、屋根裏部屋の雰囲気はない。


絨毯も派手。何処ぞのアラビアンナイトかクリスマスか。娼館かと見紛う。


壁には流行歌手のポスター、婦人雑誌の表紙を飾る、外国人モデルたちの切り抜き。偶像肖像がひしめき合う。


それこそ隙間なく。

べたべた貼られている


綺麗なものばかり掻き集めて並べる。 すると何故か下品という言葉になる。


部屋の隅に置かれたベッド。

階下や外にはない色だ。


自然界にはけしてない。

人工甘味料のような色彩の部屋。

そこで叔母が手招きして待っている。


「俺の買ったばかりのステレオが…ない!?」


「あいつ!ギターなんて弾けねえくせに!また持っていきやがった!」


「フー!?」


叔父さんたちの悲鳴に似た声。

その戦利品で部屋は出来ている。


叔母は屋根裏に住んでいた。

でもアニメのハイジではない。

欲しいものは手当り次第かっぱらう。


山賊の娘だ。


俺は山賊の娘の部屋に呼び出しをくらう。さらわれた哀れな子供だった。


叔母の部屋は甘ったるい空気で満たされ。

安い化粧品売場の匂いがした。

その香りが好きではなかった。


「あんた女臭くなるよ」


そう言って叔母はいつも俺を誂った。


唯一好きだったのもの。

黒い真鍮の古い足踏みミシン。

誰がいつ使っていたかわからない。


祖母や叔母がミシンや縫い物をしてる姿。

そんなの生涯見たことがない。


布を掛けられたまま放置されていた。

その不思議な機械のようなフォルム。

未来や過去へ飛べそうな機械みたいで。

とても好きだった。


部屋じたいの造りは好きだった。

天井がなく剥き出しの梁。


それを見るのが好きだった。


ケヤキの胴差しニ階台。

昔の農家は平屋が殆どだった。


蚕部屋や収納スペースに使用される。

必ず二階部屋が一つ設けられていた。


母屋の大黒柱は確かに立派だった。

そこで絵本など広げよく読んだ。

古い農家の建物は風通しがよく。

冬場は冷えるが夏は涼しい。

背もたれには丁度いい。


母屋の柱は目に見えるように建てられ。それぞれに名称があった。


どれもよく加工され捻くれなどない。

そうした柱たちを説明されても。

特に興味がわくことはなかった。


それよりも屋根に張り出した太い古木の梁。それらを見るとわくわくした。


「この部屋の薄い壁板を一枚剥いだら」


叔母の部屋に上がる度に想像した。


雄々しい角と背中のステムダー厶。

恐竜の骨の名前ならまかせとけ!


頭側から頚椎は七つ、胸椎十二、腰椎五、その下には仙椎、そして尾骨がある。


ステゴサウルス、アンキロサウルス。

尻尾の先に骨質の塊のハンマー装備!

恐竜のことなら何でも知ってるぜ!


それこそページに穴が空くくらい。

買ってもらった恐竜図鑑を見て覚えた。


想像してみるんだ!

この家の見えない骨組ときたら!

きっと恐竜の化石みたいに違いない!


高校の時によく聞いたアルバム。

彼女は英国出身のミュージシャン。

ケイトブッシュのアルバムを買った。


タイトルはライオンハート。

衝動的なジャケ買いというやつだ。


アルバムの写真の物置部屋。

その時過ごした部屋に似ていた。


そこにいるのは恐竜ではなく。

獅子心王リチャード1世でもなく。

ライオンのきぐるみを脱いだ彼女。

英国らしいひねりが効いたフォト。


ライオンハート。

ピーターパンを探して。

いつも自分の部屋で聞いていた。


すべてが事後となり。

それまでのよいこと。

それまでの悪いこと。

それまでの風が止み。


少しだけ人生が凪いだ。

そんな時に聞いていた。

初めて聞いた時から。

いつでも忘れ難い。

ずっと懐かしい。


今はもう記憶を辿るだけ。

叔母の部屋はもうない。


「ああ、こっち来て!」


そんな少年の夢と空想を打ち砕く。

現実の叔母の声にげんなりする。


「さっきから壁ばかり見て!」


「変な子だね…あ!もしかして!そのポスターの女の子見てた!?」


俺は首を猛烈に振って否定する。

叔母のフサ姉ちゃんは粘着だ。


たまたまテレビを見ていて。

歌番組にアイドルが出ていると。


「どの子が好き?」

「えと…この人かな…」


俺に必ず答えさせる。

めんどくさいので適当に指差す。

ずっとしつこく誂われるはめになる。

アイドルや芸能人に興味はなかった。


俺のアイドルはキャシーブッシュ。

それは彼女の子供の頃の呼び名。

嵐が丘のヒロインと同じ名前。


それから現実に出会う女の子だけだ。

どちらかと結婚すると本気で考えていた。

俺の未来に叔母はいないはず。


「早くこっち来て〜」


とにかく逆らうとめんどくさい人だ。

俺は大人しく従うしかなかった。


言われるがまま。

なすがままに。


彼女が手招きする方へ。

化粧台の鏡の前に座る。


叔母その間終始上機嫌で。


「ほら!動いたら口紅が仄ける!」

「あんたは色が白いから」


「お化粧しがいがあるわ」


好き放題化粧品を塗りたくる。

俺の顔をなんだと思ってるのか。


「あんた女の子なんじゃない?」


そりゃあんたより化粧のりはいい。


「私も妹が欲しかったなあ」


これ以上闇黒の未来などごめんだ!


他の叔父さんたちに誂われ。

弄られことだって多々あった。

布団蒸しにされたり。


けれどそれは遊んでくれてただけ。

あくまで遊びの延長だった。


彼女の俺弄りはそれと違っていて。

これが一番嫌な時間だった。


どうやら赤ん坊の頃かららしい。

こんな小さな子供に化粧品なんて。

皮膚にもすごく悪いし虐待だと思う。


最初は男の子女の子の性差などない。

しかし次第に自我というものが目覚め。

俺は抵抗して嫌がるようになる。


ロボットアニメやヒーローの特撮番組を毎日夢中で見ていた。その大半は再放送だった。コンプライアンスなんて言葉はなかった。


昔の子供向けのアニメ作品の大半は、現在は地上波で放送出来ないらしい。

暴力表現や差別用語が当たり前だった。


高度経済成長も陰りが見え始めた頃。

地元もその代償を突きつけられていた。


公害による環境汚染は深刻だった。

連日新聞記事に掲載された。

そんな時代に俺は生まれた。


日本にまだまだ活気があった時代。

その余勢をかって山ほど生産された。

いけいけで正義のために戦うのが男。

そんな主人公たちを見て育ったのだ。


途中からかっこいい悪役に憧れた。

ダークヒーローが魅力的に見えた。


蚊蜻蛉みたいにひょろかった俺だって。

男の子の自覚は芽生える。


次第に叔母に逆らうようになった。


するとこの山賊の娘。

くすねた兄のステレオを指差し。


「うちの部屋でしかアニメとか?怪獣の歌は聞けないけど?いい?」


そう俺に言うのだった。


せっかく買ってもらったんだ。大好きなアニメや匕ーローの主題歌をかけて欲しかった。

それが聞けないのは苦痛だ。


だから呼ばれたら黙って従った。


「ミキちゃん可愛いわ」


俺の名前を…上だけ女の子呼びするのもやめて欲しかった。


時々ぎゅっと抱きしめられた。

むせかえるのだ。安い化粧品。


カナリヤのおばちゃんとは違う匂い。


「ああ…女臭くなっちゃうね!」


女臭いどころか女にしようとしてる。

あんたの大好きなイケメンのキミオ叔父さん。俺はほど遠いと言ったくせに。


どんどん遠ざけてるのは他ならない、

フサ姉ちゃん!あんただよ!


当時の俺にそんなことを言える口はついてない。しかし抵抗はした。


抵抗はいつも虚しい徒労に終わった。

俺は度々叔母の部屋から脱走した。

すぐに部屋に連れ戻され。


「あんた!お母ちゃんや、兄ちゃんたちに言ったら…承知しないよ!」


俺の服の襟元をしっかりつかんで。

叔母は耳元でそう囁くのであった。

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