第8話 怪獣たちのいるところⅢ
角隠しに白無垢の花嫁を見た。
生まれて初めてのことだった。
元々武家の嫁入り装束である。
帯の左側に懐刀を挿し。
ます入りしたとされる。
勿論直挿しではない。
短剣は帯の左側の布袋に収められた。
現代でも和装の婚礼の際。
布袋は懐刀の名称で。
白無垢に欠かせない。
たとえ名家や武家の息女とはいえ。
女子に帯刀は許されなかった。
しかし武家の娘の嗜みとして。
自らの自衛と決済のため。
懐刀は嫁ぐ花嫁に許された。
白無垢にはその家の色に染まる。
そのような意味も含まれている。
そのフォルムに何の知識も持たない。
ただ子供の自分には異様だった。
白は古来より神聖な色であり。
邪気を払う太陽の色とされた。
白装束は葬儀や帷子にも使用された。
特に打掛は着物の中でも高級であり。
婚礼には欠かせない色彩であった。
明治時代の文明開化。それは洋装文化の始まりでもある。やがて葬儀にも黒が使われるようになり。白無垢は婚礼のみ使用となった。
まるで物語の世界から飛び出した。
西洋の鎧か侍の甲冑に見えた。
白無垢の花嫁の立ち姿。
現在では廃れかけた風習。
出立ちである。
家族に見守られながら身支度を整えた後。ご先祖様への仏前参り、ご両親への嫁入りの挨拶をして。ご近所の皆様に見送られて。
花嫁は婚礼に向かう。
最近では白無垢も時代に合わせてか。
かなり洗練されている。
角隠しにも物々しさはない。
ふんわり、お洒落で、可愛らしい。
綿帽子などが好まれるようになった。
玄関に立つ花嫁は角隠しを額まで被り。
表情は白塗りの化粧に隠れ。
それは幽霊でも何でもない。
ご近所の娘さんに違いない。
それでも俺は竦んだ。
それも束の間。
「綺麗」
背中越しの声に振り向く。
同居している叔母のフサ姉ちゃん。
祖母は姉ちゃんの後ろに立っていた。
祖母は顔にも体格にも厚みと圧があり。
二人の距離感がおかしいことになる。
普段から少しも角を隠そうとしない。
漬物石みたいな風貌の祖母までが、
今日は満面の笑みを浮かべていた。
こんな笑顔の祖母。
初孫の俺以外に向けない。
まして嫁である母になど皆無である。
「素敵!」
「見違えたわ!」
忽ち家の外から駆けつけた女たち。
花嫁を取り囲んで歓声を上げた。
次々に祝福の言葉が飛び交う。
それで緊張が解けたように。
口元の紅梅の蕾が少し綻んだ。
父の兄妹の一番下の妹であった。
地元の商業高校に通っていた。
実家に棲む俺の天敵。
フサ姉ちゃん。
俺を押しのけるようにして。
花嫁の名前を呼んでいた。
この家の主である祖母の娘。
その過剰なる庇護の元で育ち。
一番最後まで実家に残っていた。
両親と祖父母。
叔父と叔母たち。
俺は大勢の大人たちに囲まれ育った。
実家住まいの父の兄妹は三人。
実際は八人兄妹だった。
叔父さんたちは歳の順に家を出た。
東京で就職してそちらで結婚したり。
ヤクザ者の仲間入りをした挙げ句。
実家を出禁になる人もいた。
皆俺が幼稚園の時には就職して。
実家から巣立って行った。
毎年適齢期を迎える叔父さんがいて。一年に一度は必ず結婚式が行われて。新築の建前の祝いをやってるような。実家は茶鍋が常に沸いているような。そんな時期だった。
皆が近隣に実家の土地を与えられ。
持家を建て夫々独立して行く。
フサ姉ちゃんも地元の農協に就職した。
よほど実家の居心地がよかったのか。
最後まで実家に居残り続けた。
伯父たちにも寵愛を受けて育った。
俺は紛れもなく実家の王子だった。
その立ち位置に揺るぎはなかった。
ただしフサ姉ちゃんを除いてだ。
気が置けないの反意語は何だろう。
やはり気が張るとかになるのか。
フサ姉ちゃんはそんな存在だ。
フサ姉ちゃんは俺の母親からすれば小姑。
父の兄弟の中での女兄妹。
一番末の妹である。
他の兄弟や祖母から大切にされて育った。
わがまま放題のお姫様だ。
本家の跡取りである俺が生まれて。
途端に王位継承権から陥落した王女。
この家で唯一俺に当たりが厳しい。
当時家で一番幼かったせいもあり。
俺は叔父さんたちにとっていい玩具。
毎日弄られた。誂れもした。
しかし姉ちゃんの弄りはかなり特殊。
「あんたが生まれる前はうちが!」
時より言葉に本音が混じっていた。
俺は彼女に苛められたのではない。
普段はかわいがってくれてはいた。
ただ他の家人とは違っていた。
自分以外の他人にはやたら厳しく。
派手なものや流行に目がなかった。
いつも顔に出来たニキビを気にして。
化粧も濃くて。付け睫毛の瞬きに慄く。
それは揚羽蝶々の羽ばたきか。
簡素な田舎の集落の中で唯一ギャル。
同年代の近所の女の子からは、やはりちょっと怖がられ気味だったようで「フーちゃん」と呼ばれていた。
フーテンのフー姉ちゃんだ。
しかも寅さんみたいに優しくない。
叔母が一番祖母に性格が似ていた。
就職して家に稼いだ金を少し入れて。
やたら金回りがよかった叔父たち。
父の兄弟の叔父たちは羽振りがよく。
それは格好良くも見えた。
新車のバイクや車を次々乗り換えた。
実家の車庫には収まらない。
乗り捨てられたバイクたち。
他の兄弟のお下がりとなることもなく。
下取りに出されることもなく。
車庫の中や外に放置されたまま。
ただ赤錆び鉄屑になるの待ちながら。
降り積もる経年と雨埃を被っていた。
それがとても悲しげに見えた。
お洒落にもお金を使い始めた兄弟が、
叔母には格好良く見えたのだろう。
とても愛想がよく。よく懐いていた。
朝も夜も働いて実家を支えていた。
俺の父には終ぞ関心がなかった。
化粧っ気もなく毎日畑に出て。
同じように働き詰めの母にも。
その態度はしごく冷淡だった。
義姉とも思わず軽蔑していた。
そんな言動に触れることも多く。
子供心にも胸がちくりとした。
そんな叔母でさえ瞳を輝かせる。
乙女にしてしまうのだから。
花嫁衣装と結婚の魔力。
ご近所の女たちからも祝福され。
花嫁は嫁いで行った。
その花嫁の名前の記憶はまったくない。
花嫁衣装とは花嫁の過去もすべて。
リセットしてしまうものだろうか。
叔母は俺が小学校五年までいた。
随分長く実家に居座り続けた。
そのきつい性格と性根の悪さが災いしてか。幾多の良縁を結んだ近所の世話焼きおばさんにもNGを出される始末。未だに未婚だ。
そんな叔母のフサ姉ちゃん。
父の兄弟の中で一番若くして鬼籍に入った。キミオ叔父さんという人。
その兄を溺愛していたようである。
話によると一族きっての超絶美男で、地元では有名だったらしい。
学生時代は、登下校の時間になると、学校の正門の前に他校からの女子生徒が出待ちの列を作ったそうである。
高校を卒業してすぐにバイクへの当て逃げ事故に合い。成人を待たずして亡くなった。
俺が生まれる前の話。
まったく記憶にない叔父さんだ。
実家の広間にずらりと飾られた。
御先祖様たちの遺影。
その末席に白黒のキミオさんの遺影も飾られていた。確かに端正できりりとした男前である。映画俳優みたいだ。
申し訳ないが、祖母にもフサ姉ちゃんにも、まったく似ていなかった。
おそらくは祖父の血筋だろう。
祖母が食事中に俺の顔をみて。
「あんたキミオの面影があるよ」
そう言って目を細める。
するとすぐに横槍が入る。
「まだまだまだ!全然だめ!」
「キミちゃんには遠く及ばないよ!」
俺も下の名前はミキちゃんなんだが。
フサ姉ちゃんは全力で否定した。
確かに、今も昔も、俺はその美男子の叔父さんには少しも似てはいない。
「すんごい数の女の子たちがもう!」
「とにかく!すごかったんだから!」
「『きゃあきゃあ』言って!家まで来たんだからね!もううるさいったら!」
うるさいのはあんただフサ姉ちゃん!
まるで今も生きてるような口ぶり。
多分叔母の中では今も生きてる。
その女の子たち追い返したり。
学校でシメてたらしい。
自分だって丙馬みたいな面と性格を、ぶあつい化粧で隠してるくせに。
フサ姉ちゃんには容姿を否定された、そんな俺だけど。ご近所の御婦人たちには殊の外好評頂いていたのである。
裏の家には(うち側から見て。田舎ではこういう呼び方をする)高校生と中学生のお姉さん二人姉妹が住んでいた。
お母さん共々可愛がって頂いた。
そこで俺は少女漫画をよく読んだ。
テレビのアニメとは全然違う世界だ。
繊細な絵柄。登場人物の恋愛や心情に重きをおいた物語がそこにはあった。うっとりと魅了されたのである。
裏の家は後に家長となる長兄のヨシヒロさんがいて。その名前からヨシヒロさんち。現在ではそう呼ばれている。
当時ヨシヒロさんは高校を卒業して、実家におらず。将来地元で飲食店を開くために東京に修行に出ていた。
丸顔で血色がよく体格もいい好男子。
いつも穏やかな優しい人柄で、道で会う度に、まんまる顔の笑顔を綻ばせて。いつも俺に必ず声をかけてくれた。
ヨシヒロさんの家は、実家から出て、長い坂道の途中にあった。
その一軒隣には従兄弟の家がある。隣とはいえ田舎のこと。狭い堀切りの辻󠄀と石垣の上の畑を挟んで。叔父さんちの家までは、随分距離はあった。
そこには父の三番目の弟。マサヒロ叔父さんの家がある。そこには俺より年下で年子の従兄弟の兄弟がいた。
匕ロ君とマー君である。
田舎ゆえ向こう三軒両隣親戚。同姓の世帯も多く。昔は、マサヒロだの、マサアキだの、ヨシヒロだヒロヨシだのと似たような名前が多かった。
郵便配達や宅配便のトラックが迷う。それは無理もないことだった。
そのマサヒロ叔父さんのお嫁さんはマサコさん。俺のことをよく家に呼んでくれた。お嫁さんに来た時のからずっと。従兄弟たちが生まれる前から。
自分の子供と別け隔てなく。俺が赤ん坊の頃から面倒をみてくれた。今でもすごく感謝している。
長い坂道を上りきるとマサヒロ叔父さんの家。うちから見れば坂止まり。
すぐ目の前の通りにあった。
トタン屋根の電気部品下請け工場。
【光陽電子】
道路沿いの工場のモルタルの壁には、今も手書きの文字で書かれている。
何かの基盤を作る下請けの下請け。
電子部品なんて作っちゃいなかった
そこでは昼間ご近所の主婦が小遣い稼ぎのパートで働いていて。通りかかると呼ばれた。ズボンのポケットを持ち寄った菓子を満タンにしてくれた。
そこからさらに右折すると、天然記念物の大楠が鎮座する神社の階段がある。さらに家一軒通り過ぎて。茶畑の続く道を左に曲がる。すると国道や県道からそれた。そこからは公道ではない。やがて山道の入口に突き当る。
他の集落に抜ける舗装されていない、赤土と笹籔の坂道に続いている。
昼なお鬱蒼として暗い獣道。
当時は未知の領域だった。
山火事注意の看板が立てられていた。
山道の入口には小さな家屋があり。
そこがカナリアのおばちゃん家だ。
お気に入りのご近所さん宅だった。
カナリアのおばちゃん。
実際にはおばちゃんではなく。
まだとても若い御婦人であった。
女性に関する語彙が不足していた。
「ねえおばちゃん!」
「今度言ったら往復びんた!」
フー姉ちゃんにはそう口を摘まれ。
「若い女の子はきれいなお姉さんな!」
叔父さんたちにはそう教えられた。
恥ずかしくて全部おばちゃん呼びだ。
家でカナリアを飼っていて「スタイルがよくて羨ましい」近所の女たちからも評判になっていた。
すごい美人だった。
当時この集落に嫁いで来たばかりの若妻さんで。保険の会社に務めていた。
この辺りではちょっと見かけない。
すごく都会的な女性だった。
俺の実家家から結構離れていた。
そのの家に出入りしていたのか。
今はもうわからない。
子供の行動範囲は侮れない。
大人が考えるよりすっと広い。
そして、大人でも、子供であっても、
美しい人が好きなのは否定出来ない。
カナリヤのおばちゃん。
きっと一人見知らぬ土地に嫁に来て、孤独でもあったのだろう。
おばちゃんは嫁いでからというもの、近所のボスみたいな性悪なおばさんに目をつけられ。特別な理由もなしに、常に目の敵にされていたようだ。
おばちゃんを目の敵にしていたのは、光陽電子の嫁なのであった。
その容姿から派手好きで。
色気で仕事を取っているとか。
子供がなかなか出来ないとか。
だらしがない男好きであるとか。
根も葉もない噂が吹聴された。
俺が大きくなっても耳に届いた。
噂の発信基地は光陽電子に違いない。
旦那が町内会長をしていて。近所の主婦をパートで雇っているから。小金もあり自分も偉いような気になっていたのだろう。町内の会費を集めるついでに、そんな毒を振りまいて歩いた。
カナリヤのおばちゃんは、自分とこの工場でなど働かない。近所の主婦連中のように媚びへつらいもしない。
そして誰よりも美人であった。
それが癪に触っだのか。
光陽電子の名前は自分の息子の光陽君から名前から取った。「賢過ぎる子」息子自慢をいたるところでしていた。
俺が知ってるカナリアのおばちゃん。絶対にそんな人じゃなかった。
ご近所の人とのトラブルもない。
おっとりして上品な物腰しの御婦人。
子供の時にその家を訪ねるのが好きだった。玄関で鳥籠のカナリヤに挨拶するのも。とても好きだった。
カナリヤのおばちゃんの家は、玄関に入った時、とてもいい匂いがした。
それは、おばちゃんの身につけていたお化粧品や、香水の匂い、玄関の芳香剤…それだけではなかったと思う。
やわらかくて、まるでカナリヤの羽色のような。その家の空気。
人が暮らす場所。
その家が持つ匂いだった。
高校を卒業する年齢になった時。
俺は東京で一人暮らしを始めた。
たまに田舎に帰省すると感じた。
もはや実家には両親と妹しかいない。
あのカナリヤの家と同じ香りがした。
祖母や叔父伯母がいた頃。
家の玄関からも両親からも。
どこかひりついた空気が流れていた。
暗鬱であったり沈痛な空気。
その中で幼少時代を過ごした。
実家を離れてみて初めてわかること。
心が安らぐのが実家であるなら。
カナリヤの羽色やさえずり。
人と家が醸し出す匂い。
それに強く惹かれた。
カナリヤの家は俺のせーブポイント。
ライフ補給と維持のために重要。
そんな場所を探し求めていた。
俺はカナリヤ婦人には大変お世話になった。「せめてお礼に」父親は彼女を通して、夫婦共々、彼女が勤める保険会社の生命保険に加入をお願いした。
それを聞きつけたボスばばあが「それ見たことか!」と口泡を飛ばした。
その話を母親から聞いたうちの父親。
いつも寡黙な父親だったが「あの人はそんな人じゃないぞ!」そう言うと、まわりがひくほど激怒した。
普段は大人しくて忍耐強く。人当たりもよい男だが。俺が学校などで理不尽ないじめを受けたり。道理が罷り通らないことがあると。
もう誰にも止められない。
秒でその家に乗り込む。
そんな父親だった。
息子が世話になったから。
信頼出来る人だから。
「保険に入る機会にお願いしたんだ」
「あんたに不都合でもあるかね?」
家で出向いて電子ばばあに抗議した。
いつか随分時が経ってから。
カナリアのおばちゃんが訪ねて来た。
「おかげで…息子が生まれてからも、行きたい学校にもなに不自由もなく、行かせられました!」
深々と父に頭を下げていた。
父は自分の勤める職場にも話を通して。自由に営業が出来るようにしていた。それはずっと後で聞いた話だ。
彼女の息子さんは県内でもトップの進学校に合格した。光陽電子の息子は実はその高校の入試に落ちてしまった。
別にそれはないことではない。
そのために学力に見合った滑り止め。
そちらの学校に行けばよいだけの話。
しかしあまり母親の息子自慢が過ぎたため。気の毒にボスおばさんの息子。
家から出れず引き籠りになった。
それがさらに怒りや嫉妬に火を点け。嫌がらせは続いたようであるが。
もうその頃にはカナリヤのおばさんもか弱い嘆きの小鳥のようではなく。
毒霧や蛇を啄む孔雀のように。
実に堂々してそれを退けた。
そして亡くなるまで変わらずにいた。
年をとっても美しい人のままだった。
そんな大人の話など終ぞ我関せず。
家でも食事やおやつを惜しみなく与えられていた俺。にもかかわらず。
近隣の家々にパトロンを持ち。
あちこちで媚を売りまくって。
エサを貰う家猫のようであった。
媚を売っているつもりなど毛頭なかった。ご近所の女性たちが、ごく一部の例外を除いて概ね善良で、子供好きだったおかげだと思う。
よく知らない集落の大人にも声をかけられた。それはうちの祖母が、光陽電子のボスばばあよりもさらに上手の、年季の入って睨みがきいた。
町内の女たちから恐れられた。
ボスばあさんだったからだ。
父親は反対に祖母と違っていた。
ご近所で人望があったこともある。
祖母は孫バカにしても常軌を逸していた。
実家全体がそうなのである。
俺が悪いことをした時に母は注意した。
頭を軽く叩いただけであったという。
それを見ていた祖母に頬を張られた。
「もしも自分同じことをされたら!どんな気持ちかわかるだろう!」
しかし母親である以上「悪いことは悪い」と子に教えなくてはならない。
祖母の見ていないところで注意したり。叱られたりもした。
当時実家住まいだったトオル叔父さんが、それを見て箒を振り上げながら、母を庭中追いかけ回したという。
これも後で聞いた話だ。
トオル叔父さんはジェリーだった。
背丈が高いのは祖父譲りだった。
一人だけ先祖返りしたように。
一族の中で外国人のような顔。
学校でも「外人」や「ジェリー」のあだ名で呼ばれていた。いつもは明るくて冗談ばかり言う。ひょうきんな叔父さんだった。そのジェリーが豹変した。
ジェリーに箒で追いまわされたこと、
それは後々まで母のトラウマになった。
それで事なかれ主義の母は俺を諦めた。母親であることを放棄した。
祖母たちに俺を委ねてしまった。
母は実家で気配を殺して暮らす。
空蝉の術のようなものを会得した。
小学校に上がるまで実の母親だとは、まるで理解も認識もしていなかった。
「お母さん」
そう呼んだ記憶もない。
女の人か何か。
そんな風に思っていた。
「お母さん」
そう呼べは祖母が笑顔で答えた。
特に疑問には思わなかった。
俺は一体どんな道を歩いていたのか。
こんなことが永遠に続くはずがない。
家に金を入れてる叔父たちも出て行く。
祖母の懐だって寂しくなるはず。
いずれにせよ甘やかされた挙げ句。
俺の末路は学校や社会に馴染めない。
屑の敗者ルート確定だったはずだ。
いつか大人になってから妹が言った。
実家の家を新築した時の話だ。
「お兄ちゃんのアルバム五冊あった」
「うん」
「うち中学まで一冊で足りるよ」
その時気がついたわけでもあるまい。
これが妹が幼い頃からの懸念事項。
というか恨みの根源から出る言葉。
我が家に妹の成長を記録した写真。
そんなのは殆ど残っていない。
そのうちの何枚かは俺が撮った。
妹はまるで途中から来た連れ子。
同じ長男であり長女であるのに。
小学三年生の時に妹が生まれた。
両親と俺以外。
誰も妹の誕生を喜ばなかった。
というか関心すら持たなかった。
だから写真なんて残ってないのだ。
妹は子供心にかなり早い時期から。
それを知っていた。
「お兄ちゃんの子供の頃の服ってさ…これ全部既製品じゃないよね?」
「いやいや七五三とかのだろ?」
「ベレー帽と…お揃いのスーツに、ぴかぴかの革靴!手塚治虫かよ!それにこれ何処の神社?市内にこんなでかい境内のお社見たことないよ!すげえなこれ…ガンダーラか?」
「多分東京の神社」
東京の祖父方の親戚に七五三を迎えた俺をお披露目に行った。その時に寄った神社だ。俺はそこで出された茶菓子か何故か気に入らなくて。
サッシの窓から捨てた。
表の犬にくれてやっていた。
祖母は俺に注意すらしなかった。
俺は注意されないと知っていた。
祖父の弟にあたる叔父さんと。
上品な東京育ちのその奥さん。
俺を見てこう言った。
「犬はそれを食べないと思うな」
「それはもったいないと思うわよ」
俺はそれで「まずいことをした」悪いことなのだと悟った。恥ずかしくて。
下を向いてしゅんとなってしまった。
大勢の大人と暮らす中で学んだこと。
大人の顔色や場の空気を読むこと。
それは他の子供より長けていた。
親戚の家にお呼ばれしたのに。
これは手痛い失態だった。
しかし隣にいた祖母はそんな俺を見てにこにこと笑みを絶やさなかった。
後で大目玉や雷を落とされる。
そんなことはまったくない。
自慢の孫に大満足だ。
一事が万事その調子。
実家の大人たちが祖母に習うように、皆俺に対してはそうであった。
それが異常と気がつくまで。
かなり時間がかかった。
だから俺は学ばなくてはならかった。
多くの記憶は失われてしまった。
それだけは明確に覚えている。
「うちなんか見てこれ!写真館で撮った一枚きり…しかも貸衣装だよ!」
「初孫だから気合が…ほら普段着だって…仮面ライダー昔から好きでさ!」
「何号ライダーまで持ってんだよ!」
「何トラマンまで揃ってんだ!?」
「これが、ウルトラの父で…これが母…これがおじいさんのキングかな…」
仮面ライダーのベルトは衣服の類にもカウントされるのだろうか?
「一応は全種類は持ってたかも…」
「随分なお坊ちゃんだな!」
欲しい物を口に出して言えば。
それが「好き」と口にするだけでよかった。すぐに祖母が伯父たちに言って、必ず何処からか集めて来てくれた。
特撮のヒーローやアニメに夢中になった。それは年齢相応のことだった。
「ウルトラマンや仮面ライダーが好き」と祖母が知れば。縁側の隅に置かれた玩具箱は、匕ーローだけでなく、怪獣や怪人たちで忽ち溢れ返った。
それは恵まれたことだ。欲しくても、玩具どころか、衣服や食べ物だって、満足に買ってもらえない子供だって、世の中にはたくさんいるのだから。
ある日祖母が俺を連れて町に出た。
祖母と二人だけで出かけるのは稀だった。
祖母は、いつも着ているより物より、上等な帯や着物や着てt出かけた。
祖母と手を繋いで歩く。
仄かにショウノウの匂いがした。
祖母が大切にしていた嫁入り道具。
黒金の取手や縁取りが施された。
桐の洋服箪笥の抽斗の匂い。
除虫菊の香りに似ていた。
祖母と連れ立って向かったのは、当時電話局の真横にあった、かなり年季の入ったコンクリートのビルだった。
今はもうなくなって市民体育館になった。東宝会館。現在のような映画館らしさはなく。外観も簡素だった。
東宝制作の映画だけ上映する映画館。町にはその東宝会館を含めて。
合計四つの映画館があった。
今はすぺて閉館した。
劇場は郊外や複合商業施設に移転した。映画館や書店はその町の文化そのものだった。それが既に地元の町から失われて久しい。あとは寂れるにまかせるまま。大人になった俺は思う。
何作目かはわからない。
ゴジラのロードショーを祖母と観た。ゴジラはあまり馴染みがない怪獣だ。
テレビで毎週放送してるわけでもない。日曜日の午後などに、古い映画が、テレビでまとめて放送されることは当時はよくあった。
一応怪獣が出るらしいので。
テレビの前で大人しく見ていた。
けれどそれほど好きではなかった。
ゴジラの主役は怪獣のゴジラであって。怪獣と戦うヒーローは登場しない。なんなら大暴れしたゴジラは人間に勝つ。倒されることもなく。
元来た海に意気揚々帰って行く。
これにはかなりもやもやが残った。
子供ではカタルシスを感じる要素はなく。
所謂大人向けの作品なのだ。
客電が落ちた映画館を覚えている。
けれどその香りは記憶にない。
宙を舞う埃が映写機の光に当たると、キラキラして綺麗に思えた。
それは意思なく空気中を漂うにまかせた。
ただの埃に過ぎなくて。
それは俺の知ってるティンカーベルではなかった。俺が名付けたティンカーベル。もっとも映画のピーターパンのティンカーベルとは既に違っていた。
平日の午前中でも映画館の席は埋まっていた。観客は大半は大人だった。
肩が触れ合うような閉所であっても。
人熱れというものは然程は感じない。
入口の扉を開けた時から漂う。
映画館だけの特有の香り。
ホップコーンや、揚げた方のホットドッグ。紙の箱に上品に詰められた、断面が奇麗なサンドイッチ。
売り場に並んだ食べ物の香りだ。
防音効果のある扉を開ければ。
見たかった映画への期待と一緒に弾ける。ポップコーンの甘い匂い。
俺はようやくわくわくして。
隣の祖母の顔を見上げた。
祖母は俺に向かって微笑むだけで。
館内では何も買ってはくれなかった。
上映開始のブザーが鳴って。
ほどなく映画が始まる。
すると祖母は風呂敷を解いて。
俺の膝に小さな木箱を一つ置いた。
それは来る途中で買った枇杷だった。
そしてストローと大きめの紙コップ。
同じ果物屋のドリンクスタンドで作ってもらった。果物と氷をミキサーに入れて砕いたジュース。
ミルクも入っていただろうか。
スムージーみたいなものだった。
俺は黙って大人しくしていた。
渡されたカップにストローを刺した。
暗闇の中で枇杷の実の皮を剥いた。
口に含むとその実はとても甘くて。
枇杷の果実は美味かった。
ジュースは子供には吸えないくらい、どろりとしていて。正直口に合わなかった。種は木箱に入れるように祖母は促して。手がべたついた時のために、膝の上にハンカチを置いてくれた。
それきり黙って映画を見ている。
祖母がゴジラに興味があるとは思えない。
けれど満足気だった。
それか記憶にある祖母との一番の思い出。映画が面白かったから。枇杷や飲み物が格別に美味しかったから。
記憶に残っているわけではない。
他の観客や子供たちが頬張っている、ボップコーンとか。メロン味のソーダとか。色とりどりの銀紙で包まれた、棒つきのキャンディーだとか。
本当はそういうのが食べたかった。
もしも自分の欲望に忠実な母親と来たなら。母は自分も食べたいから。
体の健康など一切気にせずに。
どんどん買ってくれたはす。
実家では、特に祖母の目の前では、
駄菓子もジャンクフードも禁止だった。
母が近所の駄菓子屋で買ってくれたベビースター。めちゃくちゃ美味かった。でもその後で具合が悪くなった。
ベビースターは悪の食べ物と物認定された。それを与えた母も厳しく叱責された。それ以来まったく食べていない。食べる機会もとうに無くした。
積み残した思い出だから覚えている。
俺は駄菓子屋やジャンクな食べ物が、自分の体調不良の原因ではないこと。
その時既に知っていた。
それはあいつのせいだ。
でも口にしても仕方ない。
どうせ誰も信じやしない。
大人には何度も話した。
誰にも信じてもらえなかった。
そして失望して諦めることを覚えた。
まるで怪獣みたいな祖母の隣に座り。
怪獣の出て来る映画を見た。
とてつもない安心感。
しかし、怪獣は自分の子供以外には、冷酷無比。非情な破壊者でもある。
その進路にある人や建物を踏み潰しても。何も気づくことはない。
従兄弟の家は夕飯が早かった。
遊んでいるうち五時になる。
五時になったら家に帰る。
それが実家のルールだ。
帰ろうとすると。
「ご飯食べていきな」
必ずそう言ってくれた。
それはありがたいことだ。
けれど少し困ることでもあった。
従兄弟の家のメニューは決まって。
カレー、ハンバーグ、炊き込みご飯。この三つだけ。鉄のルールだ。
これが一週間ずっとローテーションする。一年通して変わることはない。
従兄弟のヒロちゃんと弟のマー君。
これさえ出しておけば満足なのだ。
後はデザートに果物などが出る。
これは子供の好きな食べ物に間違いはなく。お昼にはスクランブルエッグ。
フライパンで炒めた炒卵をマヨネーズであえたトーストが定番だった。
ありがたい。大人ばかり実家の食事。勿論大人向けのメニューだ。
朝食は、実家から数キロ離れた漁港に水揚げされた、鯵の干物や、鯖の煮付けといった青魚。家の鶏小屋で採れた生みたての卵。オムレツなんてない。
卵かけご飯とか目玉焼きだ。
玉子焼きは甘くて焦げ黒い。
実家の女たちは皆祖母も含めてだが、揃いも揃って料理が不得手だった。
食材の持つ本来の良さ。過剰な醤油、砂糖で完全に煮殺してしまう。
夕飯には、畑で採れた野菜の煮付け、天麩羅や漬物が食卓に並んだ。。
どの食材も地産地消で子供の発育や、栄養には申し分ない。町の子供や今の子供よりも恵まれていたに違いない。
子供が好む料理ではなかった。
そういうものだと思って食べていた。
たまにフサ姉ちゃんが買い物をして、料理雑誌の写真みたいなカレーとか、パスタとかを作ってくれた。
これもスパイスや味つけが大人向けで口に合わない。コップの水に氷を入れて出してくれるけれど。飲んた俺が。
「サイダーだと思った…」
うっかり言うと祖母に見えないよう、手の甲で俺の顔をぴしゃりと叩く。
姉ちゃんの掌は氷水より冷たかった。
従兄弟の家で夕食で俺は満足だった。家に帰れば当然夕飯が用意されていた。俺はそれも食べなくてはならなかった。
残したり。食が細いと祖母が心配する。
とかく体が弱い子供だった。
すぐに母親のへの小言に変わる。
二度目の夕飯も無理やりかきこ込んだ。それでもちっとも太れなかった。
今も昔も胃下垂なんてものでもなく。
ただやせっぽちでがりがりの子供。
昔から占いの本を読んだり。
実際に占い師に言われることがある。
「食べ物と着る物には困らない運勢」
生まれる前に自分が誰だったか。
そんなことまではわからない。
けれど占いがこれまで生きて来た人の統計ならば。俺はそういう人種。
職業グループに属していたらしい。
やはり王子なのか?
実家は大金持ちでもなく。
お坊ちゃんでもなかった。
学生時代にしたアルバイト。
何故か最初から飲食店ぱかりだ。
不思議と賄いの美味い店が多かった。東京での学生時代は貧しかった。
バイト先のおかげで随分助かった。
着る物もそうだ。今も昔もプランドの服なんて着ない。いつも、衣替えのタイミングを見誤り、熱中症や風邪をひきそうになる。そんな兄を見かねて。
嫁に行った妹が洋服を揃えてくれる。不思議とそれは好みの色だったりする。服には不自由しない星の生まれ。
「いったい自分は今の俺として生まれる前には何処で生まれて…」
何処でどんな暮らしをしていたのか。
そんなことを考える年でもなかった。
他の子供より痩せてはいた。
それでも丈は上に延びる。
欠食児童みたいにがりがり。
同い年の子より小柄だった。
あの頃はまだ祖母がいて。
着れないくらい服を買ってくれた。
窮屈な靴や洋服を着た記憶はない。
確かに着る物に不自由はしなかった。
それと叔母のフサ姉ちゃん。
フサ姉ちゃんはお洒落好きだった。
フサ姉ちゃんも俺に洋服を買ったり、着せたりもしてくれたのを覚えてる。
それはとても有難迷惑なことだった。
あれは彼岸の頃だったと思う。
家の仏壇にお札を乗せた茄子。
庭先に毎朝お供えをした茄子の馬。
「御先祖様が家に帰って来るんだよ」
茄子で馬を拵えながら。
祖母が教えてくれた。
実家で来客のお出迎えお仕事の他に、迎え火炊きミッションが追加された。
俺はその作業に集中していた。
いや熱中という言葉が正しい。
火遊びは少年のロマンである。
俺は毎日夕方を持ちわびて。
マッチでロマンに火を灯す。
朝の起きるとすぐ「燃え残しがないか」入念にチェックして頷き。
玄関先の灰をちりとりで片付けた。
そんな御彼岸の日の朝のこと。
「ねえ」
女の子が目の前に立っていた。
顔を上げてその子の顔を見た。
おかっぱの黒髪を揺らして。
その女の子は言った。
「女の子いる?」
俺よりも少し年上に思えた。
多分幼稚園の年長か小学校一年くらい。利発て勝気そうな瞳の女の子。
「女の子?」
俺は面食らって。
鸚鵡返しに答えた。
「そう、あんたくらいの!」
そんな女の子は家にいない。
俺はそう答えた。
妹が生まれるのは五年後だった。
「ショウギョー行ってる…大きい姉ちゃんならいるよ」
「ショウギョ?」
「コーコーだよ」
それは叔母のフサ姉ちゃんだ。
フサ姉ちゃんは身長が高かった。
女の子は首を振って言った。
「包帯巻いた女の子!」
「綺麗なドレスを着て可愛いの!」
「包帯もかっこいい!」
次々放たれる彼女の言葉矢。
俺はたじたじになった。
彼女は一寸黙った。
じっと俺の顔を覗き込むように見て。
うっとりするような声で言った。
「包帯の赤い色がすてきな女の子」
「この家にいるはずなの」
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