第7話 怪獣たちのいるところⅡ
母屋の玄関から外に出れば。
眩い日差しと目に映える。
庭の木々の常緑が迎える。
肉厚の葉を茂らせる鉢植の蘆薈。
多肉の葉を整然と伸ばしていた。
これが盛夏になると一変する。
捻くれた獰猛な爪さながらに。
爆発的に葉を天地に垂らす。
その茂みは怪獣に見えた。
干物になりそうな暑さの中で。
身をくねらせ走る虹色の鱗板。
蜥蜴の隠れ場所になっていた。
冬が近くなると花を咲かせる。
田舎の草花にはない南国の深紅。
それは墓地に咲く彼岸花に似ていた。
「これはアロエだよ」
祖母がまだ幼い俺に教えてくれた。
花言葉はその薬効から健康と万能。
西洋では外見から苦痛と悲嘆。
敷石の段を降りる間に屋根まで繁る。糸檜葉と棗の葉の簾をくぐる。
生家の庭は敷地面積その三分の二は、
草花や庭木たちに占有されていた。
漸々車が通る動線が人の歩く道だ。
傍らに近くの淵から運んで来た岩。
経年の雨や川の水に上が削られて。
背もたれのようになっている。
来客が腰掛けて話すのにいい。
石の真向かいに梅の木があった。
母屋の生活排水が抜ける赤土の湿地。
植えられた次郎柿と梨の実は青く。
秋まで実りの枝を垂らさない。
そうした庭木や草花は、新しく植えられたものもあるが、大概は俺が生まれる前からそこにある。先輩ばかりだ。
生まれてから五本の指でも余る年。
しかし四季の季節は幾度も巡り。
違った表情を見せてくれた。
庭の梅の木を見て祖母が言った。
「ウグイスが調子良く鳴いてるね」
鶯は昔から春告鳥の名を持つ。
日本では知らぬ者はいない。
しごくポピュラーな野鳥だ。
「おばちゃん!あれはウグイスちがうよ!あのね…ウグイスはねえ!『ホーホケキョ』って鳴くんだよ!」
梅木にとまった鳥の鳴き声も美しい。それは澄んいて可愛らしいものだ。
清流や水道の蛇口から零れる。
囀りは少し甘い響きがする。
水の音に似ていた。
「あれはメジロだよ!」
実家から一軒離れた場所にある。
甥っ子のヒロ君とマー君の家。
親父さんの名前がマサヒロだから、一文字ずつもらって。ヒロ君とマー君。
ちなみに家の嫁さんの名はマサコ。
昔の子供の名前はわかりやすい。
そこん家でメジロを飼っていた。
ガレージの中に吊るした竹の鳥籠。
鳥籠が所狭しと幾つも並んでいた。
おかげで自家用車は外に停めてある。
「これはメジロだ」
小さな擂鉢で緑の餌を溶きながら。
俺に叔父さんが教えてくれた。
眼鏡の奥の瞳が穏やかな人。
口調もゆっくりで優しい。
今も健在なのが嬉しい。
父の兄弟の中で一番大人しい性格。
実家では石仏のように動かず。
本ばかり読んでいた祖父。
常に煙草を燻らせていた。
そんな祖父の面影。
一番番受け継いでいた叔父さんだ。
実家の大黒柱かある大広間に入ると、
天井には御先祖様の遺影たちが並ぶ。
まるで見下ろされているような。
不安な気持ちにさせられた。
学校の先生をしていたという曽祖父。その曽祖父に、俺の祖父のタケオはすごく似ていた。その祖父よりもさらにマサヒロ叔父さんは曽祖父に生き写しだった。着物を着てなきゃ同一人物。
見知らぬ御先祖の遺影は少し怖い。
眺める度に子供心に思ったものだ。
血筋や遺伝の不思議。
当時は罠を仕掛けて山林の野鳥を捕獲したり。飼育は違法ではなかった。
野鳥の飼育でも流行っていたのか。
それは今となってはわからない。
どこの家でも野鳥が飼われていた。
俺はすぐに家に取って返し。
図鑑でその鳥を調べた。
メジロは鶯に似た姿をしている。大きさも瓜二つの鳥。名前の通りに、鶯と比較すると目のまわりが白い。
繍もしくは繍眼児と漢字で書く。
繍は刺繍を意味している。
目のまわりの白い隈取り。
春の季節の千両役者だ。
刺繍で縫いつけたように美しい。
鶯と繍はとてもよく似た鳥である。
鶯に似てさらに生活圏まで同じ鳥。
杜鵑と郭公がそうだ。
鵑は郭公に似て鶯の巣に托卵する。
自分の子供を鶯に育ててもらう。
そんな性質まで似通っていた。
正式名称には杜鵑と書く。
不如帰とも読む。
「ホトトギスには読めない」
「随分不思議な漢字を書くものだ」
俺は後に思った。それは明治時代に書かれた。徳冨蘆花の当時のベスセラー小説の題名。杜鵑の読みにそう漢字を当てた。以来今日まで定着した。
帰りたいと願いながら帰れない。
そんな人々を描いた物語だった。
鶯は昔から山林に入らなければ姿を見ることは出来ない。春に人里を賑わす鳥。それは本当は社繍だということ。
用心深い鶯と違い人を怖がらない。
民家や神社の梅の木を好んで集まる。
鶯と決定的に違うのはその鳴き声。
そして身体や羽の色だ。
世間の人が鶯色と思い込んでいる色。実はこの繍の緑とは異なる。江戸時代からある、色に関する文献によれば。鶯色とは、実は土色に近い褐色と記されている。
鶯は確かにホーケキョと鳴く。
繍はそう鳴かない。
メジャーな鳴き声ではないのだ。
鶯は非常に警戒心が強く。
人里には姿を見せない。
普段山林の藪に身を隠している。
よく通る鳴き声を聞いた昔の人々。
永い冬終わりと春の訪れを知り。
梅木に集まる繍を見て喜び。
大いに心を萌えさせたに違いない。
梅に鶯。
これこそ春を告げる鳥の声。
壮大な勘違いのまま今日に至る。
「おじいさんがあんたに見せたくて、梅の木の枝にわざわざ蜜柑を切って、刺してておいてくれたんだよ!」
それは祖父の手柄。
祖母は家で何もしない。
それでも随分得意気に言って。
着物の帯をぽんと叩くのである。
梅木に偽鶯…いやメジロを集めたけれぱ。こうして蜜柑など枝に刺すとよい。とかく甘いものが大好きな鳥だ。
「じいちゃんが?それは・・ウグイスたくさん来てるね!よかったね!ぼくは…うれしいな!」
祖母は目を細めて俺の頭を撫でた。
ここまで長年勘違いされ続けたら。
もはや本物よりも本物。
あれが鶯なのだろう。
三つ子の魂百までも。
昔からこんな性格だった。
ことなかれ主義でもない。
甘やかされてかなり我儘。
それでも想像力はあった。
祖母が不機嫌になったり。
俺が体に不具合を起こす時。
すべて母親にしわ寄せが来た。
近くで見ていのるは心が傷んだ。
大概はやらかしてから後悔するのだ。
そうなるのは嫌だから黙っていた。
だから普段からぴりぴりした子供で、
いつもいらぬアンテナが頭に立って。
周囲に神経のセンサー張り巡らして、すぐに疲れたり体調を崩してしまう。
そんな厄介で難義な子供だった。
鶯は待ち侘びた季節を報せる。
実におめでたい鳥である。
梅に行く鳥。
埋めに行く。
葬儀を表す鳥でもあった。
春の鳥、夏の蜥蜴、蝉や蝶たち。
季節が巡れば同じ姿や鳴き声で戻って来る。帰去来。生きとし生ける物にとって、それは普遍の生業であるはず。
訪れてはそしては去り。
けして戻らない。
それは人間だけ。
なまじ名など授けれたものばかりに、墓標になど名を刻まれては帰れない。
「お彼岸には亡くなった人が戻る」
そう教えられた。
俺は春の彼岸に生まれた。
死生観など持ち得ない。
幽霊も見たことがない。
そもそも人の死さえ未だ知らない。
幼い頃に心に深く刻んだ傷痕ならある。
そんな季節の始まりだった。
紅梅の蕾が綻ぶ頃のこと。
家に一人の来客があった。
元々たいそうな田舎である。
親戚や近隣との関係は密であった。
それゆえ人の出入りも多い。
まして実家は本家であった。
その日も誰かが玄関の硝子戸を開けた。
家の敷居を跨いだようだ。
玄関で呼ぶ声がした。
控え目な女の声だ。
俺は好奇心にかられ。
誰よりも早く玄関に向う。
その頃はいつもそうだった。
来客のお出迎えは俺の役目だ。
玄関に白無垢の花嫁が立っていた。
花嫁以外誰も付き添いの人はなく。
そこだけ切り取られ貼付けられた。
歌留多の絵のように思えた。
佇む花嫁を見て。
俺は何も言えず。
ただ立ち竦んでいた
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