第6話 怪獣たちのいるところⅠ


レオ・レオニやモーリスセンダック。

彼らは俺の最も古い友人たちだ。


人間が視覚で見ることができる。

その光は三原色。

赤と青と黄色だ。


光たちと子供たちが友だちになれる本。それがレオ・レオニの絵本。


とても好きだった。


怪獣のパジャマを着た少年が真夜中、クローゼットの扉を開けると。


そこは海。


少年は舟に乗って怪獣たちのいる島へ流れ着く。そこにはたくさんのワイルドな怪獣たちが棲んでいる。


少年は怪獣の島の王様になるんだ。


モーリスセンダックの絵本。

その絵本もお気に入りだった。


いつでも忘れがたい。

物心ついた時の記憶に繋がる。



両親と三人で枕を並べる寝床は実家の母屋から少し離れた場所にあった。

まるで昔の小作人の家族のように。

狭い場所で寝起きしていた。


そこから階段を降りて表に出たら。

農機具が仕舞われた同じ棟に納屋。

その天井の上に登る階段はない。


天井に空いた正方形の暗闇が見える。

木の梯子が立て掛けられていた。


その梯子を登るのが俺は好きだった。


そこには昔飼育してた牛の資料の袋や藁屑が残ってた。他には何もない。


障子程度の大きさのすりガラス。

そこから差し込む陽光は明るい。

何もないぽっかりと空いた空間だ。


まるで盗賊のアジトや秘密基地だ。

そこに足を踏み入れたようで。


俺はそこにいるのが好きだった。


「友だちが来たら自慢したい」


そこで友だちと遊ぶことを夢想した。

それは終ぞ叶うことはなかった。


その棟の、入口の車の車庫の脇には、かつて実家で飼われていた牛小屋が、そのまま残されたいた。


幼稚園に上がる頃に家には牛がいた。牛はすぐに何処かに売られたようだ。


小屋には扉もない。簡素な木の閂に仕切られた。ただの物置になっていた。


そこにいた牛の記憶は殆どない。

名前もなかったような気がする。


牛に名前でもあれば俺も親しくなれたかも。本当の意味で家畜だったのだろう。家の者の誰かに誂われ促され。


生まれて初めて人間以外の生き物と、間近で向き合った記憶。


牛の顔は多分その頃の俺の顔や胴体よりも大きくて。愛玩動物とは言い難く。俺に好意的ではなかった。


だから俺は牛を恐れていた。

そんな記憶しかない。

多分覚えてるのは。

牛の瞳の色だ。


それでも遠い記憶のある日。

作業着を着た大人たちが家に来た。

牛を手際よくトラックの荷台に乗せ。

彼らは牛を連れて行った。


あっという間だった。

朧げな記憶である。


多分その時は俺は「連れていかないで」と作業着の男の人のズボンの裾を掴んで泣いていた記憶がある。


妹が生まれるずっと前の話だ。

もう誰も覚えていない。


最初は鳴き声を上げて抵抗していた。トラックに載せられると諦めて。

牛は自分の運命を悟ったように。

大人しくしていた。

その時の瞳。


多分牛は身近なもので。

ある日見知らぬ誰かが来て。

永遠に眼の前から連れ去って行く。


それが怖かったんだと思う。


「リアルなドナドナ体験だな!」

「でもあんまり覚えてないんだよな」


友人に話す時そんな会話になる。

でも俺が強く覚えてるのは違う。

違う牛の記憶なんだ。


友達にも家族にも話したことがない。どうせ話しても無駄だからたと。

心の中で子供心に諦めていた。


いや話したかもしれない。

でも多分だめだった。


小学校に上がり。

俺は再び牛を見た。

これが二度目の牛だった。


子供の国に遠足に出かけた。

広い草原に経つ可愛らしい厩舎。


そこには山羊や羊やポニーがいて。

女の子たちは皆それらを間近で眺めては「かわいい」とはしゃいでいた。


そこにはジャージ種のメスの仔牛が飼われていた。名前は確かメグちゃん。


飼育係のお姉さんが説明してくれた。

毛並みも日本の畜産牛と全然違う。

それは実家の牛と全然違っていた。


ブラシで毛並みも綺麗に整えられて。

きっと肉質を良くする資料ではなく。

美味しい自然の餌を沢山与えられ。

殺処分される心配もない。


子供たちと遊ぶのが好きな幸運な牛。

触れ合う方も幸せな気持ちになる。


あんなに澄んで綺麗な瞳をした動物。

俺は今まで見たことがなかった。


その時だけ家にいた牛を思い出した。


「メグちゃんは大人しくて、とても、とてもいい子!だけどね・・」


飼育員のお姉さんは目を細めて。

メグちゃんの頭を撫でながら。

その時教えてくれた。


「あそこにいるあいつ…悪いの!」


その目線の先には、木の柵に前脚の蹄をかけて。仕切りの外を眺める。

一頭の山羊がいた。


ちらりとこちらに黄色い目を向ける。暗がりの猫の眼のように瞳孔が収縮して黒い星のように見えた。


この辺りの山麓から麓に向かう県道を30分も北に車で走れば森林限界だった。周囲の森は原生林が生茂る樹海。


そんな場所に自生する木々や枝葉。

それは植林された杉などとは違い。


僅かに射し込む光を奪い合うように、蔦が互いの幹にまで延ばして。


節榑立ち、捻くれ、絡み合いして、そのまま枝となり。


奇妙な形状の樹木となっていた。

その樹木の枝に山羊の角は似ていた。


「あいつが…ここのボスで!メグちゃんやポニーや羊さんたちをそそのかして柵を超えで時々集団脱走するの…」


ここの動物たちの中で特に大きな体をしているわけでない。あの山羊が!?


俺は不思議に思って山羊を見ていた。

山羊は素知らぬ顔でそっぽを向くと。森がある方角に角を向けていた。

覚えているのはそれだけだ。


今はすっかり廃屋で放置されている。


数台の車の車庫とトタン屋根の棟の二階。そこにあった両親と俺の寝床。


その真裏には、生活用水を垂れ流さない小川と、自然のままの山林があり。


遠く見える扇状の小高い山の稜線は、古城の城壁を思わせ。実際に小川に沿って道を降ればかつて古城だった跡地に人が住む集落にたどり着いた。


随分大きくなってから父親にその山の名前を訊ねたが「名前もないし」山でも尾根でもないし小高い丘陵のようなものだと。そんな答えが返って来た。


実際山の城の城壁の役割を兼ねていたのかも知れない。俺はそう思った。


人の住む集落となって久しいため。

現在でも発掘や調査の予定もなく。

城の名前すらわからぬままだった。


幼少時には寝床のすぐに西の空地に、実家が営む養鶏の鶏舎があった。


それも小学校に上がる頃には取り壊され更地になった。朝な夕なに。聞こえていた鶏たちの騒がしい鳴き声。

それもやがて実家から消えた。


父親がその跡に北側の裏庭の竹林から竹を切り出して棚を拵えた。

大量のキウイが実る畑を作った。

キウイの実は雛に似ている。

そんな風に思った。


それも今はない。

キウイも鶏も。

実家にはない。


ご近所でも養鶏や養豚は盛んに行われていた記憶がある。今は何処もそんなことをしている家はなくなった。


「なぜ、家の近所ではあんなにいた、鶏や豚を飼わなくなったの?」


疑問に思ってある日父親に質問した。

父は「さあ」と少し思案してから。


「どこでも儲かるからやったもんだ、けど…どこでもやるようになったら、すぐに儲からなくなるからな」


そう答えていた。


中学になるとオリエンテーリングや林間学校で山の麓の施設を利用する。


その度に徒歩で実家のある区域を通る。その度に「なんかくせえ!」と、これみよがしに鼻を鳴らすやつがいて辟易した。


確かにその頃まで実家の付近は臭かったのだ。鶏舎や豚や牛の家畜小屋を営む家がまだあって。


鶏糞の臭いなどがしたからだ。「ここイッチの地元だろ!?」「田舎の臭いがするね〜」


まあ地元の男子なんてこういうデリカシーのない連中ばかりだった。


鶏を飼育すれば鶏糞も大量生産され。

しかしそれは農作物の肥料にもなる。


家畜の飼料を作る工場を営む同級生の家もあった。良質の肥料や飼料が農協を経由して農業に循環還元されたら。


地元野菜だって実り豊かになるのだ。


ただキウイにしろ実家の野菜にしろ、市場に出して利益を得ても。一家で消費するにはあまりにも収穫は多い。


結果毎日同じ野菜がしばらく食卓に並ぶはめになる。うんざりするし。


友達には臭いとか田舎とかバカにされた。でも今は俺が住んでる区域は他県からの移住者も増え住宅地になった。


道路も橋も学校も整備され綺麗なものだ。そして農業経験者はみな年寄りになり。俺も地元の同級生たちも野菜の作り方なんて知らない。


皆野菜は地元の大型スーパーで「野菜高い」と愚痴りながら買っている。


「豊かさとはこういうことだ!」


今の俺なら田舎とバカにした同級生に言えたかも。でもそれは既に失われた。今はもう望むべくもないことだ。

失われたものはもとに戻らない。


そんな場所で俺は生まれた。

一度は郷里を離れて。

今此処にいる。


色々思い出して書いている。

その際中なのである。

書くべきことが。

多分ある。


その頃の実家には、祖父や祖母の他に、俺の叔父に当たる父の弟が三人と、叔母である長女が家にいた。


就業年齢に達していたが実家住まいで次男以外は未だ独立しておらず。


両親や祖父母の他にも多くの大人に囲まれ暮らしていた。当然、親戚付き合いや近隣の家との親交も多く。何かと人の出入りの多い家だった。


農業用の軽トラの他に、乗用車が何代もあるのも道理で、父と母もそろそろ新婚ではなかった。それでも。


そのまま離れに俺と住み続けていた。


朝目覚めると外で俺の名前を「ちゃん」づけで怒鳴るように呼ぶ。


他所の家の子供たちの声がした。

それで目を覚ますこともある。


両親の布団はもぬけの殻。

二人とも既に仕事に出ていた。

母屋には必ず祖母が待っていて。

朝食は毎朝きちんと用途されていた。


俺は目を覚ますと一人だった。

それはいつものことだ。


父はずっと家の農家と勤めの兼業。

母も姑小姑が犇めき合う家の長男の嫁という立場。子供と遅くまでのんびり寝てもいられなかったはず。


同じ幼稚園や学校通う通わないに関わらず。子供たちは目敏いものだ。


近所に同い年が住んでいれば。

どんどん遊びに押しかける。

そんな時代だった。


おちおち寝てはいられない。

遊び友達に不自由はない。

向こうからやって来る。


遊びたい盛りの子供にとって少子化ではない時代。今より子供は多くいた。


それは願ってもないことだったはす。


しかし俺はそれを存分に堪能出来たとは言い難い。他の子供とは少し健康の事情が違っていたからだ。


明け方何時に眠れたのかわからない。

いつも寝不足な子供だった。

夜はまったく眠れない。

ずっと金属音がする。

耳鳴りというやつだ。


深夜は特に周囲が静寂に包まれる。

いつもチューニングが合わない。

夜は快眠とはほど遠かった。


気がつけば朝を迎えていた。


耳鳴りでふらつく頭を抱えて。

布団からよろよろ抜け出す。


薄暗い木の階段を軋ませて降りる。


ベニヤの壁と木の階段は朝でも薄暗く神社の参道のように狭い。


手探りで明かりのスイッチを探す。

階段は子供には勾配がきつかった。

扉を開けると日差しが眩しい。


赤や青の光の残像が眼の前を通り過ぎる。それは暗い場所から明るい場所に出た時に見える。光の残像なのだと。今なら説明が出来る。


飛び交う赤や黄色の光芒。

いつまでも消えないでいた。

それが今日を占う色だと。

俺は認識し始めていた。


手をのばして光を掴もうとする。

当然それは掴めない。


それはただの残像という。

現象に過ぎないからだ。


両手で飛び交う。

滲む信号のような光。

それを両手で掬うように追いかける。

その仕草は縁日の金魚すくいに似て。


それは愉しかった。


そんな様子を見ていた近所の子供たち「またか」いつも不思議そうにして、遠くで顔を見合わせていた。


それは友だちと共有出来ないものだ。

それは俺にしか見ることが出来ない。


今日という曜日の色だった。


「あのさ今飛んでる光がさ!」

「あかちゃんときいろちゃんと…」


絵本をたとえに話してみたけど。


「は?なにそれ?」


それでもあきらめなられない。

子供だったから。


あおちゃんもきいろちゃんもない。


絵本なんて誰も読まない。

読み聞かせする親もない。

みんな働くので精一杯。


大きくなって背も伸びた時、その作者がレオ・レオニやモーリスセンダックで、どんな人たちだったのか。


なんでそんな話を思いついたのか。

そんなことを知るのが楽しかった。

そんなことをいつも考えた。


「あのさ厶ーミン書いた女の人って、すごい面白くて…」


「厶ーミンならアニメは知ってる」

「お前まだそんなの好きなの?」


それ以上話は続かない。

そんな会話は無意味で面白くない。

俺はそんな居住区で生まれ育った。

食い物や自然にだけ恵まれた。

およそ情操教育とは程遠い。

文化のスラムだ。

いや過疎の村か。


商店街がシャッター通りになるずっと前。小さな町には人や店が溢れてた。


町の幼稚園に通う年齢になると。

朝バス停まで母親や祖母に連れられ。幼稚園児や通勤通学の人でいっぱいの市バスの中にに押し込まれた。

スクールバスなんてない。

普通の路線バスだった。


あまり幼稚園に通った記憶はない。

だいたい死にかけていたから。


あの頃の自分にあだ名をつけるなら。


「死にかけくん」


それがぴったりのあだ名だった。


レオ・レオニもへったくれもない。

これが厶ーミン谷の子供たちなら。

日本のアニメを見た時同様。

ヤンソンは激怒しただろう。


ここは争いのない厶ーミン村ではない。初めての幼稚園に登園した日。

俺は今でも覚えている。


頭の上をパンが飛んでいた。

パンが空を飛ぶのを初めて見た。


お昼ご飯に出されたパン。

園児たちが全員ふざけて投げていた。


まるでパンを初めて見たかのように。

パンぐらい売ってたはずだ。


飯時にパンを食うような高尚な育ちの家の子供はいなかったのだろう。

猿山のサルの方がましかも。


チンパンジーだって教えられたら。

リテラシーくらい覚える。


ナイフは刃を内側に向けて。(フォークの方を向くように)置いて…フォークは背を下にして置きます。


この時、フォークとナイフを向かって右側に五時の位置にそろえて置きます。きちんと食事のマナーにそって。


それがリテラシーというものです。


そこまでやれと言ってない。


ランチタイムにパンやスープの食事を楽しむ。そんな御高尚。そんなご家庭の子供なんて一人も見当たらない。


ぎゃーぎゃー騒ぐだけ騒いで。

誰かがふざけてパンを投げる。


そしたらみんながそれを真似て同じことをする。悪いことはすぐに真似る。


記憶にあるのは年少組の若い女の先生だ。高校生くらいにも見えた。

化粧っ気もあまりなくて。


おそらく新卒の若い先生だった。


「こんなはずじゃなかった」


そんな風にでも思っているのか。

憧れた勤め先を悔やんでいるのか。 


項垂れて塵取りと箒を手に持ち。

捨てられたパン屑を集めていた。


幼稚園にはいつも読みたい本がたくさん並んだ本棚が備え付けられていた。


その時は絵本の上にのったパン屑を、そっと拾い集めてポケットに入れて。家に帰った。


その中にモーリスセンダックの「かいじゅうたちのいるところ」やレオ・レオニの「あおちゃんときいろちゃん」といった素敵な絵本が置かれていた。


心折れそうに。

悲しげだった面影。

そんな幼稚園の先生だって。


一月もしないうちに立派な飼育員。

いや保育士の心得や吟次を得て。


「てめえこら!うるせえぞ!」


ガキどもの頭を容赦なくひっぱたくようになった怪我でもしない限り。

親も文句なんて言わなかった。


そんな時代というか。

そんな場所に生まれた。


いつまでも消えない赤。

黄色の光をぬうように。


金色に輝く小さな光たち。

目の前を通り過ぎる。


これは外の世界に溢れる。

今日の光ではない。


動きには明確な意思があった。

幼児の俺はそう認識していた。


蝿蚊くらいの光の粒。

それは単体ではなく。

数えると数匹。


生き物と呼んていいかわからないが、

羽も頭部も体もない燐光の群れ。

行く手を遮るように飛行した。


誂うように行く手を阻む。

時に隊列を組んで。


規則正しい飛行を繰り返す。

手を振って追い払っても。

掴んでもすり抜ける。


「それ…飛び蚊と言う症状では?」


随分大人になってから友人に言われた。勿論俺もそれは知っていた。


眼球や眼底に疾患がある場合の症状。

網膜や眼底に組織のキズや剥離が起きている。そんな場合に起きる疾患だ。


「そうかもなあ」


俺はその時友人にそう返した。

酒の席でのうっかり話を悔む。

それ以上は話を続けなかった。

すぐに別の話題を探す。


俺は幼稚園にして病院のベテランだ。しょっちゅう入院ばかりしていて。

体の検査は隅々までやっていた。


勿論目の前の光や飛翔体の話もした。

病院でちゃんと検査もしてくれた。

俺の眼球はどこも傷などない。

どこもかしこも正常だった。


さしたる理由もなく瀕死になっては、年中病院に担ぎ込まれていた。


その金色の光の正体は未だに解らずじまい。「でも悪いやつじゃない」それだけはわかっていた。


それは警告していたんだ。


「それ以上先に行くな!」

「ひどいことになるよ!」


俺そいつらに名をつけた。

安心するために。

よくそうした。


ティンカーベル。


ピーターパンに出て来る妖精の名前。

ティンカーベルはピーターパンのよき味方。子供たちをネバーランドへ誘う。俺はピーターパンじゃない。


それに俺のティンカーベルたち。

むしろ本物とは真逆のことをした。


「そこに行くな」


常に警告を繰り返すのだった。


ティンガーベルの名前を覚えた。

それもこの頃だった。


「映画館で、ディズニーの古い映画を見たんだ、大体全部見たと思う」


そんな思い出話を東京に出た時友人に話した。友人は勿論好意的に捉えた。


「お前…年いくつなんだよ!?」

「それは羨ましい体験をしたな!」


そんな風に言われて驚いた記憶。

俺は彼らと同い年だった。


子供の記憶辿り摺合せをする時。

好きだったロボットアニメとか。

特撮ヒーローの話を共有出来て。

それはそれなりに盛り上がる。


俺も友人たちも人並みに暮らした証拠でる。そうしたテレビ番組に夢中になった。


俺は実家で生まれた初孫で。

祖父や祖父母に大変可愛いがられた。


父の弟の叔父さんや妹の叔母たちに、愛玩動物のように扱われた。

特に祖母には溺愛された。


好きなアニメ番組を喜んで観てれば、特にねだらなくても。その関連の玩具はすぐに目の前に山積みされた。


赤ん坊の時は殆ど両親と接触はなく。

寝所を共にしたこともなかったらしい。俺は小学校に上がるまで。

誰が両親かわからなかった。


着る物と食べ物その困らなかった。

それは幸せか不幸かわからない。


多分わかりにくいが。

幸せに似た不幸。


専門家なら多分そう答える。


人間が一生のうちに手に入れる欲しい物。苦もなく手に入ること。それを幸運と呼ぶのなら。幸運の量に限りはある。両親と過ごす時間もそうだ。


春と夏は子供たちが待ち望んだ季節。

それはアニメ祭りのシーズンだ。


その頃実家を取り仕切っていたのは大祖母だった。実家の親分だ。


祖母は古い時代劇の銭形平次に出て来る平次のライバル。箕輪の親分にそっくりだった。箕輪の親分の頭から髷を取って。お団子をのせたら祖母だ。


両親が朝から晩まで働いた金。

叔父さんたちが家に入れる金。

実家の金は祖母が管理していた。


日頃は畑仕事や家の仕事で金も立場もなかった母親。家事は無給。畑で働いた野菜も頭の上を素通りして。市場で金に代わっても祖母の懐に入った。


そんな母も子供たち皆が行きたがる、春や夏のアニメ祭りが大好きだった。

別に春はアニオタだった訳ではない。



祖母に孫を連れて映画館に行くよう。

何か美味しいものを食べさせるよう。

玩具屋に寄ってもいいように。


なんなら洋服や靴も買ってやれ。

「土産にあそこのフルーツやケーキも、土産に買ってこい」と命令され。


小遣いをたんまり貰えた。


俺を連れて町へ出かけることが出来た。それは自分や亭主が稼いだ金だが。大手を振って町に出かけた。



「あのさ…俺ディズニーの映画って、

ずうっと全部サイレントだって思ってたんだよね」


「へ?」


友達に不思議な顔をされた記憶。


母に食べ物を買ってもらい席につく。


夏休みや春休みだけの。

特別なヒーローや魔法少女の映画。

ストリートはもちろんオリジナル。

ここでしか見れない特別なものだ。


それはすぐに始まらなかった。


まず左記にディズニーの古典的名作が上映された。抱き合わせというやつだ。尺合わせと言ってもいい。


当時だって、映画の上映時間は新聞を見れば書いてあったはず。


でも先にディズニー映画があるとか、チェックする親はいなかった。


始まった映画が待ち望んでいたアニメでないと知るや否や館内はざわめく。


子供たちは幼稚園の給食同様。

大騒ぎを始めた。

走りまわったり。

大声で騒いだり。


もう何も聞こえない。


今のディズニー映画の地位の高さや、奉りが信じられない。


誰も有り難みなんて感じではいなかった。これっぽっちもだ。


完全な抱き合わせ商品だった。


俺の中ではクオリティ云々ではなく。

ディズニーより日本アニメの方が上。

そんな刷り込みが出来ていた。


それでも白雪姫と七人の小人。

白雪姫はすごくきれいだし。

七人の小人の動きは楽しい。


ピノキオもっと詳しく知りたいな。 

クジラに飲まれる場面。

波の荒々しさに息を飲み。

圧倒された。


本当に101匹ワンちゃんは101いるのか。数えてみようと思った。


そこに描かれたロンドンは美しい街。

本当に外国にはこんな町があるのか。

初めて見るのに初めての気がしない。

どこか懐かしい気がする不思議。


足元に見える街とガス燈の灯。

遠ざかるケンジントンパーク。

その街の人を惑わす霧は晴れ。

子供たちは皆笑顔だった。


でも映画の中の彼らの声が聞こえてたら。もっと楽しかったに違いない。


「ティンカーベルよ」


別の座席の誰かが教えてくれたのか。

それとも映画の中の台詞だったのか。


ピーターパンと子供たちをネバーランドに導く。妖精の名前だと知った。

その金色に輝く羽を見て。


眼の前を飛行する光を見つけた時。

同じ名前をつけたんだ。


俺が子供だった頃。

今も昔も大して変わらない。


必要なものはなにか。


指を折って数えてみなくても。

それはすぐにわかること。


親や大人たちの庇護はあるか。

新鮮で安全な食べ物はあるか。

雨を凌ぐ屋根のある家はあるか。

そこに清潔な衣服や寝具はあるか。


外に出れば草花が咲いて。

やがて海や山への道を辿り。

生き物や世界の不思議に触れる。


名前を覚えて呼んでくれる人。

遊びに来る友だちはどうだ。

それだけあれば何とかなる? 

楽しくやれそうな子供時代。


あとは必要なルール。

トイレの作法や。

箸の持ち方。


学ぶべき。

読み書き。

足し算算割り算。

それくらい必要だ。


友だちとのつき合い。

それは社会のルール。

それずっと続くから!


友だちが庭先で呼んでいた。

俺はただそこに走って。

調子にのって遊ぶ。

ただそれだけ。


それだけでよかった。

それがしたかった。


舗装されていない実家の地面。

春霞の中に友だちがいた。


眼の前を大きな揚羽や紋白や蜆蝶。

大中小に対の旗を翻せ舞っていた。

目にも止まらぬ速さで斑猫が横切る。


裏庭の孟宗竹の藪や庭木の百日紅や、柿や梨の実はまだ青いままで。

秋の実りの季節を待っていた。


俺はすぐ祖母に注意され。しぶしぶ友だちに「まっていて」と言うのだ。

慌てて用意された朝飯を掻っ込んで。

玄関の縁側で足をばたばたさせてる、友だちのところに行くのだ。


「いっちゃんなにして遊ぶ!?」


まだ1日の予定なんて決まってない。

外の世界に何があるなんて知らない。


それでも楽しくて。

楽しみで仕方ない。


一日の始まりだ。


学ぶべきルール。

道の歩き方。

歩道の渡り方。


こんな田舎にだって信号くらいある。


レオ・レオニの絵本が好きだった。

モーリスセンダックの絵本も。


彼らは俺の古い友人たちだ。

それは幼い日の記憶につながる。

いつでも忘れがたい。

絵本のページを開けば。

いつもそこにいた。


毎日が目覚めれば見知らぬ世界。

驚きに満ちた世界が待っている。


そうでなくても。

それほどでもなくても。

楽しく過ごせるはずだ。


扉を開けた時見えた。外の世界の色。

それが友だちのと違っていても。

みんな手を振って待っている。


俺はその時気がつき始めていた。


「そこに行ってはいけないんだ」


なぜなら。

赤と黄色は警戒色。

先に進んではいけない。

そう告げる信号機の点滅。

それが世界のルールだった。


曜日の色にはいつも。

青色や緑が欠けていた。

やがて世界は霧のように。

白一色の世界に包まれる。


白色の霧が晴れた時。

いつも大切なものを失う。

そんなルールの中で生きていた。


それでも無知で愚かな子供に過ぎず。

警告を振り払うように前に踏み出す。


そこで待っているのは。

幽霊でもなければ。

怪獣でもなかった。

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