第2話 「もうあなたとは」
それは突然の宣言だった
「もう私あなたとはセックスしないから」
いつもならピロートークになるはずの事後に、妻は急にそう言ってタオルを取るとシャワーを浴びに行ってしまった。
「またどうせなんかの気まぐれだろう」
くらいに思っていたが、それから1ヶ月、2ヶ月、半年、1年が過ぎても妻と交わることはなかった。
もともと妻は自分から誘うタイプではないので、私が誘っていたのだが、一切誘いには乗ってこないばかりか、キスも拒否する素振りを見せて進めない。そうなるとこちらにも男の意地のような見栄のような物が頭をもたげてきてしまい、妻に拒否する理由を聞けずに時間だけが過ぎていた。
そんな色々な不満が渦巻く生活が5年ほど過ぎた、もうソープランドにでも行って発散しようか?と考えるようになった頃、暇つぶしにいじっていたスマホに現れた広告。【◯nder】。見た瞬間に胸がザワザワ、ザワザワと何かを感じ、導かれるように広告をタップした。
「マッチングアプリ?出会い系か?」
妻一筋で20年以上過ごしてきた身には少々刺激的な広告であったが、ダウンロードするだけならタダだし、という自分に都合のいい理由を思い浮かべながら、アリが砂の穴に落ちていくように澱みない操作でそのアプリはダウンロードされた。
登録はしごく簡単で、自分の現在位置を中心とした希望する範囲内にいる女性登録者の写真がスマホ画面に現れる仕組みだった。しかし自分も写真を登録しなくては女性の写真を見られないのだが、そこは馬鹿正直に登録することもなかろう、と適当にネットで拾ってきた写真を登録。これにてめでたく女性登録者のご尊顔を拝むことができるようになった。
何か知らない国に降り立った気分だった。下は18歳から上は60歳なろうかという女性たちが、嘘とも本当とも取れない奇跡の一枚で、顔を晒して男を探している。もちろん、友人を、話し相手をという建前はあるが、露骨にセフレ、ワンナイないのお誘いもある。業者もいるに違いないと思いつつも、私の指はスマホの画面の上を踊っていた。
課金をしなくても気に入った女性たちに「いいね」をすることはできるのだが、課金をしないと自分に「いいね」をしてくれた相手を知ることはできないシステムになっていた。よく出来ている。どうしても課金しなくてはいけないようになっている。
月額3000円強。なかなかの金額だ。しかし、1年で課金すると割引されて月額は1500円あまり、半額になるのだ。1500円などちょっと高いランチを一回我慢したと思えばいい。「年間18000円?それでセックスをする相手が見つかるならソープ行くより安いじゃないか。それも1人や2人じゃないかもしれないぞ」
男はなんでも都合よく考える生き物で、もう頭の中は未来のセックスの相手でいっぱいになっていた。
しかし「何の情報もなく課金するんじゃ安易すぎる」
そう思って情報収集しようと、SNSでアプリの名前を検索すると出るわ出るわ。次から次へと体験談体験談体験談。老若男女が出会って出会って今この瞬間もまぐわっている。SNSでは待ち合わせ中の実況や、いま出会ったばかりの男女が、ホテルにチェックインして脱ぎ捨てた服の写メが、いや、男の股間に顔を埋めた女性の長い髪が、待ち合わせ相手を遠くから盗撮した画像が、スマホの画面を縦横無尽に走っている。
これで課金しない理由はなくなった。
「俺もあの中に入りたい。写メを晒すには勇気がいるが、あの中の1人にはなれるはずだ」
課金は簡単で、カード情報を入力しなくても様々な支払いツールを通して払えるようになっていた。課金をするのであれば本格的に出会いたい。それには写真は本物の方がよかろう。
逆光で写った少し若い頃の写真を数枚登録。写真と違う人物だったとこれで言われない。
「1年あれば1人くらい出会えてセックス出来るだろう。ダメなら1万円ちょっとドブに捨てたと思えばいい」
と。誰かとセックスしたい気持ち一心で始めたマッチングアプリが、これから私をとんでもない世界に連れて行こうとは、流石にこの時は全く思わずにいた。
終活の向こう側 @ton_neru
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