知りたいけど知れない自分
大学の授業は三時間目——昼食を食べた後に始まる。おにぎりを二個食べ、ずんずんと落ちていく瞼をカフェインで無理矢理開かせ、ノイズ混じりの本鈴の鳴る時を待つ。
陣取った場所は、先頭窓側の席。教室の頂上と言えるような場所で、長机の上にリュック、外套、パソコン、ノート、文房具、おにぎりの包装にエナジードリンクが散乱している様は、久しく行っていないピクニックを想起させた。
頂上の景色は、絶景の一言であった。
一番に教室に着き、おにぎりを食べ、イヤホンからは無機質な二つの声を垂れ流す——だから、すぐには気付けなかった。
横目に隣の席を、同じ列の席を見ても、誰もいない。数分、数十秒、数秒——その間隔は次第に縮まっていったが、あまりにも人が来ない。
自分以外誰もいないのではないのか、という懸念を抱いて数十分、ようやく人が来た。こう表現しては悪いが、見るからにオタクだと分かる男性が、廊下側の最前列の端の席に座った。
先生の口撃を自分一人で捌くことにならなくて安堵しつつ、トイレに行こうと立ち上がり——
「…………」
人のいないはずだった空間が人で埋まっていた。
イヤホンを付けていたこともあって、大勢の人がいることが分からなかった。
彼ら彼女らは、まるで先生から逃げるように前の席とは間を開けて座っている。そして先生が来るまでの僅かな時間、私がトイレから戻ってきた後も喋り続けていた。
世界規模のパンデミックはまだ終わっていないのに、私の背後の小さな世界はまるでそれが終わったかのような賑やかさであった。
……何で——
ふと、懐かしく苦しい感覚が心に襲い掛かってきた。
かつて友人だった人達が、私の周りから消えていった時に感じたものと同じ、胸の苦しみ。
歓談に耽る者達と、ただ一人で無機質な声を垂れ流して聞いている私。
孤独で無い者と、孤独な者。
そうであるならば、孤独こそが私の心を苛むものであろう。
——だけど、分からない。
孤独が私の心を苛むものではないか——そう、以前から薄々察してはいた。
だけれども、そうだと断言することはできなかった。孤独が私を苛む——それこそが私の分からないことであったから。
私は孤独であることが嫌では無い。少なくとも、私が意識できる範囲では。
寧ろ孤独でいる時間の方が多く、慣れている、或いは受け入れているはずなのだ。
そんな私がどういう訳か慣れ、受け入れ、ともすれば好んでいるということもできる孤独に苦しめられている。
その状況が理解できないのである。これまでもあれこれと考えてきてはいるが、しかし答えを見出すことができなかった。
気付いた時には教壇に先生が経っていた。彼の声でそのことに気付き、知らぬ間に本鈴が鳴っていたと察する。
——授業に集中しないと。
そう思ってノートを開き、ペンを握る。先生の言葉に耳を傾け——
しかし、私はノートをちゃんと取ることができなかった。
「……あー……」
家に帰った後、復習の為にノートを開いた。
……のだが、言葉足らずで呂律の回らないノートが目に入り、絶望混じりの嘆息が零れ落ちた。
だが、読めない訳では無い。
右手にペンを、左手にスマホを携え、さながら古文書を解読するかのような気分で復習に取り掛かり始める。
撒き散らされた単語をスマホに打ち込んで検索、打ち込んで検索、打ち込んで——
「……効率悪いなコレ」
当然である。
自業自得であるとはいえ、検索して授業内容を察するというのは、普通に復習するより労力が掛かるものだ。
こんなことをするくらいなら、誰かのノートを見せてもらう方が早い。
……けど、そんな友人いないんだよねぇ。
さてどうしようかと考え、椅子から立ち上がってベッドに横たわる。
自分で調べながら復習するよりノートを見せてもらった方が早くて、でもノートを見せてもらう為には交流が必要で——
「……交流」
今日の授業のこと——というよりは、授業中に考えていたことを思い出した。
恐らく孤独であることが私の心を苛んでいて、その答えを探し、結局授業時間内に見つけることができなかった。
私の孤独が何に由来するものなのか——私は私のことを知りたいのに、知ることができなかった。
それは、今の私がいけないのだろうか?
そうだとすれば、私は私を知る為に変わらなければならないのだろうか?
ならば、今が絶好の機会であろう。
勿論これがアプローチとして正解なのかは分からない。しかし、分からないからこそ様々なアプローチを取るべきだとも考えられるだろう。
——よし、決めた。
来週の授業で、私は誰かと交流をしようと思う。
授業の復習の為にノートを見せてもらうという理由もあるが、そんなことは些細なこと……では無いにせよ、私の狙いより重要では無い。
私は私を知る為に、私を変える。
心を苛む孤独の原因が何なのか——その答えがあると信じて、誰かと交流をしてみる。
そして——
「……何やってんだか、私」
私の中の冷笑主義者が脳を過り、その言葉が口を衝いて出た。
確かに知ったところで人生が彩られる訳では無いし、当然死ななくなる訳でも無い。
ただ、私の心を苦しめる何かは、同時に私の青い人生の最大の謎でもあった。
だからこそ、その答えを知りたい。そして私が今身を置いているモラトリアムは、それを知ることができる期間であろう。
故にこそ、今やるべきなのだ。
「……うーん、どうするべきかな……」
机の上に開いたノートを放置し、私は来たる来週に備えてコミュニケーションのシミュレーションを脳内で始めた。
死にたいけど死ねない自分 粟沿曼珠 @ManjuAwazoi
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