死にたいけど死ねない自分
粟沿曼珠
死にたいけど死ねない自分
生まれたくなかった。そう思うようになったのは、中学生の頃だったろうか。
ずっと抱いていた死への恐怖。小学三年生の頃からずっと死に魘され続け、心臓の鼓動はさながらもがき苦しむかのように、或いは死から逃げようと足掻くかのように高鳴る。
そしていつしか思うようになった——生まれなければ、逃れ得ぬ死に苦しめられることも無かったと。
両親には何かと感謝している。こんな私に色々なものを買ってくれたり、色々なものを食べさせてくれたり、色々な場所に連れていってくれたり——
確かにそれは死を忘却させ、私をその苦しみから解放させてくれた。
じゃあ、死ななくなるの?
当然、そんな都合の良い話など無い。死はすぐに私の傍に帰ってきては、いつもの様に虐めてきた。
そして、その苦しみを味わう切掛となった人物は誰? そんなの、誰でも分かるだろう。
私は育ててくれたことに関しては両親に感謝している。しかし——いかに二人に子供を選ぶ権利が無かったとはいえ——私を産んだことは、心のどこかで憎んでいる。
——産めよ、増やせよ、地に満ちよ。
高校時代のラーメン好きの友人から聞いた、聖書に記されている一句。
もし神がおわして、我等人間を創り給うたのならば、遺憾どころか憤怒と憎悪の意を表明したい。
奴等は敢えて欠陥を持たせたのだろう。産まされる側に生まれるか否かの選択肢を一切与えないなんて、己の理想を叶える為のデザインにしか思えない。
その癖して、死の摂理とそれに恐怖する感情を与えた。その辺りのケアもしっかりして貰いたいところだが、苦しみから逃げる為に宗教があると考えれば、そうデザインするのも必然であろう。
このようにあれこれと常に傍らにいる死について考え、苦しみ——逃れ得ぬ死に苦しむのなら、死にたいとさえ思った。
死が苦しいのなら、死ねばいいのではないか。そうすれば、死に苦しめられることも無くなる。
当然、脳が、本能が、煩悩が、それを拒絶した。
理由は簡単だ。私は死にたくないのだ。死にたくないから、死が苦しいのだ。
そんな矛盾を大いに孕んだ結論など、拒絶されて然るべきなのである。とはいえ、強いて言うなら私が気付かないうちに死にたいのだが。
やはり、心のどこかで抱いている——死んで苦しみから解き放たれたいという思い。多分それしか、死から解放される手立てが無いが故に。
ともかく、それが私の大きくて太い根の一本だ。己の思考回路、行動原理、そういったものが死にたくない思いの根を通じて出力される。
だから——私はつまらない人間なのだ。
周囲の子達は、皆が皆魅力的だった。
色んな趣味を持っていて、目標だったり夢だったりを抱いている。物事には真剣に、そして楽しく取り組むし、他の子達ともよろしくやっている。
勿論私とて何も無い訳では無い。人並みにゲームや漫画に触れ、流行の芸能人を追い、テレビや音楽を嗜んでいる。
けれどそれは、結局のところ死の恐怖から逃れる為にやっていることで、心の底からの興味や楽しさを見出している訳では無い。
私は死の恐怖を、例え一時だけでも忘れることができるのなら、それで満足なのだ。
ただ、それだけ。
私には趣味が無ければ、目標も夢も無い。死の恐怖だけが原動力の、虚ろな人間なのだ。
——と、思っていた。
当然、そんな人間からは誰しもが去ることだろう。気付けば、かつて友人だった人達の多くが私の周りから去っていた。
不思議とそれが、苦しかった。
何故か分からなかった。友人はいた方が良いけど、いなくても問題無いと思っていたのに、そんな冷酷な思考とは裏腹に心は傷付いていた。
その理由は何なのか——ずっと考えていたけれど、高校を卒業する迄にその答えが出ることは無かった。
——大学生になって、転機が訪れた。
世界的なパンデミックが起こり、私達の生活は変わらざるを得なかった。
私が通うことになったのは、地元の大学だ。親に大学は入った方が良いと言われ、そして言われるがままに入学した。
やりたいことが無いし、将来就きたい仕事も無い。故に、地元の良さげな大学に適当に入学したのだ。
自分で言うのも何だが、勉強はかなりできる方だ。両親にも、学校の子達や先生にも何度も褒められる位には成績が良かった。
そして地元の大学は偏差値がそこまで高く無い。だから入学できた。
しかし、実際に経験することになる大学生活は、パンデミックの影響もあって私の想定していたものとは違った。
大学の授業は全てパソコンを通じて行われた。このオンライン授業は——自分で費用を負担する訳では無いとはいえ——移動費が掛からないという点、そして太陽が顔を見せるような時間帯に起きる必要が無い点でありがたかった。
その一方で、人——特に大学の生徒との交流はほぼほぼ無かった。
パソコンの画面越しの、出力された映像と音声による無機質な交流。そこで行われる交流も、授業中に振られた話題についてただ議論して終わるだけの、機械的な交流であった。
本当にパソコンの画面の向こうに人が存在しているのか——哲学の授業で聞いた言葉を反芻し続けているうちに一年が経ち、大学二年生になる。
この年から一部の授業は対面となり——そして、あの感情と再会することになった。
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