Another FINAL

 ――これは無理だ。


 リンダは、両開きにされた豪奢な青い扉の前に立つ瑞穂を見て思った。

 瑞穂は今、現実の世界への道を開くために真っ白な石の壁に向かっている。


“……出口を開くなら、そこが一番相応しいイメージしやすいだろう”


 という道行の考えによる行為だが、あまりの根拠の薄弱さに発言した本人に同情したくなるほどだ。

 無論、道行もそんなことは百も承知なのだろう。

 この三カ月最終到達点ゴールとして目指してきたあの壁なら、瑞穂もあるいはやりやすいのではないか……。

 ないよりはマシ程度の思いつきに過ぎない。

 瑞穂は経験を積んだ僧侶プリーステスとして、さすがの集中力で一心に祈りを捧げているが、石の壁に変化の兆しはない。




『答えは出たみたいね』


 先ほど反対側の壁際から戻ってきた瑞穂に、リンダは訊ねた。

 対して瑞穂はうなずき、


『“アカシニア” という世界のことを詳しく教えてください。わたしが出来る限り思い出せてイメージ出来るように』


 そしてリンダに告げた。

 

『現実の世界に戻ります』


 それからリンダは、瑞穂が忘れている一連の出来事について教えた。

 クラスメートのダイモンたちと六人で “アカシニア” に転移したことから始まり、生きるために探索者となったこと。最初の探索と全滅――。

 リンダは自身に起こったことを含めて、知っている限りの出来事を包み隠さず、淡々と瑞穂に話して聞かせた。

 瑞穂は話を聞くにつれショックを受け、青ざめた。

 しかし、取り乱す素振りも道行に慰めを求める仕草も見せず、ただ唇を噛みしめ、すべての話を聞き終わったあとに、ひとり鏡面のごとき白い壁の前に立った。



 ――これは無理だ。


 もう一度リンダは思った。

 ついさっき話に聞いただけの世界や、出来事や、人をイメージして、その世界へのゲートを開くなど、どんな優れた聖職者や魔術師でも出来るわけがない。

 たとえ今いる場所が、自身が神となれる本人の心の中だったとしてもだ。

 いや、なればこそ、この世界を否定できて初めて瑞穂は神になれるだろう。

 今のこの現実リアリティを自身の心象風景と認識することで、初めて瑞穂は世界を自在に改変することが可能になるはずだ。


 しかし、瑞穂のそばには道行がいる。

 あの娘にとっては道行こそが現実であり希望だ。

 希望を捨て絶望への扉を開く――それは瑞穂の道行への想いの否定に他ならない。

 瑞穂の道行への想いが真実であればあるほど、話に聞いただけの “アカシニア” を想像するなど――思い出すなど、出来るわけがなかった。

 道行の存在が、瑞穂をこの現実心象風景に縛り付けている。

 まったくあの魔族の女の言ったとおりだ。

 ここは瑞穂にとって “薔薇色の牢獄” なのだ。


 瑞穂は瑞穂なりに本気なのだろう。

 表情と顔に浮いた珠の汗から、彼女が本気で精神を統一し祈りを捧げていることがわかる。

 おそらくは、肉球の付いた手を合わせて祈るように見つめている猫人フェルミスの幼女のために、魂魄をかけているのだ。

 子猫を母猫の元に帰すために、自分の半身を切り分けようとしているのである。

 お人好しなあの娘らしいが、それだけに悲痛であり滑稽でもあった。


 どうにもならない。

 条件が悪すぎる。


 だから目の前で瑞穂が力尽き泣き崩れたときも、リンダは別に驚きも落胆もしなかった。

 少しの憐憫と “もしかしたら” という微かな期待があったことを、苦笑混じりに発見しただけだ。


 猫人の少女が、今回何度目かの子供特有の感情に任かせた行動を採ったのは、その時だった。

 くずおれ泣き出してしまった瑞穂を見て、いたたまれなく、いてもたってもいられなくなってしまったのだろう。

 ノーラは駆け出し、瑞穂に抱きついた。

 幼いが故の打算も欲得もない純粋な行為。

 

 “不確定要素ジョーカー” が奇跡を呼んだ。


◆◇◆


「――はぁ、はぁ、はぁ」


 ついに瑞穂は力尽きてしまった。

 無理もない。

 たった今、話に聞いたばかりの世界を思い浮かべ、その世界への扉を開こうというのだ。

 思い浮かぶわけがなかった。

 思い出せるわけがなかった。


 瑞穂は折れてしまった。

 精神力も体力も限界だった。


 もういいだろう、と思った。

 もういいですよねと、許しを請うた。

 これ以上、自分ににどうしろと言うのかと。


「……ごめんね……ごめんね……」


 瑞穂の目からボロボロと涙が零れた。

 幼い少女が母親と再会できるかどうかの瀬戸際なのに、何も出来ない自分が情けなくて、不甲斐なくて、恋人に慰めてもらいたくて、心のどこかでこれでと彼と――道行と一緒にいられるとホッとしている自分がいて……。

 自分は……自分は、最低だ!


 バフッ!


 突然瑞穂の身体に何かがぶつかってきて、ギュッと抱き締めた。

 柔らかく、温かく、太陽の匂いのする、何か――。

 その瞬間、少女の身体に電流が走った。

 頭の中に火花が散った。

 知っていた! この感触、この温もり、この匂い――瑞穂は知っていた!

 瑞穂は、前にもこうやってこの子に、ノーラに抱き締められたことが――抱き締めたことがあった!


 目の前にまざまざとした光景が広がる。

 巨大な恐竜のような黒毛の馬の上から、こちらを見下ろす真紅の鎧をまとった壮年の武将。

 こわい漆黒の総髪に、彫りの深い容貌。

 剣先の如き眼光は見る者を射竦め――。

 怯えるノーラを抱き締め、抱き締められる瑞穂。


 そして――そして。

 そんな瑞穂たちをかばって立つ、猫背の男。

 斑に汚れた外套マント

 ボサボサの灰色の頭髪。

 ピンピンと伸びた無精髭。

 覇気のない三白眼が、真っ向から真紅の武将の猛禽の眼差しを受け止めている。

 

 あの男は――あの男こそ。

 そして瑞穂は、その男の名前を叫んだ。


◆◇◆


「――えっ!?」


 道行から少し離れた場所で、リンダが絶句した。

 眼前で起こった変化が理解できなかったようだ。

 ノーラが泣き崩れた瑞穂に抱きついた瞬間、それまでなにをどうしようともビクともしなかった白い壁がスゥ……と音もなく消え去り、上層へと続く階段が現われたのだ。


 ガコンッ! ガコンッ、ガコンッ、ガコンッ――!


 石造りの階段は消えた壁とは対照的に、騒々しい音を立てながら次々に段数を増していく。


「……嘘でしょ」


 呆然としたリンダの呟きを耳にしながら、道行は誇らしい思いで奇跡の現出を見つめていた。

 やはり自分の恋人はすごい。

 俺の彼女は――枝葉瑞穂はやはり大したもんだ。

 道行は誇らしく、そして寂しかった。

 別離の時がきたのだ。

 道行の寂しげな表情に瑞穂が気づく前に、ノーラが叫んだ。


「――臭う! 臭うニャッ! 掃除されてにゃい砂場よりも強烈に臭うニャッ!」


「に、臭うって何が――何が臭うの?」


「あいつらニャッ! 目が兎なとんがり耳と蝙蝠羽の露出狂女ニャッ!」


「あの “淫魔インキュバス” と “夢魔サッキュバス” か」


「瑞穂が “出口” を開いたんで、すっ飛んで戻ってきてるってわけね」


 ノーラが叫び、瑞穂が訊ね返し、道行とリンダが周囲を警戒する。


「――ここは俺に任せて、お前らは行け」


 道行が三人を背にして立つ。

 自分は枝葉瑞穂の “守護者ガーディアン” だ。

 その為に今、この場に存在している。

 ならば、役目を果たさなければならない。


 本心を言えば、瑞穂といつまでも一緒にいたかった。

 瑞穂と幸せになりたかった。

 瑞穂を幸せにしてやりたかった。

 だが、それは自分の役目ではないらしい。


 瑞穂は悲しむだろう。

 自分だけが助かった事実に苦しむだろう。

 だが拾った命の価値を決めるのは自分ではなく、瑞穂だ。

 ならば――ならば、捨てる命の価値を決めるのは自分だ。この俺、灰原道行だ。

 瑞穂は大丈夫だ。きっと立ち直る。

 そのために俺は、この命を使うのだ。

 後悔など、怖れなど、微塵もあるものか。

 道行の心が、叫んでいた。


「道行くん!」


「……また、あっちの世界でな」


 肩越しに振り返ると、道行が涙に濡れる瑞穂に微笑む。


「……うんっ」


 ギュッと目をつぶり、両拳を握りしめて瑞穂がうなずく。

 道行はそれからリンダを見た。

 不思議なことに今の道行には、まったく対照的なこの少女が自分の恋人と重なって見えた。


「……その子を無事にマンマのところに帰してやってくれ」


 驚いたリンダが何かを答えるよりも早く、玄室を妖気が包んだ。


「――行けっ! 走れっ!」


 道行が決然と叫ぶと、階段を背に身構えた。


「行くよ! 瑞穂!」


「――っ!」


 歯を食いしばった瑞穂がノーラの手を引いて階段を駆け上がり、彼女を急かしたリンダがその背中を守るように続く。


(……それでいい。上出来だ)


 そうだ。これでいいんだ。

 考える時間があれば、瑞穂はきっと迷ってしまう。

 魔物の再襲来はありがたいぐらいだ。

 少年はほんの束の間目を閉じ、すべてのけじめをつけた。


「KiSyaーーーーーーッッッ!!!」


 次の瞬間、道行の眼前の空間が歪み、二匹の魔族が再び姿を現した。


「KiSyaーーーーーーッッッ!!!」


「――それじゃ、おっぱじめるか。正真正銘、この “冒険アトラクション” のラストバトルってやつをよ!」


 別離の寂寥感を戦いの高揚感に変えて、道行が叫ぶ。

 眼前に空間を歪めて現われたのは、つい先ほどまで仲間だと――親友だと思い込んでいた二匹の魔物――魔族だ。


「てか格好悪ぃな! でかい口叩いて颯爽と退場したわりに、血相変えて戻ってくるなんてよ!」


「KyIiiiッッッ!!! お退き、お退きよ! “聖女” を目覚めさせるわけにはいかないんだよ!」


「退けっ、道行っ! 退かないとその腹を引き裂いて臓物を引きずり出すぞ!」


「空高、下品だぞ! どうした、地が出たか!?」


 挑発を繰返しながら、二匹の魔族の注意を引きつける道行。

 本来なら前衛職の役目だが仕方がない。

 幸いなことに、人でも魔物でも怒らせるのは彼の特技だ。


 “淫魔空高” と “夢魔リンダ” は共にレベル8。


 レベル9の道行よりも低いが、二匹とも魔族だけあって呪文に対する抵抗力を持っている。

  魔術師メイジの道行が単独ソロで殺り合うには嫌な相手だ。

 だから道行は出来るだけ時間を稼ぎたかった。

 少しでも瑞穂たちを現実の世界へと近づけるために。

 その出口へはおそらく地下一階よりもさらに上――地上にあるはずだ。

 道行はそう確信していた。


(――あの真面目で律儀者の瑞穂の夢だ。お約束だろ!)


「その焦り様、よほど瑞穂を現実の世界に戻したくないらしいな! ”大魔女アンドリーナ” 様はよっぽど怖いご主人様とみえる!」


 さらにヘイトを稼ごうと発した言葉だったが、返ってきたのは道行の予想外の反応だった。


「―― “アンドリーナ” だって!? あはははっ! なに言ってるんだい、あたしたち誇り高き魔族があんな人間如きの指図で動くものか!」


「……なに?」


「リンダの言うとおりだ。ふん、そうだな。良い機会だから教えてやるよ。あの聖女は “とんでもないお方” に目を付けられている。まったく馬鹿な奴らだよ。ここで、この “薔薇色の牢獄” でいつまでも幸せに暮らせばよかったものを。万が一ここから出られたとしても、あの女を待っているのは文字どおりの地獄だぞ、道行!」


 直後、“夢魔サッキュバス” の唱えた “氷嵐アイス・ストーム” が吹き荒れた。

 道行は魔力の発動を察したと同時転がり避けたので、氷の乱刃の直撃こそ受けなかったが、猛烈な冷気による凍傷は負った。

 魔術師には二回と耐えられないダメージだ。


「……ぐっ!」


「あははっ! 散々挑発しておいてその様じゃ、格好悪いのはどっちだろうね!」


「魔術師は脆弱だな。物臭しないで戦士を選んでおけばよかったんだよ、


「……そうでもないさ。魔術師だからこそ、おまえらを殺れるってこともあるんだぜ」


「“殺る” ? あたしたちを?」


「道行、おまえも知ってるだろう? 俺たち魔族には大気エーテルの伝播をある程度遮断する能力があるってことを」


「そうそう、あんた達が耐呪レジストって呼ぶ力さ」


「“氷嵐アイス・ストーム” を使い切ってるおまえに残ってるのは、最大でも “凍波ブリザード” か “焔嵐ファイア・ストーム” だ。このふたつの呪文じゃ、一発で俺たちの生命力ヒットポイントは削りきれない。運がよくて二発。悪ければそれ以上の回数を当てなければならない」


「……それで?」


「おやおや、ここまで説明されてもわからないのかい? あんたは耐呪レジスト能力のあるあたしたちに、最低でも二発の呪文を直撃させないとならないんだよ。それに引き換え、あんたはあと一発でボンッ! あの世行き」


「……なるほど。確かにそれは願い下げだな」


「そうだろう? そこで提案なんだけどさ、道行くん。あんた、あたしに? あんたのこと嫌いじゃなかったのよねぇ。むしろタイプっていうか」


 “夢魔サッキュバス” が真っ白な裸身をくねらせて舌なめずりした。

 鮮血ように赤い唇が妖艶に蠢く。


「どう? 凍死する寸前って気持ち良くなるらしいけど、呪文で氷漬けにされるよりも、よっぽど天国を感じさせてあげるわよ」


「……それも願い下げだ」


「なぜよ!?」


「……決まってる。俺はこれでも面食いなんだ」


 一瞬の間を置き、道行の言葉の意味を理解した “夢魔” が激高する。


「SyAaaaッッッ!!!! このあたしに向かってよくも言ったわね! 気が変わった! 地獄の炎で焼かれて死ぬその瞬間までもがき苦しむがいい!」


 憎悪に顔を歪めて牙を剥き、期せずして道行の正しさを証明してしまった “夢魔”

 その醜悪な魔族の女に向かって、道行が言い放つ。


「ひとつ忘れてるぜ。俺の特技は人を怒らせること+ “悪巧み” だ」


 道行がローブの衣嚢かくしの中でを握り潰す。

 途端にミルクよりも濃い乳白色の霧が玄室に満ちあふれた。


「“霧の玉” か!?」


「ご明察。さすが伝説の “夢魔” さまだ」


 目の前で鼻を摘まれてもわからない濃霧の中で、自分が瑞穂に言ったのと同じ嘲りを受けて “夢魔” が怒り狂う。


「魔族を甘く見るんじゃないよ! あんたの精気はこんな霧ぐらいじゃ誤魔化せないんだよ! もういい、お喋りはしまいだ! 消し炭になって消えちまいな!」


 “夢魔” が道行の宿す精気に向けて “焔嵐ファイア・ストーム” の詠唱を始め、“淫魔” がそれに追随する。


 道行は動かない。

 いや、正直にいうと動けなかった。

 “氷嵐” よって受けた凍傷は重く、身体の自由と呪文の詠唱に必要な集中力を奪っていた。

 そのため彼は挑発した。

 もっとも惨たらしい死を、自分にために。

 それは吸精エナジードレインよりも凍死。

 凍死よりも焼死のはずだった。

 そして二匹の魔族の呪文が完成する――その直前、道行が笑った。


「魔族ってのは馬鹿じゃないかもしれんが間抜けだな。だから人間如きに足をすくわれる」


 何かが二匹の足元に投げつけられ、玄室の床に砕けた。

 魔術師だからこそわかる、呪文が完成する刹那のドンピシャのタイミングだった。


「――燃焼促進剤だぜ」


 最初歩の “火弓サラマンデル・ミサイル” の呪文を、ひとつ上位の “焔爆フレイム・ボム” 並の威力にまで引き上げる燃焼性の高い油である。

 まして火炎系の呪文では最上位の “焔嵐” 、それも倍掛けに添加したのだ。

 その火勢は “対滅アカシック・アナイアレイター” に匹敵する熱量となった。


(……Good Luck幸運を


 道行が心の内で呟くと、大気エーテルによる魔力の伝播など関係なく、“イラニスタンの油” に発火した二発の “焔嵐” が玄室内を一瞬で席巻し、充ちていた乳白色の濃霧を橙に染めた。



 ぶっきら棒な物言いだった。

 不器用な性格だった。

 でも優しかった。

 その身を劫火に灼いて、少年の旅は終わった。



























































 ………………………………キ……………………………


 …………………………ユキ…………………………


 …………………チユキ………………


 …………ミチユキ…………


 ……道行……


 聞き知った声が、暗黒の中から少年の意識を覚醒させた。

 を開けると、エルフ製の高品質の鎖帷子チェインメイルに身を包んだ幼馴染みの少女が、口元に手を当てて彼をのぞき込んでいた。

 その瞳に、見る見る溜っていく涙。


「――道行っっっっっ!」


 片桐貴理子が、冷たく硬い石の寝台に寝かされた灰原道行に抱きついた。


「……貴理子」


「道行ーーーっ! うわーーーーーんっ!」


 自分にすがりついて大泣きする幼馴染みを、戸惑いつつも抱き締めながら、道行は辺りの様子をうかがった。

 そこは見知った場所だった。


 ニルダニスの寺院の大聖堂。

 その霊安室。

 遠くにパイプオルガンの音色と、それに合せる賛美歌が響いていた。

 そして自分を見つめる仲間たちの顔。


 筋力も耐久力も低く、当たらなくて死にやすい、エルフの戦士。

 とにかくすばしっこくて敵の攻撃を受けない代わりに、非力でダメージを与えられずただ相手を猛り狂わせるだけの、ホビットの

 血を見ると卒倒してしまう、人間の女戦士。

 敏捷性と運気がなく、罠を引きまくる、ドワーフの女盗賊。

 なんと癒やしの加護を授かっていなかった、ノームの僧侶プリーステス

 そして、眠りの魔法を使えなかった自分……。

 全員が最低の潜在能力ボーナスポイント5の、いわゆる “持たざるもの” たちで編成された道行のパーティ……。


 三軍。

 予備の予備。

 主力部隊を回収する部隊を回収する部隊。

 最低最弱の落ちこぼれ冒険者たち。

 蔑みを込めて “ファイブ・スターズ” と呼ばれる大切な仲間たちが、ある者は涙ぐみ、ある者は鼻をすすり、ある者は容赦なく涙をボタボタと零しながら、道行を見つめていた。


「……俺は、死んだのか?」


 蘇生直後の後遺症だろうか……頭に靄が掛かっているようで、記憶がハッキリしない。

 迷宮の探索中に命を落としたのだろうか……。

 貴理子は道行に胸に顔を埋めて泣きじゃくり、ただ顔を横に振るだけで答えることができない。


「――俺たちを助けたあと、地上に出た直後に意識を失ったんだ」


 貴理子に代わって答えたのは、“極上品ファーストクラス” の 板金鎧プレートメイルに身を包んだ戦士だった。


「……空高」


「やっと目を覚ましたか」


 涙こそ浮かべてないが、空高の目も真っ赤だった。

 貴理子やクラスメートたちと一緒にこの “アカシニア” に転移してきた、不出来な兄とは違い潜在能力MAX60――さらには “勇者” の聖寵を持つ――双子の弟。


「……おまえたちを助けたあと……」


「覚えてないのか?」


「……ああ………………いや……」


 肯定し、そして否定する道行。

 ぼやけていた頭の焦点が徐々に定まり、頭骨の内側から次第に記憶が甦ってきた。


(そうだ……俺たちは “呪いの大穴” で遭難した空高や貴理子たちを……王女のパーティを救出して……それから……)


「――あなたは死んではいません。ミチユキ」


 その時、若い女の声が霊安室に響いた。

 若く、そして冷たく硬い、まるで今道行が寝ている石の寝台を思わせる声。


「……」


 道行は視線を声の主に移した。

 道行たちからひとり離れて立つ華奢な人影。

 豊かな栗色の髪。

 きめ細やかな、白磁を思わせる肌。

 見る者すべてを吸い込む深淵の如き、漆黒の瞳。

 ドワーフの名匠でも決して再現できないであろう、女神ニルダニスがこの世にもたらした究極の美――。

 純白の冒険者風のローブに身を包んだ王女マグダラが、感情の読み取れない表情で立っていた。

 “僭称者役立たず” による今回の騒乱で弟王子が命を落とすまでは感情豊かな少女だったらしいが、今は寺院のそこかしこに飾られている神像の方がよほど温かみがある。


「あなたは死んではいません。ミチユキ」


 王女マグダラがもう一度冷たい声で、道行に言った。


「ですが、ただの過労や病気で意識を失ったわけでもありません。あなたの健康に問題はないからです」


 司教ビショップでありながら、魔術師と僧侶の魔法を本職と同じ速度で覚えられる “賢者” の恩寵を持つ少女は言葉を続ける。


「……それじゃ……どうして……?」


 訊ねたのは道行ではなく、涙に濡れた顔を上げた貴理子だった。

 マグダラとは同じパーティを組む仲間である。


「“召還の儀式” が効果のあったことを考えると、何者かに召喚されたのでしょう」


「……召喚された……俺が……?」


「そうです。精神だけが、どこかの、誰かに」


 道行がわずかに顔を動かすと、自分が寝ている寝台を中心に六芒星が描かれているのが見えた。

 召還の儀式……マグダラが執り行ってくれたらしい。


「なにも覚えてないの……?」


 貴理子が不安げに、心配げに道行に訊ねた。


「……ああ……」


 道行は今度こそ肯定し、覆すことはなかった。

 何も覚えていない。

 何も思い出せない。

 ただ、心から無理やり身体を引き離されてしまったような……身体から心を無理やり抜き取られてしまったような、そんな後味の悪い感覚が漠然と残っていた。


「あなたの生命活動は停止する寸前でした。ですから “召還の儀式” を急ぐ必要があったのです。それが原因で完全にはあなたの心を戻せなかったのかもしれません」


 瞳にほんの微かに憐憫の色を浮かべて、王女マグダラが道行を見た。


「何はともあれ、こうして無事に目覚めたんだ。まずはそれでよしとしようぜ」


 空高がそういって、双子の兄と幼馴染みの少女の肩を叩いた。

 うんうん、と涙を拭いながら何度も頷く貴理子。


「……」


 道行は喜び合う仲間たちの中心で、自分の心に問い掛けた。

 なにも答えはなかった。

 それでも、なにか大切なことを忘れているような……忘れてしまったような、そんな喪失感と焦燥感だけは確かにあった。

 欠けた心に、大きな穴が開いていた。

 涙が一筋、流れた。


 ◆◇◆


 灰原道行と枝葉瑞穂は、同じ世界で同じ年に生まれた。

 だが道行が転移したのは、瑞穂よりも二〇年前の “アカシニア” だった。

 越次元の際の量子の揺らぎ不確定性が、少年と少女の時間を大きく隔ててしまったのである。

 やがてふたりは、出会いという名の再会を果たす。

 しかし運命はまだその事実を道行と瑞穂に――グレイ・アッシュロードとエバ・ライスライトに気づかせてはいない。



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心の旅 Another 井上啓二 @Deetwo

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