春誉れ、青と咲く

nanana

春誉れ、青と咲く


 本家の桜は咲き誇り、見上げた上空を覆うその様は、薄紅の紗幕そのものだった。差す陽光すら淡く色付けてなお、より一層と言わんばかりに揺れ乱れるその花が、どうしようもなく嫌いだった。色彩や象形の美醜に依らず、主にその花の伴う意味合いの部分で。


 年に数度。季節の節目に行われる、本家での会合。そもそも分家の人間が優遇される事はなかったが、そのなかでも、特に不出来な娘だった私に居場所があるはずもなく。親族、本家への挨拶回りもそこそこに、離れの庭先でぼんやりと時の過ぎるを待つ。心を殺し、要らぬ思考に頭を回さず、無心でひたすらに。

 ただ、この季節だけは。その虚無にすら、僅かに水を差される感覚を覚える。

 離れの庭先には、古い桜の木があった。又聞きの話では何某か由来の明確な、由緒ある樹木であるらしいが。私にとってはむしろ、惨めなこの身を見下し嘲笑う呪物の様にすら感じられる代物であった。

「…はやく終わらんかな、春」

 陽は柔らかく。微風に揺れる花びらのその彩りは、確かに美しいものだろう。それ故に、不快感は強く。吐き捨てるでもなく、ぼんやりとごちる。我ながらやさぐれた風体の肩を、ぽんと。

「なんで?嫌い?春。花粉症」

 叩きながらかけられた言葉はひどく軽く。けれど軽薄とは縁遠いしなやかさで紡がれた。振り返り見る声の主には、見覚えがなかった。

「…誰ですか、あなた」

 和装に身を包んだ、柔和な顔立ちの女性。年の頃は私より幾分上だろうか。どちらみち、分家の娘に声をかけてくるあたり、彼女もまた、数ある分家の出の一人であろう事は想像に難くなかった。

「まぁまぁ、誰だっていいじゃない」

 あっけらかんと笑みを浮かべる割に、名乗りを渋る。まぁ、これも当然と言えば当然の話か。気に掛ける程の話でもなく、こちらもさらなる追求はしない。さりとて、沈黙は訪れず。女性は先の話題をもう一度口にする。

「それよりなんで春すぎて欲しいの?夏派?やっぱり花粉症?」

「花粉症好きっすね。違いますよ」

 下手な言葉尻は、後に何処からか拾われて我が身の首を絞めかねない。それでもぶっきらぼうに本音を口にしたのは恐らく、自身で思うよりも、この身が置かれてる今現在にほとほと辟易していたからかもわからない。

「春が嫌いっていうか、桜が嫌いなんですよ」

 女性は自身の顎先を軽く指でなぞる仕草をしながら、少しばかり目を丸くする。

「なんで?綺麗じゃない、桜」

 絶世の美女…なんて風体ではなかったがしかし、女性の立ち振る舞いにはそこはかとない気品の様な物が感じられた。育ちが良いのか…その様が、にわかに私の神経を逆撫でる。

「キモいじゃないすか。あたり構わずわらわら咲いて。挙句、花言葉が優美な女性ですよ。前時代感丸出しの感性でやばいっす」

「恐ろしい程辛辣ね」

 言いながら女性は一拍、思考の間を置いて

「青い桜の花言葉って知ってる?」

不思議な事を言い出した。

「……哲学の話ですか?」

「回りくどいツッコミね。現実の話よ」


紫雲木しうんぼくって花で、青だったり紫だったり…素人目には異色の桜の様に見える花があるの。咲いてる訳じゃないから、目にする機会は少ないかもね」

 にやりと。悪戯っぽい笑みを浮かべながら、つい今し方の言葉尻を引用される。

「そら知らなかったすね。で、その花言葉がなんだってんですか」

罰の悪さを誤魔化す様、矢継ぎ早に投げ付けた質問に、女性は


「栄光と、名誉」


悪戯っぽい笑みはそのままに、僅か眼光を鈍く揺らした。そこには、生半な可憐さなど微塵も介在する余地の無い、容赦の無い強さだけがあった。豹変とすら言える、纏う空気ごと変容する様な圧力は一瞬…それでも、続く女性の言葉に、真剣に耳を傾ける根拠としては十分過ぎた。


「何某か『らしさ』を求められるのは、時折どうしたって不快だったりすると思う…例えば女らしくだの、『分家の娘らしく』とか」

 含みを持たせた響き。どうにも素性は割れているらしい。

「でもそれって、信じ難い程ナンセンスじゃない」

 桜は揺れる。舞い落ちる花びらを一欠片、軽やかに捉える細くしなやかな指先。

「不躾な後付の評価や意味付けの全部を取っ払った最後、残るのはそれ自体だけ。意義もしがらみも無い、美しさだけが遺る」

一陣風が吹き抜ける。しなやかな指先を離れた花弁は踊る様に空を舞う。その様を見送るでも無く、女性は今一度、殊更悪戯っぽく笑みを浮かべる。

「迎合する事はないし、生き方を自由に選べる人生ばかりでも無いだろうけど。それでも腹に据えて、美しく生きる様努めれば、美しく生きたって結果だけが遺る」

 すっと指を伸ばし、咲き誇る桜を指し示す。指先を追う様に視線を伸ばした先にあるのは、やはり、ただ可憐なばかりの薄紅。

「あの桜の花の中にも何人かは、着飾るだけ着飾った青い子が混じってるかもしれなくて…その子達はほくそ笑んでるんだよ。上っ面でしか人を量れない連中をね」

「…やっぱ哲学の話じゃないっすか。それで、生粋の桜連中はなにしてんすか」

「それはほら、決まってるよ」

 女性は身を翻し、和かな…一転してただひたすらに可愛らしい笑顔を浮かべながら

「ただ、美しいばっかりを生きてるんだよ。素敵でしょ」

軽やかに言い切った。なるほど、よっぽどそれは可憐で、可愛らしく…全くもって嘘くさかった。

 小さく吹き出す。そんな私の様子が不満だったらしく、女性は僅か訝しげな表情を浮かべる。これは失礼、と謝罪を挟みながら

「お姉さんがまっ青だってのは、よーくわかりました」

皮肉では無く、はっきりと伝える。これもやはりご不満であったらしく、女性は口を尖らせる。

「私は可愛いが好きだからね。なんたって、生粋の桜ですから」

 微妙に演技がかった口ぶりに、改めて吹き出す。

「どの口で?」


 全く持って、哲学じみた話だ。

 青い桜が実存しようと、世の多くのそれらは変わらぬ色彩で咲き誇り、間を置かず散るばかりの大多数。ほとほと変わり映えのしない、薄桃の傘。…けれど、しかし。

「——でも、その考え方は悪く無いっすね」

なるほど、確かに。埋もれながらも強かに、欺きながらも偽らず、狼煙の様に鮮烈な差し込む青があったとすれば。それは大層、痛快な景観である様に思えた。




 短い会話を最後に、以降あの女性と再び会う事はなかった。翌年も、その次の年も。変わらず開かれる会合の席においても、終ぞ彼女の姿を見かける事はなかった。

 分家同士だから、というわけでもない。人との交流なんてのは大抵がそんなものなのかもしれない。けれど。徒に交わされたあの短い会話は、不思議と今も、私の心の深い所に強く根ざしている。

 私の扱いが良くなったわけでもないし、取り巻く環境が好転したわけでも無い。それでも、価値もなく不貞腐れる様な生き方はやめた。それは私の美しさに反するから。





 春先。陽光。薄紅の奔流の最中、異彩を放つ青。未だ終わるな、と季節を睨みつけ。いつか再び出会えたならば、皮肉を込めて言い放ってやる。






「なんで?好きなの、春?冷え性?」




「春先だって冷えますよ。



——好きなんですよ、桜」

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