第58話 服選び

「フィナン、行くわよ」

「もうですか?」


 朝の挨拶もそこそこに告げれば、呆れた声音が返ってくる。

 けれど、わたしがすでに準備を終えていたことと、何よりも他の使用人の姿が無いことから薄々察していたのか、ため息一つ吐いて、きりりと顔を引き締める。

 さすがはわたしの使用人筆頭。すでに慣れたものらしい。


 その顔ににじむ呆れには、少し物申したいところだけれど……外出を決めた今日のわたしの気分は良いから許しておこう。


「それでは、すぐに許可を――」

「許可なんて取ろうとしていたら日が暮れるわよ」


 何のためにわたしが、すでにフィナン以外の使用人に今日の仕事は無しだと伝えてあると思っているのか。

 今日は室内にとどまると告げたため、彼女たちはわたしの部屋を掃除できなくなり、お役御免となった。


 そういうわけで大手を振って悪だくみができるというもの。

 頬をひきつらせたフィナンがもしかして、と唇を戦慄かせる。


「もちろん、黙って抜け出すわよ」

「…………はぁ」


 またため息。

 ため息を吐くと幸せが精霊に奪われてしまう、なんて言うけれど、もし正しければフィナンは一生幸せになれないのではないだろうか。

 いや、フィナンもだけれど、わたしも幸せになれないかもしれない。


 この王城に来て、もう何度ため息を吐いたことか。


「ほら、ため息を吐いていないで準備しなさい。さすがに使用人の恰好では目立つわ」


 あらかじめ外出すると言っておいたにも関わらず、フィナンはなぜか使用人服姿。

 以前もそうだったけれど、使用人の格好は目立つ。何しろ、使用人服というのは一目で見て所属がわかるようになっていて、彼女のそれは王城務めの、それも王子妃の使用人だとわかるものになっている……らしい。

 正直、わたしには王城の使用人や、あるいは他家の使用人との服の違いははっきりとは分からないのだけれど、使用人や出来る貴族は、その服装から使用人の所属を見抜く力を持っているという。


 王子妃――わたしの使用人と、使用人服を着ていない、明らかに主人と思われるふるまいのわたし。

 つまり、フィナンが使用人服を着ていると、芋づる式でわたしが王子妃だとばれてしまうのだ。


 正直、失敗した。すでに王城を出歩いている以上、ひそかに「王子妃は城を抜け出している」という噂が立っている方が自然だ。

 権力におもねる者がアヴァロン王子に、「おたくの妃を王城の外で見かけましたぞ」なんて親切を装って報告している可能性は決して低くない。


 これ以上失態を重ねないためにも、使用人服姿のフィナンを連れて出歩くことはしない。


 そんなわたしの強い思いが伝わったのかどうか、フィナンはなぜだかやや遠い目をしながらうなずいた。


「わかりました。一時間ほど時間をください」

「なぜそんなにかかるのよ」


 わたしの準備だって軽く十分あれば終わるのだ。まあ、ほとんど化粧をせずに、ナチュラルどころかすっぴんと呼ぶような状態なのだけれど。


 ずい、と近づいたフィナンは、わたしの顔を観察。やれやれ、と大仰に肩をすくめて見せる。

 そんなに、女として間違っているだろうか。化粧なんて、動物が離れて行ってしまう原因にしかならないのに。


 ……貴族令嬢としては狩りを前提に考える時点で間違ってる。わかってる、うん。


「ここから自室まで移動して、服を着替えるためです。どう見積もっても一時間はかかりますよ」


 なるほど? 確かに、すでに薄ら化粧をしているし、服さえ着替えれば問題はないはず。フィナンはわたしとは違っていざという時用の甘味を用意する必要もないだろうし、取りに行くべき荷物も特にはないだろう。

 服さえあればいい、と。


「面倒だからここで着替えなさい。わたしの服を貸すわ」


 とりあえずフィナンに似合うものを……と軽く探してみるけれど、ドレス系が非常に多い。あとは狩りに出かけられるように男装というか、乗馬服とでもいえばいいのか、そういった系統の服が目立つ。

 フィナンはわたしより背が低いから、ズボンでは丈が合わない。……とりあえず、これ?


 引っ張り出したガーリー系の服。ベージュのボウタイ付きハイネックブラウスと、茶系チェック柄のセミフレアスカート。今の季節にはやや寒いから、厚手の白のコートを……うん。


「……サイズがフリーサイズの服を貸すわ」


 ブラウスの胸元が余りまくっていて、なんだかすごく服が崩れている。

 いや、目をそらすのはやめよう。サイズが余っているのは胸より胴回り。


 くっ、フィナンに負けるなんて……いや、知ってはいたけれど、いざこうして直視することになるとダメージがひどい。


 ペタンペタンと自分の胸元を触るフィナンを前に、わたしは一人で勝手に絶望してうなだれた。


 よし。小さめの服……それもなるべく胸元の違和感がないようにしよう。

 探しに探して見つけたのは、室内用の白のニットセーター。下はさっきのスカートでいい。コートは王城でくすねてきた灰色のやややぼったいもの。


「……なんだか、とってもみじめです」


 鏡に映るフィナンには確かに似合っているのだけれど、鏡越しにベッドにたくさん広げられた敗残兵もとい特に胸元のサイズが合わなかった服の多さが、フィナンの心に影を落としていた。子ども体型だと、その暗い目が語っていた。


 ……惨めなのはわたしのほうだ、なんて、ダメージが増すから口にだって出したくない。

 自分の胸元に触れれば、起伏のない丘――草原がそこにある。


 それはさておき、所要時間は実に五十分。つまり、フィナンが一度部屋に帰って着替えてくるのとさほど変わらない時間を要した。

 つまり、フィナンを部屋に戻していれば、このような辱めを受けることはなかったということで。


 ただただ光を失った目で遠くを見つめるわたしに、フィナンはかける言葉を見つけられずにいるようだった。


 ……うん。背丈が違うから仕方がない。そう、仕方がないよね。

 だから胸元のサイズが合わなかったとか、きっと気のせい。袖丈とか裾とか胴回りとか、いろいろ問題があったはずなのだ……胸元の布地の引きつりにフィナンは目がいっていたようだけれど。


「……もう、満足ですか?」

「似合ってるわよ。だから気分を上げていきましょう? せっかくの外出なのだし」


 「私をこれ以上辱めるの?」と絶望しきった様子で問うフィナンの気分を改善すべく、努めて明るく告げる。


 そうですよね、と言い聞かせつつも、やっぱり気落ちしたフィナンはそうすぐに元気になるはずもなく、わたしに手を引かれてふらふらと歩きだした。


 空元気の気があるけれど、とりあえず王都に出ればフィナンも回復するだろう。ついでに、わたしの気持ちも上を向く、はず。


 そう信じて、わたしは心の中で謝りながらフィナンを引っ張っていった。


 今日は美味しいものをいっぱい食べさせてあげよう。それとも服を見て回る方が……追撃にしかならない気がする。

 わたしにとっても、フィナンにとっても。

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