第57話 夜の私室で

 部屋に戻り、いつものルーティーンを済ませてから寝るまでの時間。

 ベッド横のソファに座り、精霊の宿り木の明かりを頼りに、借りてきた本を読み進める。


 寝物語というか、単純に疲れていてこれ以上重たい書物は頭が受け付けないので、わたしが読み進めているのは劇を文字に起こした小説。

 なんでも世界樹の紋章という建国神話に登場するソレを手に宿した女性が王子殿下と結ばれ、紆余曲折ありながらも精霊に認められて幸せに暮らすという話……待って、これ、もしかしてわたしがモチーフ?

 ……見なかったことに、したいけれど、こう、怖いもの見たさがあるというか。


 なんて思いながらちらちらと読み進めるけれど、内容が全く頭に入ってこない。ページを進めるたびに、前のページの内容がわからず、続きの一文の意味を理解するために前のページに戻って、その文章の意味もよくわからなくてさらに前に戻って……うん、少しも内容が記憶できない。


「……また、ね」


 視線は文字の上を滑っていくばかり。数十ページは読み進めたはずなのに、その内容は少しもわたしの脳に記憶されていない。ひょっとすると自分たちが題材にされた劇を文字に起こした小説なんて赤面ものから心を守るための防衛反応かもしれないけれど、それはさておき。


 頭に思い浮かんだ人物の顔に気を取られて、脳が本に集中してくれないのだ。


 杞憂に終わればいいけれど、精霊に見放された土地とそこに現れた強大な魔物についての情報は急務ではある。けれど、徒労に終わりそうな予感もある。


 何しろ、すでに騎士団にあの魔物の情報が上がっているのだ。

 上層部も重い腰を上げ、本腰を入れて捜査に乗り出しているみたいだし、わたしの出る幕はないはず、というか、本来は武力なんて持っていないはずの王子妃がこの件に何かできる方がおかしいし、わたしに何かできる時点で、王国はかなり危機的な状況にあるとみるべきで。

 だからまあ、十分な武力を有したこの国はあの魔物にだって対処できて、わたしのこの調査はただの趣味として終わるはずなのだ。


 そう楽観視できるだからだろうか。気を抜けば頭は余計なことを考えてしまう。


 脳裏に浮かび上がるのは、熱を帯びた氷の瞳。

 身に着けた仮面と同じように、氷の中で炎が燃え盛っているような熱い眼差しを思い出すと、落ち着かない気持ちになる。


 魔女の円卓で出会った青年男性の魔女。ヒョウエンと名乗る彼は、今どこにしてどうしているのか。

 なぜか、そんなことばかり考えてしまう。


 たかが一度会っただけの人。数度言葉を交わしただけの、ただの他人。

 いや、魔女の円卓に参加していたということは同じ魔法使いというつながりを持つ同志で、そういう意味では、ただの他人と呼ぶには少し関係が深い。

 けれど、互いの顔も、本名も、立場も知らぬ関係なのだ。深くて、浅い。

 魔女の円卓というつながりがなければぷつりと容易く切れてしまう関係。


 つまり、わたしはヒョウエンではなく、彼を思い出すことで連想して早くも魔女の円卓を懐かしんでいるということなのかもしれない。


「……どうかしましたか?」


 まだ仕事姿を維持しているフィナンが、わたしの読書の手が止まっていることに気づいて聞いてくる。


「目が疲れたみたい」

「少し休まれてはどうですか? ここ最近、ずっと本を読んでいますよね」


 魔女の円卓のことなんて話せないからごまかすために告げたけれど、目がしょぼしょぼするのは事実だった。


 今日は気分を変えるために部屋に本を持ってきて調べ物をしていたわけだけれど、それでも集中力は続かず、頭は余計なことばかり考え始める。

 そうしてフィナンに余計な心配をかけているようでは、一体何がしたいのか。同じところをぐるぐる回っているばかりで、一向に進展がない。


 少し目がかすみ、凝り固まった肩が重い。

 本にしおりを挟んでテーブルの上に置き、軽く伸びをする。


 素早くフィナンが用意してくれた温かいタオルを、上を向いた状態で目元に乗せる。

 さすがは王城の、それも王子妃に仕える使用人。できる。

 ……たまにポンコツになるから忘れそうになるけれど、フィナンは王城にいる使用人の中でも優秀なのだ。ただ、実家の地位が低いためにいじめられていたし、そのせいで心身がすり減っていたからいろいろとやらかしていてポンコツのように見えただけ。


 ん? つまり、わたしが手を貸さなければフィナンはやっぱりポンコツ……フィナンのためにも、これ以上は考えないようにしよう。


 ソファに深くもたれ、天井を見上げる体勢で目元を温タオルで覆えば、思わず深いため息が漏れる。

 じんわりと目の周りに熱が広がり、流れが悪くなっていた血液が動き出したのを感じた。


「……気分転換が必要ね」

「外出ですか? すぐに許可を――」

「許可なんて取ろうとしていたら日が暮れるわよ」


 すでにフィナン以外の使用人ははけている。

 今日は室内にとどまると告げたため、彼女たちはわたしの部屋を掃除できなくなり、お役御免となった。


 そういうわけで大手を振って悪だくみができるというもの。


 頬をひきつらせたフィナンが「もしかして」と唇を戦慄かせる。


 タオルを片方だけ持ち上げ、フィナンを見上げて笑う。


「もちろん、黙って抜け出すわよ」

「…………はぁ」

「ほら、ため息をついていないで明日に備えて準備しなさい。わたしもそろそろ寝るわ」


 ベッドに移動し、柔らかなシーツに体をうずめる。

 おやすみ、の声はすでに半ば夢うつつの状態で、果たして口にできていたかどうか。


 読書でひどく疲れていたようで、わたしの意識はあっという間に夢の世界に旅立った。


 ……明日はフィナンと外出。とりあえず、前回のように使用人服のフィナンを連れて行くのは目立つからやめよう。

 ……あれ、フィナンって私服、持っているの? 王城勤めの統一された使用人服以外、まともなフィナンの服を見たことがない気がする。


 そんなことを考えていたからか、夢の中のフィナンはシーツらしきものをぐるぐると体に巻き付けて、「私だって私服の一つは持っているんですよ」となぜか誇らしげに胸を張っていた。


 ああ、可哀そうなフィナン。わたしの心の中でこんなにもいい様にされるなんて……。

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