第53話 夢の終わり

 ふぁ、とあくびが漏れる。

 長く続いた魔女の円卓も終わりが近づき、解散のムードが漂っていた。


 ふと見上げた先、頭上を覆う飴の天蓋はだいぶ闇に溶けるように色を失っていた。それはあちこちの枝にぶら下げられたランプの光が消えてしまい、さらには月が雲に覆われたから。


 光を透かすことのなくなった琥珀の天井は、けれどその美しさを損なっているようには見えない。

 夜にひっそりと寄り添うように広がる飴の天蓋がわずかな光を含んだ姿は、優しげな笑みを浮かべているように見えた。

 その姿に自然とお兄さまの笑みを重ねて見たのは、どうしてだろうか。


「さて、大仕事ね」


 立ち上がったフォトスがぐりぐりと腕を回す。先ほどまではどこかけだるげだった彼女の顔には、今は強い使命感が燃えていた。


 魔女の円卓の運び屋。

 彼女は一瞬で目の前から忽然と消え去り、再び現れる。


 わたしがフォトスの力によってやって来たあたり、並ぶ円卓から少し離れた、やや高い場所に陣取る。


 その腕に、無数の赤い飴細工の薔薇を入れたバスケットを手にして、フォトスはにやりと笑う。


「それじゃあ、始めるわよ」


 広場の端に移動したフォトスに気づいた魔女たちが一斉に立ち上がる。

 ぴしりと背筋を伸ばす彼ら彼女らに倣って、私も直立する。


「今日はこれにて閉幕よ。……次回の開催は未定ね。どうにも精霊に見放された土地の様子がおかしいもの」


 どよめきが一割、うなずきが八割、思考が追い付いていないものが一割。


 わたしは完全に置いてけぼりな側で、ポカンと呆けたように口を開くことしかできなかった。


 精霊に見放された土地――それはルクセント王国の王都近くに広がる、魔物が跋扈する森。

 魔物が互いに喰らいあうその場所は、そうしてより強い魔物が生まれる苗床になっている。


 そんな精霊に見放された土地に起きた異常。それは王国が脅威にさらされる可能性を秘めていた。


 一部の魔女たちの顔に悲壮感があるのは、おそらくは、この魔女の円卓の会場が精霊に見放された土地の一角――奥地にあるから。

 新参者のために詳しい立地は知らないけれど、これだけの魔法使いが集まって騒げるような場所は王都近隣にはないから、間違ってはいない……と思う。

 前提として、フォトスの魔法による移動が長距離に適していないと考えてのことだけれど。

 もしフォトスが長距離を瞬時に移動できるのであれば、この場所は王都から遠い、あるいは異国に位置するのかもしれないけれど、さすがにそれは無い気がした。


 フォトスの魔法については結局あまり詳しく聞けていないけれど、いくら何でも手に持てるようなサイズの甘味一つで国をまたぐような大移動を瞬時に行えるとは思えない。


 なんて、わたしもまた動揺に飲まれたのか思考が空回りしていたけれど、それはフォトスの一喝によって収まった。


「落ち着きなさい。とりあえずこちらも動くわ。……魔法使いどもの尻を蹴っておいてやるわよ」

「流石は姉御!」

「うるさいわね。さっさと退場しなさい」


 パチン、と指が鳴らされた瞬間、フォトスを姉御と呼んだ青年男性は忽然とその場から姿を消す。

 流れるような動きで籠の中から赤い薔薇を一本虚空へと差し出したフォトスは、私たちに並ぶように告げて笑みを浮かべる。

 そうすればもう、野次を飛ばすような魔女は現れず、訓練された兵士のように魔女たちは規律だって動き始めた。


「列を乱したら遠くに送ってあげるわ」


 ぴし、と姿勢よく魔女たちは並ぶ。

 フォトスよりも老いた者も、わたしよりも幼い少年も、皆が皆、背筋を伸ばして一列になる。


 完全に出遅れたわたしの前で次々と魔女はフォトスの魔法で転移して姿を消す。

 やっぱり、その魔法は不思議だった。そして実に興味深い。

 先ほど、わたしがフォトスに連れられたこの場にやって来た時は、フォトスも一緒に移動した。今回はフォトスがこの場に留まっているのは、次の人を移動させるのに都合がいいからか、あるいは、違う魔法を発動しているからか。


 魔女たちの魔法の神髄は、魔法のテンプレート化にある――そう、わたしは理解した。

 同じ甘味を与えることによって、精霊は少ない言葉で魔法使いが望む魔法を理解してくれる。


 現在フォトスが対価として使用している甘味は、魔女の円卓にやってくる時に捧げていたものと同じ――ということは、同じ魔法を使っている可能性が高い。

 その応用力にも、そして魔法のすばらしさにも、もはや言葉が出ない。


 そうして魔女たちはあっという間に円卓の場から姿を消した。


 あれだけにぎやかだった広場からは気づけばすっかり人が減り、寂寥が胸にこみあげる。

 先ほどよりも周囲が開けているように感じるのは、魔女たちが消えたからだけではなく、わたしの心に生まれた寂寥が理由だと思う。


 中身のない食器が並ぶ円卓はひどく寂しげ。

 吹き抜ける木枯らしに体が震える。その風が、心からも熱を奪っていくように思えた。


 そうして気づけば、この場に残っているのはわたしとフォトス、そしてわたしと同じように立ち尽くしていた炎を秘めた氷の仮面の青年――ヒョウエンの三人だけになった。


「……さて、スミレは王都だったわね」


 なぜか近づいてきたフォトスに頷き、その言葉が意味するところに気づいて目を見張った。


「はい。……え、もしかしていろんな場所に皆を送ったんですか?」

「当たり前でしょう?全員が全員王都に住んでいるわけでもないのだから」


 ああ、だから精霊に見放された土地に異変があるという話が出たとき、大半の人が落ち着いていたのか。


 彼らは精霊に見放された土地の近くに住んでいない。つまり、対岸の火事だということ。

 てっきりすでに話を小耳にはさんでいたということかと思っていたけれど、違うらしかった。


 そして、フォトスの言葉が意味するところは、魔女の円卓が開催されるこの場こそがおそらくは精霊に見放された土地の奥地であるということ。

 まあ、ルクセント王国が慌ただしくなり、フォトスも忙しくなるから魔女の円卓をしばらく開催できなくなる……という可能性もあるけれど。


「あの阿呆たちは少しは気にするべきだとは思うわね。……精霊に見放された土地の異変は、世界規模の災いにつながりかねないんだから」

「……っ」


 世界規模――それほどのことが王都のすぐそばで起ころうとしているという事実に体が震える。

 そんなわたしの思いが手に取るようにわかったからか、フォトスはそっとわたしの肩に手を置く。その手は、わたしが思っていたよりもずっと大きくて硬いものだった。


 訓練を感じさせる手――農作業によるそれとは違うマメによる硬さは、きっと、剣を取って戦ってきた人の手だと直感した。


「そこまで青くなることはないわよ。スミレはどっしりと構えていればいいの」


 その言葉にただ安堵して頷けたら、どれだけ楽だっただろうか。


 確かに、わたしは後ろで守られる立場だ。王子妃という立場だ。

 けれど、覚悟を決めた様子のフォトスの目が、自分が戦場に出て対処してみせると語るから。悲壮感なく、ただ覚悟だけを宿したその目の熱が、炎が、手のひらを伝わってわたしの心に火をつけようとするから。


 何より、たった一夜ですっかり大切になったフォトスに万が一のことがあったらと思うと、胸が苦しくなる。

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