第51話 不参加

 ヒョウエンのあとにやってきたのは、スワンとフォトス。

 にやにやと笑みを浮かべる二人の視線から逃げるように、自然と目線は下を向く。


「熱烈なアプローチだったみたいね」


 スワンに続いて反対の席に着いたフォトスがからかい交じりに告げる。

 その言葉に反論を返す気力は残っていなくて、何より、その言葉を否定できない自分がいた。


 熱烈、ああ、その通りだ。

 あんなにも気障で、そして心を露わにした人をわたしはほかに知らない。


「……彼は」


 誰なのか。

 言葉をぐっと飲みこんだのは、この場では参加者を詮索するのはご法度だから。


 郷に入っては郷に従え。

 気晴らしにもなり、わたしよりもずっと魔法に精通した魔女たちとのつながりを得られるこの魔女の円卓の出入りを禁止されないためにも、余計なことをいうわけにはいかなかった。


 それ、なのに。


「彼なら、今日初参加の子ね」

「……そんなこと、話していいんですか?」

「このくらいはかまわないわ。彼の素性には何一つつながらないもの」


 おそらくは彼の素顔を見ていて、ひょっとすると名前も知っているかもしれないフォトスは、おかしそうに笑う。

 頭の上から降ってくる笑い声は、わたしの体の中に入り込んで言葉にできないくすぐったさを生み出す。


 首を振ってそのおかしな感覚を追い払いながらも、それでも頭は彼のことを考えてしまう。


 ともすれば子どものように無邪気な魔女の円卓に属する魔女たちの中でも、やや浮いた様子だった彼。

 それが今日初参加だからというのであれば納得で。


「……ヒョウエンも、わたしのすぐ後に精霊に見放された土地の前にまで来たんですか?」


 首をかしげるフォトスの顔には困惑がにじむ。ややあって、「あぁ」と何かに気づいたらしい彼女のつぶやきの理由は、わたしにはわからなかった。


 彼女も、ヒョウエンの顔と名前が一致していなかった、ということはないと思うのだけれど。


 わたしがここへきてすぐ、少し忙しそうにフォトスが姿を消した。

 あれはヒョウエンを連れてくるためなのかと思ったのだけれど、どうだろう。


 フォトスは真っ赤なルージュの塗られた唇をおかしそうに吊り上げ、けれど肝心なところは語ってくれない。

 その顔に心なしか怒りがあるように見えたのは気のせいか。


「もしかして、わたしが後をつけられましたか?」

「さて、どうかしら?」


 笑みは何も語らない。

 反対に座るスワンの方を見るけれど、彼女もまた何も変わらない。


 ただ余計な勘繰りをしているらしい二人の笑みから逃げるように周囲を見回す。


 甘味研究会の出し物が終わり、その熱もだいぶ冷めたころ。それぞれのテーブルでは魔法談議が繰り広げられ、あるテーブルでは静かに、あるテーブルではけんか腰で会話が弾んでいた。

 酔っぱらっているのか、喧々囂々と議論を交わす男女二人は、すでにろれつが回っていない。そして、周りの者もそこそこ酒気を帯びているみたいで、赤ら顔で囃し立てている。


 その中のテーブルの一つに、大きな男の魔女に肩を抱かれたヒョウエンの姿を見つけた。


 わたしが見ていることに気づかない彼は、どこかぶっきらぼうな様子で食事を勧める。

 その動きには気品があって、幼少期からの教育をうかがわせた。

 王侯貴族か、あるいは豪商などの生まれ。


 途端にヒョウエンとわたしとの間に途方もない距離があるように思えた。同じ貴族かもしれない――それは、逆にわたしたちの間に大きな溝があることを意味する。

 高位の貴族と木っ端男爵令嬢という関係はもちろん、ただの貴族と王子妃とでは、途方もない距離がある。

 それはつまり、これまでのわたしの人生において、ヒョウエンとの関わりはなかったはずだということ。


 一体、何がそれほどにヒョウエンの心を動かしたのか。


 手を取る彼のぬくもりと、くすぐったさ。そして、ピリリとしびれるような皮膚の引きつりの感触を思い出した。


 ちらと見下ろした先、黒革の手袋が視界に映る。その先にあるのは、傷か、紋章か。

 わたしの人生を決めたそれがうずいた気がしたのは、勘違いだったのだろうか。


「スミレはもうここには慣れた?」

「……あ、はい。慣れた、と思います」


 心配げに顔を覗き込まれて、慌てて顔を上げる。

 何かを探るような瞳は、結局何も告げるでもなく伏せられる。


「そう。……ハンナも来られれば良かったわね」

「ハンナさんは、来ていないんですか?」


 魔女の円卓でそれらしい人影を見かけたから、てっきり来ていると思っていた。あの時は距離があったし、仮面で顔が隠れてしまっていては一目でハンナかどうかを見分けることは困難なのだけれど。

 とはいえ、魔女の円卓への招待状をくれたハンナに一言お礼を言いたかったから、この場にいないのは残念だった。


「彼女はぎっくり腰らしいね」

「家に引きこもっているからそういうことになるのさ。……スミレも気を付けなよ。動かなくなればあっという間に足腰にガタが来るからね」


 ひらひらと手を振るスワン。

 その言葉にあるとげは、「心配させおって」なんて思いの現れに感じた。なんとなくだけれど、言い合いながらも切磋琢磨するスワンとハンナの姿が脳裏に浮かんだ。

 きっと、二人の関係はあながち遠くないはず。だって、お互いに使用人として生きてきて、こうして同じ魔女の組織に属しているのだから。


「気を付けますね」


 まだ先にもほどがある忠告だけれど、スワンの言葉は大事なこと。

 いつかは体に衰えが来る。そうすれば狩りだって難しくなるかもしれない。

 そうすると魔法を使う場も――つい魔法のことばかり考えてしまう。


「ハンナは大丈夫なんですか?」

「心配はいらないさ。あの老骨は私以上の魔女だからね」


 ぶっきらぼうに告げながらも、その表情は優しい。

 いいな、と思う。こうして、何だかんだ気の置けない関係になった相手がいるというのは。


「そう、なんですか」

「少し前まで侯爵様の別荘を一人で管理していた女だよ。全く、せっかく引退したのに新しく仕事を見つけて、もう働くことに中毒性を感じてしまっているんだろうね。……まあ、魔法さえあればぎっくり腰でも生活できるくらいの化け物さ、気にする必要はないよ」

「化け物……」

「はは、スワンはこう言っているが、ハンナが倒れたという話を聞いていの一番に駆け付けたわよ」

「なっ、そんなことは言わなくていいんだよ!」


 真っ赤な顔で叫ぶスワン。彼女をからかったフォトスは口元を手で隠してくすくすと笑う。

 今日会ったばかりだけれど、スワンが弄られているというのは不思議だった。

 可愛い、とそう思うのはさすがにおかしいだろうか。年長者に対する評価ではないと思う。

 ただ、意地っ張りで、優しい本心を隠す姿がいじらしく見えてしまう。

 特に、こうして内心を暴露されて顔を赤くする姿は、やっぱり愛らしいと思う。


 そんなわたしの気持ちに気づいたのかどうか。スワンは居心地悪そうに身をよじる。


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