第49話 円卓の席で

 魔女の円卓。

 それは魔法を戦闘以外に用いる魔女たちの交流会。

 人里離れた場所で催されるそれは、現在、新入り含む甘味研究会の余興の熱が冷めやらず、熱い空気に包まれていた。


 その空気の、中心にて。

 テーブルの一つに座りながら、わたしは魔女たちの勢いに圧倒されていた。


「いやぁ、素晴らしい魔法の腕だよ! 本当に、まだ在野の魔法使いには僕たちの知らない素晴らしい御仁が潜んでいるものだね」

「当たり前でしょ。戦闘で魔法を使っている人たちの効率化は目を見張るものがあるわ」

「いや、戦闘はなぁ……」

「何よ。別にいいじゃない」


 お願いだから、わたしを挟んで議論を交わすのをやめてほしい。

 気になる話題も多いし、聞いているだけで楽しいこともある。


 けれどヒートアップしておもむろに立ち上がって、頭上で取っ組み合いをするのだけは勘弁だった。


 今もわたしを挟んで唾を飛ばす勢いでまくしたてる男女のおかげで耳が痛い。

 熱されやすいにもほどがある二人は、バチバチと火花を散らしながら議論を重ねる。


 やれ戦闘における魔法使いは甘味の残量を計算して、最大効率で云々。それを言うのであれば貧乏な魔女の方が、いや何を戦闘においては瞬時の決断が大事だからこそ光るものが――


「ほら、あんたち、少しは落ち着きな……いや、あっちへ行っていな。スミレと話したいのは多いんだから」


 しっし、と追い払われた男女一組の魔女は、互いに魔法を戦闘で使うことへの是非を語りながら足取り激しく遠ざかっていく。

 嵐は過ぎ去り、けれどわたしはまだ大いなる熱の渦中にいる。


 くぴり、とジュースを飲んで喉をいやす。ご丁寧にも魔法で冷やされたドリンクは、するりと喉を通って胃に流れ落ちていく。おかげですごく飲みやすくて、だからお酒を飲むのはやめておいた。

 こんなにも簡単に飲めるお酒に手を出してしまっては、酔いつぶれる未来しか見えない。


「悪いね、スミレ。興奮してブレーキが外れちまっているのさ」


 やってきたスワンは、どっかりと隣に腰を下ろし、テーブルの上に積みあがっている料理に手を伸ばす。

 先ほどまでは甘味研究会の集団と話していた彼女も、ようやく少し熱が冷めたのだろう。


 料理に舌鼓を打つ彼女の姿は、好々爺とした様子で、にこにこと笑みを浮かべていた。


 それにしても楽しかったねぇ、と語る彼女を見ていると、自然となんでも許せてしまう。


「かまわないですよ。わたしも、すごいってこんなに言ってもらえてうれしいですから」


 見上げる先、そこには飴によって作られて美しい天井が見える。


 精霊の力を借りて魔法によって作り上げたそれは、木々の枝につるされたランプやキャンドルの光を透かし、刻まれた幾何学模様も相まってある種の芸術作品としてそこにあった。

 それを自分が作ったなんて、今改めて見ても自身を疑わずにいられない。


「確かにあんたの作ったものだよ」

「心が読めるんですか?」

「あんたは顔に出やすいんだよ」


 そんなことはないと思うのだけれど、どうだろう。

 半ば無意識に頬に両手を当てて、こういうところが「顔に出やすい」ということなのだろうか、と思う。顔というよりは、行動に出やすい、といったところ。


 アヴァロン殿下の妃になって教育を受けて、十分に本心を隠すすべを身に着けたつもりだった。そう思うけれど、最近ではすっかり無表情が板についた頬は少しこわばっていて、慣れない笑みに頬の筋肉が酷使されたことを示していた。


「……少し、わたしも舞い上がっているのかもしれないです」

「楽しいのなら何よりさ」


 呵々と笑うスワンもまた立ち上がる。

 思わずすがるような眼を向けてしまって「やっぱり顔に出るね」と笑われてしまった。


「少し席を外すだけさ。何、私がいなくともやっていけるだろう? この場には邪なことを考えるような者はいないからね」

「皆さん、優しい人ばかりですよね」

「たまに興奮したままなかなか熱が冷めないような面倒なのもいるけれどね。ま、近づいてくるのはみんな無邪気な子どもだと思って接すればいいさ」


 そりゃあスワンに言わせればこの場にいる者の多くが子どもに見えるだろう。

 年齢、あるいはこれまで積み重ねてきた経験が彼女にはあるのだから。


 ひらひらと手を振って歩いていくスワンを見送って、体のこわばりをほぐすために深呼吸をする。


 目を閉じて、お腹の、へそあたりに意識を集中させる。

 深く息を吸って、吐く。そうして目を開けば、視界は開け、まばゆいランプの光が目に刺さる。


 目をすがめれば、すぐに視界に影が落ち、その影が語り掛けてくる。


「ここ、いいか?」

「はい……?」


 静かで、それでいてどこか熱を帯びた声。


 聞き覚えがある気がしたけれど、再びこみ上げた緊張がそんな思考を上から塗りつぶす。


 隣に腰を掛けたのは、炎が閉じ込められた氷という、不思議な仮面の人だった。

 動きの感覚からして、それなりに経験を重ねた武人。強い、と思う。

 残念ながらただの魔法使いでしかないわたしには、剣士の技量を正確に推し量るほどの観察眼は無い。


 おそらくは青年男性であろう彼は、氷のような瞳に炎を燃やしてわたしを見ていた。


「私は……っと、ヒョウエンだ」


 涼しげな、それでいてマグマのように熱い声。相反する要素を両立させているのは、その仮面のイメージそのままだった。


「氷の炎、でヒョウエンですか」

「ああ。……まあ、仮、だがな」


 どこかぎこちなく告げながら、視線で「君は?」と尋ねられる。


 仮の名――この場では、誰もが仮面と名前で素性を隠す。

 中には互いの本当の顔や名前を知っている者もいるのかもしれないけれど、少なくとも建前上、ここにいる者たちが互いを知らない。

 互いを知らないからこそ、現実のしがらみ無しに、一人の魔法使いとして時間をともにすることができる。


 そうした遠慮のない関係が熱い議論を生み、さらに面白い魔法をもたらす。


 きっと、それがこの魔女の円卓を取り仕切っている者たちの望みなのだろう。

 ならば、わたしも名乗ろう。


 なぜだか、少しためらおうとする心とともに。


「スミレ、です」


 とっさに口をついて出てしまいそうだった本名をぐっと飲みこんで、仮面をつけている今の自分の名前を名乗る。


 スミレーー仮面から決めた安直な仮名。


 その名乗りに対するヒョウエンの反応は劇的だった。


 名乗った瞬間、ヒョウエンはくわと顔を見開き、身を乗り出してくる。

 驚きと、興奮と、歓喜――よくわからない感情の数々が、氷に閉じ込められた炎の奥、水色の瞳に垣間見えた。


 すぐ目の前に、彼の顔があった。

 仮面と同じように、氷の中に炎を燃やす瞳が、熱を持ったまなざしが、わたしをとらえて離さない。

 艶めく髪は夕日色の光を反射して輝いている。元の色は金髪、だろうか。


 美しい人だと思った。

 露出した顔の下半分だけではない。容姿すべてが。

 立ち居振る舞いは見られる人のそれ。計算され、作られた美しい挙動。


 そして何より、何かに目っちゅうできるであろうそのまなざしに、わたしは、自分と似たものを感じた。


 魔法に一直線なわたしが抱く感情ものと同じ――


「やはり」

「ええと?」


 つぶやかれた言葉は、歓談に沸く声にかき消されて、届かない。

 やっぱり、と聞こえた気がしたけれど、多分聞き間違いだろう。何かを確信するようなものは、先ほどまでのわたしたちの間にはなかったはず。


 それよりも、近い。

 押しのけるように両手を突き出せば、彼は今更ながらに行儀悪くテーブルに身を乗り出していることに気づいたらしく、咳払いをしつつ腰を落ち着ける。

 そんなふるまいにもどこか気品が感じられ、けれど頬を赤くしてあからさまに恥ずかしがっている様子にはギャップがある。


 なんだか変わった人だ、なんて、そんな印象を抱いた。


「あぁ、いや、何でもない。すまない」


 げふんごほんと激しく喉を鳴らし、視線をさまよわせるヒョウエン。

 なぜだか必死になっているらしい彼は、その手の中で木製のグラスをくるくるとまわして弄びつつ、「言うか? いやだが……」と葛藤を続けていた。


 なんとなく声をかけるのをためらって、お皿に手を伸ばして焼き菓子をつまむ。

 しっとりとしたマドレーヌは、バターとローズマリーの香りがふわりと立ち上る。もう一つ、と手に取ったのは紅茶の茶葉を練りこんであるらしい。こちらも大変美味しくて、手が止まらない。


 これは帰ったらしばらく運動を激しくしないといけないかもしれない。


 なんて、そんなことを考えながら甘味をつまんでいると、何やらあり得ないものを見た、とでも言いたげに目を見開いたヒョウエンと視線が合った。


 別におかしなところはなかったと思うけれど、食事姿を穴が開くほど見つめられるというのは思っていたよりも気恥ずかしい。ああいや、穴が開くほどに観察されること自体が恥ずかしいのだけれど。


「……君は、魔法使いとしてもう長いのか?」

「そう、ですね。幼い頃から魔法を使ってきたので……狩りばかりですけれど」


 そう、狩りをしなければいけない。

 ダイエットと肉の調達、ついでに魔物素材を手にして金銭の補充と一石三鳥。


 ……この会で摂取したカロリーの分、何より、せっかく手に入れたお肉を美味しく食べる意味でも、運動を少し増やす必要があるのだ。

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