第48話 運命のいたずら
「さぁ、
巨大な鍋を魔法で浮かせて運ぶスワンが声を張る。
場所は、フォトスの魔法による移動で、最初にたどり着いたあの広場。
いくつものテーブルが並び、魔女たちがお酒やおつまみ片手に歓談しているその一角に陣取り、何かが始まった。
……すっかり巻き込まれてしまったクローディアに、何の情報共有も無しに。
突然始まった興行に魔女たちから歓声が上がる。
魔女の円卓――新人の加入が少なくなり、流動性を失って久しい会のメンバーたちは、目新しさに貪欲だった。
そんな観客の中、テーブルの一つに座る氷中に燃える炎――
氷炎の仮面の男――ルクセント王国の王子であるアヴァロン・ルクセントは、周囲のノリについていけずに眉をひそめて。
けれど次の瞬間、勢いよくテーブルに手をついて立ち上がる。
「うぉ!?どうした新入り。元気がいいな!」
隣に座る男は、アヴァロンの突然の奇行に目を見張る。次いで体を小さく震わせたのは、彼の体からあふれる激情にのまれたから。
それは困惑であり感動であり激怒であり歓喜であった。
「……彼女だ」
「お? どうした。前世で死に別れた恋人でも見つけたか?」
茶化す魔女の声はアヴァロンには届かない。
彼はただ一心にテーブルが並ぶ広場の端、そこで白鳥羽の仮面の女性に背中を押される人物のことを見つめていた。
薄紫の仮面。それは、菫の花と葉からできたもの。
目穴からは同じ薄紫の瞳がのぞき、さらされた顔の下半分ではつややかな唇が戦慄く。
嫌がってはいない――最悪の想像よりかなりましな状態にあったことに胸をなでおろし、ずっと心の中でくすぶっていた不安を吐息に乗せて吐き出す。
「スミレの、乙女」
そうしてアヴァロンは、魔女の円卓に入り込んでまで探し求めていた女性の名を呼んだ。
「スミレ?おお、スミレの仮面だな。ほほぉん?」
どこか下世話な笑みを浮かべた大男の魔女がバシバシとアヴァロンの肩を叩き、椅子に座らせる。
「まあまずは見てろ。お手並み拝見ってな」
「……あぁ」
夢現な様子で告げるアヴァロンをにやにやと見つめつつ、大男は始まった興行に視線を戻す。
代り映えしない魔女の円卓を彩る、若い魔女の出し物。
魔女の酒を片手にそれを眺める男の横で、アヴァロンは「焦っても仕方がない」と己に言い聞かせる。
見間違いでもなんでもなく、確かに目の前にスミレの乙女がいた。
ずっと、アヴァロンが探し続け、すれ違い、何とか接点を持とうと必死だった女性が、今、そこにいる。
今すぐに駆け寄って愛を囁きたくて、あるいは抱きしめてどこへも行かないように己のそばに留めてしまいたくて。
彼女の美しさに魅了された様子の魔女たちにスミレの乙女をこれ以上さらしたくないという独占欲がこみ上げ、「はっ」と自嘲めいた笑みを漏らす。
自分は、何様のつもりなのかと。
スミレの乙女と自分は、よく言えばただの戦友、彼女からしてみれば知人程度にしか思われていないかもしれないのだぞ、と。
自分で考えておいて絶望したアヴァロンはがっくりと肩を落とす。
ころころと反応を変えるアヴァロンをおかしそうに眺めながら、大男は余興の始まりを感じ取って突っ伏すアヴァロンの頭を軽くたたく。
「ほら、始まるぞ」
「あぁ……っ!」
顔を上げたそこにあったのは、流動する夕日色の塊。
空を飛ぶそれに、アヴァロンはぎょっと目を見開く。
魔法――そう察することはできても、このような大規模な魔法が行われているということに驚きを隠せない。
それほどまでに、目の前に広がる光景はアヴァロンの度肝を抜くものだった。
「行くよ!」
スワンの掛け声に合わせて、甘味研究会の面々が一斉に魔法を発動する。
宙を揺らめく夕日色の半透明の液体は千々に別れ、それぞれが形を変えて踊り始める。
ある塊は魚となって空中を泳ぐ。
ある塊は鳥や蝶に代わってゆらゆらと周囲を舞う。
またある塊はリスやシカ、イタチなどの動物に変化して木々の上を走り回る。
クラゲとなってふわりふわりと揺蕩うものがいれば、クマの姿をして雄々しく空を駆けるものもある。
そんな実物を模した飴の動物たちの体はあちこちにかけられたランプの光を透かし、無数に反射してきらめく。
それはまるで、琥珀の体を手にして神の遣いが地上に降りてきたよう。
言葉を失うほどに幻想的な光景は、けれどまだ終わらない。
歌うように踊る動物たちはやがて甘味研究会の頭上へと集まり、再び一つにまとまる。
大技を予感して、誰もが息を飲む。
静寂。
その中で、飴の塊へすっと手を伸ばす人影が一つ。
緊張しながらもどこか決然とした様子で頭上を見上げるスミレは、ゆっくりと、歌うように言葉を紡ぐ。
「踊って、描いて、飾って。……心の赴くままに、世界を彩って」
涼やかで、それでいて熱く紡がれる言葉にこたえるように、粘り気のある光を帯びた液体が流動し、その形を変えていく。
言葉が少なくとも、その思いは、イメージは、確かに精霊に通じていた。
スミレが手を大きく振り抜き、振り下ろす。
伸びた飴が、薄く、薄く広がる。
木々の間を埋め尽くしたそれは、続いていくつもの線を生み、複雑な幾何学模様を描いていく。
光をすかす夕日色の天蓋。シャンデリアを思わせる図面を中央に、空を覆いつくした屋根は無数のロウソクやランプの光をすかしてまばゆくきらめく。
枝に絡みついた飴は垂れ下がり、ひし形や涙型となって木々を飾る。
ピンと立てた指を揺らせば、それに応えて飴も揺れる。
枝から地面へと垂れた飴は、そこでひょこりと頭上に伸び、いくつもの花を開かせる。
揺れることなくたたずむ小さな菫が咲き誇り、荘厳な空気の中に素朴な美しさを添える。
そうして出来上がった飴に彩られた世界に、誰もが言葉を失っていた。
再びの沈黙。
その空気がいたたまれなくて、スミレは小首をかしげながら恐る恐る問う。
「えっと……これでいい、ですよね?」
不安でいっぱいいっぱいになったスミレの言葉が、再び時を動かす。
次の瞬間、大地を揺らすほどの歓声が響き渡った。
無数の称賛と感服と畏敬の声と拍手の中。
アヴァロンは身じろぎ一つ、呼吸の一つもできずにただじっとスミレ仮面の女性を眺めていた。
スミレの仮面の女性の、指揮者のように魔法を操るその一挙手一投足を思い出しながら。
あるいは、その動きに、かつて森で出会い、共闘した初めて会ったときの彼女の姿を重ねながら。
「おい、どうした?」
「っ……いや、何でもない」
「いいさ、気にするこたぁない。俺だって言葉にできないほどには感動してるんだ。いやぁ、すげぇな。ああ、すげぇよ」
問われて、思い出したように息を吸いながら、それでもアヴァロンはスミレの乙女から目を離せない。
ふと、万雷の拍手を浴びてもじもじと体の前で合わせられる手、白魚のようなほっそりとした手を隠す黒い手袋に目が吸い寄せられる。
片方だけの手袋。その装いを、どこかで見た気がして――
たどる記憶の先に答えを得るよりも早く、魔女たちに取り囲まれたスミレの乙女が視界から消え、アヴァロンはこれ以上遅れるものかと席を立った。
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