第47話 精霊に愛された者

「本当に、精霊に愛されいてるね」

「……愛?」


 お兄さまの姿が脳裏によぎる。誰よりもわたしのことを大切に思ってくれている人。

 その思いはただの兄妹にしては行き過ぎたもので、けれどお兄さまとの記憶が、どれほどわたしにとって救いとなっているか、考えたら胸が温かくなる。


 例え万人に非難されることがあっても、お兄さまはわたしを非難しない。

 周りが敵だらけでも、お兄さまだけは絶対に敵にならないと確信できる。わたしにも確かに味方がいるのだと、そう思えた。


 それがきっと、妃教育を始めたばかりの頃のわたしを支えてくれた。


 なんて、お兄さまに直接言うのは、お兄さまが壊れそうだから言わないけれど。

 それに、流石に少し気恥しいというのもある。


「時々いるんだよ。まるで精霊と思考でつながっているように魔法を使える子がね」


 頭の中、小人サイズのお兄さまが何人も現れて、「ディアのためなら何でもしてみせるよ!」と口々に告げる。嬉々とした様子で魔法を行使するお兄さま集団は、なるほど、わたしの思考をわたし以上に理解し、魔法という形で世界に現象をもたらす。


 つまり、わたしの意思を読み取るように魔法を行使している精霊は、限りなくお兄さまに近い似非お兄さま?


「精霊が自ら察してくれているようだから、精霊に愛されている、なんていう風に表現するのさ」

「愛されて、いるんでしょうかね」

「間違いないよ。自身を持ちな!」


 精霊に愛されているのか――問いかけた言葉は、けれど違う意味を含んでいるように感じた。


 そして、そんな問いを投げかけようとした自分の内心に驚いた。


 わたしは、愛されたいと、願っているのかと。


 愛と聞いて、脳裏に思い浮かんだのはアヴァロン王子殿下の顔だった。

 嫌いな人。そして、わたしを嫌っている人。


 嫌っている、はずなのだ。わたしも彼も、互いを嫌っている。


 そのはずなのに、わたしはまるで彼からの愛を求めるように、すがるように、希うように、言葉を口にしていた。

 そして、殿下もまた、まるで愛おしい人を見るようにわたしを見た。大切に、大切に、毒を飲んだわたしに触れた。

 大丈夫かと、そう問う言葉に嫌悪は敵意のようなものはなかった。


 真人間だった。普通の心を持つ、ありふれた人だった。

 その事実から、わたしはずっと目をそらしてきた。彼を心無い存在という敵にすることで、わたしは自分の心を守ってきた。


 けれど。

 守るうちに、思いが変質でもしたのか。


 わたしは、彼からの愛を求めて――いや、でも、そんな。

 だって、妻の名前も覚えていないだから、やっぱり殿下は殿下だとしか……


 バシン、と驚くほど強い力で背中をたたかれる。

 まるで、わたしの悩みを吹き飛ばそうとでもいうように。


 シャキッと背を伸ばせば、スワンは「それでいい」とうなずく。

 けれど、私の心の中のもやもやは晴れない。


「辛気臭い顔になっているよ」

「……今が楽しいだけに、この会が終わってからが憂鬱になっただけですよ」


 楽しいのだ。

 魔法を大手を振って人の前で使えて、魔法の意見交換ができる。こんなこと、これまでのわたしの人生にはなかった。

 妃になってからは、他の魔法使いとの交流なんて、もう諦めていた。


 希望すら捨て去っていた未来が、今、ここにあるのだ。


 だからこそ、妃としての生活に戻ることとの落差にめまいがする。


 スワンはそんなわたしの言葉に破顔し、何度も頷いてみせる。


「うれしいことを言ってくれるね。最近はこの魔女の円卓に入ってくる新参者も少なくなっていたんだ。あんたみたいな優れた魔法使いが、もっと魔法の便利さを追求してくれると嬉しいんだけどねぇ」

「そう、ですね。ただ、一般市民には甘味は貴重ですから」


 それが、魔法の最大の欠点。

 魔法は便利で、優れた力で、けれど精霊に捧げる対価として甘味が必要となる。

 裕福な家であれば甘味の用意なんて大した問題ではないのかもしれないけれど、庶民や、わたしのような貧しい家の者は、そうやすやすと甘味を用意できない。


 それこそ、日常の家事に魔法を使うくらいだったら、魔法のために必要な甘味を摂取して、それをエネルギーに自らの手足を使って家事を頑張る方がいい。


「おや、てっきりいいところの出だと思っていたけれど、そうでもないのかい」

「……そうですね。魔法を使って自分で狩りをしていたくらいですし」


 世俗での話はご法度なのかと思っていたけれど、思っていたよりは緩いのかもしれない。

 どう回答したらいいのか少し困りながら、わたしは当たり障りのないところまで話をするに留めた。


 さすがに自分が王子妃であることや、今も魔法を使って狩りをしていることを伝えるのははばかられた。


 狩りをしていることは話しても問題ないのだろうか。いや、どこで話が広がるかわからない。

 この場にいる魔女の誰かと王子妃として会うことが無いとも言えないから、今更だろうか。仮面で顔を隠しているとはいえ、わかる人にはわかる。


 ……まあ、次の機会にでも。今は様子見。


「人生いろいろとあるからね。もし今の生活を変えたいっていうのなら、相談しな。仕事の紹介くらいはしてやれるよ」

「それはやっぱり、魔女としてですか?」

「どちらでもいいよ。魔女でも、魔女でなくても、私が紹介できるのは、主に貴族や商家の使用人だけどね。ハンナの方がいい就職先を紹介できるかもしれないけれど」


 使用人……今の生活よりはよほど楽なのかもしれないけれど、やっぱり狩りが難しいのは欠点かもしれない。それを思うと、狩りをできている今の生活は、意外と悪くないのかも、なんて。


 わたしの顔も名前も覚えていない夫との関係も、毒殺を仕掛けてくるような使用人たちの中にいるという精神的な疲れも、周囲から突き刺さるいくつもの圧力も、投げ出したくて仕方ないのだけれど。


 それでもできないのは、きっとどうしようもなく、わたしが貴族社会に縛られているから。

 あるいは、大切な人たちがいるから。


 遁走することはできる。自活していく力もある。

 けれどわたしがそうすれば、家族や友人に多大な迷惑がかかる。責任を追及される。


 それは、嫌だ。


 わたしの行動を理由に、家族を不幸にしたくない。


「そんな顔をしていたら、精霊も幸せも逃げちまうよ」


 わたしの眉間を、スワンはトントンと叩く。しわの目立つ、細い指、それでも、その指先には確かな熱が宿っていて、眉間にはかすかな熱が残った。


 眉間や頬、顔全体をもみほぐしても今の苦しみが消えることはなくて、やっぱり顔が険しくなってしまう。


「……よし、気分転換のためにも、ここはひとつド派手に行こうか」

「ド派手に、って何をするつもりですか?」

「私たち『甘味研究会スウィートウィッチーズ』の十八番さ」

「……スウィート?」

「スウィートウィッチーズ。魔女の円卓の中の下部組織のようなものだね。私たちの集団の呼び名だよ。ま、そんなものはどうでもいいさ」


 あっさりと切り捨てたスワンは、大きく息を吸って。


「みんな!あれをやるよ!」


 張り上げた声に続いて、家から魔女が飛び出してくる。老人も若者も、ハンナと言い合いをしていたオスマンタスも。

 期待と興奮に仮面の下の目を輝かせた彼ら彼女らは、わたしを見てぐっと親指を突き出す。


 急に暑苦しい雰囲気になり、わたしは目を回すことしかできない。

 一体何が始まろうというのか。話がないのはきっと、わたし以外にとっては分かり切ったことだから。


「私たちの力を見せてやろうじゃないか!」

「「おー!」」


 おそらくは中心にいるであろうわたしを置いてけぼりにして、スワンたちはやや性急に動き始めた。

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