第45話 魔法加工
こんこん、とスワンが鍋をたたく。
熱くないのだろうか、と見当違いのことを考える私の目の前で、鍋がふわりと浮き、入り口へとゆっくりと移動を開始する。
ぶつかりそうになって慌てて背後に飛びのけば、そこにあった棚にぶつかって天板の上にのっていたものがいくつも倒れる。
ガッシャーン、と砕け散るガラスの音に、思わず肩が跳ねる。
「はっはっは、どうだ。驚いただろう?」
「ちょっとスワン!あんたまたやったな!?」
怒り心頭といった様子の魔女の一人が叫ぶ。私が倒してしまった物を拾い上げながら、これはダメ、これもダメ、と数えていき、肩を落とす。
どんどんと陰鬱な気配を強めていく背中を前に、やってしまった、という絶望感と罪悪感がぐるぐると心の中で渦巻く。
「ご、ごめんなさい」
「あぁ……まあ気にするな。すべてはあんたを驚かせようとして事前情報もなしに魔法を使ったスワンが悪いんだ。どうせ、いつものことだしな。大体スワン、あんたはいつもいつもッ」
スワンと同じくらいの年齢に見せるヒイラギの仮面の魔女が、スワンに唾を飛ばす勢いでまくしたてる。泣きぼくろのように目尻のあたりにある赤い果実がチャーミング。
それに対して、スワンはひょうひょうとした態度を崩さずに口元に笑みを浮かべる。
「いつものことだと理解しながら対策しなかったあんたが悪いのさ」
「あんたが悪い」
「いいや、オスマンタスが悪いね。いつも机を散らかしすぎなんだよ」
「この室内が狭すぎるのさ」
「それには同意するけれどね」
見解が一致したね、と笑いながらスワンは室外へと移動する。
その背中を見送っていたヒイラギ仮面――オスマンタスは、はっと気づいたように目を見開く。
「またごまかしたな!?」
「あんたが勝手にごまかされたのさ。それにしてもうるさいねぇ」
「誰の、せいでッ!?」
ひらひらと手を振りながら、スワンは鍋と一緒に外に出ていく。
背後からはまだオスマンタスの罵詈雑言が聞こえているはずなのに、すでにスワンの耳には届いていない様子だった。
なんというか、心が強すぎる。
肝っ玉母さん……という年齢ではないか。老獪というか、柳のようだというか。
いや、それより、わたしがオスマンタスの物を壊してしまったのだ。怒られるべきはわたしであって、スワンではない、はず。
視線が合う。
オスマンタスは荒い鼻息をしながらむっつりとした様子でわたしを見ていた。
「ええと……本当にごめんなさい」
「まあいいさ。あんたもあんまりスワンの口車に乗せられるなよ」
「えっと、頑張ります?」
どう答えたらいいものか迷って、疑問形で告げて頭を下げる。
さっさと行った、と追い払うように手を振られ、もう一度頭を下げてから扉の方に向かった。
スワンの後を追って外に出れば、涼しい影が顔に吹き付ける。
狭い家の中でいくつも火をおこしていたのだから、室内は暑かったらしい。
意識はしていなかったけれど今の私の肌はじっとりと汗で湿っていた。
汗臭くなっていないだろうかと少し気になって、けれどそれよりも早く、スワンが急かすように鍋を手の甲で軽くたたく。
「さぁ、仕上げをするよ。あんたもフォトスの魔法は見ただろう?」
「あ、はい。すごかったです。一瞬で別の場所に移動して……それに、ひょっとするとあの手紙もそうですか?」
手紙、あるいは招待状。
ハンナがくれたそれは、精霊に見放された土地に一歩足を踏み入れた瞬間、淡く発光を始めたのだ。
「そうさ。あれらは全部、私らが考えたものなんだ。精霊がどんなものを喜ぶか研究を重ねた結果、甘味インクや飴薔薇ができたんだ。あれらは全部、発動する魔法に対応した甘味なのさ。まあ、対応したものでなくても、発動はできるけれどね」
それでも魔法がより簡単になるのなら、覚える価値はある。
ただ、わたしに覚えられるか、それが気になった。
特にフォトスの魔法。あれができるようになれば、わたしは一瞬であちこちに移動できる、例えば故郷のレティスティア男爵領に里帰りすることも現実味を帯びる。
さすがにそろそろ一度は、お父さまとお母さまに顔を見せたいと思っていたのだ。
わたしがある日突然アヴァロン王子殿下の妃になって王城に召し上げられて、きっと二人はわたしのことを心配しているはずだから。
手紙では伝えているけれど、大丈夫だって、元気だって、顔を見せて伝えてあげたい。
「……わたしも、彼女と同じように移動ができるようになるんですか?」
「もちろんさ。まあ、あれはフォトスの専売特許になりつつあるけれどね。精霊にも得意不得意があって、彼女は移動を得意とする精霊に愛されているみたいだ」
魔女によっては特定の精霊がいつもそばにいる場合がある。だからこそ、その精霊に何度も魔法をお願いするうちに、少ない情報を渡すだけでも精霊が意図を読み取って最適な魔法を発動してくれるようになる。
そのため、老齢の者ほど手足のように自然に、かつ素早く魔法の発動が可能になる。
それはさておき、フォトスのように発動できるようになるかはわかないというのは、少し残念だった。
帰郷以外にも、その力があればお城から抜け出すのがずっと楽になる。
いちいちスニーキングすることなく、あっという間に狩りができる。
あるいは、狩りで危険に陥った時、すぐに逃げることができるようになる。
さすがの魔物も、一瞬で遠くに移動するわたしを追ってくることはできないはずだから、安全性は格段に引きあがるだろう。
俄然やる気が出てきた。
「準備はいいみたいだね。それじゃあ、こいつを使って精霊に頼みな」
いつの間にか手に持っていた箱を手渡してくる。
そっと蓋を開いた先に見えたのは、鍋の中の液体に比べればずいぶんと地味な茶色の塊。
「……クッキーですか?」
おそらくはこれから始める魔法発動のためなのだろうけれど、わざわざクッキーである理由がわからない。
きらりと目を光らせるスワンは、ただのクッキーではないのさ、とおかしそうに告げる。
「そいつは塩クッキーだね」
「塩クッキー」
「甘味の加工を魔法でやろうっていうんだ。甘味好きな精霊に任せちまったら、全部その精霊の胃袋に消えるのさ」
なるほど。精霊が自分で作ったものを対価にもっていってしまうということ。
確かに、そうなると魔法の対価として塩っぽいものを選択するのがいいのだろう。
「それじゃあやってみな。まずは……そうだね。普通に球体にして丸い飴を作ってみな」
「わかりました」
クッキーを一つ手に取り、頭上へと掲げる。
目を閉じ、イメージを固め、祈る。
「飴よ、丸くなれ!」
目を見開き、精霊よ聞きて、と願いながら叫ぶ。
それと同時に、私の目の前、鍋の中の飴の一部が浮かび上がり、親指の幅ほどの大きさの球体を作る。
くるくると回るそれは完璧な急になり、風に吹かれるようにして私の掌の上へと収まる。
代わりに、クッキーは姿を消した。
「……これは驚いた。あんた、年齢でも詐称しているのかい?」
多分わたしの精霊との意思疎通のレベルが年齢不相応だと言いたいのだろうけれど、言い方がアレだ。
「年齢をごまかすなんてどうやってするんですか?」
「姿くらいは多少魔法で……どうだろうね。髪色くらいは変えられるかもしれないが……」
何やら熟考を始めたスワンをよそに、私は手の中の飴を転がしてみる。
ピンクの球体。
透明なそれは美しく、見るものを引き付ける。
この調子であれば、ある程度造形の細かいものでも作ることができるかもしれない。
ただ、薔薇のような美しいものをわたしがイメージできるかどうか、それが問題だった。
「まあいいさ。魔法の腕がいいのは何よりだよ。それじゃあ、どんどん作っていこうか」
「はい!」
そうして、スワンの甘味教室もとい、魔法加工の訓練が始まった。
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