第44話 甘味教室?

 幻想的な、まるで空想の世界に迷い込んでしまったかのような不思議な光景。

 それに見惚れ、魔女たちとの交友を楽しみ、移動した先のまるで隠れ家のようなごみごみとした室内に心躍らせた。

 まるでハンナが暮らしていた魔女の庵と似たような感じだと思って、魔法使いはみんな似たような環境を作りたがるのだろうかと首をひねって。


 そうして気づけば、わたしは大きな鍋を前にして、これまた大きな木べらを手に中身をぐるぐると掻き混ぜていた。


「そろそろいいですか?」

「ん?ああ、もう少しだな」

「あと少し……」


 粘り気を帯びた液体は重い。

 最初こそその強いピンクの蛍光色に興奮したものの、今ではただ目に毒なだけだった。

 チカチカするせいで精神を削られ、疲労感がますます強まる。

 腕はもう筋肉痛で悲鳴を上げていた。狩りのために鍛えているとはいえ、わたしはあまり筋肉がつきやすい体質ではないみたいで、腕は太くない。

 何より、恐ろしいほどの粘り気のせいで、ひどく力が必要だったのだ。


 あと少し、あと少し――そればかりの考えながら、わたしは鍋の中身を混ぜ続ける。


 そのうちに意識が遠くなり、ふっと、今更な疑問が首をもたげる。


 一体どうしてこんなことになったのか。


 重い腕に鞭を打ちながら、わたしの意識は少し前へと舞い戻る。






 魔女の円卓。

 それは、魔法を戦い以外に使用する魔女たちが集まる秘密の会。


 魔法で瞬時に移動した先に待っていたのは、言葉を失うほどに現実から遠く離れた、幻想的な世界だった。

 物語の中に入り込んでしまったような世界に興奮しているわたしに、親切な魔女たちは我先にと声をかけてきてくれた。

 落ち着きながらも熱があるのは、第一に、新人が珍しいから。


 なんでも私は数年ぶりの新人らしい。というのも、基本的にこの魔女の円卓に新人が参加する方法は人づてしかない。

 参加者が招待状という名のチケットを渡すことで、新人が導かれてくる。

 ただ、親しくなければチケットを渡しても信じて足を運ぶことは無く、あるいはこの会を乱さないような者かどうかの見極めの段階で多くの者が落選するのだとか。


 まあ、昨今の風潮では、魔法をあえて家事などに使おうと考える者は少ない。

 魔法は大きな力で、何より、信仰対象である精霊によってもたらされる神秘の力。

 ゆえに家事などという雑務に使うのはおかしい、という考え方があるらしい。


 魔女どことか、一般的な魔法使いとの交友関係もないわたしは少しも知らない話だったけれど。


 とにかくそういうわけで、わたしの存在は非常に珍しく、まるで見世物になったような気持だった。

 あるいは、安売りの品に集まる主婦の争奪戦を前にした感覚、といった感じだろうか。


 領地にやってきた商隊の一角、安売りの品を目ざとく見つけた女性たちが我先に塩や砂糖に群がる光景を想像して、ぶるりと体が震えた。


 最初に目撃した時は、初めて魔物に対峙した時よりも恐怖を覚えたかもしれない。


 まあ、そのあとはわたしも安売りの品を求めてそんな女性たちの群れの中に飛び込んでいくようになったのだから、人間とは慣れる生き物だと思う。


 閑話休題。


 そして、わたしのもとに多くの魔女が集まってきたもう一つの理由は、人手を欲している者が多かったから。


『精霊が好むお菓子作りに興味はないかい?』


 わたしと同じように仮面で顔を隠した魔女たちの一人が告げた言葉に、わたしは心動かされた。


 魔法を使うためには精霊にお礼のお菓子が必要。けれど、それを自分で作るという発想はなかった。


 もし自分でお菓子を作れるようになれば、もっと魔法を上手く使うことができるようになるのか。

 少なくとも、お菓子の完成品を買うよりも安く甘味を調達できることは間違いない。


 そしてそれは、浮いたお金で自分のための甘味をより多く購入できるということ。


 魔法への愛を――あるいは甘味への欲求を――刺激されたわたしは、闇夜の中にともる魔法のランプに引き寄せられる蛾のように、その魔女へとふらふらと近づいた。

 そして、がし、と腕を掴まれた。


『よし、新人ゲット!』


 若々しく声を張り上げる老齢の女性が、わたしの腕をとって一緒にこぶしを天へと伸ばす。


 周囲からは賛辞と、落胆の声、あるいは「いつでも来てくれ」という勧誘の声。

 大勢の魔女たちが口々に告げる中、わたしは魔女の一人に腕を引かれて運ばれる。


 テーブルの奥、枝がねじれ、垂れ下がる樹木の裏へと引っ張って行かれて。

 透明な膜をくぐるような感覚を覚えた後、目の前に突如現れた家屋を見て息をのんだ。


 ――それは、今のわたしには、ひどく見覚えがある現象で。

 まさか、と視線を向けた先、老齢の女性はわたしの心を見透かしたように、違うと首を振って見せた。


 わたしを精霊に見放された土地から魔女の円卓の会場まで一瞬で移動させた、フォトスが発動して見せた魔法とは違ったものらしい。

 好奇心がくすぐられたことに違いはなかったけれど。


 ベージュ色の塗装に赤茶の屋根。

 煙突から白煙を立ち昇らせる家屋を前に目をかっぴらいて観察するわたしを見て、魔女はおかしそうに笑った。


 それからわたしを家の中に案内した魔女は、魔法使いが手ずから作った甘味のほうが精霊に好まれるという話を教えてくれた。


 習うより慣れろ。

 そう言うが否や、早速一つ作ってみようと、背丈ほどもある木べらを渡され、ぐつぐつと煮える鍋を混ぜる仕事を任されたのだ。


 ――うん、やっぱり急展開にもほどがある。


 まるで走馬灯のように過去を振り返る旅から帰還したわたしは、そろそろ動かすのも苦痛だと訴え始めた両腕の痛みに顔をゆがめながら、再度確認する。


「……そろそろ、いい、ですか?」


 台の上でとろりとした液体をかき混ぜながら、魔女は下で何かこまごまとした作業をしていた。


 私をこの場に勧誘した魔女は、白い羽がいくつもの重なったような仮面を身に着けており、スワンと名乗った。


 白鳥スワンの羽の魔女は、ゆっくりと椅子から立ち上がってもう一つの台の上に上って鍋の中を覗き込む。


 高さ一メートル半近くある鍋の中では、ぐつぐつと煮えた液体が、混ぜる動きに合わせて揺れていた。

 蛍光色の粘性のある液体が揺れる様は、新種のスライムを想像させた。


 森の掃除屋と呼ばれることもあるスライムは、体を酸性を帯びたゲル状の魔物。

 基本的に植物を好むが、たまに特異個体として成長したスライムは、魔物の死体を食らうことで知られている。

 そんなスライムの動きは何とも言えない不思議さ、あるいは気味の悪さをしていて、人によってはひどく嫌う。


 そういえばフィナンも、フレッシュ・ボールの材料の一つがスライムの一種の粉だと告げた時には微妙そうな反応をしていた気がする。

 あれはスライムが嫌いだったからか、あるいは曲がりなりにも子爵令嬢という箱入り娘で、魔物への抵抗感があったのか、どちらかだろうか。


「ふむ……そろそろいいかな。それじゃあ、ここからが大仕事だよ」

「ここ、から……っ!?」


 スワンの言葉に我に返る。あるいは今のこそが走馬灯だったのではないか、なんて考えた。


 すでに手は鉛のように重いのに、今から力仕事なんてできる気がしない。

 思わず悲鳴のように叫ぶ私に、外見とは裏腹に広い家の中で別の作業をしていた魔女たちの視線が集まる。


 呵々大笑する魔女は、「違うよ」と手を振って見せる。


「力仕事は終わりさ。私たちは魔女なんだ。魔女らしく仕上げをしようじゃないか」

「……魔法」

「その通り――移動しな!」

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