第41話 魔女の円卓

 がさりと茂みが揺れる音に、わたしは息をのんだ。

 ここまで近づかれて、気づかなかった。それはつまり、わたしよりもよほど隠密行動に秀でた相手だということ。

 生粋の猟師。あるいは、魔法で気配を隠していた?


「いらっしゃい……新入りね」


 現れたのは、真っ白な仮面で顔の上半分を隠した女性だった。


 身に着けているのは、のっぺりとした、顔に張り付くような仮面。

 鼻の上までを覆っているそれに開けられた目穴からは、髪と同じ黒色の、まるで黒真珠を思わせる瞳が覗いていた。

 さらされた口元には真っ赤なルージュが引かれ、鼻梁やあごのラインは彼女の顔立ちの美しさを強調する。


 胸が無ければ好青年にも思えるのはきっと、女性にしては高身長で、かつ筋肉質だからだろう。


「さ、行きましょうか。私たち魔女の円卓へ」


 手を出して、と言われるままに彼女へと手を伸ばす。


 真っ白な、シミはもちろん日焼けしている様子もない白い手。

 どこかひんやりとしたその手をつかめば、一瞬にして視界が切り替わる。


「……え?」

「さ、着いたわよ。ここが魔女の円卓の会場よ」


 瞬きを繰り返す。

 夢でも見ているのかと思って頬をつねる。


「……痛い」

「そりゃあそうよ。これは現実なのよ。たとえ、夢のような世界であったとしても、ね? もちろん幻惑じゃないわよ? まあ、魔法を使って同じようなことをできなくもないけれど」


 くすくすとおかしそうに笑う彼女の声に顔が熱くなる。

 ああもう、恥ずかしい。


 生温かい視線から逃げるように周囲を見回す。


 曲がりくねった巨木がいくつも立ち並ぶ森のどこか。

 けれどそこに闇はなく、無数のカボチャランプと、積みあがったお菓子と、木々の枝にかけられた緑色のガラスで覆われたランプが並び、怪しく世界を照らし出す。

 切り株の形をしたテーブルとイスには、黒目黒髪の彼女と同じように仮面を身に着けた人たちの姿があった。

 その中には、おそらくはハンナらしい姿もあった。

 ……いや、よく見るとハンナとは少し違う。仮面で顔を隠した老齢の魔法使いだから似ているように感じただけ、だと思う。


 あいにくと、一度会っただけのハンナを仮面有りで見分けることはできそうになかった。

 まあ、わたしに招待状を渡してくれたのだから、きっとこの中のどこかにいるはず。


 顔見知りが一人でもいるとわかれば、恐怖よりも好奇心が勝り、そわそわと落ち着かない気持ちになった。


「ここでは現実の身分も立場も顔も、すべて隠してただ一人の魔女として交流できるのよ。だから、あなたにも仮面を用意するわね」

「あ、はい」


 圧倒されるわたしは、ただうなずくしかできなかった。


 よろしい、とばかりにうなずいた彼女は、歌うように精霊への祈りを紡ぐ。


「精霊さん、どうか私の頼みを聞いて。この子に見合った、美しい仮面を、顔を隠し、神秘性をもたらす仮面を、作り上げてくださいな」


 歌うように唱える彼女が甘味を取り出す。

 きれいなバラの形をした飴細工。


 青いバラ。

 それに歓喜するように、精霊たちが動き出した――のだと思う。


 あっという間に、私たちの目の前、虚空で仮面の細工が始まる。


 地面から伸びたひょろりとした植物。

 つる草のように伸びたように見えるそれは、下の植物を栄養にして成長する、無数の植物の連なり。

 絡み、形を成していく緑。

 伸びた植物はその頂につぼみを生み、それは瞬く間に開花して、小さな花弁を揺らす。


 淡い、紫の花がいくつも揺れる。


「スミレね。家屋や石畳の隙間に根を張る、小さくも力強い花」


 その花を巻き込むように菫の草葉がうごめき、絡み合い、そうして黒髪の女性とよく似た、目元を隠す植物の仮面が出来上がる。


 ふっと飴のバラが消えたのと同時に、スミレの仮面が彼女の手の中に納まる。


 わたしの顔と同じ高さに仮面を持ち上げた彼女は、わたしの目のあたりと視線を行き来させ、納得したようにうなずく。


「あなたの目と同じ色ね」

「そう、ですね。……精霊は、この目を見てスミレで仮面を作ったということでしょうか?」


 だとすれば精霊は色を把握しているということ。そこでどうしてスミレを選択したのかという疑問は生じるけれど、わからなくはない。

 もっとも、彼女はすぐに首を振る。

 そのどこか怪しげな白の仮面と、その奥に揺れる黒々とした瞳をみて、目の色の仮面が一致することは無いという例に気づいた。


「どうかしら。さすがの精霊も、目の色だけでスミレを連想することはないんじゃないかしら。誰かに、スミレ色の目だ、とか、スミレに関連した呼び方をされたことはないの?」

「……ああ」


 いる。

 わたしのことを、スミレの乙女なんて呼ぶ男の人が。


 わたしなんてどうでもいい存在としか思っていないはずなのに。

 スミレの乙女と呼ぶその声には、深い思いと熱がこもっているのだ。


 思い出しただけで嫌な気持ちが胸の中で膨らむ。


 陰鬱とした気持ちを吹き飛ばすように首を振り、差し出された仮面を受け取り、身に着ける。


 しゅるる、と目元で仮面が動いて、スミレの茎で編まれたひもが仮面を頭に固定する。

 顔の上半分を隠す、スミレの仮面。女性が手鏡で見せてくれたわたしの姿は、なるほど、この顔と王子妃としてのわたしを連想させるのは困難なほどに別人に見えた。

 顔の上部だけを隠して印象が変わるのかと思っていたけれど、自分でもびっくりするくらいに違う。

 瞳と同じ色の花弁であるせいか、あまり他人に見たことが無い珍しい薄紫の瞳が花に埋没し、印象が薄れているのだ。


 何より、植物でできているからか仮面は軽く、そしてつけていても少し視界が狭くなるだけで、違和感はほとんどない。


 おそらく、わたしが仮面を作ったところでこうはならなかった。

 流石、おそらくは何度も仮面を作っているだけはある。


「ありがとうございます」

「精霊にとっても楽しい魔法になったみたいね」


 楽しい……とはいえ、この女性もおそらく精霊は見えていない。

 けれどこう、直感が働いたというか、何となく女性が言っている「精霊が楽しんでいる」というのが少しわかった気がした。

 わたしもどことなく楽し気な空気を肌で感じることができた。


「……ああ、自己紹介がまだだったかしら」


 少し恥ずかしそうに頬を赤らめて、彼女はこほんと咳払いをする。


「初めまして。私はフォトス。名前の通り、この魔女の円卓の運び屋フォトスをしているわ」

「ええと、わたしは……スミレ、です」

「そうね。その仮面も相まって、あなたにぴったりの名前だと思うわ」


 おそらくは本名を口にしないで正解だった。

 楽しそうに笑うフォトスを見ていると、わたしのほうも笑顔になる。


 そうして気持ちが落ち着いたからだろう。

 いろいろな驚愕で流れていた先ほどの一番の驚きの現象が思い浮かぶ。


「あの、そういえばさっきの魔法って……」

「ああ、ごめんなさいね。あなたで最後だとおもっていたのだけれど、まだお客さんが来たみたい」


 一瞬にして移動する不思議な魔法について聞こうと思ったのだけれど、フォトスは首をひねりながら告げる。

 彼女の視線を負った先、テーブルを囲む魔女たちは、すでに大いに盛り上がっている。


 なんだか身内ばかりの入りがたい空気があるように思えるのは、わたしが見ず知らずの人と交流することが少ないからだろうか。


「ここでは基本的に何をするかは自由よ。どこかのテーブルに加わって魔法談義をしてもいいし、会場に飾られた甘味を使って魔法の練習をしてもいい。あるいは甘味の作り手として時間を過ごすのもいいわ。みんな、新しい人に飢えているから、すぐに歓迎されるでしょうね」

「そう、なんですか」

「ええ、今もぎらぎらと目を輝かせているわ」


 言われていくつかのテーブルを見れば、魔女たちが会話を止めてわたしたちの方を見ていた。

 わたしの視線に気づいてひらひらと手を振る人達は、当然のころながら男性もいれば女性もいる。その年齢も、まだ十歳にも届かないかもしれない子から、髪が真っ白になって腰が曲がったお年寄りまで幅広い。


「改めて、ようこそ魔女の円卓へ。歓迎するわ、スミレ」


 ここは、わたしを受け入れてくれる。

 わたしが誰であるかも、立場も、何もかもを気にすることなく。


 心からわたしを歓迎してくれているとわかるフォトスの言葉に、こみ上げるものを感じた。


 胸の温かさに、自然と笑みがこぼれる。


 そんな感動をよそに、フォトスはあっさりと魔法でわたしの前から姿をくらませる。


 わたしが彼女の魔法について考察するのに夢中になったのは言うまでもない。

 おかげで、あまり緊張しすぎることなく魔女たちの話の輪に入ることができたのだけれど。

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