第35話 魔女のおくりもの
三つの薬草クッキーを手にしたハンナは、それで軽く空気を切るような動きをして見せる。
「例えば、同程度の風を起こすとしよう。その際、魔物の目に砂埃を運ぶための魔法なら、クッキーが三つ必要になる」
続いて、ハンナは二枚のクッキーを口の中に入れ、飲み干す。
手元には、一枚のクッキーのみ。
「それに対して、床に降り積もった砂埃を飛ばすための魔法には、クッキー一枚でいい。同じ効果でも、これだけ精霊に好みがあるわけだ」
「同じ対価を与えた際の魔法の規模は、その場にいる精霊の好みで決まるといいますよね」
甘味と一言で言っても幅は広い。
おそらくは精霊にだって趣向があって、素朴な甘味を好む精霊、砂糖菓子、はちみつ、糖分よりもバターやミルクのほのかな甘み、あるいは例外的ではあるが胡椒のような変わりモノを好む精霊だっている。
精霊にも好みがある。その前提からすれば、どのような魔法を発動するか、という好みがあるという考えはうなずける。
事実、殺しを忌避しているということは、少なくとも対価を多く受け取ってもあまり発動したいと思わない「嫌いな魔法」があるということだから。
「確かに、場所の影響も大きいさね。風を好む精霊が多くいれば、少しの対価で大きな風を得られる。水場なら水を好む精霊が多くて、水を扱う魔法は少ない対価で発動できる。一方で、水が少ない場所でも、ほどよく水がある場所よりは精霊の反応がいい。……おそらく、掃除や洗濯を求める人が少ないから、精霊が面白がっていっぱい力を使ってくれるんだろうね」
それは、これまで考えたことのないものだった。
というよりも、甘味をささげて精霊に掃除や洗濯をお願いするなんて考えたこともなかった。だって、甘味は貴重で、家事は手間さえかければ自分でもできるものだから。
なら、お肉を得るための狩りに貴重な甘味を使うのが正しいはず。
ふむ、今のわたしは妃だけれど、まだ自由に大量の甘味を購入できるほど金銭的に不自由していないというわけではない。
今日だって、甘味の購入はわたしの自腹だ。
妃としての国から渡される費用は少ない。まあ、今のわたしは妃としてろくに働いていないうえ、後ろ盾は無いに等しいのだから仕方がないのかもしれない。
これで支払いを中抜きされているのなら黙ってはいないけれど、元から少ないのであればそんなものだと受け入れられる。
お金は魔物を討伐して、その素材を売ることで得られるから別にいい。
王都は、精霊に見放された土地という魔物の宝庫があり、さらには流通経路が確立されているために素材を高値で買ってくれる者がいる。故郷の土地では、せっかくの魔物肉なども腐るからという理由であまり売れなかったから。
まあ、ほとんど肉はわたしたち家族の胃袋に収まっていたけれど。
……このまま良好なサイクルで魔物の討伐を続けられるのなら、それなりに多い資金が集まる。魔法について今一度じっくり調べるくらいの余裕はできるかもしれない。
ならばまずは精霊の趣向からだろうか。どのような場所で、どのような対価で、どのような魔法の使用が好まれるのか。時間帯はどうだろうか。あるいは、人による?
調べることは多い。これは調査前にしっかりと計画を練る必要があるかもしれない。
「……魔法を家事に使うって、具体的にどうするのでしょう?」
ぬるくなったお茶を飲んで気持ちを落ち着けていたフィナンが話に戻ってくる。
考えに耽っていたことに気づいてはっと顔を上げれば、フィナンは興味深げに空のカップを見ていた。きっと、先ほどのお茶を冷ます魔法について考えていたのだろう。
「気になるかね?」
「はい。なんだか面白そうですよね。それに、すごく楽しそうです」
その通り、魔法は楽しい。だから息を吸うように魔法を使う。使いたくなる。
魔法を使わせないという発想には強い嫌悪感を覚えるのは、わたしが魔法を好きで仕方がないから。
……アヴァロン殿下や王族の決まりを思い出したら、急に気持ちが萎えた。
「楽しいというよりは、楽だね。例えば、精霊に水の吸収を頼むことで、一瞬で洗濯物が乾く。雨の日に、汚れた洗濯物が一瞬でピカピカになるのさ。汚れをごしごしと洗うこともない。さらに言えば、洗濯を精霊に頼めば、着ている服をその状態のままきれいにすることもできる」
「着ている服を、そのまま?」
「服の汚れを取り除いてもらうのさ。緻密な風で汚れを繊維から話して、回収する。ドレスなんかについたシミだって、その場で一瞬さ」
「それはすごいですね!」
よほどドレスの染み抜きへの恨みでもあるのか、フィナンが立ち上がりながら目を輝かせて叫ぶ。
わたしの脳内で、服を着たままのフィナンが水に包まれ、くすぐったそうに身をよじる。そのうちに水は消え、今度は風がフィナンに吹き付け、その強風によっておかしな表情をする。
……わたしのイメージが悪いのか、あるいは魔法の発動対象をフィナンにしてしまうからこんな想像しかできないのか。
歓喜に笑みを浮かべていたフィナンは、けれどすぐにふらふらと椅子に座り込み、がっくりとうなだれる。
「でも私、魔法が使えないです……」
あ。
これでわたしの方が魔法使いだとハンナにばれてしまった。
まあ、今まで魔法使いくらいしか意識しない甘味の運用法を話していたから、ほぼ九分九厘わたしが魔女だと察していただろうけれど。
そのことには反応を示さず、ハンナは「残念だね」と肩をすくめる。
「もし魔法が使えるのなら、ワタシの家事魔法を伝授したのだけれどね。まあ、伝授といってもどのような場面で魔法を有効に使うか、という程度の話だけれど」
興味があるかな、とハンナがわたしを見る。
当然、わたしは何も反応できない。ただ苦笑を浮かべるのがせいぜい。
だって、フィナンはわたしが魔法使いであることを知らないから。知られてはいけないから。
わたしはアヴァロン王子の妻で、王族の一員の女性。
だから、魔法使いであってはいけない。
それは、わたしが破ってはいけない一線だった。
何か言いたげにじっと見つめるハンナとフィナンの視線にさらされる時間は、永遠に等しかった。
やがて二人は再び顔を見合わせ、新しい紅茶をお供に話を戻す。
わたしの頭の中はもう、早くこの場所を出るべきだという焦りと、いっそのことすべてフィナンに暴露してしまったらどうだという気持ちの間で揺れ動き、心は乱れに乱れていた。
話は続き、ハンナとフィナンは家事魔法のことで盛り上がる。
わたしは二人の話に相槌を打ちつつ、どうして自分は魔法使いであることを秘密にしないといけないのか、改めてその縛りに息苦しさを感じていた。
わたしはいつまで、自分を隠して偽って生きていかないといけないのだろう?
そんな暗澹とした気持ちが伝わったのかどうか。
帰り際、ハンナはすっとわたしのもとに近づいてきて、一枚の紙きれをフィナンに気づかれることなく手渡してきた。
「新しい同胞との交流は大歓迎だよ」
耳元でささやかれた声は、どこかいたずらっぽい響きをしていた。
心を絡めとるような声にドキリとして肩が震える。
視線を向けた先、ハンナは少し意地の悪い笑みを浮かべていた。
わたしが魔法使いであり、魔法使いだと言い出せない事情持ちだと察するハンナ。
彼女に渡されたそれを固く握りこみながら、わたしたちは店を辞した。
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