第34話 魔女ハンナ
薬草茶で一息ついたわたしたちは、改めて店の奥で腰を落ち着けて話をする体勢になった。
薬草茶と薬草を混ぜたクッキーを手にしてお茶タイム。
相変わらずフィナンはクッキーを一口かじるなり渋い顔をする。意外と子ども舌らしい。
苦味に苦悶の顔をしつつ、さすがに口の中に含んだ食べ物を吐き出すのはもちろん、かじった食べかけを残すのもためらう様子。
……一応は使用人らしさを残していてよかったというべきかどうか。
そんなフィナンをよそに、わたしは改めて目の前に座るハンナを見つめる。
真っ白な髪、顔に刻まれたしわ、節くれだった指。
長い年月を生きてきた者特有の風格を備えた彼女は、凛と背筋を伸ばして紅茶を口に含む。
その動きには気品があって、どこかの貴族を思わせた。
少なくともわたしよりはよほど気品を感じる。フィナンなど比べるべくもない。
フィナンは子爵家のご令嬢だったはずなのだけれど。
アチ、と隣でお茶の熱さに悲鳴を上げるどこか間の抜けたフィナンの声が聞こえる。
緊張でもしているのだろうかと思いながら、わたしはゆっくりと口を開く。
「……貴族、じゃないですよね?」
「そうさね。ワタシはそんな高尚な身分じゃないよ。ただの元使用人さ」
使用人でこれほどまでに教養を感じさせるということは、よほど高貴な方に仕えていたのかもしれない。
侯爵とか、公爵とか?
正直立場が違い過ぎて想像ができない、と言いたいのだけれど、頭にはエインワーズ様の姿が思い浮かぶ。
エインワーズ様は確か侯爵家の方。
つまりエインワーズ様のような方にお仕えしていた……おかしい。わたしの頭の中でハンナがロープを握り、アマーリエの元へと脱走しようとするエインワーズ様を力尽くでねじ伏せる。
なるほど、エインワーズ様をイメージするからいけないのだ。
彼以上に高貴な方となると……ああ、一人しか思い浮かばない。
今度は氷のように無機質な目をしたアヴァロン殿下の背後に控え、見下すようにハンナがわたしを見下ろす。
見下ろされているような高圧感があるのは、わたしの卑屈さからか、あるいはハンナが身にまとう気品のせいか。
なんにせよ、わたしの交友関係では、ハンナの過去を想像するのが困難であるということだけは身に染みた。
「使用人……それじゃあ、魔女というのは?」
「ああ、今ではあまり使われなくなった言葉かもしれないね。魔女というのは、魔法を、戦い以外の用途に使う魔法使いのことを言うのさ」
やっぱり、魔法使い。
それは、この魔女の庵を見つけた時のことを思えば明らかだった。
ハンナの店を前にフィナンが驚き、あるいは困惑していたのはおそらく、フィナンにはハンナの家が見えていなかったから。
街並みの中でやや浮いて見える魔女の庵は、フィナンでもすぐに目を付けられるはずのもの。それに目が向かなかったのは、何らかの力が働いているから。
わたしに見えて、フィナンには見えないならば、答えは一つ。
おそらくは魔女にだけ見えるように、魔法が発動してあったのだ。
つまり、わたしたちがこの建物に入った時点で、ハンナにはわたしたち二人のどちらか一方は魔女であるということが分かっているということ。
そして、先ほどからわたしに向けて何か言いたげに見てくるあたり、どちらが魔女が、彼女は感づいているみたいだった。
魔女という言葉に反応してしまったのは少し失敗だったかもしれない。
わたしの正体を予感しているだろうに、ハンナは何も言わない。
いつ爆弾が爆発するか気が気でないけれど、なんとなく彼女はここでわたしが魔女だということを口にはしないだろうと思った。
何の根拠もありはしないけれど。
ああ、いや、魔法使い同士の慣習のような何かがあるのかもしれない。
わたしは魔法使いに師事したようなことは無いから知らないけれど。
目を細め、過去を見つめるような様子で店の中をぐるりと見回し、ハンナは小さく吐息を漏らす。
その横顔には郷愁、そして悔恨のようなものが垣間見えた。
「今でこそワタシは薬を作るために魔法を使っているけれどね。前は料理や洗濯、掃除のためにだって魔法を使ったものだよ」
「家事のために、魔法を……?」
魔法というものにキラキラした幻想めいたものでも感じていたのか、フィナンは少し微妙そうな顔をする。
その反応が欲しかったといわんばかりに、ハンナはからからと笑った。
その笑みも次の瞬間にはなりを顰め、沈鬱な顔でうつむきがちに告げる。
「そうさね。ワタシが仕えていたお嬢様は……まあ、あまり裕福ではなくてね。使用人はワタシと、老齢の料理人の二人きり。お嬢様を完璧に支えるには手が足りなかったのさ」
それは、無茶苦茶だ。
その貴族家が例えばわたしたちの家のように使用人を雇うような余裕もなくて自分のことは自分でするような生活だとしても、すべきことは山ほどある。小さくても家の掃除は大仕事で、おそらくは御者や庭仕事もハンナの仕事になる。明らかに手が足りない。
そんな仕事量を使用人に押し付ける無茶な貴族もいるのだと思うとげんなりする。こう、同じ貴族として、嫌になるというか。
まあ、自分の家のことは自分たちでやるような貴族の権威など無きに等しいわたしの家は、高位の家の者から見れば貴族の面汚しに見えるのかもしれないけれど。
「そこで、魔法さ」
言いながら、ハンナはお茶菓子を一つ手に取り、頭上に捧げる。
「お茶を少し冷ましておくれ」
その言葉に、ふっと彼女の手の中からお菓子が消えて。
そうして、次の瞬間、フィナンの手の中にあったお茶から湯気が消える。
目を見開いたフィナンはお茶とハンナの顔の間で視線を行き来させる。
視線で促されてもまだ不安が大きいらしく、本当に飲んでもいいのかとわたしに目で尋ねてくる。
どうしてわたしに尋ねるのか。
同じ魔法使いとして判断を仰ぎたい、という意味では無いよね?
ハンナに害意は見られない。
そういう意味でうなずけば、フィナンは恐る恐る口をつけて。
カッ、と勢いよく目を見開いた。
「……ぬるい! 奥様、ぬるいですよ」
「そう、これで火傷をせずに飲めるわね」
「う、さっきのは、少し失敗しただけですよ? 私だって、いつもあんな風におっちょこちょいじゃないんですよ」
「そう」
「まったく信じてない口調じゃないですか!?」
フィナンがドジっ子、あるいは少しでも緊張するとすぐに動揺してやらかすのはもう慣れたもの。
毒殺未遂の場で泡を吹いてひっくり返ってみたり、抱き枕にされてあわあわするばかりであったり、あるいはお兄さまの襲来によって氷像のように動かなくなり、城下でアヴァロン王子殿下と偶然遭遇した際に目を回していたり。
……うん、できる使用人という感じじゃない。フィナンはポンコツ、そういうことだ。
うう、といじけたようにお茶を飲んで顔の熱を冷ますフィナン。
彼女をひとしきりからかったところで、改めてハンナのほうを見る。
家事に魔法を使う魔法使い――魔女。それはきっと、魔法をいろいろな用途で使おうというだけでなく、合理的な側面もあるのだと思う。
「戦い以外に魔法を使うのは、万が一魔法で相手が死んでしまって、精霊に嫌われないようにするためですか」
精霊は殺しを好まない。
それはたとえ他者すべてに牙をむく魔物相手でも同じ。
魔法によって殺害を望むのならば、通常の倍か、それ以上の甘味を対価として支払う必要がある。あるいは、次から精霊の協力が得られにくくなることを覚悟しなければならない。
それくらい、精霊は清らかで純粋な存在なのだ。
「それもあるけれど、一番は精霊が楽しそうだからかねぇ」
「精霊が、楽しそうに」
精霊が楽しそう――そう判断するには、精霊を見るのが確実。
周囲を見回してみるけれど、当然ながら、わたしの眼には精霊の姿は映らない。
魔法という不思議な力が使えるから精霊がいるであろうことはわかっても、精霊は見えない。
ただ、存在を感じることしかできないのだ。存在を感じると言っても、魔法という現象が確認されることに加え、対価としてささげた甘味が消えることから察するばかり。
まさかハンナには精霊が見えているのか――彼女は残念そうに首を横に振る。
「ワタシにも精霊は見えないよ」
「じゃあ、どうしてわかるんですか?」
「精霊が起こす現象の規模だね。同じお菓子をあげた際の、精霊の魔法の強さが違うのさ。あるいは、同じ規模の現象を起こしてもらうのに、どれだけの甘味が必要か、という比較でもいい」
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