第30話 甘味の花園

「いらっしゃいませ。マドレーヌ・グレシャへ」


 執事のごとき老齢店員の恭しい歓待を受けて、フィナンはきりりと表情を引き締めた。

 店内に入るなり瞬時の変わりように驚くばかりだ。


 人前に立つとすぐに切り替わるのかと思ったけれど、どうにもただならぬ風格を放っている目の前の男性を自分の使用人としての修練の参考にしようとしているみたいだった。

 歩き方が、身振りが、指やひじの角度、目線による誘導……とブツブツと言っているのは少し怖かった。


 目を皿のようにして観察するフィナンの視線に気づいているのかいないのか、店内をざっと案内する店員の肩がわずかに震えている気がするのはわたしの気のせいだろうか。


「自由に見回っても?」

「もちろんですとも。主に扱っておりますのは日持ちのする甘味ですが、本日限りの足のはやい品も取り揃えて御座いますゆえ、お気軽に見て回っていただければと思います」


 それでば、とまるで風が流れるような自然さで去っていった店員を見送り、フィナンはほうと息を吐いた。


「男性の使用人で参考になるのかしら?」

「おもてなしというのは男性であっても女性であっても共通ですから。いかにお客様を満足させるか、その点に主眼を置けば、学ぶべきものはいくらでもありますよ」


 そんなものだろうか。

 わたしとしては、あの足運びは、くらいしかわからなかった。

 多分護衛としての戦闘訓練、それに実戦経験もかなりあると思う。ほんの少し足を引きずっていたし、古傷が原因で一線を退いて、今はここで働いている、という考察に一票を入れたいところ。

 おそらくは騎士タイプだから、魔法使いとしてはあまり参考にならなさそうなところが残念。


 わたしの戦闘は基本的にすべて独学だから、ずっと師匠が欲しいという気持ちがあった。

 山歩きこそ故郷の猟師に教えてもらったけれど、魔物を討伐できるほどの腕ではなかった。動物狩りこそ彼から学んだけれど、それだけ。

 やっぱり魔法使いとしての師匠や、魔物討伐を生業とする先生が欲しいところ……今更かもしれないけれど。


 男性店員を見送るわたしの視線に名残惜しさでも感じたのは、フィナンはしきりにわたしと店員との間で視線を行き来させていた。

 はっと気づいたその目は、「まさか、あのようなお方がタイプなのですか?」と語っている。


「違うから。ほら、さっそく見て回りましょう?」


 そんなフィナンの背中を押しながら、込み合った店内へと足を進める。


 ちなみにここ「マドレーヌ・グレシャ」というのは、最近王都で話題になっている菓子店である。

 有名なのはラングドシャやマカロン。

 小麦粉系が多いかと思えば、美しい飴細工が並び、あるいはドライフルーツなども豊富に取り揃えてある。


 ブランドを確立し、味はもちろん見目も美しい甘味の数々。

 当然相応の値段をしているものの、店内には多くの客の姿がある。

 驚くべきは使用人だけではなく、明らかに身分が上の、貴族の子女または夫人、豪商の奥様らしき人影が見えるところ。


 一般的に大変尊い者は商人などを呼びつけ、自宅で品を選ぶ。貴族の中でもあまり高位にない家であっても、平民にまで門戸を開いた店に夫人自ら足を運ぶことは少なく、大抵は使用人が遣いとして送られる。

 それにも関わらず、ここには高貴な女性がたくさんいる。きっと、自ら見て選びたいと足を運ばせるほどに、マドレーヌ・グラシャが優れた店であるという証左だろう。


 まあ、おそらくは来客の中でわたしが一番高貴なのだろうけれど……見た目はさておき。


「それで、奥様はどのようなものをお探しなのですか?」


 並ぶ美しい品々に目を輝かせ、心なしか浮足立って見えるフィナン。はたと何かに気づいたらしく慌ててわたしの方を振り向いて尋ねるのはきっと、今が休息日ではなく、わたしの存在を思い出したからだろう。

 先ほどまで使用人らしさを参考にしようと貪欲さを見せていた仕事人はどこへ行ってしまったというのか。


 まあ、わたしのことを忘れてしまっていたことを恥じる真っ赤な顔のフィナンが可愛らしかったから許してしまうのだけれど。


「持ち運びしやすくて素手で扱えるもの……って、フィナンってわたしのことをそんな風に呼んでいたかしら」


 奥様って呼ばれ方に、すごく違和感があった。

 こう、むず痒いというよりは気持ち悪く感じてしまうのは、きっと奥様になっているという現状を直視したくないが故だろう。

 何せ、夫婦らしいことなんてわたしたちの間には何一つない。

 ……なるほど、つまりわたしを揶揄っている、と。仕返しのつもりだろうか。


「あれ、ばれてしまいましたか」

「……わたしのことを揶揄うなんていい度胸ね」

「揶揄ってはいませんよ。ただ使用人としてあるべき対応をしているだけですよ?」

「……ふぅん?」


 チロリと舌を出して告げるそのおちゃめな顔は間違いない。

 半目で見つめても、フィナンがへこたれる様子はない。


 仕返しを避けるためか、フィナンはニッコリと笑うばかりで返事をしない。

 まあいい。

 その程度でわたしが泣き寝入りするとでも思ったら大間違いだ。


「それにしてもここはお菓子の種類が豊富ね」


 一つショコラをつまみ、口いっぱいに広がる幸福感に思わず笑みが浮かぶ。


 品数も多く、試食サービスもあるため、買い物を終えるころにはおなか一杯になってしまっていそうだった。

 こんなに提供して、満腹になって販売数が低下するということはないのだろうか。


「噂として耳にはしていましたが、驚くほどの品数ですね。これはデートが失敗に終わるのもわかります」

「突然何の話よ?」

「同僚の話を小耳に挟んだのですが、なんでも婚約者とマドレーヌ・グレシャに足を運んだところ、お相手の男性がお倒れになったとか」


 倒れるような何かがあるだろうかと、店内を見回してみる。

 ややファンシーで、けれど流行の先端を行くというよりは、洗練された気品の中に若さを内包した装飾。落ち着きながらも活発さをみせる店内は、決して男性の目がちかちかするようなものではない。

 ただし、店にいるのは多くが女性。


 確かに、この姦しい状況の中に長く居続けるというのは、なかなか大変かもしれない。


「女性の話は長いし、にぎやかだものね」

「あ、いえ、そうではなくてですね、なんでもにおいに酔ったそうです」

「酔った? においに?」

「はい。正確には多種の甘い匂いにやられて気持ち悪くなったとのことです。お相手の男性はそれほど甘い者が得意な方ではなかったそうで、店内のにおいに耐えられなかったとか」


 確かに、言われてみればいくつもの甘い、あるいはバターの香りがハーモニーというかオーケストラを完成させていた。

 濃密な甘い匂いは、苦手な人にしてみれば「むせかえるような」と形容されるものかもしれない。


 男性に限らず、甘いものを好まない人にとっては、なるほど、ここは一種の拷問室のように思えてしまうかもしれない。

 これは合法的にお兄さまに仕返しをする機会……だめだ、お兄さまは確かにそこまで甘味を好まれないけれど、わたしと一緒にショッピングというだけで天にも昇る気持ちですべてを許してしまいそう。


 脳内で羽を生やしたお兄さまが「妹と一緒にいられるのであればすべてを許そう」と、後光を背負いながら宙に浮かび上がっている。


 ……余計な思考を追い払うように首を振れば、フィナンにおかしなものを見る目を向けられた。


 くそう、フィナンのくせに。

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